碧乃さんの冥探偵日誌

依頼その1の1


 12月12日 (日曜日) 晴れ
 担当 : 芹川 碧乃
 午後3時をまわるが依頼は1件もなし。
 今日もまたお茶くみだけで1日が終わりそうだ。


 そこでペンを置くと、私は大きく伸びをした。
 今年は暖冬だという。暖房を入れなくても室内は快適な温度が保たれていた。
 のどかな休日の午後だ。あまりにものどかすぎる。一瞬、私はここに何をしに来ているのか忘れそうになるくらいののどかっぷりだ。……まぁアレだ、要は暇なわけだ。

 ここはしがない探偵事務所。
「しがない」といっても別に謙遜してるわけでもなんでもなくて、本当に、本当にしがないのだ。
 従業員はたったの3人。
 所長兼、この事務所唯一の探偵が1人。それから、常にその傍らで控えている秘書という名の家政夫が1人。そして私――芹川 碧乃セリカワ アオノ、バイトの助手が1人だ。
 とにかく依頼件数の少なさといったら。休日なのに1人も依頼者がやって来ないところを見ておわかりだと思うが、本当に依頼は滅多にない。
 時々舞い込む依頼も些細な内容ばかりだ。ドラマや小説のように、殺人事件を解決したりするようなことは夢のまた夢……というよりありえない。
 浮気調査や行方不明のペット探しなど、それでもまだ“探偵らしい”ことすらごく稀で、クライアントには悪いが、依頼の8割方は超個人的かつくだらないものばかりだ。例えばアイドルのサインを貰ってきてくれだの、自分の代わりに彼女に別れを告げてきてくれだの。もはや「探偵事務所」ではなく、「なんでも屋」と化している。
 とはいえこれは、あくまで依頼全体の8割。残りの2割は、他の探偵事務所ではないような、ちょっと変わった依頼内容なのだ。私がこんなにも働き甲斐のない所でバイトをしているのも、そこに理由がある。
 ――さてと、日誌の続きを書こうかな。
 そう思って再びペンを取った時だった。

 コンコン

 事務所の入り口のドアが控え目に叩かれた。
 お、これはセールスや勧誘の類じゃないな。奴らはもっと明るく軽快にノックするものだ。そのへんを聞き分ける能力は、この事務所で働くようになってからかなり身についた。十中八九。どこかの気象予報士よりは、当たる確率は格段に高い。
「どうぞ。開いてますよ」
 商売用の声でそう言うと、私は日誌を閉じて立ち上がった。
 恐る恐る、といった様子でドアが開かれ現れたのは――長い黒髪に白い肌。そしてその肌と同じように真っ白なワンピースを着た清楚な美人さんだった。
 同じ女ながらつい見とれてしまった私は我に返ると、その女性を応接用のソファーへお連れした。
「当探偵事務所にはどういったご用件で?」
 女性が腰を下ろすのを見計らい、私はマニュアル通りの質問をした。
 わかってる。当然仕事の依頼に決まっている。ここでいきなり「あなたは神を信じますか?」とか言い出して宗教の勧誘なんてされたら、さすがの私もずっこけるってもんだ。
「あの、調べて欲しいことがあって……」
 女性は随分深刻そうな様子でそう答えた。
 何を調べて欲しいのかはわからないが、どうやらいつものくだらない依頼内容ではなさそうだ。少なくとも、好きなアイドルに恋人がいるかどうか調べて欲しい、などということではないだろう。
「わかりました。それでは担当の者を呼んで参りますので、少々お待ちください」
 担当の者っていっても、1人しかいないけれど。
 私は営業スマイルでそう告げると事務所の奥へ向かい、ドアをノックした。
「先生、クライアントの方が見えています」
 この「先生」というのが例の担当者、所長を兼ねている探偵だ。
 なぜ先生なのか? それは単に私が先生という言葉の響きが好きだから。それだけだ。所長と呼ぶのもなんだか堅苦しいし、私の趣味でそう呼ばせてもらっている。
 しばらく経っても返事は返ってこなかった。しかしこれはいつものこと。私は一応入りますよと断りを入れてドアを開けた。
 書斎と銘打ってあるこの部屋に足を踏み入れてまず目に入ってくるのは、天井まである棚に所狭しと並べられた、本・本・本。しかも棚に収まりきらず、床にもたくさんの本が無造作に積まれている。分厚い辞書や百科事典、英語で書かれた論文もあれば、今年芥川賞を最年少で受賞した作家の小説もある。ノンジャンル。雑食もいいところ。
 まぁ探偵たる者、知識が豊富に越したことはないだろう。
 そんな本の山に埋もれるようにして先生はいた。部屋に入ってきた私にも気づかず、本を読みふけっている。見るとタイトルは『あなたにもできる独立開業』。……なんだろう、この人は企業の設立でもするつもりなんだろうか。
「先生、クライアントの方がお待ちです」
「…………」
「先生、お仕事ですよ」
「…………」
「先生!!」
 業を煮やした私は、とうとうそう叫んで机を思いっきり叩いた。
「うわぁッ!? びっくりした……。なんだ、碧乃君か」
「なんだじゃありません。先程からクライアントの方がお待ちです」
 それを聞くと先生はようやく本を閉じて立ち上がった。そして嬉しそうに言う。
「久しぶりの仕事だな〜。今度はまともな依頼だといいんだけど」
「なんか深刻そうでしたよ。すごく美人な方でしたし」
「美人!?」
 その言葉に反応して先生が振り返った。しかしすぐに首を振ると慌てて付け加える。
「いやいや碧乃君。僕は別にクライアントの顔で仕事を選んでいるわけじゃなくてだね」
「いいから早く行ってください。それに選べるほど仕事なんてないじゃないですか」
「まぁそれはそうなんだけど……」
 ぶつぶつ呟く先生の背中を押し、ようやく女性は「担当の者」と顔を合わせた。
 先生が席に着くと、私はお茶を入れに台所へ向かった。後ろから2人の会話が聞こえてくる。
「当事務所の探偵、高橋 柊一朗シュウイチロウと言います」
 たぶんここで名刺を差し出しているだろう。
「あ、わたし桔梗院 小百合キキョウイン サユリと申します」
 おお、豪勢な名前。
「それでご依頼というのは……」
「はい……調べて欲しいことがあるんです。実はわたし、婚約者がいまして、結婚を来週に控えているんです」
 婚約者! 名前からしてやはり、どこかの財閥のお嬢様だったりするのだろう。
「そうですか。それはおめでとうございます」
「いえ……でも最近、ちょっとおかしなことがあって……」
「おかしなこと?」
 私の心の声と先生の声がハモった。
 これはアレだな、ストーカー絡みと見た。結婚を間近に控える彼女に、ストーカー男からの嫌がらせが続いているのだろう。うんうん、わりとまともな依頼内容じゃありませんか。
 私はそう思いながら、どうぞ、とお茶を差し出した。小百合さんは軽く頭を下げてそれを受け取る。
 うーん、やはり身のこなしに育ちの良さが窺える。しかしなんだかその表情は、事務所を訪ねて来た時よりも、さらに暗く深刻なものになっていた。
 小百合さんは言いにくそうに、遠回しに尋ねる。
「あの、こちら……高橋探偵事務所では、他では扱わないような依頼も受けてくださると聞いたのですが……」
 その言葉に、先生と私は思わず同時に反応した。これは……もしかして……。
「ええ、多少特殊な依頼も承っております」
 先生の言葉を聞き、小百合さんはようやく決意したようだった。
「最近おかしな出来事が続いているんです。始めは閉めたはずのドアが開いていたり、しまったはずの物が出ていたり、気のせいかとも思っていたんですが……。でも式が近づくに連れてどんどんエスカレートしていって……最近では突然物が落ちてきたり、電球が割れたりしたこともりました」
「ポルターガイストですね!?」
「……碧乃君」
 目を輝かせてそう言った私を先生が制す。しかしその先生だって、内心ではガッツポーズしているはずだ。
 ――思った通り、ビンゴ。
 小百合さんが持ってきてくれた依頼は、残りの2割の方だった。
 くだらない依頼内容のうち、残り2割のちょっと変わった依頼。それはいわゆるオカルト関連の依頼なのだ。
 ね? 変わってるでしょ? だから私はどんなに働き甲斐がなかろうと、花の休日に暇を持てあまそうと、ここでのバイトをやめられないのだ。給料のためではなく、残り2割の依頼のためにバイトしているようなもの。
 そう。何を隠そう、私はオカルト・ホラー大好きっ子なのだ!

 さてさて、今回はどんなお仕事になるのだろうか。
 詳しく話を聞こうじゃないか。

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