||| 銀色の月 |||


それは本当に偶然でしかなくて、特に望んだわけでもなかったけれど、
小さな、とても小さななにかが大きく変わっていたのは確かだった。
――たぶん、一生忘れることのできない出会い。


10 : 欠けた月はまた満ちて・前


「シオン……なんとかならないのかよシオン!」
 オレはシオンに向かって叫んだ。
 鬼籍に書かれた【桜井 茜】の文字。百人めは茜。シオンによって天界へと運ばれる最後の魂。
 茜が、死ぬ――?
「シオン!!」
『セイジ……。俺だって、アカネの魂を運びたくなんてない。けれど、アカネが死ぬことは、避けられないことだ』
「そんな、だって」
 もう頭の中は真っ白だった。オレは愕然とし、その場に崩れ落ちる。手にしていた鬼籍が音もなく滑り落ち、再びシオンの手の中に現れた。
「なぁ、どうすればいい? どうすれば茜を助けられる?」
『……無理だ』
「無理じゃない。シオン、いつなんだ? 茜が死ぬのはいつなんだ!?」
『たぶん、もうすぐ』
 シオンの言葉を聞いた瞬間、オレは立ち上がり走り出した。驚いたシオンが声を上げる。
『セイジ! どうする気だ!?』
「決まってんだろ! 助けるんだよ!」
『無理だ、そんなことできるわけ――!』
 そこまで言った途端、急にシオンの動きが止まってしまった。紫の瞳は怯えたように揺れ、明らかに動揺している。まるでなにか恐ろしいものを見てしまったような――
「……シオン? どうしたんだよ?」
『セイジ……だめだ、行くな……!!』
「シオン?」
『だめ……だめだ、今セイジが行ったら――ッ』
 鬼籍を持つシオンの手が震えている。いったい何がどうしたって――

『死の恐怖に怯えているのだろう、藤川 誠二』

 そのとき突然背後から声をかけられた。オレは一瞬驚くが、声の主が誰かはすぐにわかった。
「またアンタか、グレイ」
『いざ周りの人間が死ぬとわかると、恐ろしくてどうしようもないのだろう? いても立ってもいられないのだろう? 人間なんてそんなものだ。結局『死』は恐怖でしかない。そんな人間からしてみれば、その死と常に共にある俺たちは『死神』でしかないんだろうな。
 そうだ、俺たちは違う。俺たち天導使にとって死は解放。生きることからの解放だ。こんな下界でのくだらない人生から解き放たれる。俺たちにとってはそれが始まりになるんだ。おまえのように能天気に生きている人間たちとは何もかも違う。俺も、シオンもな』
『…………』
『無駄なことはやめるんだな。おまえがどうあがいても、その人間が死ぬことは変わりはしない。そしてその魂はシオンが運んでいく。何も変わらない。おまえの知り合いだろうが誰だろうが、俺たちは……シオンはその魂を運んでいくだけだ。……もしそれがおまえ自身だとしてもな』
『グレイ!』
 シオンが制すように名前を呼んだが、グレイは構わずに続ける。
『それに、何を勘違いしている? 天導使は天導使でしかない。所詮おまえたちとは――』
「あ゛〜〜〜〜ッ!!! 毎度毎度偉そうに……いちいちうるせぇんだよ、おまえは!」
『!?』
「ああそうだよ。怖ぇよ、いても立ってもいられねぇよ! 当然だろ? オレは『人間』なんだからな! でもな、だからこうやってあがいてんだ。なんとかしようと必死なんじゃねぇか! 死ぬのが茜だから? もちろんそうかもしれない。でも……オレはほかの奴でもこうしてたはずだ!」
『それが全く知らない人間でもか? ……信じられんな。だいいち、口だけならなんとでも言える』
「全然知らねぇ奴でもだよ! 死ぬってわかってる奴を放っておけるわけないだろ!? いいか? それが人間ってヤツなんだよ! それからなぁ、おまえにはわからないだの、おまえとは違うだの、そんなに天導使と人間は違うのかよ? ……ああまぁ確かに俺とおまえは違うかもな。だけどな! コイツは、シオンは人間だ。おまえやほかの天導使はどうか知らねぇけどな、少なくとも、オレが知ってる『シオン』って奴は人間だ! ちゃんと感情のある人間なんだよ!!」
『何を馬鹿なことを……』
「うるせぇよ! あーもう! おまえなんかと話してる暇なんてないんだよ! オレは茜を助けに行く。いいか? 邪魔すんなよ!」
 オレはグレイに向かってそう言い捨てると、猛スピードで裏庭から走り去った。
 早く――早くしなければ……!!

『とことん馬鹿だなあの人間は……。まぁあいつがどうしようと、結果に変わりはないがな。どちらにせよシオン、もうすぐおまえは解放されるんだ。そして目的を果たすことができる。天界での永住――俺たちがずっと望んでいたことだ』
『そう、俺の中の魂たちが望んでいること。でも……でも俺は違う』
『……シオン?』
『俺は違う。『シオン』はそれを望んでいない』
『シオン? 何を言っている?』
 シオンの言葉にグレイの顔色が変わる。しかし、シオンは手にした鬼籍の最後のページを見つめたまま、何も動じず言葉を続けた。
『俺の中にある魂と、俺自身は違う。今俺が望んでいることは、天界での永住ではない』
『だめだシオン、おまえに禁忌を犯させるわけにはいかない!』
『――離せ!』
 腕を掴んできたグレイの手を強引に振り払う。バチン! という音と共に青白い火花が散った。
『――ッ!』
『俺は行かなくちゃ、セイジのところに……。ごめんね、グレイ』
『!? シオン――ッ!!』
 そう告げるとシオンは姿を消した。ただ、グレイの声だけが虚しく響いていた。


「茜? さっきミドリたちと出てったけど?」
「たぶん屋上じゃないかなー。バレーボール持ってたし」

 オレは屋上へと続く階段を駆け登っている。一段飛ばし、二段飛ばし、これ以上ないってくらいのスピードだ。
 クラスの女子の話によると、茜は友人たちと屋上でバレーをしているらしい。屋上には背丈よりもかなり高いフェンスが張りめぐらされている。だけど、やっぱり屋上であることに変わりはない。よくある光景だけど、こっちもこれ以上ないってくらいのやばいシチュエーションだ。
「――茜!!」
 オレは勢いよく屋上のドアを開き、その名前を呼んだ。
 急いで辺りを見まわす。ベンチに座ってるカップル、グループで話をしてる奴ら……そして茜はいた。一番奥で、クラスメイトの女子たちとバレーを楽しんでいる。オレは急いで駆け寄り、もう一度名前を呼んだ。
「茜!!」
「……あっ、誠ちゃん! どうしたの? そんなに慌てて」
 茜が駆け寄ってくるオレに気づき、不思議そうに首をかしげる。よかった、無事だった。オレはそう思って思わずその場にへたりこんでしまった。
「茜ー! そっち行ったよー」
「え? あっ、OK、OK!」
 女子の一人がそう言い、茜が答える。それにつられて俺も顔を上げてしまった。
 見るとバレーバールが茜のほうへ飛んできている。大きく弧を描いて向かってくるそれを、茜はオーバートスで打ち返そうと少しずつバックしていく。そして、後ろのフェンスぎりぎりまで下がった――そのときだった。

 ギシィ……ッ

「茜――ッ!!」
 金属の軋む音が聞こえたのと同時に、オレは反射的に手を伸ばしていた。
 茜の腕を掴む。体を反転させて、自分のほうに思いきり引っ張った。そして半分投げ捨てるような感じで茜をフェンスとは反対側に放り出した。ちょうど、バスケでコートの外に出そうになったボールを、なんとか空中でキャッチしてコート内へ投げ戻すみたいに。
「誠ちゃん!」
 コンクリートの上に倒れこんでいた茜がそう叫んだのと、ガシャン! という嫌な音がオレの耳に届いたのはほぼ同時だった。
 茜を投げ出したオレは勢いよく背中からフェンスに突っこみ、その衝撃で緩んでいた止め具は完全に外れてしまった。背中の支えを失ったオレは、フェンスともども後ろ向きに倒れていく。
 茜がオレの名前を呼ぶ声、周りの女子たちの悲鳴、視界いっぱいの青空――その瞬間、すべてがスローモーションのようにゆっくりと通り過ぎていった。
(――よかった、茜は助かったんだな)
 そう思ったときには、オレの体は宙に投げ出されていた。

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