朝。小鳥がさえずり、カーテンの隙間からは日の光が射しこんでくる。しかしこの家の住人は、布団に包まり、いまだ夢の中だった。
「レンー? 起きてるー?」
ドアの向こう、外から呼ぶ声が聞こえる。呼ばれた本人はうるさそうに寝返りを打つが、一向に起きる気配がない。
「ねぇ、呼んでるよ?」
「……んー……」
すぐそばからかけられた言葉にも寝言のような返事。
外からは再び呼ぶ声が聞こえ、今度はドアも叩かれる。その音に反応してもう一度寝返りを打つと、レンティスは頭から布団を被ってしまった。そばに立っている人物は、その様子を見て思わずため息をつく。
「無反応……」
「どーせまだ寝てんだろ。いつものことじゃねぇか」
ドアの向こうではミリアとシークがそんな会話をしていた。ミリアがレンティスの名を呼びながらまたドアを叩くが、やはり家の中から返事は返ってこなかった。
「あいつの寝起きの悪さにはまいるよな……。ったく、おいレン! 勝手に上がらせてもらうからな!」
相変わらず返事はないが、シークが一応断りを入れてドアに手を掛けたときだった。突然内側からドアが開き、その向こうから思いがけない人物が顔を出した。
「あれ!? あなた昨日の――」
レンティス宅、ここはその居間にあたる部屋。そこでテーブルを囲んでいるのは、つい先ほど叩き起こされたばかりで見るからに不機嫌そうなこの家の住人・レンティスと、その友人で彼を呼び起こしに来たシークとミリア。そしていつもの顔ぶれとは違うもう一人。
「ふーん。置き忘れてきた剣を取りに行って、そこで魔物に襲われているこの子と出会って、それを助けて家まで連れ帰ってきた、ねぇ……」
ミリアがレンティスと、その隣に座っている本来ならここにいるはずのない人物・エルフィオーネを交互に見ながらそう言った。
狩りのあと森に剣を置き忘れてきてしまったこと。夜になってからそれを思い出し、一人で取りに戻ったこと。そしてそこで魔物に襲われかけているエルフィオーネに出会ったこと。それを助け、なりゆきでエルフィオーネを家に連れて帰ったこと。
レンティスは昨日の出来事と共にエルフィオーネがここにいるわけを説明したのだが、シークとミリアはあまり納得していない様子だった。「なりゆきで」「仕方なく」を強調するレンティスに疑いのまなざしを向けている。
「あのまま森ん中に置いてくわけにもいかねぇだろーが。しょうがなく一晩だけ泊めてやったんだよ」
「ふーん」
「へーえ」
「なんだよその目は……。仕方なくって言ってるじゃねーか! だいいち、あのあとまた魔物に襲われて死なれでもしたら気分悪いだろ」
「……いいわよ。そういうことにしといてあげる」
「素直に納得しろよな、ったく……」
ミリアのとげのある返事にレンティスが悪態をつく。そんな二人をよそに、シークはエルフィオーネに話しかけていた。
「で? これからきみ、どうするの?」
「え? 私?」
それに気づいたレンティスが慌てて言う。
「どうするも何もないだろ! 一晩泊めてやったんだ、もう自分の家に帰れよな!」
その言葉にエルフィオーネは困ったようにうつむいた。しばらく気まずい沈黙が流れ、シークがその場を取り繕うと話題を変える。
「そうだレン! もうすぐ朝市が始まる時間じゃないのか? 昨日獲ったやつ売りに行くんだろ?」
「ん? ああ、そうだったな」
「そうそう! それであたしたち呼びに来たんだから。早く行こっ」
シークとミリアに促され、レンが出かける支度を始める。エルフィオーネは一人椅子に座ったままその様子を眺めていた。
支度が終わり、三人が外へ向かう。ドアが閉められる寸前、エルフィオーネが慌てて席を立った。
「待ってレン――」
呼び止められてレンティスは振り返るが、
「もう帰れよ。じゃあな」
それだけ言うとドアを閉めてしまった。途端に辺りが静まり返る。残されたエルフィオーネはぽつりとその名前をつぶやいた。
「レンティス……」
「いいの? あの子一人で置いてきちゃって」
「ホントにおまえ、なんにもしてないんだろうな?」
「あの子絶対レンに気があるわよ」
「なんか深い事情がありそうなんだけどなー」
市場で昨日の収穫分を売り、その後また森へ狩りに出かけた三人。日が暮れてそれぞれが家路に着くまでのそのあいだ、シークとミリアは延々そんなことを繰り返していた。なんだかんだ言ってエルフィオーネのことが気になるらしい。レンティスはいい加減答えるのも面倒になり、途中から返事は「勝手に言ってろ」の一言だけになってしまった。最終的にはそれすら答えず、無言で聞き流している。
ようやく二人の質問から解放され、レンティスが家に帰ってきたときだった。ふと、誰もいないはずの自宅に明かりが灯っていることに気づく。
「まさか……」
嫌な予感がする。レンティスが慌ててドアを開け飛び込んだその先には――
「お帰りなさい!」
そう言って笑顔で迎えるエルフィオーネの姿あった。
予感が的中し、レンティスの体から思わず力が抜ける。そして不思議そうに眺めるエルフィオーネに食ってかかった。
「おまえ! 帰れって言っただろ!」
「でも私……。あっ、そうだ! 今ね、夕食作ってたんだよ」
「はぁ!? おまえ何勝手に――……うまそう」
レンティスの視線がエルフィオーネからテーブルの上に移る。そこにあったのは、普段ならありえないほどの豪華な食事。自分一人では到底作ることのできないような料理ばかりが並んでいた。怒りのせいで気づかなかったが、そのおいしそうな香りは部屋の入り口に立つレンティスにまで届いていた。
「勝手に台所使ってごめんなさい。でもこれ、頑張って作ったんだよ!」
少し申し訳なさそうな顔をするが、すぐにスープを皿によそいテーブルに並べた。これで完成! と、嬉しそうに席に着く。
「冷めないうちに食べよう。お腹空いてるでしょ?」
「……まぁ、せっかく作ったんだ。食べてやらないこともないけど」
エルフィオーネの言葉にレンティスもしぶしぶ席に着く。実際お腹は空いていたし、こんなおいしそうな料理を食べない手はない。レンティスはあくまで仕方なしに、という様子を装い、先ほどよそわれたばかりのスープに手をつけた。エルフィオーネがじっと見つめる中、湯気が立ち上るスープを一口すくい、口に運ぶ。
「どう? おいしい?」
エルフィオーネが身を乗り出して尋ねるが、レンティスはしばらく無言で首をかしげる。
(まずくはない。でもおいしいわけでもない。なんだこの微妙な味は……)
「微妙」
レンティスが素直に感想を述べる。
「ええ〜!?」
「ホントに微妙なんだよこれ」
「そんなぁ! 頑張って作ったのに……」
「こんな微妙な味にするほうが難しいだろ。なんで見た目はプロ級なのに味はこんななんだよ……」
ちょっと期待していたぶん、その反動も大きかった。レンティスはため息をつくが、決しておいしいわけではないが食べられないこともないその料理を食べはじめた。エルフィオーネも肩を落として料理を口に運ぶ。
そうして無言のまま食事は終わり、フォークを置くとレンティスは告げた。
「おまえ、いい加減もう帰れよな。親だって心配してんだろ。そんな最低な名前付けた親が、な」
精霊王と同じ名前。それはこの世界では最も忌むべき名前でもあった。
レンティスの言葉にエルフィオーネがうつむいたまま答える。
「私には親なんていないから、帰る所もないの」
「あー、そうだったな。自称精霊王のおまえに親なんているわきゃないわな」
いかにも嫌味たっぷりでそう告げるレンティスに、エルフィオーネはまた黙りこむ。そして再び沈黙が流れたあと、今度はエルフィオーネが口を開いた。
「レンティ……レンのご両親は?」
しかしその質問には何も答えず、レンティスは食べ終わった皿を運びはじめた。それは明らかに「答えたくない」という態度だった。
そんなレンティスの様子にエルフィオーネの表情はまた曇るが、気を取りなおしてその手伝いを始めた。食器を洗うレンティスの後ろでテーブルの上を片付ける。しばらくそうしていたあと、レンティスが小さな声でぽつりと漏らした。
「サンキュ」
「……え?」
「料理。……うまくなかったけど」
背を向けたままのレンティスがどんな表情でそう言ったのかはわからないが、エルフィオーネにとってはじゅうぶんすぎるお礼の言葉だった。一気に表情が明るくなり笑顔で答える。
「また作ってあげるね!」
「それは絶対遠慮する」
あくる朝。いつもと同じように小鳥がさえずり、カーテンの隙間からは日の光が射しこんでくる。しかし毎度のことながら、この家の住人は布団に包まり、いまだに夢の中だった。
「レンー? 今日は起きてるー?」
ドアの外からミリアが呼びかけるが、相変わらず返事はない。仕方なくシークが家に上がろうとドアに手を掛けたときだった。突然内側からドアが開き、その向こうからまたしても思いがけない人物が顔を出した。
「「まだいた!!」」
「仕方ねーだろ。コイツ行くとこねぇって言うんだからよ」
「ふーん」
「へーえ」
レンティスがそう言い訳するが、相変わらずシークとミリアは疑いのまなざしを向けている。昨日と同じように朝市のあと森に向かったレンティスたちの輪の中には、昨日はなかったエルフィオーネの姿があった。
「それで? これから一緒に住んじゃおうってわけ?」
「んなわけねーだろ! 早いとこ出てってくれるんならそれに越したことはねぇよ」
「どーだか。フィオちゃんかわいいもんな〜。家に置いときたいってのも、まぁ同じ男としてわからないこともないけど」
「ちょっとシーク、あんたとレンを一緒にしないでよね」
「……ちょっと待て。フィオってなんだ、フィオって」
シークの口から出た聞き慣れない名前に、思わずレンティスが二人の間に割って入る。その質問にミリアとシークが代わる代わる答えた。
「あの子のことに決まってるじゃない。しばらくレンの所にいるんでしょ? だったらいつまでも『あの子』呼ばわりもどうかと思うし」
「でも本名があの精霊王の名前だからなぁ。口に出すだけでも嫌がられる名前、人前で連呼するわけにもいかないだろ?」
「だからとりあえずの呼び名ね。自分だって似たようなもんでしょ? レン」
「『ルフィン』とどっちにしようか迷ったんだよなー」
「ねー。でもまぁ、『フィオ』のほうが短くていいでしょ」
いつの間にか決定していたエルフィオーネの愛称に、レンティスは思わずため息をつく。けれど自分にはたいして関係のないことなので、特に何も言わずに放っておいた。
エルフィオーネの名前を人前で出すことは事実だ。人々がこの名前に抱くイメージは、「悪」「敵」「裏切り者」といったマイナスのものしかない。当の本人はそんな会話が耳に入っているのかいないのか、嬉しそうに三人のあとをついてきている。
「ねえレン、これからどこに行くの?」
「森だよ森。狩りに行くんだよ」
「かり?」
「動物を、捕まえに、行くの」
まるで子供に言い聞かせるようにそう教えると、エルフィオーネは嬉しそうにレンティスの腕に飛びついた。
「それじゃあ私も手伝うねっ」
「だーもう、くっつくな!」
レンティスは迷惑そうに振り払うのだが、エルフィオーネはめげずに再度飛びついてくる。そんなエルフィオーネにレンティスはほかの二人に聞こえないよう小声で告げた。
「……おまえ、あいつらの前で魔法なんて使うんじゃねぇぞ」
「どうして?」
「どうしてもだよっ」
「何よあの二人……。ちょっといい雰囲気じゃない」
「レンもまんざらじゃないって感じだしな」
面白くなさそうにミリアが呟き、それとは反対に面白そうにシークが答える。会話の内容が聞こえていないミリアとシークには、二人のその様子はじゃれ合っているようにしか見えなかった。レンティス本人が聞いたらまた不機嫌な顔で言い返してきそうだが。
いつもと違うメンバーだけれど、いつもどおりの平和な日常の一コマだった。