+CLOVER+
窓から射し込む眩しい朝日と、爽やかな小鳥のさえずり。アスターが目を覚ますと、タイミングよく部屋のドアがノックされた。入りますね、と断りを入れ、リラが顔を覗かせる。
「おはようございます。もう起きてたんですね」
「ああ、おはようございます。ちょうど今目が覚めたところです」
二人の声に反応し、布団に包まっていたクローバーがもぞもぞと体を起こした。眠たそうに目をこすり、ぼんやりと辺りを見回す。
「アスター、リラさん……おはよう……」
その様子にアスターもリラも思わず笑みを漏らす。
「おはよう」
「おはよう、クローバーちゃん。朝ごはんの用意ができましたから、こちらへいらしてくださいね」
寝ぼけ眼のクローバーに服の裾を掴まれ、アスターはリラのあとに続いて台所へ向かった。
「ライラックさんはどうしたんですか?」
「まだ寝ています。あの人、朝弱いんですよ。今日は休みだと言ってましたから、当分起きないと思います」
食事の途中、アスターが手を止めて尋ねると、リラは苦笑しながらそう答えた。しかししばらく沈黙が続いたあと、リラは急に不安げな表情になった。
「あの、ここでのことなんですが……」
言いにくそうに言葉を濁す。アスターはリラの言わんとすることをすぐに理解した。
「大丈夫です。誰にも言いませんよ」
「すみません……別にアスターさんを疑っているわけじゃないんです。本来私はここにいてはいけない人間ですし。ただ、このことが知れたら、きっとライラックは……」
「ただでは済まされないでしょうね」
オーツが敵対するロゼアをかくまうなどあってはならないことだ。厳しく罰せられることはわかりきっている。何よりライラックは宮廷騎士団の人間だ。ロゼアと戦い国を守っている者が、そのロゼアをかくまっている。そんなことが知れたら、最悪の場合死刑も考えられる。
青ざめるリラを見て、アスターは慌てて付け加えた。
「大丈夫ですって。昨日も言った通り、僕はもう騎士団の人間ではないんですから。それに、そんなことを話したってなんの得にもならないでしょう?」
「そうですよね……。すみません」
そう言ったリラの表情は曇ったままだった。
「あの人、自分が罪に問われるかもしれないのに、私を助けてくれたんです。ロゼアの私を、オーツのあの人は……。ライラックは、私の命の恩人なんです」
一言一言リラが語る言葉を、アスターもクローバーもただ黙って聞いていた。そしてまた沈黙が流れる。リラはうつむいていた顔を上げると、まっすぐに前を見据えて告げた。
「私、ライラックのことが好きなんです」
それが何を意味するのか理解しているアスターは、その言葉に圧倒され、何も答えることができなかった。そんなアスターを見てリラは寂しげな笑みを浮かべる。
「おかしいですよね。ロゼアがオーツを好きになるなんて。そんなの、許されないことですよね」
「――そんなことない!」
それまで黙っていたクローバーが突然声を上げた。アスターもリラも驚いて視線を向ける。
「そんなことないよ! どうしてそれがいけないことなの? ロゼアがオーツをすきになるのは、そんなにいけないことなの?」
おそらくこの少女には、今自分が言ったことがどれだけ大きな意味を持つのかわかっていないのだろう。
リラの言う通り、それは許されないこと、あってはならないことだった。少なくとも、このコルディア大陸では。
けれどクローバーにとってはそんなことなど関係なかった。
「わたし、ロゼアじゃないけどリラさんのことすきだよ? リラさんだって、ロゼアじゃないわたしたちにやさしくしてくれたでしょう?
それにわたし思うの。きっとライラックさんもリラさんのことがすきなんだよ。じゃなきゃ、リラさんのこと助けたりしない。こうやって会いに来たりしてくれないはずだもん!」
「クローバーちゃん……」
「ね? そうでしょ?」
必死に訴えかけるクローバーに、リラはふっと微笑んだ。先程までの寂しげな笑みではなく、優しく、穏やかな微笑みだった。
「そう、そうだよね。いけないことだなんて、決めつけちゃ駄目だよね。ありがとうクローバーちゃん。クローバーちゃんのお陰で、私よくわかった」
「うん!」
リラの言葉にクローバーは嬉しそうに笑った。
「それじゃあ、本当にお世話になりました」
家の外に出ると、アスターはそう言って頭を下げた。
「いいえ、こちらこそありがとうございました」
「またね、リラさん!」
「ええ。また、どこかで」
遠ざかって行くアスターとクローバーを、リラは手を振っていつまでも見送った。
やがて二人の後ろ姿が見えなくなった時、不意に背後から声が掛けられた。
「変なガキだったな」
リラが驚いて振り向くと、そこにはまだ寝ているはずのライラックの姿があった。
「さっきの話、聞いてたんですか?」
「あいつも、なんであんな変なガキ連れてんだか」
「ああいう子だからですよ。きっと」
「……ふん」
ライラックは面白くなさそうに顔をそらすと部屋へ戻っていく。リラがためらいがちにその背中に問いかけた。
「ねぇ、ライラック。ライラックは……」
そこまで言って口を閉ざすと、ライラックは足を止めた。そして振り向かずに呟くように答える。
「何も思ってないなら、助けるわけねぇだろ」
「ライラック……。ありがとう」
森を抜けた先の町、アスターとクローバーは大通りを歩いていた。昼食を食べ終わり、今夜泊まる宿を探している。
「やっぱりリラさんの所に泊めてもらって正解だったな。あのまま野宿してたら、きっと今も森をさまよっていただろうね」
「うん! リラさんたちに会えてよかったね」
「ああ。それにしても随分人通りが多いな……。何かあるのかな」
アスターはそう言って辺りを見回した。大通りとはいえやけに人が多く、みんな同じ方向に向かっている。不思議に思い、アスターは露店の店主に尋ねた。
「今日は何かあるんですか?」
店主の男性は一瞬不審そうな視線を向けたが、アスターの身なりを見てすぐに旅の者だとわかり、表情を和らげた。
「お兄さん、今日この町に来たのかい? ついさっき公開処刑があったんだよ」
「公開処刑?」
「ああ。なんでもロゼアをかくまってたとかでねぇ。しかもそいつが騎士団の奴だったらしく、かくまってたロゼアと一緒に死刑になったって話だ。馬鹿だよなぁ」
瞬間、アスターの頭に嫌な予感がよぎった。すぐさま店主に尋ねる。
「場所は!? 処刑が行われた場所はどこです!?」
「え? ああ、この先の広場だよ。どうしたんだい? そんなに慌てて……」
「クローバー! すぐ戻ってくるからクローバーはここにいるんだぞ!」
「アスター? どうしたの?」
店主の言葉もクローバーの言葉も無視し、アスターは広場に向かって走り出した。額に冷たい汗が流れる。まさか――そんな思いでいっぱいだった。
大通りの先の広場にはたくさんの人が集まっていた。人ごみを掻き分けて進むと、円形の広場の中心に木で造られた台と柱が見えてきた。処刑台だ。そこまで進んだ瞬間、アスターは目を見開いた。目の前の光景に呆然と立ちすくむ。
その時、背後で小さく息を呑む声が聞こえた。アスターははっとして振り返る。
「クローバー!? どうしてついてきたんだ!」
「あ……あ……」
口元を手で覆い、声にならない声を漏らす。アスターはとっさにクローバーを抱きしめ、その視界を覆った。
「見ちゃ駄目だクローバー……!」
処刑台の上にあったのは、ロープで吊られた二人の姿。それは間違いなくリラとライラックだった。
今日の朝、ほんの数時間前に別れてきた二人が、今は宙に足を投げ出して力なく揺れている。敵対するロゼアをかくまえばこういうことになるという民衆への見せしめなのだろう。アスターの嫌な予感は当たってしまった。
「今日の朝、かくまってた居場所を見つけたらしいよ」
「それで朝っぱらから警察隊が動いてたのか」
「騎士団ともあろう者が何を考えているんだか」
「まったくだ」
広場に集まった人々の声が二人の耳に届く。アスターの腕の中でクローバーは小さく震えていた。
「どうして……どうしてロゼアとオーツはなかよくできないの……?」
呟きは民衆のざわめきに掻き消される。アスターの後ろで、リラの水色の髪だけが風になびいて揺れていた。その瞳が開かれることは、もう二度とない。
「ロゼアとオーツってどこがちがうの?」
「わたしにはみんなおんなじに見えるよ?」
「みんなおんなじなのに、どうしてせんそうなんてしてるのかな……」
彼女の言葉が蘇る。
「どうしてロゼアとオーツはなかよくできないのかな」
こんな小さな子供でもわかるくらい簡単なことなのに、どうして誰もわかろうとしないんだろう。
簡単すぎて気づかないのか、それとも気づかないふりをしているのか。
だから戦争は終わらない。これからも続いていく。
彼女の言う通り、きっと神様は悲しんでいるだろう。
FIN.