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碧乃さんの冥探偵日誌

依頼その6の4


「それはずばり、九重区七不思議その25・黒魔術の家です!」
 開口一番、都市研会長殿はそう言った。
 飲み会の翌日、午前九時。私が事務所を訪れると、ほどなくしてなる子ちゃんもやってきた。特に用があるわけではないが、休日の朝や平日の放課後は、こうして事務所に顔を出すのがいつからか彼女の習慣になっていた。
 ちなみに本日、石蕗さんと楓ちゃんは不在。なんでも朝早くふたりしてどこかへ遊びに出かけたらしい。楓ちゃんいわく、デートとのことだが……正直、顔を合わさずに済んだことにはほっとした。
 三人きりの事務所で、私は昨夜、帰り道で見かけた不審な人影について話した。それに対するなる子ちゃんの回答が冒頭の台詞であり、続く詳細が、
「ひとり暮らしの父親が、亡くなった娘を黒魔術で蘇らせようとしているのです! もう一年近く前から噂されてる話ですよっ」
 これだ。
 さすがはわが後輩。なんでもかんでもオカルトにこじつける若さあふれる思考回路、元オカ研会長として嫌いじゃないぞ。「しているらしいのです」ではなく、「しているのです」と断定しているあたりがじつにすばらしい。危なっかしくて。
 また始まった、という言葉を飲み下し、生温かい微笑みで見守る私と先生をよそに、なる子ちゃんは両手を胸の前で握りしめて真剣そのもので語る。
「その男性、家から出てくる気配がまったくなくて、近所の人たちも顔を合わせたことがないという話です。わたしも以前、調査に出向いたことがあるのですが、昼間でもカーテンが閉めきられていて、怪しげな雰囲気満点でした!」
 なる子ちゃんは、かたわらのずいぶん大振りなバッグから一冊のアルバムを取り出すと、開いたページをこちらに向けた。
 これがその家です、と示した写真には、住宅地の一画にたたずむごく普通の一戸建てが写っている。クリーム色の壁に、ダークグレーの屋根の洋風住宅。しいて挙げるとすれば、窓という窓のカーテンがぴっちりと閉められ、だいぶ庭が荒れているところが目につくくらいだろうか。
「それもそうですけど、ほらっ、ここですここっ!」
 どうやら注目すべき点が違っていたらしく、なる子ちゃんが必死に指差したのは、家の屋根あたりだった。別に何の変哲もないように思えるけど……と首を傾げつつ目を凝らすと、そこにはかすかに白い球体が二、三個写りこんでいる、ようにも見えないこともなかった。
「オーブですよっ、オーブ! この家の禍々しい邪気に引き寄せられて集まってきているのです!」
「……これ、よくあるほこりかなんかじゃない?」
「ちっ、違いますよお! オーブです! 霊魂です! 霊的エネルギー体ですっ!」
「んー、じゃあ鑑定してもらおっか」
 別に心霊写真を否定しているわけではない。少なからず本物はあると信じているし、なる子ちゃんの能力が嘘ではないことも知っている。ただ、この手のオーブは、その半数以上がフラッシュで反射したほこりやら虫やらレンズの傷やら雨粒やら、なんてことのない正体であることも事実なのだ。
 そんなわけで、ここは本職のかたに真偽を見極めていただこう。
「どうですか? 先生」
 アルバムから抜き取った問題の写真を、デスクに座る先生に差し出す。先生は、受け取った写真を宙にかざして見つめていたが、ややあって、
「残念だけど」
 と、申し訳なさそうな笑みとともに告げた。
「そぉんなあああ……」
 がっくりとうなだれるなる子ちゃん。その頭をなでてよしよしとなぐさめる私。フォローするように先生が口を開いた。
「でも、ちょっと雑霊が多いかな。確かにこの家に集まってきているみたいだね。まあ、そうめずらしいことでもないんだけど……」
 たとえばその家で不幸があったり、付近で事故や事件があったりしたときには、一時的に周辺の霊密度が高くなることもあるのだ、と先生は説明する。
 私となる子ちゃんは、ぴくりと同時に顔を上げた。
「二、三日もすれば自然と霧散して元どおりになるんだけどね。……って、ん?」
「「どこに写ってるんですかッ!?」」
 ばしりとデスクに手を突き、ふたり揃って先生に詰め寄った。
 雑霊? そんなの気づかなかったぞ!?
「えっ? えーと、全体的に写り込んでいるんだけど……特に濃いのは、このへんとか、このへんとか」
 先生は気おされたようにのけぞりながら、写真に人差し指で円を描くしぐさをした。
 このへん(二階のベランダ)とか、このへん(庭木の影)とか。しかし私には、そしておそらくなる子ちゃんにも、それは雨風にさらされたただのベランダや、手入れの行き届いていないただの庭木にしか見えなかった。
 私となる子ちゃんは無言で見つめ合うと、弱々しく首を振り、同時に深くため息をもらした。
 不公平だ……。
 すっかり気落ちした私たちを前に、先生はあわてて写真から話題を変えようとする。
「そっ、それで如月さん。その『黒魔術の家』と、碧乃君が見た不審な人影と、いったいどういう関係があるのかな?」
「それはですねっ!」
 七不思議の話になったとたん、瞬時に元気を取り戻すなる子ちゃん。……この切り替えの早さは見習うべきだろうか。
「やはり儀式をおこなうのは深夜と相場が決まっています。この家の男性が、夜な夜な人目をはばんであたりを徘徊しているのですよ!」
「……なんのために?」
「ですからっ、娘を蘇らせる黒魔術をおこなうためですよ! きっと代償となる贄を探しているのです。そしてとうとう目をつけられてしまったのが、今回の依頼者さんというわけですっ!」
「…………」
 今度は先生と無言で見つめ合ってしまった。
 ああ、なんだか思い出すなあ。初めてなる子ちゃんと出会ったあの日のこと。あれからちっとも変わっていなくて、どころかパワーアップすらしていて、先輩は嬉しさのあまり泣けてくるよ……。
「じゃあ、あのまま人影を追っかけていたら、今ごろ私は魔方陣の上で、トカゲのしっぽやらコウモリの羽やらと一緒に大がめの中でぐつぐつ煮込まれてる運命だったのね……。あな恐ろしやー」
「……先輩、信じてませんね?」
 むっとした様子で、なる子ちゃんがめずらしく反抗的な目をこちらに向ける。さすがに怒らせてしまったらしい。
 私は素直に非を詫びた。黒魔術うんぬんはさすがに創作としか思えないが、不審者が出没する付近に怪しげな家があり、めったに外出しない住人がいるらしいことは確かな情報だ。今回の依頼にかかわっていないとはあながち言いきれない、かもしれない。
 なる子ちゃんはころりと表情を変え、うむうむとうなずいた。
「佐枝津周辺には、ここのところいろいろな噂が立っていますからね。今日もこれから最新の七不思議、『みなぎわの少女』を調査しに行くところなのですよっ」
 それで土曜だというのに制服を着込んでいたらしい。
 とりわけて童顔な彼女だ。私服でうろつこうものなら、夕方五時を過ぎたところでおまわりさんに呼び止められ、「お嬢ちゃん、もうおうちに帰ろうね」と帰宅をうながされてしまうのが常だという。そのため、休日とはいえ、フィールドワークという名のオカルト探しの際には、こうして誠明高校の制服に身を包み、生徒手帳を肌身離さず携帯しているのである。
 話は戻り、
「みなぎわの少女?」
「はいっ! 九重区七不思議その60です!」
 いわく、佐枝津を流れる伏巳川ふしみがわの岸辺で、深夜、ひとりで遊んでいる幼い少女がいるのだという。なんでもつい最近、その河原で殺された少女の霊らしいが――
「殺された少女ねえ……。なる子ちゃん、現場に向うより先に、事実確認をしておいたほうがいいかもね」
 私と先生は苦笑するが、なる子ちゃんはひとりクエスチョンマークを浮かべるだけだった。
 三ヶ月ほど前、確かにあの河原で殺人事件が起こった。けれどなる子ちゃんの言う噂はデマだろう。なぜなら殺されたのは少女ではなく、籠目学園高等部に通う男子生徒だったからだ。事件の詳細があまりおおやけになっていないのは、遺体の状態が異常だったことと、犯人が同じ高等部の女子生徒だったためである。
 なぜ私がそんなことを知っているのか?
 わが探偵事務所のコネクションをなめてもらっては困る。ほかでもない、実際に現場を目の当たりにした、少々口の軽いヘビースモーカーな刑事さんから直接話を聞いたからだ。
 とはいえ、さすがにこれ以上、秘密事項を広めるわけにはいかないだろう。申し訳ないが、なる子ちゃんには教えることはできなかった。しかし本人はたいして気にしていないどころか、むしろやる気満々といった様子で、
「それでは不肖、如月 なる子、七不思議その60の調査に赴きます。報告はのちほどっ。ではっ!」
 と告げるや否や、事務所を飛び出してしまった。階段を駆け下りるあわただしい足音と、そちらも黒魔術の家についてなにかわかったらお知らせくださいね〜! という声を響かせて。
 嵐が去り、私と先生だけが、ぽつんと事務所内に取り残されたような気分になる。
「……あれ、私たち、七不思議その25を調査するのが今回の仕事でしたっけ?」
「……違ったと思う、たぶん」

*  *  *

 破天荒な後輩のおかげで、あやうく本来すべきことを見失うところだったが、十時をまわりクライアントが来訪したため、無事依頼内容を思い出すことができた。それはもういやというほど思い出すことができた。というかいやだった。
 ……この依頼、断りたい。
「つい昨日も英会話教室の帰りに変な男を見かけましてねえ! 電柱の影からじいっとこちらを見てるんですのよ? んもーおアタクシ怖くって怖くって。警察に相談してもあのかたたち、ちいーっとも力になってくださらないのね。『ひとり歩きはできるだけさけて、家の戸締りをきちんとおこなってください』ですって。アータそおんなこと当たり前のことじゃないの! ほおんと頼りになりませんのね。それでアタクシ、習い事のお友達に相談しましたの。そしたらやっぱりそういうことは専門のかたに頼んだほうがいいってみなさん言うものですから、お宅に依頼することにしましたのよ。だあーってアータ、もしなにかあってからじゃあ遅いでしょお? このごろはどこも物騒ですもの。ほら、いつだったか高校生が殺された事件があっ」
 ――これ以上は脳が受け入れを拒否しました。
 クライアントの女性は、応接ブースに通されるが早いか、怒涛のマシンガントークでことのあらましをまくし立てた。もうかれこれ一時間近くしゃべり通しているが、私の頭にはその内容などろくすっぽ入ってこなかった。……頭に入れる気がないともいう。
 それは先生も同じだろう。最初こそ「なるほど」「はあ」などと相づちを打っていたが、今はあきれなのか困惑なのかはたまた疲労なのか、そのどれでもないようであってそのどれでもある、複雑であいまいな薄笑いを浮かべてどこか遠くを見ているだけだった。
「ねえ〜、カトリーヌちゃんも怖いでちゅよねえ〜」
 女性がひざの上で丸まっている飼い猫をなでる。
 白くてもこもこしたデブ猫……じゃない、貫禄たっぷりのにゃんこ。ぺちゃっとつぶれた鼻が特徴の、エキゾチックという種類だったはずだ。しかし、私が知るエキゾチックは、ぶちゃいくながらも愛嬌があって……いや、ペットに罪はない。悪いのは健康管理のできない飼い主だ。
 カトリーヌちゃんは金色の目を眠たげに開くと、低くうなるように「な〜ご」と一声鳴いた。
「それじゃあ高橋さん、調査のほう、よろしくお願いいたしますわね」
 そう告げると、女性はカトリーヌちゃんをよっこらせと両手で抱きかかえ、事務所をあとにした。
 本日ふたつめの嵐が去った。しかも今回は初めて遭遇するハリケーンだ。もろに巻き込まれた私と先生は、しばしソファーで放心するほかなかった。
 思考を拒否する頭で、なんとか女性の話の要点をまとめようと試みる。が、思い返せば思い返すほど、依頼にはなんの関係もない与太話ばかりだったことを痛感した。あれだけしゃべり倒しておきながら、男の容姿や行動や見かけた場所や日時など、具体的な内容は何ひとつ含まれていなかったのだ。いったい何しにわざわざ事務所へ訪れたというのだろう。
 ――いや! そんなことより!
「若い女性を付け狙うストーカー? 『若い』の範囲もずいぶん広くなったものですねえ先生!」
「いや、それを言ったのは碧乃君だけど……。僕は依頼人が若い女性だとは一言も」
「言ってませんでしたけど、じゃああんな三角眼鏡の紫パーマなご婦人だと思っていたんですか!?」
「……思ッテマセンデシタ」
 先生はこうべを垂れて縮こまった。私はゆるゆると首を振り、
「すみません。先生が悪いんじゃないことはわかってます。ただ、いろいろと衝撃が大きくて……」
 特に、事務所のドアが開き、クライアントの姿を目にした瞬間が一番強烈だった。
 現れたのは、どうひいき目に見ても五十歳オーバーのご婦人。ペットは飼い主に似るというが、カトリーヌちゃんと同じく大変ふくよかなお体を、やたらとけば、いや、派手なお召し物とアクセサリーで着飾っていらっしゃった。おまけに教育ママの象徴・フォックスフレームの眼鏡をかけ、齢を重ねた女性にのみ許された由緒ある髪型・淡い紫色のくるくるショートパーマの完全装備。その上、口を開けば古典的なマダム口調ときた。
 ここまで揃うと感動すら覚える。こんなカリカチュアそのままの人物像、いまどきガングロコギャルに次ぐ絶滅危惧種だろう。早急にIUCNに連絡すべきだ。
 つまるところ――
「ストーカー被害にあっているのが、まさかあんなおばさ……げふげふ、ご年配のかたとは思ってもみませんでしたよ」
 それが本音。率直な感想。
 まあ、でも、いつどこで誰が誰から狙われているのかわからない時代だ。世の中には常識から大きくはずれた嗜好や性癖の持ち主も少なからずいる。今回のストーカー男も、そんな物好きのひとりだったのだろう。
 …………。
「本当につきまとわれてるんですかね……? 勘違いとか自意識過剰なのでは……」
 やはりどう理由をこじつけても、自分を納得させることはできなかった。
「僕もそれは否定できないけど……でも、ほら、依頼は依頼だからさ。勘違いならそれでよし。何もないに越したことはないからね。だから、その、あれだ……がんばろう、ね」
「おー……」
 士気は下降するいっぽうの高橋探偵事務所だった。これなら黒魔術の家とやらの調査のほうが、よほど意欲がわくというものだ。
「それでザマス夫人、じゃない、田増夫人のためにわれわれは何をすべきなんでしょう?」
 私が尋ねると、先生はソファーから立ち上がり、デスクへ向かった。
 田増夫人の話の中にあったわずかな情報を思い返すと、確か彼女はこのあとスイミングスクールに行く予定だったはずだ。ここで夫人の水着姿を想像してしまわないよう慎重に記憶をたどりながら、そのときの言葉を回想する。
 ――不審な男を見かけるのは自宅周辺だけなので、護衛はいらないと、そう言っていた。正確には、「アータたちにずうっと見張られているっていうのも落ち着きませんわねえ……。だいいちプライバシーの侵害にあたるんじゃなくて? お出かけのときまでついてこられなくてけっこうでしてよ」、だ。外出のとき護衛しなくていつしろという話である。……まあこちらとしても、二十四時間、夫人の行動をつぶさに観察していたいとは思わないけれど。
 田増夫人に記入してもらった書類に目を通すと、先生は言った。
「とりあえず、明るいうちに自宅付近を調べておこうか」

*  *  *

 田増夫人の自宅は、事務所から歩いていけるほどの距離だった。佐枝津一丁目から二丁目にまたがる新興住宅地の中の一軒がそれだ。とりわけて高級住宅地というわけではなく、限られた土地を奪い合うように家屋が密集している。本人はセレブを気取っていたが(ただしかなりかたよったイメージ像)、その中に埋もれる田増夫人宅も、ごくごく標準的な家だった。
「このへん、入り組んでるから奥まで入ったことなかったんですけど、本当に目と鼻の先ですねえ」
 何がというと、私が居住しているアパート・おとぎり荘との距離である。内装・外装・立地条件もろもろを二の次に、名前だけで即入居を決めてしまったこのアパートだったが、ミイラも鎧も徘徊していなければ怪魚の影さえ見えない、いわくのいの字も付いていないじつに味気ない優良物件であった。チンチコーリ!
「しかもなんだか見覚えがあると思ったら……」
 田増家の前で足を止め、路地を挟んだ向かいを見やる。なんとそこにあったのは、
「九重区七不思議その25・黒魔術の家!」
 なる子ちゃんに見せてもらった写真のとおり、昼間でもカーテンが閉めきられていて、一見すると空き家にも思える。そんな噂の家を見上げ、先生は力なくつぶやいた。
「どうしよう……いやな予感しかしない……」
「この家が今回の依頼にかかわっていないことを願いばかりですね……」
 もしくは、なる子ちゃんが、である。理由は言わずもがな。
 その後、周辺を一通り見てまわったのだが、不審者の姿はおろかそれらしい気配もなく、ごく普通の住宅がごく普通に立ち並んでいるだけであった。そもそも、つきまとわれている対象が不在のところをストーカー男がぶらついているはずもないだろう。この件が田増夫人の勘違いでなければ、本腰を入れるのは夫人が帰宅してからだ。
 住宅地を一周して、ふたたび田増家の前へ戻ってきたところで先生は言った。
「一度事務所へ戻って車を取ってこようかな……」
「今日は一晩張り込みですか?」
 うん、とうなずいて、先生は私の言葉を先読みしたように付け加えた。
「碧乃君はこのまま帰っていいよ。夜は僕ひとりで大丈夫だから」
「どうせ私なんかがいても役立たずだって言いたいんですねッ!?」
「そうじゃなくて……」
 両手で顔を覆い、大げさに泣きまねをしてみせる私に、先生は毎度おなじみの苦笑を浮かべる。それから言葉を選ぶようなしぐさをして、手伝ってもらえるのはすごく助かるんだけど、と前置きした。
 穏やかな表情が、ほんの少し真剣みを帯びる。
「この手の依頼には、あまり深入りしてほしくないんだ。……というか、今までが不用心すぎたんだよね。また前みたいに危ない目に遭わせるわけにはいかないから」
 前、というのは、防犯ブザーを携帯する原因となったあの暴漢事件のことだろうか。それともなる子ちゃんとのファーストコンタクト? そういえば拉致監禁まがいもされたし、殺されそうになったことも二、三度ある。思い返せば危ない目に遭ってばかりじゃないか、私。
 ……それでも今こうして無事に暮らせているのは、たぶん、この人のおかげなわけで。
「そう言われたら従うしかないじゃないですか、ずるいなあ」
 口をとがらせながらも聞き入れた私に、先生は安心したように表情をゆるめた。けれど、このまま素直に引き下がるのもなんだかしゃくに思えてしまう、そんなあまのじゃくな自分が顔を出してしまう。
「……でも、今のは六十点かな」
「え?」
「何があっても俺が守ってやるからついてこい! って言ってくれたほうが、女の子は嬉しいもんですよ?」
「……勉強になりました」
 ま、先生はそんなキャラじゃないけれど?
 そんな会話をしながら住宅地の入り口で先生と別れると、家々の窓から夕食の香りがしはじめた通りを、私はひとり、アパートに向かって歩きだした。

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