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「なあ、一生のお願いだ」
 とうとうこの言葉の効力を発揮するときが来た。
 俺は顔の前で両手を合わせる。正座して額を床につけんばかりに頭を下げる。このときばかりはプライドなどみずからへし折って、遥か彼方に放り投げた。
 なりふりかまわない俺の姿を目の当たりにし、そいつはビー玉のように丸い目をさらにまん丸くさせた。鮮やかな二つの赤色が俺をとらえ――ふいっとそらされる。こちらなどまるで興味がないように、そいつは鼻歌交じりにウサギの一匹と戯れていた。
 だからいやなんだ、こいつは気まぐれで移り気で!
「頼む! 今度おまえ専用の七輪買ってきてやるから!」
 ぴくり、と体が反応し、白く長い髪が肩をすべる。もう一押し。
「備長炭も常にストックしておく!」
 ぴくぴくん。
 ウサギの耳を引っ張って遊んでいたそいつの手が止る。ゆっくりとこちらを振り返ったその顔には、勝ち誇った笑みが貼り付いていた。
「最高級の醤油と海苔も用意してくれる?」
 何度言えばわかる俺はきな粉派だ! たかだか豆の搾りかすと海草を伸ばして乾かしたもんに何万円も払えっか!
 ――という言葉が喉から飛び出て前歯に引っかかったところでなんとか飲み下すことに成功した。代わりにうめき声に近い返事を返す。
「…………いいだろう」
「りょーかいしたー」
“月”はにんまりと満足げに笑い、敬礼ポーズを作った。
 ああ、こいつはこの先ことあるごとに俺の部屋に入り浸り、毎晩毎晩ウサギさんと磯辺焼き作りに励む気だろう。今後新月の日が増えるなどという異常現象が起きたら、それは間違いなく俺のせいだ。
 良心が痛む前に、買ったばかりのソファーに醤油のにおいが染みつくことが心配になった。


 真っ白な紙の上を黒い線が走る。
 定められたマス目をはみ出して走る、走る、走る。一刻も早くために埋め尽くすために。一枚でも多く仕上げるために。
 今や俺の右手は別の生き物と化し、ただひたすらにシャーペンの芯を原稿用紙にぶつけていた。そのたびにミミズがのたくったどころかホースで勢いよく水まきをしたような跡ができ、なんとか意味の通る文章をつづり上げていった。
 雑な字はマイナス点だ。だが出さなければ――「マイナス」という評価すらもらえない。
 たった二単位だ。だがそれが五つ重なれば――「十」失うことは、あまりにも大きすぎる痛手だ。
 とにかく書け。なんでもいいから文字で埋めろ。主語と述語さえあれば文章は成り立つ。
 前後の関係性? テーマに沿った内容?
 知るか! 今俺がなすべきことは、「どーにかこーにか文章をでっちあげてレポートの既定枚数を満たす」ことただ一つ! そしてそれは全部で五つ! 今一つめが終わったから残り四つ! 先は長い!
「あの……そろそろ出て行ってもよろしいでしょうか?」
「ダメ! まだダメッ!!」
 鬼のような形相でその申し出を跳ね除ける。
 女の子には優しくしろと両親から言い聞かされて育った俺だが、このときばかりはそんな余裕など一ミクロンもなかった。代わりに“月”がフォローを入れてくれる。
「ごめんねー。明日までに提出しないと、りゅーねんしちゃうらしいよ」
「事情はわかりましたけど……ここ、狭くて暗くて……」
「あー、暗いの苦手って言ってたもんね。ちょっと開けようか?」
 がらり、と背後で扉が開く音がしたと同時に、時計の短針が大きく進んだ。
「うわっ、バカ! 一気に一時間も進んじまったじゃねぇか! 開けんじゃねーッ!!」
「そんな怒んないでよー」
「バカ! もう一生きな粉餅しか食わせねぇぞ!」
「わかったよもー」
“月”は不満そうに頬を膨らめながら、開きかけたクローゼットの扉を閉めた。

「ごめんねー、朝ちゃん。まだ来てほしくないんだって」

FIN.

 


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