昔からこの名前は嫌いだ。

ガキみたいなあいつは、ガキみたいに心底うらやましがってたけど。

そんなに欲しいならくれてやりたいくらいだ。


||| ア オ |||


「おい待てよユニ! まさかまた行くつもりじゃないだろうな?」
 半分怒って、半分あきれたその言葉に、「ユニ」と呼ばれた少年が立ち止まる。
「うん。今日は西の森の方に行ってみようと思うんだ。まだあっちの方は行ったことないから」
 振り向いて嬉しそうにそう答えると、ユニはまた走り出した。後ろからもう一人の少年が慌てて追いかける。
「待てってば!」
 もう一人の少年はユニの走るペースに合わせると、隣に並んで話しかけた。
「おまえな〜、いい加減あきらめたらどうなんだ? 見つかるわけないっつーの!」
「…………」
「第一おまえ、本気でまだそんなこと信じてるのかよ? 今どき初等部のガキだってそんなこと信じてないぜ?」
「………………」
「おいユニ、聞いてんのか?」
「〜〜〜〜っ!! うるさいなぁ! そんなこと言うならついてこなければいいじゃん!」
 ユニは大声でそう言うと、ブルーはいっつもそうなんだから! とさらに足を速めた。しかし隣を走るブルーもペースを上げる。
「だから! オレが一緒に行って、ないってことを証明してやるんだよ!」

 東の森に着くと、ユニは真っ先に高台を目指した。もちろんブルーもその後をついていく。
「あそこなら遠くまで見渡せるし、灰色の切れ目も見えるかもしれない!」
「そんなわけないだろ」
 相変わらずの言いぐさに、ユニはまた怒ったような顔をした。
「……なんでブルーにわかるんだよ」
「なんでも! あるわけないんだよ、大体」
「登ってみるまではまだわかんないよ」
 そんな言い合いを繰り返しながら、二人は高台へと進んでいった。

「あれ?」
 ユニが何かを見つけてそう言ったのは、ちょうど高台のふもとまで来た時だった。
 突然入り口とは反対の方向に歩き出したユニ。そのあとをブルーが追う。
「なんだよ?」
「あのへんになんか白いものが……あっ!」
「だからなんだよ?」
 ユニが驚いた声と同時に走り出す。不思議な顔をしながらブルーそれに続いた。
「……この人……」
 イライラしたようにユニの後ろから覗きこんだブルーだったが、「だから一体なんだって……」のところで止まってしまった。
 呆然と立ちすくむ二人の目の前にいたのは、きらきらと輝く金色の長い髪に、純白の服。そしてそれ以上に真っ白な翼を背に持つ者――
「『天使』だ……」
「……ああ」
 しかし、その白い服はところどころ破れていて、そこからは赤い血が滲んでいた。どうやら大怪我を負っているようだったが、それ以上に二人の目を引くものがあった。
「この人……この天使、羽根が片方しかない!」
「…………」

*  *  *

 その翌日。
「ただいまー……あ! 目が覚めたんだね! ブルー! 来てよブルー!」
 ユニは家に入った途端、そう叫ぶとベットに向かって走り出した。そこにあるのは、上半身を起こし、辺りを不思議そうに見回す片翼の天使の姿。駆け寄ってくるユニとその後ろのブルーに気づき、天使はこちらに視線を向けた。
「……ここは……? それに君たち……」
 言葉を確認するように、天使はゆっくりとそれだけ言った。
「ここは俺の家だよ。俺はユニ、こっちはブルー」
「ユニ……ブルー……。もしかして、この傷の手当ては君たちが?」
「うん。ひどい怪我だったんだよ? 東の森で倒れてて、ここまで運んでくるの、すごく大変だったんだから」
 ユニは椅子を二つ持ってくるとベットの横に置き、一つは自分が、そしてもう一つはブルーが座り、これまでのいきさつを話した。ユニは楽しそうに話すのだが、ブルーはその間黙ったままだった。
「そうか……ありがとう。おかげで助かったよ」
「ううん。まだ傷が治りきってないから、しばらくはここにいるといいよ。……ところで、あなたの名前はなんていうの?」
「……名前?」
 その質問に天使は目を丸くしてたが、すぐに何かを思い出したように笑って言った。
「そうか、『ユニ』と『ブルー』……。そうだった、人間には名前があるんだった」
「天使にはないの?」
 ユニが驚いたように尋ねる。
「うん。天界では名前なんて必要ないんだ。僕は『天使』。それ以上の名前はないよ」
「そうなんだ……。じゃあ『天使』さんね。でも天使さんを見つけた時はびっくりしたよ。まさかあんな所に天使が倒れてるなんて! ねぇブルー」
「そうだな……」
 ブルーはやっと口を開いた。
「オレも驚いた。天使なんて見たことなかったから。……なんであんな森に? しかもそんな大怪我で」
 ブルーは本当に驚いているようだったが、しかしその口調にはどこか刺があった。
「ああ……ほら、僕は見ての通り羽根が片方しかなくてね。飛ぶのはあまり得意じゃないんだ。それでちょっと気を抜いた途端、天界から真っ逆さま! ってわけ。間抜けでしょ?」
 天使のジェスチャー付きの説明に、ユニは思わず吹き出してしまった。しかし、すぐに何かに気がついたようにはっとして口を閉ざした。
「どうしたんだよ」
「……天使さんは、天界から落っこちてきたんだよね?」
「そうだけど?」
 ユニは黙りこくり、しばらく何か考えているようだった。しかし急に顔を上げると、嬉しそうに声を上げた。
「やっぱり!」
「何がやっぱりなんだよ」
「天使さんは天界から、つまり“仕切り”の上から落ちてきた……。それって、つまりは灰色の仕切りに切れ目があるってことだよ!」
「切れ目……?」
 天使が不思議そうに言う。また始まったよ……と呆れ顔ブルーの隣で、ユニは声を弾ませている。
「そうだよ……やっぱりあるんだ!」
「もしかして、ユニは“空”を探してるの?」
「うん! 青い空をね!」
 そう言うと、ユニは天使に自分が空を探していることを嬉しそうに話し出した。ブルーはやはり、その間ただ無言で聞いているだけだった。
「なるほどねぇ。ユニは空を探してるのか」
「ねぇ、天使さんは天界に住んでるんだから、もちろん空を見たことあるんでしょう!?」
 ユニが興奮気味に言う。天使はそんなユニの様子に苦笑しながら答えた。
「もちろんあるよ。……聞かせてあげようか?」
「うん!」
 どうやら話は長く続きそうだ。ブルーは大きくため息をついた。

 次の日も、その次の日も、学校でユニが休み時間ごとに話すことは、決まっていつも天使から聞いた空の話だった。ブルーは毎回、「ああ」とか、「へー」とか、適当な返事を返し、ろくに話も聞いていなかった。けれどユニはお構いなしで話し続ける。初めて聞く青空の話が本当に嬉しいのだろう。
 そんなユニにうんざりしている様子のブルーだったが、学校が終わるといつもユニの家に立ち寄っていた。帰ってくると、大抵天使はベットに腰を掛けて窓の外を眺めていた。見つかると大騒ぎになるため、外に出ることはできないのだ。幸いなことにユニは一人で暮しているため、天使が他の人に見つかる心配はなかった。
 そして、天使がユニの家に来てから一週間が過ぎた。

「もう完全に傷は治ったみたいだね」
「うん。これもユニとブルーのおかげだよ」
 いつも通り二人が学校から帰ってきたその日、とうとう天使は天界に帰ることを告げた。
「二人には色々とお世話になっちゃったね。ありがとう」
「ううんそんな! 俺の方こそ、空の話たくさん聞けて嬉しかった。そっか……帰っちゃうのか……」
「うん、あまり長居はできないからね」
「……あっ、じゃあさ、晩ごはんだけでも食べていってよ! ブルーも! 今日はご馳走作るから!」
 そう言うと、ユニは二人の返事も聞かずに台所へと走っていった。部屋にはブルーと天使の二人だけが残され、気まずい雰囲気が流れる。結局この一週間、この二人の間に会話らしい会話はなかった。
 しばらくすると、バタバタと慌しくユニが部屋に戻ってきた。そして、
「卵切らしてた! すぐ買ってくるから二人とも待ってて!」
 それだけ言うと、また二人の返事を聞かずに外へ飛び出していってしまった。
 またしても二人きりで残されたブルーと天使。しばらく沈黙が続く。最初にその沈黙を破ったのは天使の方だった。
「君は僕のこと、嫌ってるみたいだね」
 突然そう言われ、ブルーは天使を睨んだ。
「……別に」
「そうなの? 僕の勘違いかな」
「……あんた、ホントの目的はなんなんだ?」
 ブルーのその言葉に天使は少しだけ驚いたようだったが、すぐに笑顔で答えた。
「やっぱり見えてたんだ」
「ああ」
「うーん……珍しいなぁ、人間なのに。じゃあ特別に教えてあげよう」
 そう言って天使は自分のことについて語り出した。
「僕はね、『堕天使』なんだ。天使と悪魔のハーフってわけ。
 人間の君は知らないと思うけど、天界って所はホント潔癖症な奴らばっかりで。僕みたいな混血は、そりゃもう肩身が狭いのなんのって。『異端者を排除するため』とかなんとか言ってさ、ほら、君たちで言うところの『イジメ』ってやつ? ひどいもんだったよ。
 まぁ天界はそんな最低な所なんだけどさ、魔界はそうでもないんだよね。むしろあっちは実力主義。力さえあれば、混血だろうと異端だろうと全然構わないのさ。……だから僕は決めたんだ」
「……魔界へ行こうって?」
「そ。でもそれがさ、なんでか知らないけど天界の奴らに知られちゃったんだよね。それで今度は『裏切り者だ』って言われて、罰として地上へ真っ逆さま。あれ絶対殺す気だったよ。
 でもまぁ好都合だったけどね。……知ってる? 天使が魔界へ仲間入りする方法」
「……知るわけないだろ」
「“人間を殺すこと”、だよ」
 その時、天使の背中にないはずのもう片方の翼が現れた。白い翼とは正反対の、闇に溶ける漆黒の翼―― それは、森で天使を見つけた時からブルーだけに見えていた、“見えないはずのもの”だった。
 険しい表情でブルーが言う。
「ユニをその生贄にするつもりなのか……!?」
「……そうだよ」
 その言葉で、ブルーの体に一瞬にして緊張が走る。しかし天使は穏やかな口調で続けた。
「正確にはそのつもりだった、かな」
「……?」
「あの子は……ユニは僕には殺せない」
「……命の恩人だからか?」
「それもあるかもね。でもそれ以上に……ユニは純粋過ぎるんだ」
 天使はブルーから視線を外すと、窓の外を眺めた。夕日が沈みかけ、辺りはだいぶ暗くなってきている。
「心がね、真っ白で綺麗過ぎるんだ。『天使』っていうのは、僕や、天界にいる奴らなんかことじゃなく、ああいう綺麗な心の持ち主のことを言うんじゃないかな……。だから、殺せない」
「天界に青空があるって、あんな御伽噺を信じてることを言ってんのか?」
「君は信じてないの?」
「当然だろ! あんた、ユニにずっと嘘ついてたんだろ。『天使たちが空を連れて帰って灰色の仕切りを敷いた』? 確かに昔は人間と天使が一緒に暮らしていて、争いが起こったっていうのは本当だろうけどな。でもその争いの原因も、空がなくなった理由も、全部人間のせいじゃないか!」
 むきになったように話すブルーに、天使は感心した様子で言った。
「へぇ……君は本当の“この世界ができたお話”を知ってるんだ」
「知ってるさ! 本当は――」

「ただいまー!」
 玄関からユニの明るい声が聞こえ、その場の空気が一瞬にして和らいだ。
「遅くなってごめん! すぐ作るから!」
 ユニが夕食の準備を始めると、ブルーも天使も、話の続きをしようとはしなかった。

*  *  *

 夕食を済ませた三人は、天使を見つけた最初の場所、東の森に来ていた。
「それじゃあお別れだね」
「うん……」
「そんな顔しないでよユニ。別れるのがつらくなる」
「うん……」
 今にも泣き出しそうなユニの頭を、天使は優しくポンポンと叩いた。
「俺……空、探しつづけるから。天使さんが話してくれたような青い空、絶対見つけてみせるから!」
「うん。きっと見つかるよ」
「うん!」
 ユニは笑顔で大きく頷いた。それを見て、天使は安心したように微笑む。
「それじゃあ」
 そう言って飛び立とうとした天使をブルーが引き止めた。
「待てよ! どーすんだよ、これから」
「心配してくれてるの?」
「……誰が」
「ありがと。でも大丈夫だよ。僕は頑張って天界で生きていくことを決めました」
「いいのかよ、それで」
「いいんです」
 二人の会話に、ユニ一人だけが不思議な顔をしていた。
「本当はね、ユニの代わりに君でもいいかなー、とも思ったんだけど。……やっぱりダメだった」
「……?」
 天使の言葉に、ブルーはわけがわからない、という顔をした。
「ユニはね、どうしてもダメだったんだよ」
「それは聞いたよ。綺麗すぎんだろ」
「そ。君もね」
「は〜ぁ!?」
 ブルーは思いきり間抜けな声を出してしまったが、その意味を聞こうとする前に、天使はすでに飛び立ってしまっていた。「じゃあね〜」なんて、頭上でひらひらと手を振っている。白い翼と、なかったはずの、もう片方の翼を広げて。
 しかし夜の空に溶けこんだその翼は、ユニの目に映ることはなかった。

 その帰り道。
「……ホントに帰っちゃったね」
「……ああ」
 さらに暗くなった道を、ユニとブルーの二人が並んで歩いていた。
「なぁ、ホントにまだ探すのか? 空」
「当然!」
「あっそ……」
「もちろんブルーもついてくるんでしょ?」
「はぁ!? なんでオレが」
「一緒に行って、ないってことを証明するんでしょ?」
 ユニが悪戯っぽく笑って言う。
「あ〜〜〜そうだよ! オレがないって証明してやんの!」
「なんでかなー。ブルーって、『ブルー』なのに青空信じてないんだもんねー」
「関係ないだろ、それは」
「でもさ、きっと“青空”って、そんな感じなんだろうね」
「……?」
 ユニの言葉を理解できず、ブルーが立ち止まる。ユニは笑いながらそんなブルーの髪を指差して言った。
「天使さんが言ってたよ。『“青空”っていうのは、ブルーの髪みたいな綺麗な青なんだよ』って」
「…………」
 ユニは楽しそうに先を歩いていくが、ブルーはぽかんとしてその場に立ち尽くしていた。

「……あの天使……」

昔からこの名前は嫌いだった。
ガキみたいなあいつは、ガキみたいに心底うらやましがってたから、
ずっとコンプレックスだったんだ。
名前も、髪も。
けど、あいつが見つかるはずない空を探し続けるなら、オレはずっとついて行こうと思う。
そうすれば、あいつはずっと、青空のもとにいられるはずだから。

……そーゆーことだろ? 天使。

では最後に、『本当のこの世界ができたお話』をどうぞ。