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Re Earth



 目の前に広がる黒いスクリーン。上にも下にも無数の光が浮かび、足元からは、かすかに騒音が聞こえてくる。制服のスカートがはたき、あおられた髪が視界を覆った。
 追い風に誘われるように、一歩踏み出す。
 そして、私は――

「ねえ、神様になる気はない?」

 見知らぬ少年から怪しげな勧誘を受けていた。
「神様、ねえ……」
 唐突な場面転換にもかかわらず、なぜか私は驚くほど冷静にこの状況を受け入れ、戸惑うどころかそれちょっといいな、とまで思いかけていた。
 そう、神様、と少年は頷く。学ランを着た小柄な男の子で、たぶん私よりも年下。中学二年生くらいだろうか。人懐っこい笑みを浮かべて語る。
「僕が作った地球、ついさっき寿命が切れちゃったみたいで。だからほら、このとおり」
 少年は両手を広げて周囲を示した。
 何もない、光すらない真っ黒な空間。壁も床も天井も、上も下も右も左もないない尽くしで、ただひたすら黒い色だけが際限なく続いている。そんな中で、私と少年は、互いに違った重力方向を持って向かい合っていた。あぐらをかいた少年が、空飛ぶ絨毯に乗っているかのように、ふよふよと浮遊しながら視界を斜めに横切っていく。
「なーんにもない宇宙って感じかな。ここに新しい地球を作ってもらいたいんだ。お姉さん、工作とか料理は得意? ガーデニングは好き?」
「図工は好きだったけど……。料理はときどきするくらい。家に家庭菜園があったから、土いじりはよくやってたよ」
「うん! それなら全然問題なし!」
 少年は嬉しそうに手を叩いた。
「そこのキットに必要なものは全部入ってるから。説明書どおりにやれば簡単、簡単。それじゃ、頑張ってね!」
 座った体勢のままくるりと器用にバク転すると、少年は闇に溶け込むように消え去ってしまった。
 残されたのは、静寂よりも静かな無音。空気の流れすらなく、自分が存在する音も聞こえてこない。たぶん、この空間に時間があってないように、私もまた、ここに居て居ないようなものなのだろう。その考えは、ひどく納得できるものだった。
 ふと足元に目を落とす。そこにはいつからあったのか、人ひとりくらいなら余裕で入れそうなほど大きなダンボール箱が置かれていた。ガムテープできちんと封がされ、送り状まで貼られている。宛名は……私だ。
 ここにいても、ほかにすることなんてないんだし。
 私はしゃがみ込むと、ガムテープをべりべりと剥ぎ取った。開けてみると、中身は子供のおもちゃ箱のようにごちゃごちゃといろんな物が詰め込まれていた。その中から取扱説明書らしき冊子を見つけ、手に取ってページをめくる。

《地球ツクール》

 まぬけなタイトルに少々脱力。

《新神様のみなさんへ
 新任おめでとうございます。これからあなたの神様ライフが始まります。良い地球を作るためにも、説明書にはよく目を通すことをお願いいたします。
 箱を空けたら、付属品が揃っているかを確認してください。(付属品は以下のとおり)》

 長ったらしい前置きは飛ばし、さっさと手順が書かれたページへ移ることにする。

《箱を開けた瞬間から、あなたの新世界創造は始まっています。周囲を見回してください。遠くに光が見えませんか?》

 言われたとおり辺りに目をやる。すると、確かに光が見えた。ずいぶん遠く離れているが、強く明るい光がここまで届いている。
 それだけではない。何もなかったはずの空間に、小石のようなものが浮かんでいた。密集している箇所もあれば、絶えずぶつかり合っている箇所もある。数えきれないほどの小さな粒が、黒い海に撒き餌をしたように漂っていた。

《あの光が、みなさんのよく知る太陽です。おっと、あまり近づかないようにしましょう。大やけどをしますよ。》

 ……どうやらここは本当に宇宙らしい。正確には、これから宇宙になる場所、なりつつある場所、だろうか。そうなると、辺りを舞うこの粒々は、星?
 鼻先をかすめた小石を一つ、指で弾いて流れ星にするとページを進めた。

《では、いよいよ地球の制作に移りましょう。キットの中から球体Aを取り出してください。表面に小さな凹凸がありますが、品質に問題はありません。割れ物ですので取り扱いには細心の注意を払いましょう。》

 段ボール箱の中を探ると、球体Aはすぐに見つかった。エアキャップで厳重に包まれ、油性ペンで大きく『球体A』と書かれている。
 いったんトリセツを置き、両手でそっと取り出す。サッカーボールほどの大きさだが、中身はぎっしり詰まっているようで重量がある。幾重にも巻かれた緩衝材を取り払うと、赤茶けた丸い球が姿を現した。
 ……もしかしなくても、これが地球になるのだろうか。
 さすがに胡散臭く思いながらも、説明文どおりに球体Aを宙に放した。硬くて重たいその球は、浮力を失った風船のようにゆるやかに降下し、ちょうど腰の高さで停止した。

《次に、球体Aを定位置にセットします。カチッと音が鳴るまで、球体Aを横にスライドさせてください。
 この作業がもっとも重要と言っても過言ではありません。太陽から近すぎても遠すぎてもだめなのです。わずかな誤差も命取りと言えましょう。》

 そろりそろりと球体Aを押していると、プラモデルかなにかを組み立てているような気分になってきた。あの少年が、「工作は好き?」と訊いてきた意味がわかった気がする。
 ――カチッ

《おめでとうございます! これで土台が完成しました。いよいよ新しい地球の歴史の始まりです。それでは、次のステップへ進みましょう。》

 たぶん、この文章にも問題があるのだと思うけれど。
 それでも、この赤茶けたボール――にしか見えない地球を眺めていると、しだいになんとも言えない高揚感に包まれてくる。気分は世紀の超大作に携わっている芸術家だ。私は黙々と作業を進めた。
 まず、キットの底からカセットコンロを引っ張り出し、地球を強火であぶること十分。その後、すぐにジョウロで水をかけて冷却する。おそらくこれでマグマが固まり、海ができあがったのだろう。ジョウロが空になる頃には、球面が青色に変わり、見てくれだけは地球らしくなっていた。
 次に、『生命の源』と書かれた袋に入った、どう見てもふりかけにしか見えない粉を球体Aにまぶす。これで海の中にプランクトンが大発生というわけか。
 地上で劇的な進化が始まっている隙に、私は球体Bとタグを付けられた白いピンポン玉を取り出した。それを地球から三十センチほど離れたところに設置し、そっと指で押す。球体Bはゆっくりと地球の周囲を回りはじめ、これで衛星の完成だ。
 球体Bこと月が完全に軌道に乗った頃には、地球の三分の一が緑で覆われていた。きっと今は恐竜の天下だろう。けれど、ここで私は心を鬼にしなくてはならなくなる。

《「獅子は我が子を谷底へ突き落とす」といいます。これは、地球にとっても、あなたにとっても大きな試練の一つなのです。》

 私は球体Cと書かれたビー玉を左手に乗せた。そして、右手の中指をそえ、ぐっと息を呑み――ビー玉を弾いた。
 手のひらから勢いよく飛び出した球体Cは、狙いをたがわず地球に衝突した。青い海に白い波紋が広がったのも束の間、一瞬にして周囲の水が蒸発し、中心部には大きな穴ができあがる。痛々しくえぐれた地表を直視できず、私はいけないものを隠すように、地球をクーラーボックスに押し込んだ。
 ふたの上に腰掛けると、中のひんやりとした冷気がスカートの布地越しに伝わってきた。それと同時に、たくさんの悲鳴が耳を突いた。……そんな気がした。
 トリセツには、しばらくこのままで待つ、と書いてある。そのあいだにも、地球では数えきれないほどの命が失われているに違いない。この先の繁栄のためにもやらなくてはならないことだと頭ではわかっていても、心は締めつけられるように苦しかった。
「……神様も、こんな気持ちになるんだ……」
 時間が経ち、私はクーラーボックスのふたを開けた。一緒に入れられていたドライアイスはすっかり溶けてしまったようで、涼しい空気がほんの少し漏れただけだった。
 恐る恐る中を覗く。そこには、入れたときと同じように青い球体が納まっていた。
 上から見る限り、何も変わっていないように見える。クーラーボックスをどかすと、やはり何も変わっていないように見える地球が姿を現した。
 何も変わっていない。私がビー玉をぶつける前と、何も変わっていない。
 大きくえぐれた地表は、青々とした海に覆われて消え去っていた。心なしか、緑の色が濃くなったようにも思える。そこには、以前よりもずっと確かで大きい、無数の生命の息吹を感じた。
 私は無意識のうちに大きなため息を漏らしていた。唇が、「よかった」と言葉を紡ぐ。心底安堵している自分がいた。
「よかった……」
 もう一度呟くと、再びトリセツに目を移した。

《さあ、とうとう人類の歴史が始まりました! この先はすべてあなたしだいです。一人の人間に地球上を支配させるもよし、あの大きな戦争を止めるもよし、この際思いっきり早送りして遠い未来を眺めるもよし。リモコンで指示を出せば、あなたの個性と好みで彼らの歴史は思いのまま。納得のいくまで何度でもやり直すことができます。
 それでは、良い神様ライフを。》

 説明文はここで終わっていた。あとはもう人類の繁栄があるのみらしい。ようやく使用可能になった双眼鏡で地球を覗くと、日本らしき大陸では、すでに稲作が始まっていた。
 このリモコン――どう見てもDVDレコーダーのそれにしか見えない――の巻戻しボタンを押せば、人類が二足歩行したその瞬間までさかのぼって見ることもできるし、早送りボタンを押せば、一気に時代を進めて黒船を到来させることもできるらしい。さらに早送りを続ければ、向こうに見える赤い星や黄土色の星に観光ロケットが行き交うようになったりするのだろうか。おまけに文字入力もできるようで、『1582 オダノブナガ ホンノウジ ヨリ セイカン』なんて入力したら、日本史の教科書が大幅に改変される可能性もある。
 人類の歴史は、私の思うまま。ボールを火にかけたり冷やしたりしているよりは、ずっと神様らしい行為に思えた。同時に、自分は本当に新しい地球を作り上げ、名実共に神様になったのだと、初めて実感することができた。
 赤茶けた球体を見下ろしていたときとは比べものにならないほどの気持ちの高ぶりを感じながら、私はリモコンを握りしめた。

*  *  *

「面白いよね。なーんにもしないで放っておくと、決まって同じ歴史を歩むんだ」
 いつの間にか、私の隣では学ラン姿の少年があぐらをかいて浮いていた。首から提げた双眼鏡で、私の作った地球を眺めている。レンズを覗き込んだまま地球の周りをぐるりと一周すると、少年は笑った。
「お姉さんも、前とおんなじ地球を作ったんだね」
 最初からすべて見透かしていたような、不思議な笑顔だった。
「僕もね、そうだったんだ。はじめのうちは、僕がいた地球よりも、もっともっといい世界を作ってやるーって意気込んで、いろいろ手を加えたりしたんだよ。戦争が起きる前に阻止してみたり、科学をうんと早い時期に発展させてみたり。何度も何度も巻き戻して。宗教の観念をなくしてみたこともあったなー」
 少年はまた笑う。今度は、どこか寂しそうな笑みだった。その笑顔の意味は、私にもわかる気がした。
「でもさ、うまくいかないんだよね。戦争を止めても、また別の場所で戦争が起きたりして。理想に近い地球が作れたこともあったんだけど、……なんか違うんだよね」
「……うん」
 私は頷いた。身に覚えがありすぎることだった。私と少年は、まったく同じことをしていたらしい。そして、まったく同じ気持ちを味わっていたらしい。
「僕も前の神様から役目を引き継いだんだけど、前の神様も同じだったみたい。その前も、その前の前も、その前の前の前の、ずーっと前の神様も、みーんな。別にさ、人間は愚かだーとか、偉そうなこと言うつもりはないんだよ。……たださ、やっぱり好きなんだよね。自分が生きてた、あの地球が」
 私は双眼鏡を目に当てた。どんどんズームアップしていくレンズは、地球の、日本の、東京の、よく見え覚えのある景色を写す。そこにはよく見知った人物がいて、もう何度めかになる人生を無感動に送っていた。
「僕もお姉さんと同じことをしてここに来たんだ」
 少年の言葉に、私ははっと顔を上げた。
「僕だけじゃない。前の神様も、その前の前の神様も。みーんな同じことをしてここに来たんだ」
 そう話す少年の瞳は、目の前の青い球体ではない、どこか遠くに向けられていた。そして、それは無意識のうちなのだろう。少年の右手は、自身の左手首を強く握りしめていた。白く、細い手首を。
 少年は目を伏せる。なにかを後悔するような、苦しげな表情だった。けれど、
「……やり直せるよ」
 ささやいた少年の口元には、穏やかな微笑みが浮かんでいた。そして、いたずらっぽい視線と言葉を私に投げかける。
「地球だよ? 地球。こんなすごいものを作っちゃったんだよ? 一人分の居場所くらい、簡単に作れちゃうよ、ね」
「え……?」
「やっぱり、あの地球で生きていたいよね」
 全部わかった気がした。
 どうして自分がここに来たのか。どうして自分がこんなことをしていたのか。
 これはチャンスだったんだ。こんなはずじゃなかったのにと何度も叫びながら、一つも納得できないまま、すべてを投げ出して逃げた私に与えられた、最後のチャンス。もう一度やり直すのなら、今しかない。
 私は焦燥に駆られ、とっさに双眼鏡を覗き込んだ。目に入った光景は、よく見知った人物が、苦痛でしかないと思い込んでいた人生から抜け出そうとする、その瞬間だった。
「――だめ……ッ!!」

*  *  *

 少女ははっと我に返った。
 誰かに呼ばれたような気がして、辺りを見回す。けれどそこは、誰もいないマンションの屋上。冷たい風が吹き抜け、髪をあおり、制服のスカートをはためかせるだけだった。
 少女は寄りかかっていた柵から体を起こした。
 空が白みはじめている。自分はどれくらいここにいたのだろう。いつの間にか眠ってしまったのだろうか。確か、ここに来たときは夜中で、ネオンが輝いていて――いや、そうじゃない。もっと、ずっと。ずっと前からここでこうしていたような気がする。何度も、何度も。……そんなこと、あるはずがないのに。
 ふいに眩しい光がまぶたを射し、少女は思わず目を細めた。ビルの合間から朝日が顔を覗かせている。いくつもの窓に反射してきらめく光は、排気ガスに包まれてよどんだ空気を浄化していくようだった。
「……きれい……」
 新しい一日が始まろうとしている。まるで、自分まで生まれ変わったような気持ちになる。
 少女はふと、何をしにここに来たのかを思い出した。思い出して、それを恥じる。なんて浅はかなことをしようとしていたのだろう、と。これまでの自分が、そしてついさっきまで考えていたことが、急にばかばかしくちっぽけなことのように感じられた。
 ――もう少し、頑張ってみよう。
 少女は心の中で呟くと、小さく頷き、屋上を立ち去った。

 今日からほんの少し、新しい自分に変われそうな気がする。
若葉祭り2007
FIN.



 ■感想などありましたら…無記名でも結構です。お返事はレス用日記にて。

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