||| いとしい彼にチョコレートを |||


「バレンタインにチョコレートをあげたい?」
 馨子キョウコさんはすっとんきょうな声を上げた。
 あたしは頭を縦にぶんぶん振ってそうだと主張する。いつになく必死な様子に馨子さんは合点がいったのか、興味なさそうに目をすがめた。
「ああ、羽柴んとこの坊やだね」
 視線の先は、垣根の向こうに見える青い屋根。
 あたしはさらに激しく首を上下させた。そのまますぽーんと飛んでいってしまいそうなくらい。
 やれやれ、と馨子さんはため息をつく。
「あんな人間の子供のどこがいいのかね」
 ユートさんはこどもじゃない。にいちゃんと同じ大学生で、お酒も飲めるし、結婚だってできる。それにあたしはユートさんのいいところ、いっぱいいっぱい知っている。
「わかったわかった。あげたきゃあげればいいだろう。私は別に止めやしないよ」
 あげる。もちろんあげる。でもそれができないからこうやって相談してるんじゃない。
 バレンタイン当日は明日。一週間くらい前から、コンビニやデパート、お菓子屋さんの前を何度も何度も行ったり来たりした。どのお店も見るたび女の子が増えていって、体も小さければ気も小さいあたしには、とても入りこむ勇気はなかった。それに、せっかくあげるのだから、安っぽくない、こどもっぽくない、ちゃんとしたものをプレゼントしたい。でも、そんな高いチョコレートを買うお金もあたしにはない。ないないづくしだ。
 涙ながらの訴えを聞き、さすがの馨子さんもちょっぴり気持ちが揺り動かされたようだった。こんな提案をする。
「じゃあうちに来な。今ちょうどいいのが入ったから」
 そうか、馨子さんのおうちはお店屋さんだったっけ。
 あれ? でもたしか骨董屋さんだったはず。骨董屋さんでバレンタイン用のチョコレートを売っているなんて初耳だ。
「前にも言っただろ? うちはお客が欲しいと思うものはなんでも取り扱ってんのさ」
 思い出した。
 店主のトキさんという男の人がちょっと変わっていて、お店のうたい文句が、『きっとお望みの品物が見つかるはずです』。だからもちろん、あたしの欲しいものもあるってわけか。
 でも。さっきもいったとおり、あたしはあんまりお金持ちじゃない。というか白状すると、だいぶ貧乏すかんぴん。馨子さんの言うところの「いいの」が買えるだけのお金は、たぶん、きっと、持ちあわせていない。
 馨子さんは二度めのやれやれをつぶやく。
「いいよ、友達のよしみだ。ただにするよう頼んでやるよ」
 あたしは飛んで跳ねて喜んだ。だから馨子さんって大好き!
 現金なあたしに馨子さんは三度めのやれやれを、今回はちょっとだけほほえましそうにつぶやいた。

 紹介が遅れましたが、馨子さんは黒猫だ。
 初めて人間の言葉をしゃべっているところを見たときは、それはそれはびっくりぎょうてんしたものだった。でも今ではすっかり慣れて、いい話し相手になってもらっている。
 あたしよりずっとずーっと長生きの馨子さんは、あたしよりずっとずーっと物知りで、いつもたくさんのことを教わってばかり。二月十四日がどんなことをする日なのかも、最初に教えてくれたのは馨子さんだった。それは去年のことで、しかも二月をすぎたあとだったから、あたしはまだだれにもチョコレートをあげたことがない。だからバレンタインの話を聞いて以来、一番最初にプレゼントする相手は、だれがなんといおうと絶対ユートさんに決めていた。決めていたのだ!

「なるほどねえ」
 あたしの燃えあがる思いのたけを聞き、トキさんはこくこくとうなずいた。
「きみの気持ちはよーくわかったよ、ミユキちゃん」
 じゃあ! じゃあ!
 あたしは目を輝かせてトキさんにすり寄った。トキさんは苦笑いをかえす。
「馨子さんのお友達ってんなら、断るわけにはいかないからね。いいよ。最後の一つだったけど、これ、ミユキちゃんに譲りましょう」
 取り出されたるはラッピングされた小さな箱。ベージュの、ええと、なんていうんだろう。ざらざらぽこぽこした包装紙に、濃い茶色と金色のリボンが結ばれていて、なんだかとってもおとなっぽい雰囲気。なんとなく高級感あふれる見てくれだ。
 これ? これにチョコレートが入っているの? ユートさんにあげるにふさわしい一品だ。これ! これください!
「落ち着きなって。店の中で暴れんじゃないよ」
 勢いあまってカウンターに乗りあげたあたしを、馨子さんがしっぽでぺしりとはたく。それから箱をちょいちょいとつついて、
「いいかい? これは普通のチョコレートじゃない。そうだろトキ」
「もっちろん。雅藍堂の特別製さ」
 トキさんは得意げにくちびるのはしを持ちあげると、ずいとあたしに顔を寄せた。声をひそめて重大発表をするかのような調子で告げる。
「これを食べた人は、贈り手のことを好きになってしまうんだ」
 つまり、それって。
 あたしがこれをユートさんに渡して、ユートさんがそれを食べてくれれば、ユートさんはあたしのことを、つまり、つまり……
「ぞっこんラヴ」
 バーイ、トキさん。
 なんてこと! こんな素敵なチョコレートがこの世にあっていいものなの? 最高! 雅藍堂最高! トキさんと馨子さんに幸あれ!
 あたしはもう、上へ下への大はしゃぎ。はずみで棚に置かれていた花瓶を落として割ってしまうまで、その興奮と喜びは収まりがつかなかった。
 がしゃーんという、思わず首をすくめてしまう大音量が店内に響く。その瞬間、あたしは冷静さを取りもどしたけれど、同時に重大なことに気づいてしまった。とたんに不安が襲ってくる。
 あたしは人一倍気が弱い。面と向かってユートさんにチョコレートを渡す勇気は、ない。
 どうしようどうしよう。混乱で頭の中がぐるぐるうずを巻きはじめる。
「ちょっとミユキ、聞いてんのかい? まったく、商品をだめにしちまってこの子は……」
 申しわけないけれど聞こえていない。それどころじゃない。馨子さんのおとがめも、そのときのあたしの耳には入ってこなかった。
 やがて花瓶の破片を片づけ終えたトキさんが、いったいどうしたんだと首をかしげる。だからあたしは正直に告白した。自分からは、ユートさんに渡せない、って。
 何度めかになるため息をついたのは馨子さん。
「しょうがないねえ。トキ、オプションサービスみたいなもんだ。あんたが羽柴の坊やんとこに届けてやんな」
「俺が?」
「なんだい文句あるのかい。ただで譲る上に花瓶を割ってくれたおかげで店の売り上げはマイナスだけど、この子はあたしの友達なんだよ」
 そう言って、馨子さんは金色と水色の色違いの瞳でぎろりとにらんだ。
 それでじゅうぶん。この二人の力関係は見てのとおり。あっさりトキさんが折れることとなった。明日ユートさんのもとに届くよう、自宅に配達してくれるそうだ。もちろん、そのせいでユートさんがトキさんを好きになってしまうなんてオチはなく、あくまで贈り主はあたし。そのあたりの融通はきくらしい。
 あたしはふたたび跳びあがりそうになったけれど、なんとかぐっと押しとどめて、口で言えるだけのありったけのお礼を二人に伝えた。感謝感激雨あられ。明日は今まで生きてきた中で、最高の日になりそう!
 心と足をはずませて、あたしは雅藍堂をあとにした。からんころんとドアベルが鳴り、トキさんの声が最後に届く。
「毎度ありー」

 家へ帰る道すがら、あたしはそっと羽柴家の庭をうかがった。するとこれはもう運命! そこにはいとしのユートさんがいた。
「おー、ミユキー」
 あたしの顔を見るなりユートさんは歩み寄ってくる。それからあたしにあわせて体をかがめ、大きな手のひらで頭をぐりぐりなでまわす。これがユートさんのくせだ。
 ユートさんはにいちゃんのおさななじみで、家もずっと隣同士。あたしのことも生まれたときから知っているから、もしかしなくともこども扱いされているのかしら。でも、それでもいい。ユートさんの手のひらはあたたかくて優しくて、なでられるのは悪い気はしない。気持ちよくって、思わず目を細めてしまう。
「晩飯食ってくか?」
 うれしすぎる申し出!
 あたしは喜びのあまりかちんこちん。だから返事をするのが一歩遅れて、ぜひとも! とうなずく前に、ユートさんに取り消されてしまった。
「なーんてな。過保護なあらたが怒るから、早くうちに帰りな」
 しゅん。あたしはうなだれる。けれどユートさんの言葉にさからうわけにはいかないから、言われたとおりおとなしく家にもどった。
 いいんだ。明日になれば、ユートさんはあたしにぞっこんラヴ! なのだから。
「なんだミユキ、また悠斗ゆうとんちに寄ってきたのか? おまえはほんとにあいつが好きだないて、いてて、やめやめ、パンチすんなって」
 からかうにいちゃんに制裁を加え、その日は幸せな眠りについた。

 そして翌日、バレンタイン当日。
 チョコレートは郵便受けに届けられた。ユートさんは大学から帰ってくると、家に入る前に郵便物を確認するのがいつもの習慣。そしてユートさんは帰宅ずみ。チョコレートは今ごろユートさんの手に渡ったはず。
 もう食べたかな。まだ開けてもいないかな。もしごみ箱に直行していたらどうしよう!
 縁側でそわそわと隣の家の様子をうかがっていたあたしのもとに、馨子さんがひらりとやってきた。
「そんなに心配するこたないわよ。商品の効き目は私が保障してやるから。一口かじりでもすれば、すぐにあんたんとこに飛んでくるでしょうよ」
 言い終わるか言い終わらないかのところで、どたどたとものすごい勢いで階段を下りる音が聞こえてきた。うちじゃない。ユートさんの家からだ。次いでがらがらがしゃんと羽柴家の玄関の戸が悲鳴を上げ、豪快な足音が近づいてくる。
「ほら来た」
 馨子さんはつぶやくと、邪魔者は退散とばかりに屋根の上に姿を消した。
「ミユキー! ミユキぃー!!」
 町中に響き渡りそうな大声が玄関先から届く。ついでにどんどんとドアを叩く音も。なにごとかとにいちゃんが顔を出すが、声の主は、ミユキはどこだ!? と叫ぶやいなや、答えも聞かず庭へと猛ダッシュした。
「み……ミユキぃぃいいい!!!」
 現れたのは、もちろんユートさん。
 ユートさんは縁側に座るあたしを目にした瞬間、宙にダイブしてあたしの小さな体に飛びついた。そのまま押し倒され、きつく抱きしめられる。硬い板張りの床に思いきり体を打ちつけたけれど、あたしもユートさんもぜんぜん気にしなかった。
 ほんとは痛い。おまけに苦しい。でもこれが愛の重み……!
 しあわせだった。しあわせすぎてどうにかなりそうだった。神様トキ様馨子様、今日の良き日をむかえられたことに心からの感謝を!
「悠斗! おまえ何やってんだ!?」
 そんな至福のときを邪魔する無粋な一声。
 一足遅れて駆けつけたにいちゃんは、目の前でくり広げられる光景に口をあんぐり。あわててあたしからユートさんをひっぺがした。けれどユートさんはすぐさまにいちゃんの腕を振りはらい、あたしをひしっと抱きしめる。そしてとうとう宣言した!
「新……いや、新義兄さん! 俺にミユキさんをくださいッ!!」
 にいちゃんはもう、豆鉄砲ならぬ豆機関銃で一斉射撃されたハトの顔。そして、俺はもうついていけないおさななじみがおかしくなっちまったとばかりに、思考の一切を断ち切った。
 邪魔者は棒立ちのかかしと化し、ふたたびあたしとユートさん、二人きりのあまいあまーい時間がおとずれる。
 あたしたちは見つめあい、見つめあい、見つめあい、なんとユートさんはそのままあたしのくちびるを奪った!
 これはもう誓いのキス! 屋根の上からこっそりながめている馨子さんが牧師! この瞬間、あたしとユートさんは夫婦となった! 
 ユートさんは瞳の中にハートマークを浮かべ、うっとりと頬をすり寄せた。
「この柔らかな毛……まん丸な瞳……。ああミユキ、ミユキ! 愛しているよミユキぃぃいいい!!!」
 だからあたしもせいいっぱいの大声で答えた。
「にゃーーーん!!」

 この日から、あたしは羽柴家の子になった。
 愛に種族など関係ないのです!

FIN.



■感想などありましたら…無記名でも結構です。お返事はレス用日記にて。

お名前  
 

小説TOP     HOME