||| 片道切符 |||


 ついてない。
 帰り道、突然降り出した雨。当然傘など持っているわけもなく、私は慌てて店の軒先へ避難した。ハンカチで髪や顔を拭っていると、その店の看板が目に留まる。
(雅藍堂〜? 変な名前。店の中もがらんどうだったりして)
 そう思った私は、なぜか惹かれるように店のドアを開けていた。

 カランカランとドアベルが鳴るが、店の中から返事は返ってこない。
 店内を見回すと、古めかしい置物や絵画が所狭しと並べられていた。どうやら骨董店のようだ。商品は溢れるほど置かれているが、客は一人もいなかった。
(がらんどうだ……)
 そう思いながら奥へ進むと、カウンターの向こうに椅子に座って本を読む一人の男性がいた。チャーチチェアというやつだろうか。木製で随分年季が入っているようだ。
 男性の膝の上には一匹の黒猫が丸まっていた。近づいてきた私に気がついて体を起こす。
「にゃあ」
 その鳴き声で男性が顔を上げた。
「おや? いらっしゃいませお嬢さん」
「ど、どうも」
「骨董店雅藍堂へようこそ。俺は店主のトキ。でもってこっちは黒猫の馨子キョウコさん」
「にゃあ」
 返事をするかのように黒猫――馨子さんが再び鳴いた。よく見ると右目が金色で左目が水色と、随分変わった瞳の色をしている。
 トキさんはトキさんで骨董店の店主にしては随分若いようだ。長い黒髪を後ろで一つに束ねた、はっきり言って美形なお兄さんだった。
「お嬢さん、随分嫌なことがあったみたいだね」
「えっ!?」
「よかったら話してみない? 少しはスッキリするかもよ」
 トキさんの目を見ていると、なぜかノーと言えない不思議な気分になった。
「……私、仕事で大きなミスをやっちゃったんです」
「ふんふん」
「でもそれは私一人の責任じゃなくて、上司の不手際もせいもあったんです。それなのにあのタヌキ部長、『これだから女は使えないんだ』とか言ってきて……」
「それはひどい部長だなぁ」
「まったくです! しかもそんな時に彼氏が別れを切り出してきたんですよ? 恋人が落ち込んでるその時に! 普通そういう時って慰めるもんでしょう? もう最低。こっちから別れてやりましたよ。
 でもそれだけじゃないんです。親友だと思ってた子が借金残して逃げたんです。保証人は、何を隠そうこの私! 二百万!? ふざけんな払えるかボケ!
 でもって両親はいきなり別居とか始めちゃうし? 会社は倒産寸前だって聞くし? 隣の部屋のボヤ騒ぎで壁焦げちゃうし? 今日もいきなり雨降り出すし!? ついてないにもほどがあるのよっ!!」
 そこまで言って思わず息切れ。なんで私、今日出会ったばかりの相手にこんなことをベラベラと喋ってるんだろう。
「なるほどねぇ〜。それはとんだ災難だったようで」
「そうよ! とんだ災難よ! なんで私ばっかりこんな目に遭わなくちゃならないのよ……。世の中不公平だわ。こんなことなら死んだ方がマシよ!」
 心からの叫びにトキさんはうんうんと頷いた。そして手にしていた本を置くと、席を立って引き出しの中をガサガサとあさり出す。しばらくして取り出したものを目の前に差し出した。
「なんですか、これ。切符?」
 思わず受け取ってしまったそれは、手のひらに収まるくらいの小さな紙切れだった。表には今日の日付と地名らしきもの、それから路線名が書かれていて、裏は真っ黒で磁気加工がされている。
「お望み通りのその場所へ。夢の旅へとあなたをいざなう、不思議な魔法の片道切符〜♪」
「夢の旅? 魔法の片道切符?」
 わけがわからない。頭の上にクエスチョンマークがいくつも浮かぶが、トキさんはにこにこ笑っている。
「今のお嬢さんにはまさにピッタリ。太っ腹にもこれをプレゼントしちゃいましょう!」
「プレゼント……? これ、いただけるんですか?」
「イエース。お客さん第一号のお嬢さんへの特別サービスだよ」
「あ、ありがとうございます」
 よくわからないが、貰えるものなら貰っておこう。まぁこんな紙切れ一枚で、本当に夢の旅に行けるなんて思ってはいないけれど。
 第一骨董店のくせになんで切符なんだとか、ツッコミどころは色々ある。でもきっと私を励ますためにしてくれたことなのだろう。それに話を聞いてもらっただけでも随分胸がすっとした。
 私は奇妙な感覚に捕らわれながら雅藍堂をあとにした。すっかり日は暮れていたけれど、いつの間にか雨は止んでいたようだ。

*  *  *

 いつも通りの時間、いつも通りの駅。私はホームで電車を待っていた。辺りはすでに暗闇に包まれている。あまり大きな駅ではないためホームにいる人もまばらだ。
 しばらくしてやって来た電車に乗り込むと、私はドアのすぐそばの席に座った。いつもより車両の中は随分空いていたけれど、働き疲れた帰宅時には静かな方が体も休まる。いつの間にか私は眠ってしまったようだった。

 それからどのくらい経ったのだろうか。
 車両のドアが開けられた音で気がつくと、制服に身を包んだ車掌さんが入ってくるのが見えた。腕時計に目をやるが、どうやら乗ってからまだ15分も経っていないようだ。相変わらず乗客は少なかった。
「切符を拝見いたします」
 突然声を掛けられて顔を上げると、そこには車掌さんが立っていた。
(車内検札なんて珍しいなぁ……)
 そう思ったが、言われた通り切符を差し出した。しかし受け取った車掌さんの手が止まる。どうしたんだろうと思って顔を覗き込むが、帽子を目深に被っているのでその表情は窺えない。
「この切符ではありませんね」
「え? でもこれ、ちゃんと駅で買ったやつですよ?」
「違いますね」
 え? え?
 慌てて鞄やポケットの中を探し回るが、それ意外に切符などあるはずもなく――と、その時、コートのポケットからひらりと小さな紙切れが落ちた。拾い上げてみると、それはトキさんに貰った「魔法の片道切符」なるものだった。
(まさか、これが……?)
 恐る恐る差し出すと、一言ありがとうございますと言い、車掌さんは何事もなかったかのように切符を切って去っていった。
 一体どういうことなのだろう。私はさっき買ったばかりの切符とトキさんに貰った切符を見比べた。
 サイズは同じ。厚さも同じ。表はどちらも薄い水色。裏はもちろん磁気加工。両方とも今日の日付に、路線名は「常代線」となっている。運賃は同じく370円。
 けれどたった一つだけ違う箇所があった。それは行き先の駅名。買った方は私の家から徒歩十分の最寄り駅「湯見ヶ原」となっているが、貰った方には「黄泉ヶ原」と書かれている。
 「ゆみがはら」と「よみがはら」。たった一文字違いだが、まったく知らない駅名だった。
 一体この電車はどこへ行くんだろう。私は妙な不安感に襲われ、辺りをきょろきょろと見回した。他の乗客たちはみんな何事もない様子で座っている。
 しかしふと気がついた。さっきから車両の乗客たちが、増えもしていなければ減りもしていないのだ。そこにいたのは私が乗ってきた時とまったく同じメンバーのままだった。
 おかしい。乗る人がいないのはわかるが、降りる人がいないわけがない。いや、それ以前にこの電車、先程からどの駅にも停車していないのだ。もし快速だったとしても、そろそろ次の駅に到着するはずなのに――
 慌てて窓の外に目をやるが、今どこを走ってるのかまったくわからなかった。真っ暗で何も見えない。家の明かりも、看板のネオンさえも。
 額に冷たい汗が流れた。そしてもう一度車内を見回した瞬間、私は目を疑った。

 透けている。

 何が?
 乗客がだ。

 信じられなかった。壁、椅子、窓、すべてが薄っすらと透けて見えるのだ。乗客たちの向こう側に。
 半透明の乗客たちは、みんなうなだれるようにうつむき、顔は紙のように白かった。誰一人として口をきくどころか動こうともしない。まるで生気が感じられないのだ。
 ――いや、私ははっきりと悟った。この人たち、生きていない。乗客たちはこの世の者ではない、と。
(まさか黄泉ヶ原って、本当に黄泉の国ってこと――!?)
 このままでは私も一緒に連れて行かれてしまう。そう思った瞬間、頭の中が真っ白になった。
「降ろして! 降ろしてよ!」
 弾かれたように席を立ち、そう叫んでドアを叩く。
「私まだ死にたくない!」
 ガンガンと乱暴に叩くが、電車は止まることなく走り続ける。
「いや……いや……降ろしてったら!!」

「お客さん、車内ではお静かに願えますか?」

 突然背後から掛けられた声に驚いて振り返る。その瞬間、私はさらに驚愕した。
「トキさん!」
 そこには車掌服を着たトキさんの姿があった。肩には黒猫の馨子さんも乗っている。
「そんなに慌ててどうしたの? 夢の旅、楽しんでもらえてないのかな」
「こっ……これのどこが夢の旅よ!!」
「ええ? でもお嬢さんが言ったんだよ? 『死んだ方がマシ』って」
「それは確かに言ったけど……でもそういう意味で言ったんじゃないのよ! だからお願い、降ろして!」
 必死に訴える私を見て、トキさんはうーんと首を傾げる。
「それはできない相談だなぁ。言ったでしょ? これは片道切符だって。帰りの分はないんだよ」
「そんなぁ……」
 呆然と床に座り込んでしまった。
「そんなのいや、死にたくない……私まだ死にたくない!!」
 そう叫んだ私の頭に、トキさんがポンと手を置いた。ゆっくり顔を上げると、トキさんは穏やかな、けれどいさめるような表情で私を見下ろしていた。
「それは君の本心?」
 言葉に詰まり、私は無言でうなずいた。
「本当に?」
「……本当に」
「じゃあ二度と軽はずみに『死んだ方がマシ』だなんて口にしちゃ駄目だよ」
「……わかった」
「わかりました、でしょ?」
「わ、わかりました」
「よし!」
 トキさんは大きく頷くと、座り込んでいた私の腕を引いて立ち上がらせた。そして握っていた片道切符を取り上げる。
「それじゃ、これは俺が預かっておきましょう」
 そう言ってトキさんがウインクした瞬間、目の前が真っ白になった。

*  *  *

 次に気がついた時、私は駅のホームに立っていた。すごく見覚えのある駅。ホームにアナウンスが流れる。
「湯見ヶ原〜、湯見ヶ原〜」
 背後でプシューッとドアが閉まり、電車が走り出す音が聞こえた。呆然と辺りを見回すが、そこは私がいつも降りる湯見ヶ原駅に間違いなかった。どうやら無事戻ってくることができたようだ。
 心から安堵し、大きなため息をつく。その瞬間ケータイが鳴った。慌てて取り出すと、そこには別れたばかりの恋人の名前。一瞬ためらったが電話に出る。
「……もしもし?」
『あっ、お、俺だけど』
「何?」
『あ、あのさ、もう一回やり直せないかな?』
「……どうして」
『あの時のことは本当に悪かったと思ってる! いくらでも謝るから! ごめん!』
「ホントよ。私、死のうと思ったんだから」
『ええ!? マジかよ!?』
「……冗談よ。そんなこと思ってないわよ。……今はね」
『よかった〜……。とにかくさ、明日会ってくれよ! 頼む!』
「わかったわよ。明日ね」
『ああ! じゃあ……お休みっ』
「ハイハイお休み」
 電話を切った瞬間、再び大きなため息をつく。同時に体の力が一気に抜けてしまった。なんだか自分がものすごく馬鹿みたいに思える。さっきまでの私は、一体何を考えていたのだろう。
 三度目のため息をつくと、今度は大きく深呼吸をした。そしてようやく歩き出す。
 もうちょっと、たくましく生きてみようかな。

FIN.



■感想などありましたら…無記名でも結構です。お返事はレス用日記にて。

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