碧乃さんの冥探偵日誌

依頼その1の7


 次に目が覚めた時、そこに広がっていたのはお花畑と三途の川――ではなかった。

「先生、今月の給料値上げして下さいよね!」
「ああもう、ごめん! 本当に悪かったと思ってるって!」
「ホントですかぁ? 私、危うく死ぬところだったんですよ? 走馬灯見えたんですよ? これでボーナスの1つも貰えなきゃ、割に合いませんよ」
 気がついた時、真っ先に視界に入ってきたのは白い天井。そして、見慣れた先生の顔だった。私は居間のソファーの上に寝かされていた。
 ドアをぶち破って部屋に入った先生が、影を追い払って私と透さんを助け出したのだという。あの時私が聞いたのは、先生が名前を呼びながらドアを叩いていた音だったようだ。
 ともかく、あのまま帰らぬ人にならずに済んで本当によかった。口ではああ言ったけれど、先生には感謝している。あの時助けに入ってくれていなければ、今頃私は本当にどこか遠くへいってしまっていただろう。
 この場合の「いって」とは、「行」ではなく「逝」の字を当てはめるのが正解だ。
 透さんもどうやら気を失っていただけのようで、特に怪我もなく、私よりも先に目が覚めていた。今は先生の連絡でやって来た小百合さんが、心配そうにそばで付き添っている。
 結局、1番散々な目にあったのは私ということだ。
「大変な目にあわせてしまい、申し訳ありませんでした」
 居間で一息ついていると、見知らぬ女性が歩み寄り、そう言って私に頭を下げた。セレブな雰囲気をかもし出す、品のいい女性。
「えーっと……」
「透の母です。お会いするのは初めてでしたね。一度ご挨拶しておこうと思っていたのですが」
「ああ! お母様でしたか。いえいえ、お気になさらず。透さんの責任ではありませんから」
 私を囮に仕立て上げた先生の責任ですから。それに、大変な目にあったのは透さんも同じだ。
「でも女の子の肌にこんな痕を残してしまって……」
「あと?」
 首を傾げると、お母様は女中さんから手鏡を受け取り、鏡の方を私に向けた。
「うわホントだ!」
 鏡に映っていたのは、赤い筋が何本も走る私の首。お母様の言う通り、そこには紐で締めつけたような痕がはっきりと残っていた。
「ちょっと先生! ばっちり痕残っちゃってますよ!? これじゃまるで首吊り自殺未遂でもしたみたいじゃないですか!」
「あ、そういえば碧乃君の首に巻きついていたやつだけどね」
「話をすり替えないでください!」
「そうじゃなくて。ほら、こんなのが碧乃君の首に巻きついていたんだよ。それから透さんにも」
 そう言って先生が差し出したのは、細く長い、透明な糸のようなものだった。
「これが首に? ということは、犯人が残した重要な手掛かりってことじゃないですか! ……でもこれなんです? 糸?」
 話を聞いていたお母様も覗き込む。
「あら? それ、ちょっと見せていただけるかしら」
 先生からその糸のようなものを1本受け取ると、引っ張ってみたり、光に透かしてみたりした。
「これは人工毛のようね」
「人工毛? ウィッグとかエクステに使われてるアレですか?」
「ええ、間違いないわ。私、趣味で人形作りをしているから、何度も見たことがあるの。これはブロンドのようね」
 人形!
 その言葉にピンと来るものがあった。もしかして犯人、わかっちゃったかもしれない。私は恐る恐る申し出た。
「あの……以前にアンティークドールのコレクションを拝見させていただいたのですが、もしかして、その……」
「あら、何かしら」
「いえ……非常に言いにくいのですが、何か曰くつきの人形なんてものがあったり、しません?」
 私の言葉に、部屋にいた人たち全員の目が点になる。一瞬沈黙が流れたあと、お母様が苦笑しながら言った。
「面白いことを言う方ね。残念だけれど、あの部屋にあるのはみんな普通の人形たちよ」
「ですよね〜あはは。すみません、なんか変なこと訊いちゃって」
「ふふ。あの人形たちはね、ほとんどが祖父から譲り受けたものなのよ」
「おじい様、ですか」
「ええ。透の曽祖父に当たる方ね。祖父はアンティークドールをコレクションしていて、私の人形好きもその影響なの。亡くなった時に形見として何体かいただいたのだけれど、篠宮家に嫁ぐ時、一緒に実家から持ってきたのよ」
 そう言ってお母様はにっこりと微笑む。私は反対に肩を落とした。
 やはり、人工毛=人形=犯人という考えは浅はかすぎたようだ。もしそうだとしても、ひいおじいさんの人形が、透さんの周りの人間に危害を加える理由がわからない。
「母は相当なおじいちゃんっ子だったって話です。僕の名前を曽祖父から貰ったくらいですから」
 透さんの言葉を聞き、突然先生が驚いたような顔をした。
「もしかして、そのひいおじいさんの名前は……」
「僕と同じトオルです。こう書いて、トオル」
 透さんが空中に『亮』の文字を書いて見せる。それでトオルと読ませるとは珍しい。
「そうか……。碧乃君、ちょっといい?」
 そう言って先生が居間から私を連れ出した。
「どうしたんですか先生」
「……これを見てもらえる?」
 鞄から出てきたのは、以前事務所で先生が目を通していた資料のようなものだった。その中の1枚を私に手渡す。そこには写真が印刷されていた。
「透さんじゃないですか。随分写りが悪くて見にくいですけど」
「日付をよく見てみて」
「日付?」
 言われた通りよく見てみると、写真の隅に撮影日らしき日にちが記されていた。しかし、それを見て驚愕する。
「1925年って……80年も前じゃないですか! これ、写真を撮った日の日付じゃないんですか?」
「そうだよ」
「え? じゃあここに写ってる人は誰なんですか?」
「トオルさんだよ」
「透さんって……」
 そこまで言いかけてはっとした。ついさっき透さんがしてくれたあの話だ。
「もしかしてこれ、透さんのひいおじいさん!?」
「その通り」
 先生の言葉に驚き、もう一度印刷された写真を凝視する。写りが悪く、髪型にも多少の違いはあるが、そこに写っているのはどこをどう見たって透さんとしか思えない男性だ。
「依頼を受けたあと、石蕗に透さんの家族について詳しく調べてもらったんだ。そこでこの写真が出てきたんだけど……僕も最初見た時は驚いたよ。でもそれは間違いなく20代の頃の亮、つまり、篠宮 透の母方の曽祖父だ」
「……これ、絶対何か関係がありますよね? というか、関係があるとしか思えませんよ!」
「僕もこの写真を見た時、事件との繋がりを感じたよ。それに碧乃君の首に巻きついていた人形の毛。あの人形も曽祖父の亮さんのものだったとなると……」
「やっぱり犯人は、あの部屋にあった人形ってことですね!」
 無言でうなずく先生。どうやらさっきの私の考えは間違いではなかったようだ。
「でも、どうしてその人形が、ひい孫の透さんに危害を加えるんでしょうね? その理由がわからないんですけど……」
「うん、それなんだけど、僕はてっきり、曽祖父の名前は『リョウ』だと思っていたんだよ。でもさっき、『トオル』って読むと聞いて確信した」
「理由がわかったってことですか?」
「ああ。同じ名前に同じ顔、これなら間違えても仕方ないなって」
「間違えても仕方ない?」
 私はその意味がわからず首を傾げるが、先生は核心めいた表情を浮かべるだけで、何も答えてくれなかった。
 ……ちょっと悔しい。やっぱり先生にはまだまだ敵わないことを実感させられる。ただのアルバイトと本職の探偵じゃあ、仕方のないことなんだけれど。
「それで、どうするんですか?」
「碧乃君ならどうする?」
 質問に質問で返す先生。
 それを私に訊きますか。こっちはフォークやナイフで狙われたあげく、首まで締められて絞殺寸前だったんだ。先生のおかげでなんとか助かったとはいえ、首にはばっちり痕まで残されて……
「当然、犯人を取っちめてお仕置きですよ!」

*  *  *

 私と先生、それに透さんと小百合さんは、この怪奇現象の犯人が待ち構える部屋の前にいた。透さんは真剣な面持ちで小百合さんに告げる。
「高橋さんの話だと、僕のそばにいると危ない目にあうんだ。小百合は別の部屋で待っていた方がいい」
 しかし小百合さんは穏やかな笑みを浮かべて首を振った。
「ありがとう。でもわたしなら大丈夫。透さんのそばにいさせて欲しいの」
「小百合……」
 この2人、やっぱり理想のカップルだ。見ている私まで感動してしまった。
「大丈夫ですよ透さん! 小百合さんには、この私が指1本触れさせませんから!」
「それは頼もしいなぁ碧乃君」
 ドンと胸を叩く私を見て先生が苦笑する。そしてゆっくりとドアノブに手を掛けた。
「では、行きますよ」
 覚悟はできている。あとは、この場合の「行く」が、「逝」の字にならないことを祈るだけだ。

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