初詣以上、年越し未満



「あけましてお悔やみ申し上げます」
 二〇〇七年一月一日、午前零時十五分。
 小野を出迎えてくれたのは、玄関先に立つ守屋のひどい顔だった。
 どれくらいひどいかというと、百一回目のプロポーズの相手がじつはバツサンで十歳以上サバを読んでいたことが発覚し、しかも断り文句で自身が同性愛者であることをカミングアウトされた人のほうがまだ救いようのある表情をしているだろう、というくらいひどかった。
「新年早々、なんちゅう顔を見せてくれるんだおまえは」
 小野は思わず非難を漏らすが、アパートの一階上に住む同じ大学の友人は、怒りを含んだ目でぎろりと睨むだけだった。入り口の小さな明かりが陰影を作り、不機嫌極まりないその表情を際立たせている。
 寒い中わざわざ迎えに来てやったというのに、初詣に行く約束をしていた相手のこの理不尽な対応。小野のハッピーニューイヤーな明るい気分は、早くも薄れかかっていた。
 そこに守屋の言葉が追い討ちをかける。
「あけましてご愁傷さまです」
 たまらず小野は問いただした。
「だからなんなんだよ、おまえのそのちっともめでたくない挨拶は」
「めでたくない……。そうとも、全然めでたくない……」
 守屋はうつむき、うわごとのように繰り返したが、突然弾かれたように顔を上げた。
「何が『おめでとうございます』だこんちくしょう!!」
 叫ぶや否や、勢い任せに右足を蹴り上げる。
 守屋のつま先からくまさんスリッパが発射された。くまさんはミサイルがごとく開け放たれた玄関を飛び出し、小野の頬をかすめ、背後の壁にぶつかって地に着いた。
 これは昨年中も月一ペースで経験したため、小野はさして動じることなく、足元に転がるくまさんを拾い上げた。茶色の毛に覆われた黒い鼻には、名誉の傷が無数にできている。ことあるごとに蹴り飛ばされている彼(彼女?)に同情し、小野は真っ白いため息を吐いた。
 とりあえずここにいては凍えてしまうため、くまさんともども玄関に入れてもらうことにする。
 小野はドアを閉めると、改めて守屋と対面した。
「どうしたっていうんだよ」
「どうしたもこうしたも松下電器もないっての! 最悪も最悪。こんな屈辱、生まれて初めて……ぐわーっ!」
 思い出して怒りが蘇ったのか、守屋は頭をかきむしった。結果、鳥の住処にでもなりそうな斬新な髪型が完成する。
「紅白をね、観てたわけですよ。最後まで見届けて、あー今年も白の勝ちかー、なんつってね。そんでほら、四十五分に終わるから、年明けまで微妙に空き時間ができるでしょ? だから一息つこうと思って席を立ったわけですよ。……まさにそのとき運命の歯車は狂った! これぞ一寸先は闇! トイレ、トイレですよ小野さん。厠、お手洗い、ウォーター・クリーン! ドゥーユーアンダスタン!?」
 何がなにやらさっぱりわからないテンションで守屋はまくし立てる。
 WCの『C』は、『クリーン』ではなく『クローゼット』の略なのだが、ここで口を出すと話が進みそうにないので、小野はあえて触れずにおくことにした。のちのち機会を見て教えてやろうと思う。社会に出てから恥をかく前に。
「オーケー、オーケー。それで? トイレがどうしたんだ」
「どうしたもこうしたも山下清もないっての! 予期せぬ波が訪れたわけ。それも超特大級のビッグウェーブが! でもそれをなんとかやりすごし、満身創痍で生還した……と思いきや! 誰がこんな結末を予想したというのだろう。今でも鮮明に覚えている。ブラウン管越しに映る幸せそうな人々と、この身を襲う絶望と後悔、そして行き場のない怒り!」
 むきーっ!! と、猿だか鳥だかわからない奇声を上げ、守屋は壁に頭を打ちつけだした。ガン、ガン、ガン、とそのたび部屋中が震動する。
「オイオイオイオイ、やめろやめろ。おまえの話はさっぱりわからん。つまりどういうことだ。十文字以内で端的に述べよ」
 ゆっくりとこちらを向いた守屋の額には、うっすらと血がにじんでいた。しかし、そんなものは気にもとめず、守屋は指を折りながら答える。
「ト、イ、レ、で、と、し、こ、し、た」
「…………あー……」
 納得すると同時に、猛烈な脱力が小野を襲った。
 がっくりと肩を落とす小野に、守屋はなおも力説する。
「わかってくれるかこのつらさ! トイレから出てテレビを見たら十二時一分だったこの失望! 年に一度のイベントなのに、二〇〇七年の訪れはたった一度きりなのに……。小野! オーノー!!」
「やめてくれそんな小学生時代に何百回と聞いたギャグ」
「小野、昨日に戻ろう! 地球の自転と逆回りに日付変更線を越えに行こう!」
「……とことん小学生並みの発想だなおまえは」
 あきれ返る小野をよそに、守屋はあごに手を当てて真剣に悩みはじめる。
「いったい何が悪かったのか……。足の裏が黄色くなるまでみかんを食べすぎたせい? それとも、二十六日に安売りしてたのを買い占めて五日経ったケーキが原因? はたまた……食い合わせ? 寿司に焼肉にラーメン二杯って、消化に悪いんだったっけ……?」
「全部だ全部」
 小野は乾いた笑みを浮かべて言うが、それでも決定打は一番最後だろう。
 三十日の飲み会のあと、回転寿司→焼肉チェーン→ラーメン屋台と守屋に連れまわされたことを思い出す。その翌日――すなわち昨日は、小野も腹の具合がよろしくなかった。すぐに胃薬を飲んだため、どこぞの誰かさんのように、大晦日にトイレにこもるはめにはならなかったけれど。
「くっそ〜。二〇〇七年、最悪の年明け! ……二〇〇七年? いや違うね。こちとら年明けの瞬間を見てないんだ、年が明けた自覚なんてこれっぽっちもない。当方に二〇〇七年は来ておりませんー。今日は二〇〇六年十二月三十二日ですー」
 むちゃくちゃな屁理屈をこねながら、守屋は小野と共に外へ出た。なんだかんだ言いつつも、初詣に行く気はあるらしい。小野を出迎えたときにはすでに、コートにマフラーの完全防備で、最初から出かける準備は万全だったのである。
「こうなったらおみくじで三回連続大吉が出るまで引き続けてやるぞ! なあ小野!」
「へいへい」
 小野は苦笑するが、守屋の場合、本当にやりかねないからシャレにならない。
 玄関に鍵を掛ける守屋の背中を眺め、ふと思い出したように小野は言った。
「じゃあさ、来年は一緒に年越すか」
「はあーん、さてはこたつ目当てだな? あれ出してからしょっちゅうあたしんとこに入りびたってるけど、そんなに好きなら自分で買えっての」
 どうやら遠まわしのアプローチでは、彼女に効果はないようだった。小野は再び苦笑する。
 そんな二人の一年の始まり。
冬祭り2007-賀正祭
FIN.



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