彼と彼女のゴールデンウィーク 【教師×生徒 編】

 彼と、その隣の見知らぬ人物。
 彼女が二人を見かけたのは、五月二日のことだった。

「前の車を追ってください!」
 タクシーに乗り込んだと同時に、ミノリはそんなドラマや漫画の世界にしか出てこないような台詞を叫んだ。
 夜7時。前を走る車には、ミノリのよく知る人物と、まったく知らない人物の二人が乗っている。
 よく知る人物は、運転席の西崎コースケ。ちなみに車も彼のものだ。逆にまったく知らない人物は、助手席の謎の美人女教師。
 ことの始まりは十分ほど前にさかのぼる。
 今でこそ、タクシーの運転手も乗車拒否すればよかったと後悔するほどの鬼の形相をしているが、あの時のミノリは、自分の姿を見つけて驚いた西崎の顔を想像して満面の笑みを浮かべていた。
 大学に入り、一人暮らしを始めたミノリが実家に帰ってきたのは、昨日の五月一日のこと。それを知らない西崎は、まさか今日、自分が高校の駐車場で待ち伏せしているなんて、微塵も想像していないだろう。だから驚かせてやる。そういう計画だった。
 西崎の車の陰に隠れていると、教職員用の玄関から見慣れた人影が現れた。が、同時にミノリの表情は凍りついた。西崎の隣に見知らぬ女性が並んでいたのだ。
 年齢は西崎と同じくらい。ショートカットにダークグレーのスーツ。察するに、今年新しく着任した教師だろう。
 同僚同士、並んで出てきてもなんの問題もない。親しそうに話しているのも、お互い年齢が近いからだろう。ミノリは必死に自分に言い聞かせる。ここでさよならと別れて、それぞれ自分の車へ向かうんだ、と。
 しかしミノリの意に反し、二人は並んだままこちらへ近づいてきた。今自分が隠れている、西崎の車のもとへ。ミノリはとっさに隣の車の陰に身を移した。
 西崎が運転席に、女性が助手席に。言葉一つ交わさないまま、ごく当たり前のように二人は一台の車に乗り込んだ。
 混乱する頭の中で、ミノリは一つだけ確信を得る。
 ――あの二人、絶対何かある。
 これは女の勘だ。いくら同僚でも同じ車で帰るわけがない。そして何よりあの女教師、美人だったのだ。
 西崎と謎の美人女教師を乗せた車が走り去ると、ミノリも慌てて校門を飛び出した。そして学校前の大通りでタクシーを捕まえ――冒頭の台詞に繋がる。

+++

 窓際の席に向かい合って座り、お茶を飲む二人。
 通りを挟んで反対側にある電話ボックスの陰から、嫉妬心メラメラの視線を送るミノリ。

 西崎と女教師が向かったのは、駅前の喫茶店だった。以前合格祝いと称し、西崎が連れてきてくれた店だ。なんだかミノリは、あの幸せな思い出を汚されたような気分になった。
 はたから見る二人は、どう考えても友人かそれ以上の関係だ。少なくとも、あの日制服で西崎の隣にいた自分よりは、よっぽど恋人らしく見える。だから、余計に腹が立つのだ。年の差だけは、ミノリがどうあがいても埋めることのできないものだから。

「悪いわね〜、送ってもらっちゃって」
「まぁ方向は同じだからな」
「お礼になんでも奢ってあげる!」
「当然だろ」
 自分たちを物陰から見つめている人物がいることなど露知らず、西崎と女教師はそんな会話を交わしていた。
 西崎の言葉を聞き、女性がふふっと笑う。
「……なんだよ」
「ん? 変わってないなーと思って」
「そうか? お前は変わったけどな」
「惚れ直した?」
 ぶっと口にしたコーヒーを吹き出しそうになり、西崎は思わずむせ込んでしまう。呼吸を落ち着かせると、女性を睨んで言った。
「前言撤回。やっぱり変わってないよ、お前。昔のまんま」
「そーお?」
「ああ。ついでに言うと、日本語の使い方も間違ってる。惚れ直すも何も、今俺はお前に惚れてもいない」
「……そういうところが変わってないのよねぇ」
 女性はつまらなそうに呟く。しかしすぐににっこりと微笑み、素晴らしい提案を口にした。
「じゃあさ、もう一度惚れてみない?」
 しかし西崎は間髪入れずに即答する。
「却下。」
「えー! なんで!」
「今はお前に構ってる余裕ないから」
「でもコースケ、今彼女いないんでしょ? 確かに忙しいかもしれないけど、同じ学校の教師同士なら、色々都合とかも合わせやすいじゃない!」
 女性が不満の声を上げる。しかし西崎は再びきっぱりと告げた。
「無理。」
「なんで!」
「なんでも。」
「好きな人でもいるわけ?」
 納得のいく理由がなければ引き下がらない。目がそう訴えている。西崎は渋々答えた。
「……今、勝負してる奴がいるんだよ」
「勝負?」
「そう。ちょっとでも気を抜くと負けそうになる、油断できない奴。そいつの相手で手一杯だから、今は他の奴に構ってる暇がない」
「何それ、わけわかんない!」

 一体二人がどんな会話をしているのか、ミノリは気が気ではなかった。そして、なんとかしようと思考を巡らせる。
 ――そうだ、携帯に電話してみよう。
 思いついた瞬間、ミノリはすぐさま行動に移した。電話ボックスの陰から様子を窺いつつ、西崎の番号をダイヤルする。耳元でコール音が鳴ったのとほぼ同時に、西崎がポケットから携帯を取り出した。ディスプレイにはミノリの名前が表示されているはずだ。
 緊張の一瞬。まさかこのまま出ずに切る、なんてことは……そう思った瞬間、西崎が電話に出た。
『もしもし?』
 電話越しの西崎の声。途端に心臓が跳ね上がる。第一関門、突破。
「もっ、もしもし! 私、ミノリですけど!」
『ああ……なんだ?』
「あの、今一人ですか?」
 なんと答えるか。やましい気持ちがなければ、素直に女教師と一緒にいると答えるはずだ。
『……いや、同僚と一緒』
「そ、そうですか。電話、大丈夫ですか?」
『ああ、別に平気だけど』
 第二関門突破。
 少なくとも、女教師とはそういう関係ではないということか。それとも、他の女と電話していられるくらい余裕があるってことなのか。
 意を決し、最後の質問に踏み切る。
「私、今駅にいるんです。迎えに来てくれませんか?」
『駅? お前、今こっちに着いたのか?』
「はい。でも急だったから、家に親がいなくて。コースケさん、迎えに来てください」
 これは賭けだ。ミノリと女教師、どちらの方が大事なのか。ミノリの方が大事なら、女教師なんて置いて店を出てくるはず。でももし女教師の方が大事なら……。
『迎えってお前……今すぐか?』
「そうです。今すぐです。もう仕事、終わってますよね? だったら同僚の方には悪いですが、その人を置いて、私を迎えに来てください」
 ――さぁどうするんだ西崎コースケ! 迎えに来るのか来ないのか。私と女教師、どっちを取るんだ!?
「毎度ありがとうございます。野菜〜、安くて新鮮な野菜〜。野菜の移動販売をぜひご利用ください。野菜〜、野菜〜」
 なんでこんな時に移動八百屋が!
 トラックから流れる大音量のスピーカーが、ミノリのイライラに拍車を掛ける。思わず携帯を持つ手に力が入った。
「どうなんですか、コースケさん! その人を置いてこれないんですか!? 私を迎えに来るより、その人と一緒にいる方が大事だってことですか!?」
『…………』
「コースケさん、聞いてますか? それともあれですか、都合が悪くなったらだんまりですか!」
 そう叫び、ミノリはもう一度店内に目をやった――が、呆然とする。さっきまでいたはずの二人が、いつの間にかいなくなっていたのだ。
「え……? コースケさん? コースケさん!?」
『……お前、こんな所で何やってるんだ?』
「へ?」
 声がダブって聞こえた。携帯からと、背後から。
 途端にミノリは硬直した。何か後ろに恐ろしい生き物が立っているかのように、ゆっくりゆっくり振り返る。
「こここ、コースケさん! なな、なんでこんな所に!」
「それはこっちの台詞だ馬鹿。お前まさか、ずっとここで俺たちのこと見張ってたんじゃないだろうな?」
「えっ!? ち、違いますよ! っていうか、なんでここにいるってわかったんですか!?」
 西崎は呆れたように携帯を指差す。
「野菜〜、野菜〜」
「……は?」
「店の外からも、携帯からも聞こえてきた」
「……ああ!」
 それを聞いてはっとする。さっき通り過ぎた移動八百屋のスピーカーだ。
 バレてしまっては仕方がない。ミノリは開き直ると強気に出た。
「そんなことよりコースケさん、あの女性とは一体どんなご関係で? 随分楽しそうにお茶してましたねぇ」
「お前な……。カナエはただの同僚だよ」
「へぇ〜、カナエさんっていうんですか。コースケさんとは名前を呼び捨てにする仲、と」
 まずい、墓穴を掘った。
 西崎は思わずたじろぐ。しかしミノリもミノリで、二人が名前で呼び合っている仲だとわけかり、内心かなり荒れていた。
「大学の時のサークル仲間。それだけだ。今は何もない」
「ほぉーう。つまり、以前は何かあったということですね?」
「…………」
「…………」
 さらに墓穴を掘り進めてしまった西崎と、カナエの存在に気が動転しそうなミノリ。無言で睨み合い、お互い額に嫌な汗が流れる。
 そんな不穏な空気を破ったのは、第三者であり、ことの原因でもある人物だった。
「どうしたのコースケ? 急にお店を飛び出して……」
 ミノリは「コースケ」と呼び捨てにしたことに反応し、西崎はまた厄介な奴が増えたと頭を抱える。一人状況が呑み込めていないカナエは、西崎の隣にいる人物に気づいて尋ねた。
「あら? そちらの女の子は?」
「ああ、こいつは……」
「岡本ミノリといいます。コースケさんの元教え子です」
 西崎の言葉を遮り、ミノリがずいっと一歩前に出る。その敵意むき出しの視線に気づき、カナエは納得したように頷いた。
「なーるほど。この子ね? 勝負してる相手っていうのは」
「…………」
 気まずそうに視線をそらす西崎の様子が図星だと語っている。カナエはくすりと微笑んだ。
「安心してね、岡本さん。今日は来る途中に車が故障しちゃって、帰りだけ送ってもらったのよ。お店にいたのは、そのお礼ってだけだから」
「……そうですか」
 口ではそう言っていても、納得していないのは一目瞭然。わかりやすすぎるミノリの態度に、カナエは思わずクスクスと笑ってしまう。しかし、それがまたミノリの気に障るのだ。いかにも大人の余裕たっぷりといわんばかりで。
 そんなミノリの心中を察してか、カナエは自ら退散することを告げた。
「帰れるのか?」
「大丈夫。そのへんでタクシー捕まえるから。……それじゃあ“西崎先生”、また学校で」
 わざとらしくそう言って、カナエは去っていった。残された二人の間に気まずい雰囲気が流れる。
「……とりあえず、家まで送ってやるよ。もう遅いし」
「…………」
 ミノリは無言のまま、何か言いたげな視線を送る。西崎は再び頭を抱えた。
「あのな、ホントにもうあいつとは何も」
「なんですか? 言いわけですか?」
「…………」
「少しでもやましい気持ちがあるのなら、罪滅ぼしとして、明日一日私につき合ってください。知ってますか? 今ゴールデンウィーク中なんですよ」

 今日の試合は、多分引き分け。もしくは、突然の乱入者、カナエの勝ち逃げ。
 なんにせよ、とんだ連休の幕開けだった。


【22000hit キリリク】 ことはさん、リクエストありがとうございました。二つまとめて捧げます。

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