+CLOVER+

ガルトニアの章
− 花はしどいの恋人 2 −


 部屋の中は静まり返っていた。カチャン、とカップをテーブルに置く音が響く。クローバーは先程から言葉を交わさない二人を不思議そうに眺めていた。
「その、さっきは驚かせてしまってすみませんでした」
 いたたまれなくなったアスターがようやく口を開く。女性も慌ててそれに答えた。
「いえっ、こちらこそすみませんでした」
 そこで再び沈黙。
 しばらく経ってから、今度は女性の方が話しかけた。
「あの、今日はもう遅いですし、よかったら泊まっていってください。ここからだと町までまだ距離がありますし……」
「ありがとうございます。でも」
 アスターはそこまで言って言葉を濁した。そして何か言いたげな視線を送る。女性はそれに気づき、慌てて付け足した。
「私がロゼアだから警戒なさってるんですよね?」
「あっ、いえ、そういうわけでは……。ただ、こうやってガルトニアで暮らしているロゼアの方がいるとは思わなかったもので」
 アスターは申し訳なさそうにそう言った。それを聞き、女性は苦笑いする。
「私、オーツの兵に捕まったところを脱走してきたんです。今もある人にかくまってもらっていて、それでこんな森の中に隠れ住んでいるんです。さっきはその人が帰ってきたのかと勘違いしてしまって」
「ある人?」
「ええ。その人もあなたと同じオーツの方です。……あなたは私がロゼアなのに、こうやって普通に話してくださるんですね」
 そう言われ、アスターは一瞬驚いたような顔をした。しかしすぐに表情を和らげて答える。
「僕は別に、ロゼアだというだけですべての人が敵だとは思っていませんから」
「そうですか……」
 安心したように笑う女性を見て、アスターは心内で思った。
 ――綺麗ごとだ。散々ロゼアの兵を殺してきた自分が言える台詞ではない。
 その時、女性が思い出したように声を上げた。
「そう言えば、まだお名前を窺っていませんでしたね。私はリラといいます。あなたは?」
「ああ、そうでした。僕はアスターです。こっちは……」
 そう言って隣に視線を移すと、それまで黙って二人の話を聞いていたクローバーが嬉しそうに言った。
「クローバーです!」
「アスターさんに、クローバーちゃん? 随分変わっているけど可愛らしい名前ですね」
「アスターがつけてくれたの」
 クローバーは満面の笑みで答えるが、その隣のアスターは苦笑いしていた。
 やはり誰が聞いても変わった名前らしい。もっとちゃんとした名前を付けてあげればよかったな、と今さらながら後悔する。
「あっ」
 再び女性――リラが声を上げ、今度は同時に突然立ち上がった。
「どうしたんですか?」
「帰ってきたみたいです。さっき話した、私をかくまってくれている人。ちょっと待っててくださいね」
 リラは嬉しそうにそう告げると玄関へと向かった。遠くからリラの「お帰りなさい」と言う声と、それに答えるもう一人の人物の声が聞こえる。どうやらリラをかくまっている人物とは男性らしい。
 しばらくして二人分の足音がこちらに近づいてきた。ロゼアをかくまうなんて一体どんな人物だろうと、アスターは部屋の入り口に視線を向ける。しかし、ドアが開いて真っ先に飛び込んできたのは男性の大声だった。
「――ああッ!? おいリラ、なんでここに他の人間がいるんだよ!」
 そう叫んで振り返る。そのため顔を見ることはできなかったが、アスターはその人物が身に着けている服を見て驚愕した。
 しかしリラはそんなアスターに気づかずにこやかに答える。
「旅をしているそうなんです。もう今日は遅いし、こちらに泊まっていったらどうかとお話していたところで……いけませんでしたか?」
「いけないも何も、お前わかってるのか? お前はロゼア、こいつらはオーツ! なんのためにお前をこんな森ん中に隠してると思ってんだ」
「でもあなただってオーツなのに、ロゼアの私をかくまってくれているじゃありませんか。それにこの方たちだって、私がロゼアだからといって捕まえたり、攻撃したりするようなことはありませんでしたよ。大丈夫です」
「お前……」
 呆れたようにそう呟くと、男性はようやく振り返ってこちらに顔を向けた。
 一般的な茶色の髪に、同じく一般的な、髪より少し暗い茶色の瞳。その男性はアスターとほとんど変わりない年齢に見えた。
 男性はアスターを睨んで言う。
「お前、何か企んでんじゃねぇだろうな?」
「ライラック! 失礼ですよ!」
 リラが慌てて男性――ライラックを咎めた。疑いの眼差しを向けるライラックにアスターは言う。
「そういう君こそ宮廷騎士団員なのに、ロゼアをかくまっているなんて何か企んでいるんじゃないのか?」
「!」
 アスターの言葉にライラックは驚いて目を見開いた。
 ライラックが着ていた紺色の服。それは以前アスター自身が所属していた宮廷騎士団の制服だった。自分はもう二度と袖を通すことのない服だ。
 無言で睨み合う二人にリラはおろおろしてしまう。クローバーはそんな二人を見比べると、急に表情を明るくして言った。
「あの服、前にアスターが着てた服と一緒だね」
 その言葉にライラックは再び驚いた。
「お前も騎士団なのか? ……待てよ、アスター? お前、一番隊隊長のアスター=ハーチェリアか!」
「正確には『元』、だけどね」
「そうか……確かちょっと前にクビになったばっかりだったな。まさかこんな所でお目に掛かれると思わなかったぜ。元とはいえ、あの有名なアスター隊長にな」
「有名?」
「謙遜するなよ。騎士団でも一二を争う剣術の持ち主で、最年少で隊長に昇格。しかも騎士団最強の一番隊のな!」
「……今はもう全部過去の話だ。騎士団最強の一番隊も存在しない」
 皮肉たっぷりのライラックの言葉に、アスターは静かにそう答えた。
 二人のやり取りを聞いていたリラが首を傾げる。
「どういうことですか?」
「一番隊は壊滅しちまったんだよ。たかが一週間かそこらの遠征で隊員のほとんどを死なせちまって、隊長のコイツは騎士団から永久除籍。クビってわけだ。まさか隊員の憧れアスター隊長が、今は子連れの旅人に成り下がってたとはな」
 その言葉を聞いた途端、クローバーは立ち上がって叫んだ。
「アスターのことわるく言わないで!」
 クローバーに睨まれ、圧倒されたライラックは思わず言葉を呑む。部屋には重苦しい沈黙が流れた。
 クローバーは今にも泣き出しそうな顔でライラックを睨んでいる。睨まれているライラックはばつが悪そうに黙り込む。その後ろに立つリラは再びおろおろし始め、アスターの視線はどこか遠くに向けられていた。
 しばらくしてふっと息を吐き、その沈黙を破ったのはアスターだった。
「やっぱり僕たちは町まで行くことにします。ここで見たことはすべて忘れますから、安心してください。第一僕は、もう騎士団とは関わりのない人間なんですから」
 そう言って席を立つと、クローバーの手を引いた。クローバーは黙ってそれに従ったが、部屋から出て行こうとするアスターをリラが慌てて引き止めた。
「待ってください! クローバーちゃんもいるのに行かせられませんよ! ライラックが言ったことなら私が謝ります。だから今日はここに泊まっていってください」
「でも」
 アスターはそう言ってライラックに視線を移した。目が合ったライラックは顔をそむけ、ふんっと鼻を鳴らした。
「勝手にしろよ」
 それを聞き、リラは胸を撫で下ろした。ほっとした笑顔でアスターとクローバーに向き直る。
「それじゃあ寝室へ案内します。……といっても、物置部屋のような所ですが」
 リラは二人を奥の部屋へと案内した。ライラックは椅子に腰掛け、面白くなさそうにそれを眺めていた。

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