彼と彼女のクリスマス 【教師×生徒 編】

 十二月二十五日。
 街は赤と緑で彩られ、人々はどこか浮き足立っていた。ことさら、恋人たちは。
 そして彼女もまたしかり。


『絶対二十五日中には帰りますから! 絶対帰りますからね!』
「なんでそんなむきになってんだよ」
 やけに気迫を帯びたその声に、西崎は思わず携帯を耳から離した。するとミノリはがなり立てる。
『当然じゃないですか! クリスマスですよ、クリスマス!』
 涙声でまくし立ててきたミノリの言葉を要約すると、二十五日に急遽バイトが入ったため、こちらに到着するのがだいぶ遅くなってしまう、という意味になるようだった。年末で人手が足りないため、抜けることができないらしい。
『最終の新幹線に乗れば、ギリギリ十二時前には着きますから! 無理でも私が間に合わせてみせますから!』
「無理なものはお前がどう足掻いたって無理だろ……」
『とにかく! 絶対クリスマス中にはそっちに行きますからね!』
 ミノリが無類のイベント好きなのは、西崎も知っての通りだ。その中でもクリスマスが特に重要な位置づけにあるのも理解できる。それにしたって、この半ばヤケになったような執着のしようは――
 と、そこまで考え、西崎にはなんとなくその理由が想像ついた。
「じゃあ駅前で待ち合わせな」
『え?』
「ツリーだろ? 駅前の。今年から新しくなったやつ」
 しばらく沈黙が続いた。携帯の向こうから、ミノリが瞬きを繰り返す音が聞こえてくるような気がした。案の定、ミノリは拍子抜けした声を返す。
『知ってたんですか? コースケさん』
「ああ、今月の頭に工事してたからな」
 駅前の広場の中心にあるクリスマスツリー。去年までは街路樹に電飾を巻いただけのような、正直大したものではなかったが、今年からはかなり豪華になったらしい。二十日あたりから点灯をしていて、遠目にだが西崎も見かけたことがあった。
『イブと当日だけは特別イルミネーションになるんですよ。それがすっごく綺麗らしくて!』
「お前好きだよなぁ、そういうの」
『コースケさんは興味なさそうですよねぇ、そういうの』
「わかってるじゃないか」
 どこか楽しそうに西崎が答えると、ミノリは『む』と不機嫌な声を漏らした。
『そのコースケさんからこの話題を出されるとは思いませんでしたよ。明日は雪でも降るんじゃないですか?』
「この時期なら別に降ってもおかしくないだろ」
『あ、そっか。それじゃなんだろ、槍? 槍でも降りますか?』
「雪でも槍でもなんでも降れ。ともかく、二十五日の夜、駅前だな?」
『はい! 日付が変わる前には絶対着きますから、待っててくださいね!』
「はいはい」
 そっけなく交わされた約束、だいぶ温度差のある二人。これが二十四日の会話。

 そして、二十五日当日。

 PM9:40
「お疲れさまでした! 良いお年を!」
 そう言ってミノリはバイト先を飛び出し、駅へと直行した。
(最終は十時、そこから一時間半、着くのは十一時半……よし、間に合う!)
 新幹線に乗り込み、発車と同時に西崎にメールを送る。
『今こっちを出ました。十一時半には着きます』
『了解』
 すぐに返ってきたその二文字を見て、ミノリはものすごく安堵した気分になった。シートにもたれ、窓の外を流れていく明かりに目をやる。
 ここ数日は、イルミネーションの輝く通りを歩くカップルをずっと羨ましい目で見ていた。そのたび心底思う。遠距離恋愛って損だ。――でも、今日やっと自分もそのカップルの一組になれる。
(こんなこと言ったら、コースケさん絶対嫌がるだろうな)
 あからさまに顔を歪める西崎の反応がありありと浮かび、ミノリは思わず吹き出してしまった。
 夏休み以来の再会。妙な高揚感に包まれながら、ミノリの意識は次第に遠ざかっていった。

 PM11:30
 幻想的な明かりにつられるように、西崎は車を降りた。途端に夜の冷え切った空気が頬を刺し、外へ出たことを少し後悔する。けれど、目の前に広がる金色の明かりに目を奪われてしまった。
 広場の中央にあるツリーだけでなく、駅前通りの街路樹すべてにイルミネーションが施されている。ツリーにも赤や青の電飾が加わり、これがミノリの言っていたクリスマスの特別イルミネーションなのだろう。通りはすでにほとんど閉店しているため、その明かりはよけいに際立っていた。
 西崎はしばらくぼんやりと眺めていたが、はっと我に返って時計に目をやった。
 十一時四十五分。――遅い。
『今どこだ?』
 そうメールを送るが、返事は返ってこなかった。いつもならどんな時間でも即行返信してくるくせに。
 仕方なく今度は電話を掛けてみる。しかし聞こえてきたのは、『お掛けになった電話は、電波の届かない場所にあるか、電源が入っていないため掛かりません』というアナウンス。西崎は溜息と共に携帯を切った。
 タイミングよくトンネルを通過中……いや、電池が切れたという可能性の方が高いかもしれない。ミノリならやりかねないだろう。しかし、そうこうしている間にも時間は過ぎていく。
 イルミネーション消灯まであと十分。人の姿もまばらになった広場で、西崎は一人、ツリーを見上げた。

 AM0:25
 まさにその光景はミノリの心情そのままだった。――真っ暗。
 時間は無情だ。止まることも待つこともしてくれないし、今日をクリスマスという「特別な日」から、何もない「普通の日」に変えてしまった。イルミネーションもすっかり消えてしまった。
 楽しみにしてたツリーは、今は光りもしない電飾が絡みついただけのただのオブジェになり変わっている。自分が見たかったものは、もうそこにはない。ミノリは呆然と広場に立ち尽くした。

「遅い」

 背後から掛けられた言葉に振り返る。そこにいたのは、不機嫌そうに腕組みをして立つ西崎の姿だった。
「お前は俺を凍死させる気か」
「コースケさん……」
「さっき駅で聞いてきたけど、新幹線――」
「コースケさんのせいです」
「は?」
 言葉を遮り、ミノリは西崎にずかずかと詰め寄る。
「コースケさんが柄にもないこと言い出すから、ホントに雪が降っちゃったじゃないですか! おかげで新幹線は一時間も止まったままで、携帯の電池はなくなるし、ツリーも見られなかったし……全部コースケさんのせいですからね!」
「なんで俺のせいに――!」
 そこまで言いかけて止まる。うつむいているミノリの肩がかすかに震えていた。
 西崎は額を押さえ、小さく溜息をついた。
「……こんなことで泣く奴があるか」
「泣いてませんよ!」
 すぐさまそう言い返して顔を上げたミノリの目には、今にも溢れそうなほど涙が溜まっていた。しかしミノリは子供のようにむきになって声を上げる。
「泣くわけないじゃないですか! たかがクリスマスの一つや二つ……たかがツリーの一本や二本、見れなかったくらいで泣いたりなんてしませんよ!」
 それを聞き、西崎はおかしそうにふっと笑みを漏らした。
「だよな。たかがクリスマスの一つや二つ、たかがツリーの一本や二本」
「!」
 ミノリの瞳が揺らいだ。
 優しい言葉で慰めてもらえるなんて到底思っていなかったけれど、そんな言葉が返ってくるとも思っていなかった。やっぱり西崎にはクリスマスなんて、ツリーなんてどうでもよかったのだろうか。もしかしたら、自分との再会すらどうでもよかったのかもしれない。
 そんなことを考えると、ミノリはよけいに虚しく思えてきた。
「どうせ、コースケさんにとっては……」
「見ようと思えばこれから何回でも見られるんだ。今年一度くらい見逃したって、どうってことないだろ」
「…………え?」
 その言葉が脳に届くまでしばらく時間が掛かった。そしてその意味を理解するのにはさらに時間を要した。
 ミノリはぽかんと西崎を見つめる。当の本人はそれまでとなんら変わりない表情でそこに立っていた。
「それ、どういう意味に取ればいいんでしょう」
「さあ? お前の好きなように取れば?」
「……私、ものすごく都合のいい解釈をしちゃいますよ」
「都合のいい解釈ができるように言ったからな」
 さあどうぞ、とも、やれやれ、とも取れるように、西崎は両手を広げてみせる。
 それでもミノリは西崎の言葉の真意を図りかねていた。西崎はそれ以上何も答えようとしなかったし、ミノリも返す言葉が浮かばなかった。ただ、全身に体温が戻ってくるような気がして、さっきとはまったく違う涙が込み上げてくるのを感じた。
 しばらく無言が続いたあと、西崎は思い出したように携帯を取り出した。ディスプレイに目をやり、驚いて白い息を吐く。
「げ、もう一時じゃねぇか。帰るぞ。ここにいたら本当に凍死する」
 そう言うと、返事も聞かずに歩き出した。固まったままのミノリを置いて、一人車へと向かっていく。ミノリは立ち尽くしていたが、遠ざかっていく姿を見てようやく意識を取り戻した。慌てて西崎を追いかける。
 歩幅の違う二人分の足音が広場に響き渡った。もう辺りに他の人影はない。
「来年も、再来年も……その先もずっと、一緒にクリスマス、過ごせますよね? ここでツリー、見られますよね?」
 自分の一歩前を歩くその背中に問いかけた。期待と不安が入り混じり、その声はわずかに震えていた。
 西崎は足も止めず、振り返りもしない。なかなか答えが帰ってこないため、不安ばかりが膨らんでいく。やがてその感情がはち切れそうになり、ミノリが堪えきれなくなったのを見計らったかのように、西崎は呟いた。

「ミノリがそうしたいなら」

 独り言のようなたった一言。
 けれどそれは、今までに聞いたどんな言葉よりも嬉しかった。きっと自分が一番欲しかった言葉だ。
「――はい!」
 ミノリは満面の笑みで大きく頷いた。
 頬が紅潮しているのが自分でもわかる。西崎がどんな表情で言ったのか、それを見られなかったのが少し残念だ、なんて思ったりもした。
 相変わらず西崎はこちらを見ようともしない。それに続く甘い言葉の一つも掛けてくれない。きっとこの先もずっとこの調子なのだろう。それでもミノリは、今の思いをそのまま素直に口に出した。
「コースケさん。私、今すごく幸せです。クリスマスなんて目じゃないくらい」
「……俺も」
「え?」
「なんて、言うと思ったら大間違いだぞ」

 あまりに彼らしい言葉。これが、岡本ミノリの好きな、西崎コースケという人物だ。
 メリークリスマス。



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