その世界には魔王と対なす存在がありました。
精霊王、すべての精霊を司る者。
旅の途中、勇者は精霊王と出会います。
精霊王は勇者に言いました。
「私も共に行き、魔王を倒すため力を貸しましょう」
勇者はこれは心強いと喜びました。
そうして勇者は精霊王と共に、魔王の住まう城へと向かったのです。

ロスト・クロニクル 2


「それにしても変わった子だったわね」
 狩りを終えた帰り道、レンティス・シーク・ミリアの三人が並んで歩いていた。ミリアの言葉にシークが答える。
「まあな。いきなり私は精霊王よ〜、だもんな。嘘をついてるようには見えなかったけど……結構かわいかったしな!」
「あんたそういうところしか見てないわけ? 最低……。確かに妙に真剣だったけど、でもあの子が精霊王なわけないじゃない。そもそも精霊王がこんな所にいるはずないんだし。ねぇレン?」
「…………」
「レン? 聞いてる?」
「……え? ああ」
 ミリアに名前を呼ばれて我に返り、レンティスははっと顔を上げた。まったく話を聞いていなかった様子のレンティスを、ミリアがむっとして覗きこむ。
「もうなによ、さっきからぼーっとしちゃって。あんたまでさっきの女の子かわいかったな〜、とか考えてたんじゃないでしょうね?」
「はぁ? バカ、んなわけあるかよ。誰があんな変な奴」
「そうよね。シークじゃあるまいし、レンに限ってそんなことあるわけないか。だいいちあの子、レンにとってはもっとも禁句なフルネームを大声で連呼しちゃったしね」
「……ふん」
 レンティスが不機嫌そうに顔をそむける。
 ミリアの言うとおり、レンティスはフルネームで呼ばれることを極端に嫌っていた。それは周知の事実で、実際に彼を「レンティス」と呼ぶ者は一人もいないほどだ。レンティス自身、その名前を口にすることもない。シークとミリアが呼ぶように、もう何年も「レン」で通している。
 当然ここまで自分の名前を嫌うにはなにか理由があってのことなのだろうが、そのわけを知る者は一人もいなかった。ただ一人、レンティス自身を除いて。
「ああっ! でもさ、よく考えるとあの女の子、なんでレンの本名知ってたんだ? おまえ、自己紹介するときも絶対本名で言わないじゃん。オレらはガキの頃からのつき合いだから知ってて当然なんだけど」
 シークが急に思い出したようにそう言った。しかしレンティスは相変わらずのしかめっ面で答える。
「俺が知るかよそんなこと。言っとくけどなぁ、俺はあんな女、今まで一度も会ったことも見たこともないんだからな。おおかた適当に言ってみただけだろ。どっかの勇者様のおかげで、こんな名前そこらじゅうに溢れてんだからな。同名なんて腐るほどいるんだ。あー、ありがたいね」
 皮肉たっぷりのその言葉に、シークとミリアは思わず言葉を失ってしまう。非難の色が混じった二人の視線に、レンティスの眉間のしわはますます深くなっていった。それを見てシークがあきれたように呟く。
「ホントおまえって綺麗なのは顔だけだよな」
「どーゆー意味だ」
「口も悪いし考え方もちょー捻くれてるってことよ、レン」
「悪かったな、捻くれてて」
「ま、それでこそレンって感じだけどね」
「だな」
 まったくフォローになっていない二人の答えのおかげで、レンティスの機嫌は悪くなる一方だった。

*  *  *

 その日の夜。
 太陽はとっくに沈み、空に見えるはずの月と星も一面を覆う雲のせいで姿を隠してしまっている。辺りを包みこむのは静寂と闇だけだった。
 しかし、それを壊すかのように暗い森に人一人分の足音が響く。それもかなり乱暴な、それだけで怒っていることが伝わってくるような足音だ。
(ったく、バッカじゃねぇの俺! よりによって狩りで一番重要な剣を森ん中に忘れてくるなんて……)
 夕暮れの少し前、三人で歩いてきた道を再び戻っていくのはレンティスだった。村に帰るとき以上に不機嫌そうな顔をしている。狩りの途中、森の中に剣を置いてきてしまったのだ。本人の言うとおり、よりによって狩りで一番重要な剣を。
 当然レンティス本人がうっかりしていたのが原因だが、心の中ではそんなことなど微塵も思っていなかった。あるのはただエルフィオーネに対する愚痴だけ。
(あの変な女のせいだ。あの女と会わなきゃ剣を置いてくることもなかったし、わざわざこんな夜中に森に行く必要もなかったってのに……。くっそぉ、なんであんな奴見つけちまったんだ? そもそもただ眠ってただけなんだから、あのまま起こさず放っておきゃよかったんだよ俺!)
 つまり世にいう責任転嫁。彼の言動を見る限り、シークが言う「綺麗なのは顔だけ」というのはかなり的を射ているのかもしれない。
「確かこのへんだったはず……」
 そう呟きながら茂みを掻き分けていく。すると見覚えのある開けた場所に突き当たり、レンティスはまた愚痴をこぼした。
「ここだよここ。ここであの女を見つけたんだ。そんで剣を置いたから――」
「レンティス!」
「うわッ!」
 突然名前を呼ばれ、レンティスは思わず声を上げてしまった。しかし声の主を見てさらに驚く。
「おまえ、なんでまだここにいるんだよ!」
 現れたのは、昼間出会ったレンティス曰く変な女こと、自称精霊王のエルフィオーネだった。
 初めて会ったときと同じ場所に同じシチュエーション。けれど唯一違うのは、エルフィオーネがすでに目を覚ましていて、おまけにレンティスが忘れていった剣を抱きしめている点だ。それに気づき、レンティスはまたもや声を上げる。
「おまえ、それ俺の剣! なんでおまえが持ってんだよ! 返せっ」
「あっ……」
 レンティスが乱暴にエルフィオーネから剣を奪う。エルフィオーネは悲しそうな顔をしたが、すぐに笑顔に戻ってレンティスに告げた。
「絶対戻ってきてくれるって思ってた。また会えるって。そしたらレンティス、本当に来てくれた」
 嬉しそうにそう言うが、レンティスはそれとは反対に思いっきり迷惑そうな顔をした。
「はぁ? 何言ってんだよ。ここに剣を忘れてくりゃ取りに戻るのは当然だろ。あいにく、俺はおまえに会いたいなんて、これっぽっちも思ってなかったぜ」
「でも私は会いたかったよ、レンティスに。ずっと、ずっと」
「また精霊王と勇者のお話か? 御伽噺もいい加減にしろよ。いいか、俺をその名前で呼ぶのはこれで最後だ」
 レンティスは背を向け、吐き捨てるように付け加えた。
「ま、どうせもう会うこともないだろうけどな」
 立ち去ろうとするレンティスをエルフィオーネが慌てて引き止める。
「待って! ねぇ、どうしてその名前をそんなに嫌うの? 勇者であることがそんなに嫌?」
「ああそうだね。嫌で嫌でたまらないよ」
「どうして? どうしてそんなふうに言うの?」
「おまえには関係ねぇだろ」
「でも……っ」
「うるせぇよ! ついてくるな!」
 レンティスはたまりかねたようにそう怒鳴り、足早にその場をあとにした。エルフィオーネはそれを追うこともできず、ただ黙って立ちすくんでいた。

(くそっ、なんなんだよあの女。精霊王だの勇者だの、わけのわからねぇことばっかり言いやがって。ほっとけっつーの! ……何も、何も知らないくせに――!)
 レンティスは二往復目になる森の道を歩いていた。頭の中ではひたすら悪態をつきながら。せっかく収まりかけていた怒りも、エルフィオーネに再会したせいでさらにひどくなってぶり返してきた。
 と、ふとレンティスが足を止める。
(そういえばアイツ、昼間別れたときからずっと森にいたのか? あれからもう五時間以上経つんだぞ?)
 剣を抱えて座りこんでいたエルフィオーネの姿を思い出す。おそらくレンティスが思ったとおり、ずっとあの場所にいたのだろう。そしてたぶん今も、このあとも。
 はっとして空を見る。相変わらず月は出ていない。木々に覆われているため、森の中は完全な暗闇だ。当然夜行性のモンスターがひそんでいる危険性もある。そんな場所で女の子が一人で夜を明かす――
(……はっ、まさかな)
 そう思ったときだった。
 静寂を破る悲鳴が響き渡る。間違いない、あれはエルフィオーネの声だ。どうやらレンティスの嫌な予感は当たってしまったらしい。けれどレンティス躊躇した。
 相手は見ず知らずの少女、しかも第一印象は最悪。もっともタブーとされている本名を何度も連呼した奴だ。
「……あの馬鹿!」
 レンティスは舌打ちすると、今来たばかりの道を猛ダッシュで引き返した。

*  *  *

 巨大な体に荒い息。前足で地面をかき、今にも突進してきそうだ。昼間レンティスたちが捕まえていたイノシシ型モンスターの同種だが、体の大きさが明らかに違う。こんな巨体で体当たりされたらひとたまりもないだろう。
「こっ、来ないで!」
 エルフィオーネはそんなモンスターを目の前にし、驚きと恐怖のあまりその場に座りこんでしまった。その場から逃げようとするのだが、足ががくがくと震え、立つこともできない。抵抗の声を上げるのが精一杯だった。けれどそれになんの効果もなく、イノシシはじりじりと迫ってくる。そして唸り声を一つ上げ、イノシシはついにエルフィオーネ目掛けて走りだした。エルフィオーネはどうすることもできず、手で顔を覆いその場にうずくまってしまう。
「――レンティス!!」
 そう叫んだ瞬間だった。エルフィオーネはなにかに突き飛ばされ、代わりにモンスターの悲鳴が耳に届く。同時にどうっと重たいものが倒れる音。
 何が起こったのかわからず、エルフィオーネが恐る恐る目を開けた。そして視界に入ってきたのは――
「レンティス!」
 剣を構えるレンティスと、その先に横たわるイノシシのモンスターだった。
 エルフィオーネに呼ばれ、レンティスが振り返る。
「その名前、呼ぶのはさっきが最後だって言っただろ」
「レンティス、来てくれたんだ……!」
「だからその名前は……」
 あきれたようにそう言いかけたときだった。
「危ない! 後ろ!」
 エルフィオーネが再び叫ぶ。レンティスがその言葉で慌てて振り返ると、いつのまにか起き上がっていたイノシシが、今度はレンティス目掛けて突進してくるところだった。
 とっさに剣を構えるが、反応しきれずイノシシの体当たりをもろに食らってレンティスが弾き飛ばされる。
「ぐ……ッ」
 木の幹に思いきり叩きつけられ、レンティスはその場に崩れ落ちてしまう。するとイノシシは方向を変え、今度は再びエルフィオーネ目掛けて走りだした。
 それに気づいたレンティスが、慌てて剣を拾って立ち上がる。
「いやぁーーーッ!!」
「やめろぉぉぉーーッ!!」
 叫びながらイノシシに向かって突進をする。そしてそのままの勢いでイノシシに剣を突き刺した。
 ピギィィィイイイイッッ!!!
 一際甲高い声を上げ、イノシシがエルフィオーネに体当たりする寸前で倒れこんだ。しばらく地面でもがいていたが、やがてその動きは完全に止まった。その横に座りこむレンティスは肩で息をしながら告げる。
「はぁ……ったく、おまえ、少しは逃げるってことをしろよ……」
「ごっ、ごめんなさい!」
「だいたい、こんな夜中に森ん中にいりゃ、モンスターに襲われて当然だろ」
「ごめんなさい……っ」
 声に違和感を覚え、レンティスは顔を上げた。エルフィオーネの顔はうつむいてよく見えないが、その肩は小刻みに震えている。
「おまえ、もしかして泣いてんのか?」
「なっ、泣いてなんかない! ……ううっ」
(――泣いてんじゃん)
 確かにあんなモンスターに襲われれば女の子なら泣いてしまうかもしれない。それはわかるが、レンティスははっきりいってこういうシチュエーションは大の苦手だった。かける言葉が見つからないのだ。
 頭を抱えるレンティスの横で、エルフィオーネは涙を必死にこらえている。その様子を横目で見ると、レンティスはたえかねて叫んだ。
「あーもう! わかった、わかったよ。俺が悪かった! こんな所におまえを一人で置いてった俺が悪かった!」
「……え?」
「だから泣きやめよ。どうすればいいかわかんなくなるだろ……。もうついてくんなとか言わねぇから」
「本当?」
「ホントホント! ただし、もうあの名前では呼ぶなよ」
 レンティスは投げやりにそう言ったが、エルフィオーネは心から嬉しそうに笑った。
「ありがとう!」
 なんだかそれはとても憎めない笑顔で、今までの怒りなどすべて吹っ飛んでしまったように感じた。レンティスは気まずそうに視線をそらしながら言う。
「……じゃ、帰るか」
「え?」
「帰るんだよ、村に。今何時だと思ってんだ? ずっとここにいたいなら俺は構わねぇけどな」
「あっ、わ、私も! 私も行く!」
 慌てて立ち上がるエルフィオーネの様子に、レンティスの顔には思わず苦笑いのような笑みが浮かぶ。そして自分も立とうとした、その瞬間。
「――ッ!」
「レン!? どうしたの? さっき体当たりされた時、怪我したの!?」
「あー……大丈夫だよ、これくらい」
 口ではそう言っているが、再び立とうとしてまた痛みに顔を歪めてしまう。エルフィオーネが慌てて駆け寄りレンティスをその場に座らせた。不安げな面持ちで右足と左肩の怪我を調べるが、すぐに安心したように言った。
「よかった……折れてはいないみたい。これなら大丈夫、すぐに治るよ」
「だろ? だからそう言ったじゃねぇか」
「動いちゃダメ! ちょっとじっとしてて」
 エルフィオーネはレンティスを押さえ、その右足に手をかざした。そして目を閉じ意識を集中させる。すると――
「傷が……!?」
 レンティスの口から思わず声が漏れる。エルフィオーネのかざした手が光を帯び、傷口がみるみる塞がっていったのだ。
 あっけに取られているレンティスをよそに、エルフィオーネは明るく告げる。
「次は左の肩ね」
 そう言って手をかざすと、同じようにまた傷口が塞がっていく。三分も経たないうちに二つの傷は完全に治ってしまった。
「これでよし。もう立っても大丈夫だよ」
 言われたとおりにレンティスが恐る恐る立ち上がってみるが、先ほど感じた痛みはもうどこにもなかった。足もちゃんと上がるし肩も回せる。にこにこと微笑むエルフィオーネの隣で、レンティスは呆然と立ちすくんでいた。

 真夜中の森の道、そこには二人分の足音が響いていた。
 しきりに右足を眺めたり左肩を回してみたりしているレンティスと、その横を嬉しそうに歩くエルフィオーネ。レンティスにとっては本日三往復目の道だ。
「なぁ、さっきのアレ、魔法だよな? おまえ、魔法使えるんだ?」
「もっちろん」
「……なんで?」
「精霊王だから」
「……あ、そう」
 とりあえず今日はもう帰って寝よう。そう思い、家路を急ぐレンティスだった。

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