昔々のお話です。
世界は魔王によって支配されていました。
すべての魔物を司る、闇の支配者。
人々はその影に怯えながら暮らしていました。
しかしあるとき、一人の若者が名乗りを上げたのです。
「私が魔王を倒しましょう」
そう言って旅立った若者を、人々は「勇者」と呼びました。

ロスト・クロニクル 1


 ピギィーーーーッ!!

 木々が多い茂る森、そこに甲高い鳴き声が響き渡った。
 猛スピードで突進してくるモンスター。見た目は小型のイノシシのようだが、敵に突進し体当たりを食らわすその破壊力はかなりのものだ。ちなみにその肉は食用として重宝されている。
「……っと!」
 モンスターが向かう先、標的とされた少年は寸前でその攻撃をよけ、すかさず後ろから斬りつけた。断末魔の声を上げて倒れたそのモンスターを、手馴れた様子で少年が袋へと放りこむ。
「これで三匹……。もう一匹くらい捕っとくか」
 そう呟いて少年がさらに森の奥へと足を踏み入れたときだった。

 ガサッ

 目の前の茂みが音を立てて揺れた。少年は立ち止まると腰につけた剣を素早く抜きとって構えた。この辺りに大型のモンスターはあまりいない。また先ほどのモンスターだろうか。
 少年は足音を立てないようゆっくりと茂みに近づいていった。そして距離を測り、剣を振り上げて茂みを掻き分ける!
 ――が、そこにいたのは、
「……女?」
 思わず剣を振り上げたままの姿勢で固まる少年。
 茂みの奥にいたのはモンスター、と思いきや一人の少女だった。緩くウェーブのかかった長い髪に、それと同じようにひらひらと揺れるスカート。寝ているのか気を失っているのか、目を閉じて地面に横たわっている。
「お、オイおまえ、死んでんのか?」
 そう言って恐る恐る少女に近づく。ためらいながらも口元に手をかざしてみると、かすかに吐息を感じた。呼吸はしている。どうやら死んではいないようだ。
 そうとわかると少年は少女の肩を揺さぶって呼びかけた。
「オイ、大丈夫か? オイ! 起きろって!」
「…………」
「おまえ! 起きろっつってんだろ! 起きろ!」
「…………んん……」
「オイ! 起きろ! おーきーろー!!」
「……ん、んん? あれ……ここは……?」
 少年の大声で少女がやっと目を覚ます。しかしまだ意識がはっきりしないのか、ぼんやりとした様子で目をこすりながら辺りを見回している。どうやら眠っていただけのようだった。
「なんだよ、脅かすなよな……」
 一瞬でも死んでいるのかと思い焦ってしまった自分が間抜けに思える。脱力したようにしゃがみ込むと、少年はあきれたように少女に言った。
「おまえなぁ、こんな森ん中で昼寝なんかしてんじゃねぇよ。ったく」
「もり? ひるね? ……そうだ! 私こんな所で何してるんだろう?」
「それはこっちの台詞だっつーの」
「ねぇ、ここはどこ? あなた誰?」
「はぁ? まさかおまえ、記憶がないなんて言い出すんじゃねぇだろうな? 勘弁してくれよ……」
 面倒事はごめんだ。そう思いながら少年が仕方なく答える。
「いいか? ここはベルクの村から東に行った所にある森のど真ん中。ベルクってわかるか? レイシオン大陸の西だ。シャロード山脈とイシリア湖のあいだ!」
「べるく? れいしおん? しゃろーどといしりあ?」
「オイ、まさか大陸の名前すらわかんねぇのか……?」
「……ディオレストは?」
「ディオレスト? ああ、聖地ディオレストね。おまえそれ何百年も前の地名だぜ? 今はもうなくなってるよ。つーか、大陸すらわかんねぇくせに、なんでそんな古い地名は知ってんだよ」
「何百年も前……? 古い地名……?」
「オイオイオイ、ホントに大丈夫かおまえ?」
 面倒事、決定。
 記憶喪失(?)の少女を前に、少年はそう思うとあからさまに迷惑そうな顔をした。なんでこんな奴を見つけてしまったんだろう、と半ば自己嫌悪に陥りながら少女に目をやる。当の少女はそんな少年の気持ちなどお構いなしに、また辺りをきょろきょろと見まわしていた。
「おまえさぁ」
 少年がそう言いかけ、そこで初めてお互いに向き合ったときだった。
「……ん? ああーーーー!!!」

*  *  *

「アイツどこまで行ったんだ?」
「もうちょっと奥のほうに行ってみるって言ってたけど……あ! あの袋!」
「あーホントだホントだ。ったくアイツ、こんなとこでサボってたのかぁ?」
「おーいレン、そろそろ帰るよー?」
 そう言って少年と少女が茂みを掻き分けて行ったその先には――
「レンティスーーーー!!」
「だ〜〜〜ッ!! やめろ! 離せ! くっつくな〜〜〜!!」
 少女が少年を押し倒して抱きついているという、なんとも怪しげな光景が広がっていた。なにやら少女はものすごく嬉しそうな様子だが、少年のほうはものすごく鬱陶しそうに少女を引き離そうとしている。
 そんな二人を呆然と眺めながら、先ほど現れた少年と少女が声をかける。
「ねぇ……何やってんの?」
「レン……おまえって奴は、狩りをサボって女の子とイチャついてたのか?」
 そんな二人にレンと呼ばれた少年が大声で反論する。
「バッカ、んなわけねーだろ! 見ればわかるだろ、見れば! とにかくこいつをなんとかしてくれよ!」
「誰? その子」
「そんなの俺が聞きてーよ! いいからシークとミリアも手伝えって! ……おまえ! いい加減離れろ!」
「レンティス〜! レンティス〜!!」
 強引に引き離そうとする少年に、ただ「レンティス」を連呼して抱きつく少女。そしてそれを呆然と眺めるシークとミリア。

 十分後。
 そこにはいまだ嬉しそうに少年を見つめる少女と、その少女を引き剥がすのに全体力を使いきって疲れ果てた三人の姿があった。
「あー、ひでー目にあった……」
 息も絶え絶えといった様子で少年が呟く。しかし少女は目を輝かせて言った。
「レンティス! 私、ずっと待ってたんだよ? ずっとずーっと会いたかったんだから!」
「……レン、この子と知り合いなの?」
「いや全然。オイおまえ、なんで俺の名前知ってるんだ?」
「当然よぅ! あなたのこと忘れるわけないでしょう?」
「……ホントに知り合いじゃないのか?」
「だから知らねぇって言ってるだろ! こんな女、見たこともねぇよ」
「あっちはおまえのことよ〜く知ってるみたいだけどな」
「ホントに知らねぇって……」
 そう言ってまた迷惑そうな顔をする少年の様子に、少女の表情がだんだんと曇っていく。そして恐る恐る尋ねた。
「レンティス、本当に私のこと覚えてないの? 私だよレンティス! エルフィオーネだよ!」
「エルフィオーネ? どっかで聞いた気が……」
「でしょう? やっぱり覚えてるでしょう!?」
 エルフィオーネ、エルフィオーネと呟く少年――レンティスを、そう名乗った少女――エルフィオーネがまた瞳を輝かせて見つめる。しかしその名前に心当たりがあったのは、レンティスではなくミリアのほうだった。
「思い出した! あたしもどっかで聞いたことがると思ったのよね。あれでしょ、精霊王の名前。確かそうだったよね? 『精霊王エルフィオーネ』」
 その言葉にシークが頷き、レンティスもなるほどという顔をする。
「そうだそうだ。オレも聞いたことがある気がしたんだよ。精霊王の名前かー。それなら誰でも聞いたことがあるはずだよな」
「ああ、どうりで……」
「そう! そうなの! 私が精霊王だよ!」
「…………」
「…………」
「…………」
 エルフィオーネの言葉に三人が同時に固まった。しばらく沈黙が流れたあと、レンティスが軽くあしらうように言った。
「あーハイハイ。おまえの名前が本当にエルフィオーネなら、確かに精霊王と一緒だよな。わかったわかった」
「違うの! 一緒なんじゃなくて、私がその精霊王なんだってば!」
「はぁ? おまえホントに大丈夫か? どっかに頭ぶつけたんじゃないのか? なんでここがどこかも覚えていないような奴にそんなことがわかるんだよ」
「わかるの! これだけは絶対に忘れるわけないんだから! 私は精霊王エルフィオーネ、そしてあなたは勇者レンティス!」
「だ〜〜〜ッ、やめろよ!」
 そう言ってレンティスは伸ばされたエルフィオーネの腕を振り払った。そして怒りの混じった声で続ける。
「誰が勇者だ! 俺のこと『レンティス』って呼ぶんじゃねぇよ。嫌いなんだよ、こんな名前。『勇者』って呼ばれることもな!」
「そんな、だってあなたは勇者……」
「だからやめろって! 俺は勇者なんかじゃねぇ! ただ単に名前が同じだけだろ。わかったらもう二度とその名前で呼ぶな!」
「…………っ」
 レンティスに怒鳴られ、エルフィオーネはしゅんとなって黙りこんでしまった。
 気まずい空気が四人を包む。なんとかその場の空気を明るくしようと、それまで黙って、正確には呆然と二人のやりとりを見ていたシークとミリアが話しだした。
「でもさぁ、ホントにきみがエルフィオーネっていうんなら、きみの両親もひどい名前を付けたもんだよなー。あの精霊王と同じ名前にするなんて」
「まったくよね。精霊王っていったら悪の代名詞じゃない。あたしがもしその名前だったら確実にグレてるわね。あなたの親も何考えてんだか」
「悪の、代名詞……?」
 ミリアの言葉にエルフィオーネが驚いて顔を上げる。そして信じられないという様子で言った。
「精霊王が悪の代名詞? それ、どういうこと? 精霊王は悪者ってこと!?」
「そうよ、悪者もいいとこよ。なんたって勇者を騙した張本人なんだから。今あたしたちが苦しい思いして生活してるのもみーんな精霊王のせい。……って、あなたそんなことも知らないの? この世界じゃ常識よ?」
「勇者を騙した……? そ……か。そういことになってるのか……」
「なに? どうしたの?」
 悲しそうに呟くエルフィオーネをシークとミリアが不思議そうに眺める。レンティスはまだ怒っているのか、一人そっぽを向いて話も聞いていない様子だ。そんなレンティスにエルフィオーネは先ほどよりもさらに悲しそうな表情で尋ねた。
「それじゃあレンティ……レンは、本当に私のことなんにも覚えていないんだ……?」
「ああ。まったくな」
「そっか……」
 エルフィオーネは苦しげな表情を浮かべてうつむく。しかしレンティスはそんな気にする様子もなくシークとミリアに告げた。
「オイ、そろそろ村に戻ろうぜ」
「え? でもこの子……」
 言いかけたミリアの言葉をエルフィオーネが遮る。
「いいの! 私なら大丈夫だから」
「でも」
「いいだろ? 本人が大丈夫だって言ってんだ。それより早くしないと日が暮れちまう」
 レンティスは獲物を入れた袋を担ぐと、エルフィオーネには一言も声をかけずに歩き出してしまった。シークとミリアもためらいながらそのあとを追う。一人残されたエルフィオーネは、振り返ることもしないレンティスの背中をいつまでも見つめていた。
 そしてすぐに森には夕闇が訪れる。

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