便利屋×冥探偵日誌 3


騒グ霊魂、叫ブ女 前編



其の1

 女はなにやら思いつめたようにフェンスを掴んでいた。地面ははるか下。その地面をどれぐらい見つめたであろうか。女は決心した。逃げてはいけないんだ、勇気を出そうと。フェンスの網目を握り締める。そのまま女はフェンスを登り始めた。ギシギシと音を立てながらてっぺんまで上ったその時、女の体は宙を舞い地へと落ちた。

 とある土曜の朝、福岡空港に一組の男女が降り立った。二人はそれぞれスーツケースを引いて到着ロビーへと出てくる。女はずんずんと前を歩きその後を気弱そうな男が歩く様は、そのまま二人のパワーバランスが表現されているように見えた。
「ねえ、碧乃君、ちょっと待って。そんなに急がなくったって大丈夫なんだから」
「何を言ってるんですか、先生! とんこつラーメンと辛子明太子と銘菓ひよこが私達を待ってるんですよ!」
「いや、だけど最終の飛行機で帰るんだからそんなに食べられないでしょ」
「とにかく、とりあえずはラーメンで腹ごしらえですよ! あっ! お久しぶりー!」
 碧乃が手を振る先には「ようこそ高橋探偵事務所ご一行様!」と書かれた画用紙を掲げる女性が一人。
「魅貴ー! 元気だった?」
 元気に駆け寄ってゆく相方を眩しいように見やると、柊一朗はとぼとぼと遅れて歩く。
「碧乃も元気だった? 福岡に来るっていうから楽しみにしてたんだよ!」
「え? マジマジ? 私も楽しみにしてたんだよ、とんこつ!」
 碧乃はその発言に吹き出した魅貴とともに大いに笑う。まったく賑やかな二人である。遅れてやってきた柊一朗は、丁寧に頭を下げた。
「どうもお久しぶりです、東雲さん」
「あ、いや、そんな改まらなくても良いですよ、高橋さん。さ、早速行きましょう!」
 碧乃と柊一朗は顔を見合わせる。
「どこへ?」
 魅貴は嬉しそうに笑うと声高らかに宣言する。
「もちろん龍幻寺探偵社へ!」

 三人は空港から市営地下鉄に乗り天神駅で下車、そこから徒歩で大名にある雑居ビルの前にやってきた。
「うわあ……」
「あはは……」
「うん、良いよ。正直に言って」
 柊一朗が苦笑いする横で、碧乃ははっきりと言い放った。
「なんか怪しい雰囲気がする」
「だよね。家賃が安かったからってもうちょっとマシなところがあっただろうにね。まあ、とりあえずどうぞ」
 魅貴を先頭に三人は階段を上ってゆく。三階に着くと、魅貴は事務所のドアノブに手をかける。ドアには確かに「龍幻寺探偵社」と書いてある。中へ入る魅貴に続き柊一朗たちも中へと入ると、そこは簡素作りをしていた。白い壁と床、真ん中に応接セットが一組、窓際には事務机が一組あり、左手の方には簡単な台所と改造して新しく作られたシャワー室がある。ここの主は事務所で寝泊りをしているようで、現にソファーで高いびきをかいている。
「社長、お連れしましたよ。高橋さんです」
「ぐう」
「起きてください」
「ぐうぐう」
 魅貴は睡眠中の主――武史の耳を掴むと大声でで叫ぶ。
「起きろー!!」
「ひゃあ!!」
 男は情け無い声を上げて飛び起きると、耳を押さえながら魅貴を咎める。
「うー、酷いじゃないか、ミッキー。鼓膜破れたらどうするんだよ。責任取ってくれんのか? 揉むぞ?」
「揉むって……人前でセクハラ発言するな。そうそう、今到着しましたよ、高橋さん」
 見るとあの気弱そうな童顔の男と活発そうな女が笑っている。
「おお、アオノン、アオノンじゃないか!」
「変なあだ名で呼ばないでよ」
「ん? 良いじゃないかフレンドリーで。あ、揉ませ……ぬお?!」
 助手に無理やり首を向けられ、今度は柊一朗に話しかける。
「いやあ、高橋さんじゃん。あれ、どったの? 二人して」
 魅貴はため息をつくと、腰に手を当てて武史に教授し始める
「あのねえ、この前二人が福岡に観光に来るっていったでしょ? まったく、どうせ上の空で聞いてたんでしょ。この前の仕事の電話んぐ?!」
 武史は慌てて魅貴の口を塞ぐと、取り繕うように喋りだす。
「いやあ、二人ともよく来てくれた。歓迎するぞ。あ、そうだ、飯は食ったのか? ラーメン食いに行こう、な、ラーメン」
 しかし碧乃は聞き逃さなかった。
「今、仕事って……」
「言っとらん、言っとらん! そげなこと言っとらんけん、はよラーメンば食いに行こうや。とんこつラーメンは良かぞ。硬さは選べるし替え玉もできるけん……分かった。言う。分かったからそのキラキラした目をやめろ」
 武史はため息をつくと二人をソファーに促す。
「実はとある学生寮で起こってるんだって、ポルターガイストが」
「ぽ、ポルターガイスト?!」
「そうだ、アオノン。残念ながらそうだ」
「やったー!」
「……住んでる奴の身になってみろ。嬉しいか?」
 碧乃は首を振ると真顔で言う。
「嬉しいのとはちょっと違う。感激!」
 駄目だこいつ。早く何とかしないと。武史はため息を一つつくと、話を続ける。
「んで、その仕事の件なんだけどな、実はいろんな仕事を後回しにして、今日向かうつもりだったんだ。と、いう訳でアオノンを美味いラーメン屋に連れてってやる。そのままバスで市内観光でもして帰ってくれ。じゃあな!」
 武史のおかしな態度に柊一朗はニヤニヤと笑う。その顔を見て武史はうろたえながらも柊一朗に尋ねた。
「な、何がおかしいんだ?」
「なんでそんなに僕達を帰らせたいんですか? いつもの武史さんなら協力してことに当たろうと思うでしょうに」
「いや、それはだな……」
「碧乃くんを帰らせたいんじゃなくて僕を帰らせたいんじゃないんですか?」
「……」
 武史は図星を突かれて答えに窮する。そして意を決したように白状した。
「女子寮なんだよ……」



其の2

 結局武史は柊一朗たちの同行を拒否できなかった。愛用の黒いRV車で件の女子寮に到着したのは昼ごはんより少し早いかという頃だった。意気揚々と車を降りる碧乃、警戒しながら保護者のような気持ちで降りる魅貴と柊一朗、そしてテンション下がりまくりの武史、それぞれの気持ちを抱えながら女子寮の玄関へと向かった。玄関に入ると女子大生が一人出迎えるためにそこに待っていた。
「あの、すみません、電話でお話した龍幻寺ですが……」
「ええ、ようこそおいでくださいました。私、寮長をしております水島のぞみと申します。どうぞこちらの方へ」
 のぞみは武史たちを先導して奥へと歩いてゆく。通されたそこはちょっとした会合が出来るほどの大部屋だった。カーペットが敷かれ、長いすと長机が置かれたそこはお洒落な会議室のようでもある。
「今寮生を呼びますね」
 そう言うとのぞみは部屋の外へと出てゆき、住人に寮内放送で集合を求める。武史たちが上座に設けられた、一列だけ向かい合わせに置かれている机に座っていると、少したって住人達が集まってきた。キャアキャアと嬌声を上げながら集まるところがいかにも女子寮らしい。やがてほとんどの椅子が埋まると、ひそひそと前に座っている男の品定めを始める声が聞こえはじめた。
「ねえねえあの人格好よくない?」
「えー? なんか怖そうだよ」
「もう、そこが良いんじゃない。じゃああの気弱そうな人がいいの?」
「うん。なんか優しそうだし」
 そんな会話を聞きながら武史は項垂れていた。
「思ったとおりだ。高橋さんとくると女の半分はこいつの方になびいちまう。全部、全部俺に惚れるはずだったのに!」
 そんな主人を魅貴は冷ややかな目で眺めていた。
「えー、みなさん、今集まってもらってのは他でもありません。先日相次いで起こった心霊現象を解明していただくべく、優秀な探偵さんをお連れしました。眠れない夜は美容にも悪いですし、この際しっかり調査していただきましょう! じゃ、龍幻寺さん、一言お願いします」
 のぞみに促され、武史が立ち上がる。その瞬間かすかに聞こえた会話に反応して視線を向けると、目が合った寮生は慌てて目を伏せた。ふうっとため息を一つつくと、視線を戻し寮生一同に呼びかける。
「ま、今回の件はそれほど長い時間かからずに解決すると思います。だから皆さん協力してください。くれぐれも嘘をつかないように」
 それだけを言うと再び椅子に座る。めぐみが寮生を解散させるとその後にめぐみも出て行く。この部屋はそのまま作戦本部として使ってよいことになった。
「さて、早速だがミッキーとアオノンには情報収集をしてもらおうか」
「了解。でも碧乃は今日お客さんなんだからゆっくりしてていいんじゃない?」
「そうか? 目がギラギラしてるぞ?」
 碧乃は、鼻息も荒くやる気十分の表情を見せる。
「ま、とにかく二人で行ってくれ。俺と高橋さんはここに残って今後のことを話し合う」
 魅貴と碧乃は連れ立って部屋を出て行った。それを見送って柊一朗は武史に話しかける。
「二人だけにしていいんですか?」
「んー、ま、いいだろ。女子寮を男が歩き回るわけにもいかんだろうし。それに……」
「それに?」
 柊一朗の言葉に目を瞑り答える。
「今度の件は俺の出る幕じゃない。多分」
 そう言うと腕を組みなにやら考え始めた。そんな様子を妙に納得したような表情で柊一朗は見つめていた。彼にもその一見無責任なように見える行動の理由に気付いていたのだ。

 二時間ほど経ち、魅貴と碧乃が帰ってきた。手にはなにやらびっしりと書かれたメモ帳が握られていた。やはり二人とも助手としての自覚があるようだ。
「さて、どうだった?」
「うん、この寮に住んでいる人の三分の二ぐらいの人がポルターガイストを経験しているみたい。ぬいぐるみが動いたとか、ベッドがガタガタ動いたとか、戸が急に開いたとか」
「アオノンのほうはどうだ?」
 碧乃はその不名誉なあだ名にわずかに反応したが、気を取り直して報告を始める。
「こっちも同じような物。そして奇妙なことに誰が被害にあったのかを教えてくれたのは他人だけ。当の本人はまるで隠そうとするみたいに知らない振りする人ばかり。これってどういうことなんだろう」
 武史は「ふむ」と小さくうなると、魅貴に問いかける。
「現象が起きた日にちはどうだ?」
「その点は碧乃と数を合わせてみたんだけどちょっと変なの。まず最初に被害を受けたのが四人。これがこの前の火曜日で、水曜に十二人。木曜に三十五人。それ以降は現象自体が起こっていないの」
「ポルターガイストが起こっていない?」
「まあ、そういうことになるかな。週末だから休み……なんてことはないか」
「飽きたんだろ?」
 武史の発言に碧乃が首を突っ込む。
「そんな、幽霊が飽きるはずないでしょ。真面目に考えてよ」
「考えてるさ。そしてもう結果は出た。めぐみさんにお願いして、被害にあった人……と言っても出てこないか。まあいいや。全員また集めてもらってくれ」
 魅貴は腑に落ちない表情ながらも、めぐみを呼びに出て行った。少しして再び寮生集合の放送がなされ、寮生がゾロゾロと入ってきた。武史たちも先ほどと同じ場所に座り、先ほどと同じ状況が再現されることとなった。ただ違うのは、武史の頭の中に『真相』が見えていたことである。全員を見渡すと、武史はおもむろに口を開いた。
「さて、今回の幽霊騒動、おかしいと思いませんか? 現象が同じ日にちに集まっている。その数も最初は四人で、その後急激に多くなっている。俺はこう思った。……まるで噂話か何かだと。もしくは、見栄の張り合いか」
 室内がざわつく。それを気にも留めず、武史はしゃべり続ける。
「不審に思ったのはまずここで皆さんに挨拶をした時にそう……」
 武史は室内を見回すと何者かを捜し当てる。
「そう、そこの君達。今度は会話が聞こえないように一番後ろに陣取ったね。さあ、言ってもらおうか、あの時何を言ったのか」
 そこには武史が挨拶の時に目を合わせた女性二人がいた。仲良しのようで、手を握り合っている。
「あ、あの……私何も」
「言ってないとは言わせない。確かにこの耳に、地獄耳なんでね、はっきりと聞こえたよ。『誰よ、寮長を焚き付けたのは』ってね」
 室内が騒々しくなる。それを右手を上げることで制すると、もう一度、今度は咎めるように念を押す。
「言ったね」
 こくりとその女性が頷いたので、武史は許してやることにした。
「よろしい。さて、このように若い女性が幽霊という一般人には掴み所のない厄介な代物を前にして、さも余計なことといわんばかりの発言をするだろうか? こちとら幽霊退治をしようってんだ。めぐみさんも感謝こそすれ、あんなことを言われることはないはず。どうしてそのような発言が出るのか。それは今回の件に付いて皆さんが『誰の』手によって『どのようにして』ポルターガイストが起こったか分かっている、もっと言えばその犯人は自分に対して畏怖の対象ではないということに他ならない」
「ちょっと、それってどういう……」
 碧乃が口を挟もうとする。それを柊一朗が引き止める。魅貴は横で黙って聞いている。確かに魅貴にも心当たりがある。聞き込みで寮内を回って気がついていた。幽霊らしき存在をどの部屋でも感じなかったことを。武史はなおもしゃべり続ける。室内はしんと静まり返っていた。
「皆さんはおそらく被害にあったのを自慢げに話し合っていたんじゃないんですか? それがいざ調べられると今度は知らぬ存ぜぬと……もはやこの結論に間違いないはず。そう、今回のポルターガイスト騒動の犯人はあ・な・た・た・ち・です!」
 「決まった」と呟きながら深夜のネタ見せ番組張りに人差し指を突き出している武史を横目に、魅貴は大きなため息を一つついた。室内は静まり返ってとても笑える状況ではない。武史は咳払いを一つすると、平静を装いながらまた話し始める。
「いいかい、皆さん。幽霊って普通目に見えないけどちゃんとそこにいて、そして俺達が気付かなくても、そいつらはそいつらなりにいろんなことを考えてる。人ではないが、そう、例えるなら人格ってもんがある。皆さんは嫌じゃないかい? 自分のせいじゃないのに勝手に何かの原因だと噂され、犯人に仕立て上げられたら。腹は立たないかい? 俺は腹が立つ。みんなだって腹が立つんじゃないか? 同じように霊も腹が立つに決まってる。自分がされて嫌なことを他人にするなって教わらなかったか? 自分だけが霊現象に合わないからってでっち上げるのは良くないことだ。以後こういうことがないようにお願いしたい。以上!」
 その言葉を黙って聴いていためぐみは、おもむろに立ち上がると全員を解散させる。無言で出て行く寮生を見送ると、今度は武史に深々とお辞儀をした。
「大変お騒がせ致しました。申し訳ございません」
「いえ、構いません。みんな、特別というのにあこがれるもんですから。自分だけが選ばれた人間になりたいってね」
「あの、お詫びといってはなんですが、夕飯をご用意させていただきますので、もしよろしければお召し上がりくださいませんでしょうか?」
「ああ、いえ結構です。まだ日もあるんで今から市内に帰ればまだ夕飯には間に合いますから」
 そう言うと武史は上着を持って席を立つ。
「ではせめて見送りだけでも」
 そう言うとめぐみは先頭に立って玄関へと歩き出す。これで全て解決。と、そう思われた。魅貴が最後に部屋を出て戸を閉めた矢先だった。
――パァン!
 乾いた破裂音が室内から聞こえた。武史たちは互いに顔を見合わせる。一瞬何が起こったのか理解に苦しんでいると、
――――パキン!
「ラップ音?」
 魅貴の呟きに我に返った武史は、魅貴を押しのけるようにドアの前に立つとノブを握る。
「何!? 開かない!!」
 力を込めて引っ張るがドアはピクリともしない。部屋から何かがゴトゴトと動く音が聞こえる。武史はその現象に思わず後ずさってしまう。やがて室内が静かになると、勢いよくドアが開く。碧乃、柊一朗、魅貴に続き、遅れて武史が室内に入ると驚愕した。
「これは……」
 一同の目の前には先ほどと同じ数の椅子が同じ場所に整然と並んでいた。しかし、その全てが――下に敷かれていたカーペットまでもが上下逆にひっくり返されていた。 
 柊一朗はいつになく険しい顔をしている。
「ポルターガイスト……ですね。いや、ポルターガイストは捏造だったはず……」
 碧乃も心底驚いたような表情を浮かべている。
「でも、これはおそらく……いや、絶対にポルターガイスト。だって、ティザーヌの九項目がいくつか当てはまってるもん」
「ティザーヌ?」
 知らない様子の魅貴に、碧乃は興奮しながら説明を始めた。
「ちょっと! 助手としてこういうことは知っておかなきゃ! いい? ティザーヌの九項目というのはね、爆撃、ノック、ドアの開閉、物体の振動、物体の出現、物体の移動、騒音、侵入、動いた物体の温度上昇の九項目。フランスの警官E・ティザーヌが提唱した、ポルターガイストを見分ける条件なのよ!」
「と、いうことは、騒音、物体の移動、ドアの開閉の三つ?」
「いや……」
 机を触っていた柊一朗は立ち上がると言葉を絞り出す。
「物体の温度上昇もです」

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