碧乃さんの冥探偵日誌

依頼その4の6


 気がつくと、いつの間にか外は明るくなっていた。結局一睡もできないまま夜が明けてしまったらしい。部屋には美羽の寝息と、キーボードを叩く音だけが響いていた。石蕗さんもあれからずっと眠らずに起きていたのだ。
 私が小さくあくびを漏らすと、石蕗さんが顔を上げた。
「…言いにくいのなら、柳原さんには私の方から説明しますが」
 ぎくん、と体の動きが止まる。
 時々、石蕗さんは読心術を心得ているんじゃないかと思ってしまう時がある。今がまさにその時だ。思いっきり心の中を見透かされてしまった。
「だ、大丈夫です! 美羽にはちゃんと私が説明しますから!」
「…わかりました」
 石蕗さんはそれだけ言うと、またパソコンの画面に向き直った。
 生霊の正体は沙也香だった。原因は、美羽が沙也香の彼氏を奪ったから。
 そう告げたら、美羽はどんな顔をするだろう。沙也香のことをどう思うだろう。そのことを考えると眠ることができなかった。根拠はないけれど、また3人、仲良くやれる自信はある。でも、少し不安だった。

*  *  *

「そう、だったんだ……」
 長い沈黙のあと、美羽はようやく口を開いた。しかしそう呟くと、うつむいてまた黙り込んでしまった。
 目を覚ました美羽に、昨日の夜の出来事と、その正体と原因を打ち明けた。始めのうちは寝ぼけ眼で聞いていた美羽も、沙也香の名前が出た途端、不意打ちをくらったようにはっとした。表情は強張り、次第に青ざめていく。
「……あたし、最低だ」
 うつむいたまま、美羽はぽつりと漏らした。
「周りのこと、なんにも考えてなかった。……沙也香のことも。あたしのせいで苦しんでたなんて、全然知らなかった。最低だよ……」
「でも、それは私も同じだよ。私も気づいてあげられなかった」
 重たい空気が流れる。やっぱり元通りだなんて、そんな簡単に上手くいくわけないんだろうか。そう思いかけた時、美羽が唐突に顔を上げた。
「あたし、恋愛は大事だけど、友情も大事だと思ってる! 彼氏と同じくらい……ううん、それ以上に沙也香のこと、好きだし大切! これは本当!」
 突然叫び出した美羽に、私も石蕗さんも呆気に取られてしまう。美羽は私に迫るとさらに続けた。
「ねぇ碧乃、あたしどうすればいい? どうすればいいと思う? これからも沙也香と友達でいたいの。どうすればいい!?」
「美羽……」
「そうだ! あたし、沙也香に謝るよ。あたしが悪かったんだって、ちゃんと謝る!」
「それはダメ!」
 間髪入れずにそう言い放った私に、今度は美羽がきょとんとする。
「なんでよ?」
「どうして沙也香が生霊になんてなったと思う? 言いたくても言えなかったから! 美羽に知られたくなかったんだよ。美羽のことを恨んでる自分がいるってことを。それを隠して、忘れた振りして、沙也香は笑っていたの。それなのに美羽が謝ったら、沙也香の努力が水の泡だよ」
「…それに、沙也香さんには生霊になっている時の記憶はありません。それどころか、自分が生霊になって柳原さんに取り憑いていたなんて、夢にも思っていないでしょう。柳原さんが謝っては、その事実を告げてしまうようなものです」
 それまで黙っていた石蕗さんが補足を入れる。私はうんうんと頷いた。
「そういうこと。ごめんなさいは逆効果なの。わかった?」
「で、でも、それじゃあどうすればいいのよ!?」
「なかったことにする」
「…………は?」
「今回の件は水に流して、きっぱりなかったことにする。美羽は何も言わず、今まで通り沙也香に接する。私もそうするから」
 美羽はぽかんと私を見つめた。石蕗さんもこの答えは予想外だったらしく、いつもの無表情が意表を突かれたようにわずかに崩れていた。
「それだけでいいの?」
「うん。でも反省はしてね。知らなかったとはいえ、原因が美羽にあったことに変わりはないんだから」
 うっ、と一瞬のけぞると、美羽は頭を垂れた。
「はい。悔い改めます」
「よろしい。恋愛もいいけど、ほどほどにね」
「はい。柳原 美羽、これからは恋愛より友情に生きたいと思います」
 そう言って美羽は立ち上がると、石蕗さんに詰め寄った。そして勢いよく頭を下げる。
「というわけでごめんなさい! せっかく運命の相手に巡り会えたと思ったけど、石蕗さんのことは諦めます! だから、石蕗さんもあたしのことは忘れてください!」
 その瞬間、石蕗さんは確かに固まっていた。
 いつ石蕗さんがあんたのことを好きになったよ……。思わず心の中でツッコミを入れる。石蕗さんは瞬きを数回繰り返したあと、ようやく言葉を返した。
「…わかりました」
 そりゃ、そう言うしかないよなぁ。

「今回の依頼料、ちゃんと美羽に払うよう言っておきますから」
 美羽のアパートからの帰り道、肝心なことを思い出して告げる。運転席の石蕗さんは、すっかり元の無表情に戻っていた。そしていつも通りのトーンで答える。
「…いえ、その必要はありません」
「へ? どうしてですか?」
「…元々いただくつもりはありませんでしたから。柳原さんにも依頼料は必要ないと伝えておいてください」
「でも……それじゃあどうして今回の依頼を引き受けたんですか?」
「…芹川さんの友人の依頼なら、断るわけにはいきませんから」
 交差点に差し掛かり、赤信号で車が停止する。平日の通勤ラッシュを過ぎた時間帯で、道路はそれほど混雑していなかった。
「…今回の件、解決したのは芹川さんです。私は何もしていません」
「そんなことないです! 石蕗さんがいなかったら、美羽に取り憑いたのが生霊だってわからなかったし、襲われて危なかったところも助けてもらったし……。私1人じゃ解決できませんでしたよ」
 目の前の横断歩道を、買い物帰りの女性が自転車で横切る。それを目で追ったあと、石蕗さんは独り言のように呟いた。
「…以前、所長が言っていたことの意味がわかったような気がします」
「先生が?」
「…芹川さんにはどんな腕のいい霊媒師も敵わないだろうと、そう言っていました。その通りですね」
 信号が青に変わり、車はゆっくりと走り出す。石蕗さんは少しだけ間を置いて続けた。
「…大丈夫です。きっと沙也香さんとも上手くいくはずです」
 私はなんて答えたらいいのかわからず、ありがとうございます、と一言呟いた。やっぱり石蕗さんには読心術があるに違いない。

*  *  *

 次の日、教室に入ると1番乗りの沙也香が席に着いていた。美羽はまだ来ていないようだ。
 いつも通りに。心の中でそう言い聞かせると、沙也香の肩を叩いた。
「おはよー」
「あ、碧乃。おはよう。ね、美羽のことどうだった?」
 私の顔を見るなり、真っ先に美羽の心配をする沙也香。やっぱりこっちの沙也香が本物の沙也香だ。
「それが聞いてよ。美羽の奴、部屋が荒らされてるなんて大袈裟なこと言っちゃって、単に寝ぼけてただけみたい。ホント人騒がせなんだから」
「なんだ……。じゃあなんともなかったんだね、よかった……」
 そう言って沙也香は安心したように微笑んだ。私も席に着くと、後ろから遠慮がちに声が掛けられる。
「お、おはよう」
 振り向くと、そこにはぎこちない笑顔で美羽が立っていた。なかったことにするとは言ったものの、いざ本人と顔を合わせると、どうしても気まずくなってしまう。そう戸惑う美羽の気持ちが伝わってきた。
 けれど、沙也香はいつもと同じように挨拶を返した。
「おはよう美羽。問題解決したみたいでよかったね」
 空騒ぎだったみたいだけど、と付け加え、沙也香は苦笑する。そんな普段と変わりない様子を見て、美羽はほっと胸を撫で下ろしているようだった。そしていつも通りの美羽に戻る。
「ねぇ、今日帰りにプリムローズ寄ってかない? レアチーズケーキとショコラ・フランボワーズ、2人に奢ってあげましょう!」
「何よ美羽、どういう風の吹き回し?」
「ふっふっふ、今日のあたしは気前がいいのだ」
「うわー、こりゃ雨でも降るかもね。沙也香どうする?」
「とりあえず、傘を持ってご馳走になろうか」
「ちょっと、そういう失礼なことを言う人たちには奢ってあげませんよ」
「冗談だって。じゃあついでにりんごのシブーストもつけてもらおうかな〜」
「碧乃調子に乗るな!」
 思わず3人揃って吹き出してしまう。その瞬間、私たちはきっと大丈夫だと、そう確信した。だって、こうやって3人で笑っていられるのだから。

 美羽なりの罪滅しでケーキをご馳走になったあと事務所へ向かうと、そこにはソファーでぐったりと横になっている先生がいた。入ってきた私に気づいて体を起こす。
「ああ、碧乃君……」
「こんにちは。先生、戻ってたんですね」
「うん、ついさっきね。もう疲れたよ……。張り込み続きで寝不足寝不足」
 先生は大きなあくびをすると、だらしなく背もたれに寄り掛かった。
「浮気調査の方、どうだったんですか? その様子だと収穫あり?」
「もうクロもクロ、真ーっ黒。あの旦那さん、出張先で奥さんの目が届かないのをいいことに、浮気相手と逢引しまくり」
「うっわぁ〜。それで、奥さんに報告は?」
「今してきたところ。もう奥さんカンカンでさ、現場を押さえた写真を見るなり、『今から別れてきます!』ってすごい剣幕で飛び出してって。離婚届まで用意してあったみたい」
 それはそれは。尾行と張り込みで疲れきった三十路の体にはダブルパンチだっただろう。
 と、そこへ石蕗さんが入れたてのコーヒーを持ってくる。カップを受け取ると先生は溜息をついた。
「男女の関係は難しいよ……」
「先生、女同士でも色々あるんですよ。ねぇ石蕗さん」
「…そうですね」
 目が合うと、石蕗さんの表情が少しだけ緩んだ気がした。たぶん私の顔を見て、沙也香と上手くいったことがわかったのだろう。もしくは、心の中を読まれたか。
「そうだ、例の佐藤くん。大学で色々聞いてみたんだけど、いい話は1つも出てこなくって。5股かけてるだの女に貢がせてるだの、ろくな奴じゃなかったみたいです」
「…そうでしたか」
「それで美羽が、今度一緒にお茶でもどうですかって」
「…これからは友情に生きるんじゃなかったんですか」
「今回のお礼にご馳走させて欲しい、とのことです。その時は私と沙也香もご一緒させていただきますけどね」
「…そうですね、ぜひ」
 そんな私と石蕗さんのやり取りを見て、先生は1人不思議そうな顔をする。
「何? 2人ともなんの話?」
「…………」
 無言で見合わせる私と石蕗さん。先生に向き直ると、にっこりと笑って告げた。
「ひ・み・つ、です」
「何それ!? なんか碧乃君と石蕗、僕の知らない間に仲良くなってない?」
「やだ先生、妬いてるんですか? どっちに? 石蕗さんに? それとも私に?」
「そんなんじゃないけどさぁ……」
 先生はそう呟くと、腑に落ちない表情でコーヒーを口に運んだ。
 今回の件で友情が深まった相手は3人。美羽に沙也香、それに石蕗さん。そう思っているのは、たぶん私だけじゃないはず。

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