+CLOVER+

ガルトニアの章
− 花はしどいの恋人 3 −


「えーっと……」
 アスターは部屋の入り口に立ったまま、何やら考え込んでいるようだった。
 リラに案内された部屋は、確かに寝室というにはあまりに狭く、おまけに物で溢れかえっていた。ドレッサーや掃除用具が乱雑に置かれ、ベッドは部屋の隅の方へ追いやられている。だいぶ年季が入っているようだが、一晩寝るには十分だった。
 ただし問題が一つ。ベッドは一台しか置かれていなかったのだ。
 リラはそんなことなどまったく気にする様子もなく、それじゃあお休みなさい、と笑顔で部屋を出ていってしまった。
「仕方がない。床で寝るとするか」
 そう言って掛け布団を一枚手にしたアスターを、クローバーが不思議そうに眺める。
「アスターそんなところでねるの?」
「ああ、クローバーはベッドを使えばいいよ」
「一緒にねないの?」
「いや、それは……」
 体の小さいクローバーとなら、二人で寝ても十分ベッドのスペースはある。しかし子供とはいえクローバーは女の子だ。さすがに一緒に寝ることはためらわれた。
 アスターが返答に詰まっていると、クローバーも同じように掛け布団を手にしてアスターの隣に座り込んだ。
「じゃあわたしもここでねる」
 そう言ってころんと横になる。
「え? 待って待って! クローバーはベッドで寝ればいいって」
「いや。アスターがここでねるならわたしもここでいい」
「ここでいいって……」
「アスターが一緒にねてくれるなら、ベッドでねてもいいよ」
「クローバー……」
 敵わないな、と思う。
 強引にでもクローバーをベッドに寝かしつけることはできるのはずなのに、アスターにはそれができなかった。
「わかった。一緒に寝るから、ちゃんとベッドで寝よう」
「うん!」
 観念したようにそう言うと、クローバーは満面の笑みで返事をした。そして嬉しそうにアスターの手を引いてベッドへ移動する。
 数々の戦いで功績を残してきた元隊長も、どうやら本当にこの小さな女の子一人には敵わないらしい。

 部屋の明かりを消すと、途端に辺りが静まり返った。窓から射し込むわずかな月明かりだけが、並んで横になる二人をぼんやりと照らし出している。
「アスター」
 てっきりもう寝たのかと思っていたクローバーが、そう言って顔をこちらに向けた。
「『ろぜあ』と『おーつ』って、なに?」
 それはこの大陸に暮らす者なら必ず耳にする単語だった。当然クローバーも、アスターと行動を共にしてからもう何度も聞いている。
「さっきリラさんやライラックさんが言ってたでしょ? アスターもおしろで言ってたし……。どういう意味なの?」
「種族を現す言葉だよ。って、難しいか。うーん……簡単に言うと、この大陸で暮らす人たちを二つの種類に分けた言葉、かな」
「二つにわけた? だれが?」
「誰が? そうだなぁ、こういう言い伝えがあるんだ」

 神様はその地に二つの民をお創りになった。
 知の民・ロゼアと、力の民・オーツ。
 それぞれに異なる力を与え、
 互いに助け合い、支え合って生きていくようにと。

 大陸の者なら小さな子供でも知っている言葉だったが、クローバーは初めて耳にするかのように興味津々で聞き入っている。
「かみさま? かみさまがロゼアとオーツを作ったの?」
「まぁ、一応そういうことになってはいるけどね」
「でも、ロゼアとオーツはせんそうしてるんでしょ?」
 クローバーはそう言うと、急に悲しげな表情になった。そしてぽつりと呟く。
「かみさま、かわいそう」
「え?」
「かみさまは、ロゼアとオーツになかよくしてほしかったんでしょ? それなのにせんそうしてるなんて……。きっとそのかみさま、かなしんでると思う」
 そんなふうに考えたことなど一度もなかった。アスターにとっては、二つの種族が争い合っていることなど当たり前のことだった。それはアスターだけでなく、この大陸に暮らすほどんどの者がそう思っているだろう。
 もちろん戦争が終わって欲しいとは思う。けれど、今となってはそれは夢物語に等しい。
 答えが返ってこないアスターに、クローバーは再び尋ねた。
「どうしてせんそうしてるの?」
 それは本当に些細な疑問だった。けれど、すべての核心でもあった。
 戦争をしているのが当たり前すぎて、今では誰も疑問に思わなくなってしまったことだ。
「始まりは、マナの奪い合いだったんだ」
「マナ?」
「この世界のどの場所にもある、見えないエネルギーみたいなものだよ。すべての命の源でもある、とても大切なものなんだ。けれど、その量はどんどん減ってきている。二つの種族はお互いに相手が原因だと言い出して、マナの奪い合いを始めたんだ。それがとうとう戦争になってしまったんだよ」
「マナを、うばいあう?」
 アスターは何も知らないクローバーにもわかるように説明した。
 ロゼアは魔力を持ち、魔術を使うことができる。反対にオーツは身体能力に秀でて、魔術が使えない代わりに魔科学が発展している。
 ロゼアはオーツの魔科学がマナを浪費する原因だと言い、オーツはロゼアの魔術が原因だと言い張った。そしてそこからマナの奪い合いが始まり、ついには戦争にまで発展してしまったのだ。
 しかし、今となっては種族が違うというだけで互いを敵視し、憎み合い、土地を奪い合っている。もはや当初の理由など関係なくなってしまった。
 アスターの説明を聞き終わり、すべてを理解したのかしないのか、クローバーは不思議そうに尋ねる。
「アスターはオーツで、リラさんはロゼアなんでしょ? ロゼアとオーツってどこがちがうの?」
「だから、オーツは魔術を使えて、ロゼアは使えないんだよ」
「それだけ?」
「あとは……大きく違うのは見た目かな。ほら、僕やライラックさんの髪は茶色だけど、ロゼアはリラさんみたいに青に近い色をしてるんだ。それから、ロゼアはみんな瞳の色が金色なんだよ」
 その説明を聞いても、やはりクローバーは腑に落ちない顔をする。
「それだけ?」
「それだけって言われてもなぁ」
「わたしにはアスターもリラさんもライラックさんも、みんなおんなじに見えるよ? みんなおんなじなのに、どうしてなかよくできないのかな。どうしてせんそうなんてしてるのかな……」
 クローバーの表情がまた曇る。記憶のないクローバーには、他の人間たちとは世界の見え方が違っているのかもしれない。
 彼女の言うことはとても当たり前なことだったけれど、誰も考えはしないことだった。考えたところで、実現するはずのないことだからだ。いや、誰も実現しようとしない、と言った方が正しいのかもしれない。
「……さぁ、もう寝ようか。明日は森を抜けて町まで行かないとな」
「うん……。おやすみアスター」
「お休み」

 この大陸に暮らす人々がみんなクローバーのように考えることができれば、きっと戦争なんてすぐになくなるだろう。
 アスターはそう思ったが、同時にそれこそ夢物語だ、と心の中で嘲笑った。そんな考えを持つことができれば、始めから戦争なんて起こらないのだから。

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