八月某日。
都内で今年最高気温を記録した日。
彼女は彼を待っていた。しかし彼は――まだ来ない。
■彼女視点
遅い。
十分遅刻だ。
このところ、待ち合わせにはいつも遅刻している気がする。それも五分とか十分とか、微妙な時間。
駅前に十二時。お昼ごはんを食べに行こう。
言い出しっぺが遅れるなんて、どういう神経してるんだろう。メールも返ってこないし、こんな猛暑の中、ずっと待たされる身にもなってみろっていうんだ。今日は全額おごらせてやる。
それにしても暑い。蝉がうるさい。のどが渇いた。
駅の売店で何か買ってこようかな……。自販機の方が近いかな。
でも、その間にやって来たらどうしよう。
あいつのことだ、きっと大袈裟に探し回るだろう。自分は遅刻の常習犯だっていうのに、私が遅れるとやたらうるさいんだよなぁ。まぁ、怒ってるんじゃなくて、心配してるんだってことはわかってるけど。
ちなみに今の私は、心配よりも怒り寄り。この暑さの中で待たされたら、誰だってイライラして当然だ。
あーもーホント暑い。日陰に避難しようかな。
でもその間に来ちゃったら……。
飲み物を買いに行くだけなら、一分くらいで戻ってこれるし平気かな。
でもその一分の間に来ちゃったら……。
切りがない。
本当にいつまで待たせる気だ。
なんでこんな暑さの中で、あいつのことばっかり考えてなきゃならないんだ。
頭痛くなってきた。目の前もチカチカするし。
ホント最悪。
あつーい。頭いたーい。あつーい。頭いた――……
そこから時計を十分巻き戻して。
■彼視点
十二時きっかり。
さすがA型、真面目で几帳面。ちゃんと時間通りに来てる。今日の格好も可愛いなぁ。
あ、きょろきょろしてる。俺はここだよー。なんちゃって。
見当たらないので噴水の前に座って待つ、と。
重要なのは出ていくタイミング。
できるだけ近くに行くまで気づかれないように。少し小走りで、急いで来たんだってことを演出しつつ。手を振って、ごめんごめん待った?
ありがちだけど、そんな感じ。
そしたら向こうはちょっと怒った感じで、遅い! って一喝。でも本気で怒ってるわけじゃなくて、やっぱり少しは俺のことを心配してくれてたりして。
……まぁ、このへんは俺の希望的観測も含まれてるんだけど。
あ、メールだ。
今どこ?
この四文字にすら愛を感じられる幸せな俺。
でもごめん、返事は返せない。もうちょっとだけ待ってもらおう。俺がこんなにすぐそばにいるなんて、全然気づいてないだろうな。そりゃ罪悪感がないって言ったら嘘になるけど。
あ、時計を気にし出した。
そろそろ限界かな。でももうちょっとだけ……。
またきょろきょろしてる。俺のこと探してくれてるのかな。
どうしようかな。出ていこうかな。
でももうちょっと待っていて欲しいな。
うーん、どうしよう。
あ、れ……?
なんか、様子変だ。
アサミちゃん?
「――アサミちゃん!」
■再び彼女視点
目を覚ますと、視界に入ってきたのは青々とした葉が多い茂った枝。それから、ケイゴの情けない顔。
「アサミちゃん! 大丈夫!?」
ぼんやりとした意識の中、地面が自分と平行になっているのが見えて、今横になっているんだと気がついた。額には水で濡らされたハンカチが乗っている。
「もう起きて平気なの!?」
ケイゴが心配そうに覗き込んでくる。私は体を起こすと、まだはっきりとしない頭で辺りを見回した。
どうやらここは、駅のすぐ近くの公園のようだ。ベンチで横になっていたらしい。ケイゴの膝に、頭を乗せて。
「アサミちゃん、熱中症で倒れたんだよ! もう俺びっくりして……」
「熱中症……?」
そうか、それで意識が途切れたのか。
ようやく頭の中がはっきりとしてきた。それと同時に怒りも蘇る。
「ケイゴがなかなか来ないせいじゃない!」
「ごめん!」
ケイゴは顔の前で手を合わせた。
「ごめんじゃないわよ。あんな暑い中で待たされてたら、誰だって倒れるに決まってるじゃない!」
「ホントごめん! 俺がもう少し早く出ていけば……」
「もう少し、早く出ていけば……?」
妙な言い方に反応して睨むと、ケイゴはあからさまにうろたえた。
「ちょっとそれ、どういうこと? まさか、ずっとあそこにいたってこと?」
「えっ!? それは……その……」
「どういうことよ!」
「ごめんなさい!!」
そう言って頭を下げると、ケイゴは洗いざらいすべて白状した。
本当はちゃんと時間通りに来ていたこと。なのにずっと隠れて見ていたこと。さらにメールも無視したこと。
「もしかして、最近ずっと遅刻してたのもわざとなの!?」
「いや、それは、えーっと…………申し訳ありません」
「最ッ低ー……。私に対する嫌がらせ? 待ちぼうけしてる姿見て楽しんでたんだ」
「違うよ! そうじゃないって!」
「じゃあどういうことよ? 理由を説明してもらおうじゃない」
そう言って詰め寄ると、ケイゴは目をそらし、がっくりとうなだれた。そして、ぽつりぽつりと話し出す。
「……だって、待ってる間はアサミちゃん、ずっと俺のこと考えてくれてるでしょ? その姿見てると、すっごい幸せな気分になれるっていうか……」
――な……なな、ななな
「何それ! バカじゃないの!?」
「ひー! ごめんー!!」
「最悪! そんな理由であの暑い中待たせてたんだ」
「だってさぁ……。でも俺のこと、考えてくれてたでしょ?」
「ええ考えてましたとも。こんな暑い中待たせる最低な奴のことなんて、ずーっと心の中で呪っていましたよ!」
「そんなぁ!」
「とにかく、今度遅刻したら即刻帰るから」
「ごめんなさいー! もうしませんー!」
「ダメ。許さない」
今までの罰だ。今度は私が待たせてやろう。