彼と彼女の夏祭り 【生徒×生徒 編】

 八月七日。
 東京某区の広い河川敷を利用した、かなり規模の大きな花火大会。
 人人人、とにかく人でごった返す通りを、彼と彼女は歩いていた。


「アサミちゃん浴衣! すっごい似合ってる! すっごい可愛い!」
 それがケイゴの第一声だった。
「あ、ありがとう……」
「やっぱ女の子は浴衣だよね! 日本の夏って感じだよね〜」
 そう言って、褒められたアサミ本人よりも嬉しそうな顔をする。ケイゴは上機嫌のままアサミの手を取り、人の波へと飛び込んだ。
「さすがに地元の夏祭りとは違うねー。すっごい人」
「よ、酔いそう……」
「大丈夫アサミちゃん!? 何か冷たいものでも……あっ、かき氷食べようか」
 ちょうど目についたかき氷の屋台へ向かおうとしたその時、二人は思いがけない人物に出くわした。
「あ」
「あ」
「げ」
 思わず人ごみの中で足を止める。真っ先に声を上げたのは――
「こんばんは」
 にこりと笑ってそう告げる、アサミのサークル仲間、野栄リョウだった。ケイゴが一方的にライバル視し、彼のブラックリストにトップでその名が記されている人物でもある。ちなみに、ケイゴが発したのは一番最後の「げ」。
「野栄くんも来てたんだ」
「うん。若杉は……デート?」
 ケイゴにちらりと視線を移し、リョウは尋ねた。「デート」という単語に思わず返事が詰まるアサミだったが、ケイゴが反応したのはそこではなかった。
 ――若杉!? こいつ、いつの間にか呼び捨てになってる!
 確実に親密度が上がっているようだ。ケイゴは一瞬顔をしかめたが、すぐに笑顔に切り替わった。
「そーなのデートなの! そういう野栄くんは、まさか夏祭りに一人ってことはないよねぇ?」
 わざとらしくそう言って辺りを見回す。しかし、一緒に来ているらしい人は見当たらなかった。リョウは苦笑して答える。
「友達四人と来たんだけど、人ごみではぐれちゃって。たぶん近くにいるんだろうけど」
 それならとっとと友達の所へ戻れ!
 ケイゴは心の中でそう吐き捨てるが、それに対するアサミの言葉を聞いて愕然とした。
「加藤くんたち? 一緒に探そうか?」
 ――なんでそんなに親切なんだアサミちゃん! ていうか加藤って誰!
「あ、大丈夫大丈夫。花火が始まったら落ち合うことになってるから」
「そっか。佐々木くんとかも来てるの?」
「そう。彼女なしメンバー大集合」
「あっはは」
 親しげに会話をする二人を見て、ケイゴは一人大学が別だという溝を思い知らされる。ケイゴは堪りかね、二人の会話に割って入った。
「アサミちゃん! かき氷! 今なら空いてるし、買ってきなよ!」
 ケイゴが指差す先に目をやると、確かにかき氷の屋台は先程よりも空いていた。ケイゴは財布から千円札を取り出しアサミに手渡す。
「俺メロンね。あ、野栄くんも食べる?」
「……いや、オレはいいです」
「遠慮しなくてもいいのにー。じゃ、アサミちゃんよろしく」
「え? 私一人で買ってこいってこと?」
「うん。俺たちはここにいるから」
「…………」
 やたらにこにこして手を振るケイゴを不審に思いつつも、アサミは仕方なくかき氷を買いに向かった。その場にはケイゴとリョウが残される。
 ――一度こいつとは話をつけなきゃいけないと思ってたんだ。
 ケイゴは一呼吸置き、リョウに向き直った。その表情は笑顔だが、内心は臨戦態勢に入っていた。
「久しぶりだね。ゴールデンウィーク以来かな?」
 あまりにも白々しい台詞。そのあとは、「もう二度と会いたくなかったのに」と続く。
 そんなケイゴの本音を知ってか知らずか、リョウもにっこりと微笑んで答えた。
「そうですね。まだ続いているとは思いませんでした」
 ケイゴの動きが止まる。その言葉を理解するまでしばらく時間を要した。
「……それはどういう意味かなぁ?」
「若杉と木村さんですよ。別につき合ってるわけじゃないんでしょう?」
 その思いがけない言葉に呆然とする。もちろん、リョウは笑顔のままでそう告げた。
 ――こいつ、本性出しやがったな。
 ケイゴの作り笑いが思わず引きつる。そっちがその気なら、こっちだってそれなりの態度を取らせてもらおうじゃないか。
「つき合ってるとかつき合ってないとか、そういうのは個人の観念の違いだと思うけどなぁ。それに、なんでもかんでもそういう言葉の枠に収めようとするの、俺どうかと思うよ」
「そうですね。でも、オレは言葉って結構大事だと思いますよ。形はなくとも、口にしたのとそうでないのでは、やっぱり重さも変わってくると思いますし」
「でも、何も言わなくてもわかり合える関係ってすごくいいよね」
「お互いが本当に同じ思いならいいんですけどね」
「…………」
「…………」
 無言のまま見つめ合う――正確には睨み合う二人。だいぶ限界に近い様子が見て取れるケイゴに対し、リョウの笑顔はまったく崩れていない。敵は思った以上に手強い上に、正確かつ確実にケイゴの弱点を突いてくる。正直言って、リョウの言葉はかなり耳が痛かった。
 例えばの話。こんなこと仮定するのも嫌なのだが、もしもリョウがアサミに告白して、それにOKを出したとしたら、ケイゴは二人のつき合いに口出しも反論もすることができない。だって、自分は言葉にしていないのだから。それだけの差があるのだ。
 何も言い返せないでいると、突然ケイゴの視界が遮られた。
「はい」
 ケイゴは一瞬固まる。数秒経ってから、それがアサミの差し出したかき氷だと理解した。
「……ありがと」
「これお釣りね」
 四百円を手渡すと、アサミはイチゴ味のかき氷をつつきながら尋ねた。
「二人して何話してたの? 随分仲良さそうだけど」
「えっ!? それはそのー……」
 会話の内容はどうであれ、始終笑顔で話していたんだ。はたから見れば仲が良さそうに見えるのかもしれない。……ケイゴにしてみれば堪ったもんじゃないけれど。
「男同士の会話ってヤツだよ。ね、野栄くん!」
「そうですね」
 相変わらずの笑顔でさらりと答えるリョウ。恐らく、アサミの前では絶対に本性を現さないだろう。二人の言葉に、アサミは納得したようなしないような顔をしていた。
 ――とにかく、この男を早急に排除しなければ。
 ケイゴがそう思った、その時。
 ドーンという大きな音が響き、思わず3人はそちらに目をやった。夜空に鮮やかな光がいくつも広がる。いつの間にか花火が上がる時間になっていたようだ。アサミもリョウも、周りの人々も足を止め、次々と上がる花火に見とれていた。
 しめた。そう思い、ケイゴはすかさずアサミの手を取る。そしてリョウに気づかれないよう人ごみに紛れた。
「ちょっと、いきなりどうしたの? 野栄くん置いてきちゃったじゃない」
「平気平気。花火始まったら友達の所に行くって言ってたじゃん」
「そうだけど……どこ行くの? 花火見ないの?」
「ここ人多いから、もっと見やすい所に行こうと思って」
 そう言って、ケイゴは半ば強引にアサミの手を引いて歩く。そして、比較的人の少ない場所まで行って、ようやくその手を離した。
 怪訝そうな顔をしていたアサミだったが、その視線はすぐに花火へと移った。様々な形をした仕掛け花火がいくつも上がる。
「綺麗だね」
 そう呟くアサミの横顔を眺め、ケイゴは意を決した表情になった。
「アサミちゃん」
「何?」
「好きです。つき合ってください!」
 ドーン、と一際大きな花火が上がった。長い尾を引き、パラパラと音を立てて散っていく。思わず見物客から拍手が漏れた。
 次の花火が上がるまでに少しの間が空き、空は再び暗闇に包まれる。ケイゴの真剣な眼差しを、アサミは驚いたような顔で見つめていた。
 ストレートでなんのひねりもない言葉。けれど口に出した瞬間、それは途端に重みを増した。そして、アサミの返した言葉は――

「ごめん、なんて言った?」

 空っぽになったケイゴの頭に、打ち上げを再開した花火の音が響いた。ドーン。
 真っ白になって立ち尽くすケイゴに、アサミは申し訳なさそうに言う。
「花火の音でよく聞こえなくて……もう一回言ってくれる?」
 次に上がった花火の音で、ケイゴはようやく我に返った。途端にものすごく恥かしいような情けないような、けれどほんの少しだけ安心したような、とてつもなく複雑な気分になった。
「……いや、いいよ。大したことじゃないし……」
「ふーん……」
 アサミは首を傾げながら、再び花火に目をやった。
 とてもじゃないが、もう一度言う気になんてなれない。死ぬほど勇気を振り絞った結果がこれだ。もしかして、今まで逃げていた報いだろうか。
 ケイゴはがっくりと肩を落とし、心の中で涙を流した。
「ねぇ」
 そんなケイゴにアサミが不意に声を掛けた。そして、顔を上げたケイゴに告げる。
「さっきのだけど」

 ドンドンドンドーン

 大会のメインでもあるワイドスターマインが上がる。見物客からは、それまでで一番大きな歓声が上がった。――と同時に、アサミの言葉も掻き消された。
「……ごめん、よく聞こえなかった。もう一回言って?」
 ケイゴがそう尋ねると、アサミは一瞬むっとしてから顔をそむけた。
「ならいい。なんでもない」
「ええっ!? 気になるじゃん! もう一回言ってよ!」
「いい。大したことじゃないから」
「ええ〜!? アサミちゃーん!!」
 しつこく問い詰めるケイゴだったが、アサミは黙って花火を眺めているだけだった。……どこか不機嫌そうな表情で。

 本当に聞こえていなかったのはどちらだったのか。
 とりあえず、アサミの返事が聞けるのも、ケイゴがもう一度勇気を振り絞るのも、当分先のことのようだ。



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