||| 銀色の月 |||


05 : 月食


 シオンに言われたとおり、オレは家に帰ることにした。いや、正確には「オレたち」か。毎度のことながら周りの奴らには見えていないが、オレの隣には天導使のシオンがいる。今は、何も言わず無表情のまま、ただオレの横を宙に浮かんでついてきている。
 そんなわけで、二人でいるにも関わらず、オレは無言で学校から駅までの通りを歩いていく。商店街の一部で、車の通りも多くわりと大きな道だ。
 横断歩道で信号機に捕まり、立ち止まる。
「オレは信号無視はしない主義だ」
『……それ、当然のことなんだろう?』
「そうだけど……」
 人目を気にして小声でシオンと話していると、隣に女の子がやってきた。同じ高校の制服を着ている。校章の色からして、どうやら一個下で二年生のようだ。
「どうかしたのか?」
『…………』
「?」
 質問に答えないシオンの様子に、俺は首をかしげる。なにかあったのかだろうか。
 すると、隣に立っていた女の子が声を上げた。
「桃子!」
 そう言って手を振る。見ると、横断報道の向こう側にあるコンビニから、同じく高校の制服を着た女の子が出てきた。どうやら「桃子」という名前の友人らしい。
 隣の少女がもう一度名前を呼ぶと、向こうも気がつき手を振り返す。信号が青に変わったのを確かめると、隣の少女が桃子のもとへと勢いよく走りだした。オレもそれに続いて横断歩道を渡る。
 すると突然、シオンに名前を呼ばれた。
『セイジ』
「なんだよ」
 オレはそう言ってシオンのほうを見た。すると、オレの目に入ってきたのは、シオンではなく、その後ろから向かってくる自動車だった。信号が赤になっているにもかかわらず、ブレーキをかける気配のないままこちらに向かってきている。どうやら運転手は携帯で話しながら運転しているようだ。
(――やばい……ッ!)
 オレはとっさにそう思った。
 このままだと横断歩道に突っこんでくる。しかもオレの先に渡って行ったあの女の子は、友人のほうに夢中で車にはまったく気づいていない。向こう側にいる少女もだ。
 このままでは――ぶつかる。
「オイ! おまえ――!」
 オレは思わず叫んでいた。
 少女はこちらを振り向き、不思議そうな顔をする。その間にも車はスピードを落とさずこちらに向かってきている。
「危ない!!」
「?」
 オレの言葉に少女は再び首をかしげる。そして前を向き直そうとしたとき、やっと自分が置かれている立場に気づいたようだった。迫りくる車を視界に捕らえると、驚いたように目を見開く。
 運転手のほうもやっと目の前にいる少女に気づいたようだった。とっさにブレーキを踏む。

 キキィ―――ッッ

 しかし、すべてが遅すぎた。
 寸前にブレーキをかけたとはいえ、ほとんどスピードを落とさないまま車は少女目掛けて突っこんでいった。
 ドンッ――嫌な衝撃音が響き、横断歩道の向こう側にいた少女の悲鳴が聞こえた。少女はまるで人形のように宙を舞っていた。轢かれたのだ……車に。
 またもや事故の瞬間を目にしてしまった。しかしそのときオレの頭にあったのは、「ああ、なんであんなあたりまえのことしか言えなかったんだろう」とか、「人間って本当に危険に遭遇したときは、ただ立ちすくむことしかできなくなるんだなぁ」とか、そんなくだらない考えだけだった。
「いやぁぁああッ!!」
 その悲鳴でオレは現実に引き戻された。見ると、先ほどまで向こう側にいたはずの少女が、轢かれた少女を抱き起こしうずくまっている。
 オレはとっさに周囲を見まわした。轢いた側の若い男は車から降り、少女のその様子を見ると顔色を変えてまた車に乗りこんだ。そしてそのまま急いでその場から走り去っていった。
「くそっ……轢き逃げかよ!」
 オレはそう呟くと少女のもとへ駆け寄った。少女――桃子は泣きじゃくりながら轢かれた少女を揺さぶっている。しかし少女はぴくりともしない。頭と口から血を流し、足の骨はどうやら折れているようだった。怪我をしているのはそこだけではないだろう。医学の知識のないオレから見ても、少女が重体であることは明らかだった。
 桃子は気が狂ったように少女の体を揺すり続ける。目の前で友人が車に轢かれたんだ。おかしくなって当然だろう。
「オイ、やめろ! ……誰か救急車を!!」
 桃子を止めると、オレは周りに出できていた人だかりに向かってそう叫んだ。野次馬の一人がとっさに携帯を取り出し、119番にコールする。
(まだだ……まだ助かる!)
 オレはしきりに自分にそう言い聞かせていた。しかし、桃子の口から漏れた言葉を聞いた瞬間、オレは愕然とした。

「若葉ぁ……いやぁ……ッ」

 ――若葉?
 その名前はついさっき聞いた気がする。そうだ、シオンから見せてもらった鬼籍に現れた名前だ。
 オレははっとして振り向いた。シオンは相変わらず無表情のまま宙に佇んでいた。深い紫色の瞳には、横たわる少女が冷たく映し出されている。
「シオン……まさか、この子が……?」
『…………』
 シオンが何も言わず少女に近づく。
「やめろ! 何する気だ? ……この子が鬼籍に載ってた奴なのか? この子の魂を、連れていく気か!?」
『…………』
「シオン!!」
『……そうだと言ったら?』
「言ったらっておまえ……じゃあこの子、もう助からないのか!?」
 オレの言葉を無視し、シオンは少女――若葉のそばにかがみ、その顔を見下ろした。そして、無言のまま手をかざす。
 すると、かざされた手がわずかに光り、若葉の胸の辺りから音もなく光の塊が浮き上がってきた。野球ボールくらいの大きさで、オレンジ色の柔らかな光を放っている。シオンはそれを両手でそっと包みこむと立ち上がった。
「それが……魂?」
『そうだ』
「じゃあ、やっぱり――!」
 やっぱり、助からなかった。
 魂が抜かれたのだ。その瞬間若葉は命を失った。すなわち『死んだ』ということだ。目の前に横たわる少女は、今はもう人間の形をした抜け殻でしかないということ――
『…………』
 シオンは何も言わずオレを見つめると、そのまま姿を消してしまった。若葉の魂を天界へ運びに行ったのだろう。しかし振り向いたその表情は、今にも泣き出しそうな、とても苦しそうな、そんな表情だった。
 オレは愕然としたままその場を立ち去った。真っ白になった頭の中には、ついさっきしたばかりの会話だけが繰り返されていた。


「わかってるよ。こいつらの命はおまえが奪ったんじゃなく、事故とか病気とか……避けられないことだったんだろ? おまえらは魂を天国へ連れていってんだ。それってむしろ天使ってヤツじゃないのか?」

『それってむしろ天使ってヤツじゃないのか?』


 ――天使……? 天使ってなんだ?
 目の前で死んだ奴がいるのに、そいつの魂取り出して、そのまま持っていっちまうのが天使?
 まるで死に対して何も感じていないみたいに、ちっとも悲しんでいないみたいにしてんのが天使?
 違う……そんなのは違う!

 アイツは、シオンは確かに死神じゃあない。
 でも天使でもなかった。
 アイツは、オレたちとはまったく違う生き物だった――

 そんな考えだけが、オレの中にはっきりと残っていた。

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