なんと精霊王は魔王の手先だったのです。
勇者を城へと誘いこむため味方のふりをしていたのでした。
勇者は魔王だけでなく、精霊王とも戦わなくてはならなくなりました。
しかしもう勇者には二人を倒すだけの力は残っていません。
「世界中の人々が苦しんでいる。私が魔王を倒さなければ」
そう心に誓った勇者は力の限り戦いました。
そして自分の命と引き替えに、魔王と精霊王を封印したのです。

ロスト・クロニクル 4


「こうして魔王の支配から解放され、再び世界に平和が訪れました、かぁ。こういうことになってたんだ……」
 エルフィオーネはそう呟くと、手にしていた本を閉じた。
 ここは町の一角にある図書館。とはいっても、わずかばかりの資料と書物が置かれているごく小さな建物だ。
『精霊王っていったら悪の代名詞じゃない』
 ミリアのその一言がずっと気になっていたエルフィオーネは、そのことを調べるためこの図書館を訪れた。しかしそこでわかったことは、彼女が想像していたものとはすいぶんかけ離れていたものだった。ため息をつき、その本の表紙を眺める。
「フィオ! こんな所で何やってんの?」
 突然背後から声をかけられ、エルフィオーネは驚いて振り返った。
「ミリア……。それにシークも。どうしてここに?」
 そこにいたのはレンティスの友人二人だった。そのうちの一人、シークが答える。
「ちょっとね。今日は朝市もないし、暇だったからそのへんブラブラしてたんだよ。それよりフィオちゃんこそ、なんでこんなとこに?」
「私は……」
「何? 本でも借りに来たの? って、あれ? その持ってる本、『平和の成り立ち』……フィオってば、そんなのに興味あるの?」
「え? ミリア、この話知ってるの?」
 手にしている本に気づいたミリアがそう言うと、エルフィオーネは驚いて尋ねた。
「勇者は魔王とその手先で裏切り者の精霊王を封印して世界に平和が戻りました。めでたしめでたし〜、って話だろ?」
「そう! そう! シークも知ってるの!?」
「知ってるも何も、フィオ、それどこの学校に行ったってまず最初に教えられることよ? その本なんて教科書代わりじゃない」
「そう……なの?」
 驚いたように、けれどどこか寂しげにそう呟くエルフィオーネを見て、ミリアとシークは不思議そうに顔を見合わせる。
「おかしな子ねぇ、知らなかったの? それでみんな習うんじゃない。『千年前、勇者は魔王から世界を救いました。精霊王はその勇者を騙した大悪党です』って」
「大悪党……」
 エルフィオーネの表情が曇る。その様子を見てミリアが慌てて言った。
「ああ! そうだった、あなた自称精霊王だったわね。ごめんごめん。でもね? 精霊王が魔王側についちゃったせいで、今あたしたちはとんでもなく苦労しているのよ?」
「どうして? レンティス……勇者が魔王を封印して、この世界に平和が訪れたんでしょ?」
 エルフィオーネがさっき読んだばかりの本の最後の一行を思い出して言う。その言葉にミリアとシークはまた顔を見合わせるが、二人には彼女が嘘をついているようには見えなかった。エルフィオーネはあくまで真剣な顔つきで、本当に何も知らない様子だ。まるで彼女が精霊王だということも偽りではないように思えてきてしまう。
「まぁいいわ。あなたが精霊王でも、別にあたしは構わないし」
 ミリアはそう呟くとエルフィオーネに向きなおった。そして説明を始める。
「いい? 別に勇者が封印したのが魔王だけならよかったのよ。でも精霊王もその手先だった。だから精霊王も封印しなくちゃいけなくなっちゃったの」
「……うん」
「精霊王ってのはすべての精霊を司る存在でしょ? その精霊王が封印されていなくなったから、当然ほかの精霊たちもいなくなっちゃったのよ。ここまではオーケイ?」
「……おーけい」
「ところで、千年前の人たちは、『魔法』ってものが使えたらしいの。それはいろいろな文献にも残ってるし、それに関する道具もたくさんあるから間違いないみたいよ。でも私たちは使えない。それはどうしてだと思う?」
「え? どうしてって……」
 突然の質問にエルフィオーネは混乱する。そんな事実、たった今知ったばかりなのだ。
 答えられずに困っているエルフィオーネを見て、シークが代わりに挙手をする。
「ミリア先生!」
「はいシーク君」
「それはこの世界から精霊がいなくなってしまったからだと思います!」
「そう、そのとおりですね。よくできました」
 そう言ってミリアが頷きながら続ける。
「私たち人間は、精霊の力を借りて魔法を使っていたの。でも精霊がみんないなくなり、魔法を使うすべは失われてしまった」
「精霊が、いなくなったせいで……」
「そうよ。魔法が使えなくなった影響はいろんなところに出たわ。まず魔物との戦いね。今までは魔法であいつらを撃退してたんだけど、それが使えなくなった今はもう武器に頼るしかないのよ。魔物が狩りで捕まえてるようなちっちゃくて弱っちいヤツらだけならいいんだけど、そうもいかないじゃない? 当然剣や弓矢なんかじゃ敵わないような魔物がわんさかいるわけよ。そんなヤツらが町や村に攻めてきたら――」
「ザクーッ! グサーッ! ってね」
 ジェスチャーつきでシークがそのあとを継ぐ。
「一貫の終わり。実際それで壊滅状態になった所はいくつもあるからな。千年前みたいに魔王の直接支配は受けていないけど、魔物に怯えて暮らしてるのに変わりはない。しかも魔法が使えないぶん、今は人間のほうが不利ってわけだ」
「そうだったんだ……。どうりで精霊の気配をまったく感じないはず……」
 魔法は使うな、そう言ったレンティスの言葉を思い出す。そして同時にその意味を理解した。
 レンティスの傷を癒したエルフィオーネの力。彼女がごくあたりまえのものとして使ったそれは、この世界ではすでに存在するはずのないものだったのだ。
 ミリアとシークにはエルフィオーネの呟きは聞こえていないかったらしく、二人はさらに続ける。
「精霊がいなくなった影響はそれだけじゃないわ。精霊ってのは、いわばこの世界をコントロールしていた存在だったの。火には火の精霊が、水には水の精霊が宿っていたのよ。
 でもあたしたちに一番影響を与えたのは土の精霊ね。それがいなくなったせいで土地が痩せ衰えて、もう何十年も不作が続いているのよ。このあたりは比較的マシな方だけど、もっと北の方では飢餓で苦しんでいる人たちが大勢いるって聞くわ」
「これ全部、元を正せば精霊王がいなくなったせい。つまり、精霊王が封印されなければ……いや、それ以前に魔王の手先になんてなっていなければ、今オレたちがこんなに苦労してることもないってわけ」
「そういうこと」
 そこで二人の説明は終わった。しかしエルフィオーネにとっては衝撃のほうが大きく、何も答えることができなかった。そんなエルフィオーネの様子に気づき、ミリアが顔を覗きこむ。
「フィオ? どうしたの、大丈夫?」
「えっ!? あっ、うん! 大丈夫、なんでもないよ」
 慌ててそう答えるが、その様子は明らかにおかしかった。シークはエルフィオーネを心配そうに眺めて言う。
「……だからさ、この世界じゃ精霊王は悪の存在でしかないんだ。勇者が魔王を『倒した』んじゃなく『封印』したってなっているのも、魔王と精霊王の二人を相手に、勇者は封印するのが精一杯だったからなんだよ。それも命と引き替えに。魔王一人が相手なら完全に倒すこともできたんだろうけど、精霊王も一緒になってかかってきたんじゃなぁ……」
「最近魔物が頻繁に現れるようになって、魔王の封印が解けるんじゃないかって言ってる人もたくさんいる。だからあたしたちは、いつまた復活するかもわからない魔王の存在に怯えて暮らしてるのよ。実質、全然平和は訪れてないの。わかるでしょ? 精霊王と同じあなたのその名前がどんな意味を持つのか」
「うん……。よくわかった」
 エルフィオーネが呟くようにそう答えると、ミリアもシークも黙ってしまった。三人しかいない図書館は途端に静まり返る。
 二人は気まずそうに視線を合わせると、シークが気をきかせてエルフィオーネに話しかけた。
「な! それでフィオちゃん、あれからレンとはうまくやってるのか?」
「……え?」
 エルフィオーネが顔を上げ、ミリアも慌てて続ける。
「あいつ寝起きも口も悪いでしょ? 大丈夫? なんかいろいろ言われたり、こき使われたりしてない?」
「ううん、全然そんなことないよ」
「そっか。ならよかった」
「レンのヤツ、一人暮らし長いくせに家事とかは全然だもんな。フィオちゃんも苦労してるだろ」
 シークのその言葉に、エルフィオーネはふと思い出した疑問を口にした。
「ねぇ、レンのご両親のこと、二人はなにか知ってる?」
 その質問に、ミリアとシークははっとした。しばらく悩んだあと、シークが言いにくそうに口にする。
「あいつの両親、亡くなってるんだよ」
「! そうだったんだ……」
 エルフィオーネは以前レンティスに両親のことを尋ねたとき、どうして彼が答えてくれなかったのかを理解した。同時に、訊いてはいけないことを言ってしまったんだと罪悪感が込み上げる。
「この町にも一度、魔物が襲ってきたことがあってさ。それこそ剣や弓矢じゃ到底太刀打ちできないようなヤツ。それでレンの両親は――」
「シーク!」
 そこまで言った瞬間、言葉を遮るようにミリアが声を上げた。そして無言でシークの背後に視線を促す。
「レン!」
 シークが振り向いた先、そこにはいつからいたのか、図書館の入り口にレンティスが立っていた。その表情からははっきりと怒りを読みとることができる。シークは慌てて謝った。
「わっ、悪いレン! 勝手にこんなことしゃべって……!」
 しかしレンティスはそんな言葉などまるで耳に入っていない様子で三人に歩み寄った。そして右手を挙げ――殴られる! そう思ったシークが思わず目を閉じる。しかし、しばらく経っても予想していた衝撃はやってこなかった。
「……ッ! レン!?」
 驚いたような怯えたようなエルフィオーネの言葉に、シークがそっと目を開ける。そこには無言でエルフィオーネの腕を掴んで歩くレンティスと、引っ張られながらそのあとを追うエルフィオーネの姿があった。
 二人はそのまま図書館をあとにしてしまった。残されたミリアとシークがぽつりと漏らす。
「あれ、そうとう怒ってたんじゃない?」
「オレ殴られるかと思ったよ、マジで」
 そしてお互い顔を見合わせため息をついた。
「「フィオ(ちゃん)大丈夫かなー……」」

*  *  *

 図書館から少し離れた先。そこにはあからさまに不機嫌なレンティスと、その横で不安げにその様子を窺うエルフィオーネの姿があった。
 あれから一言も話さないレンティスに、エルフィオーネが恐る恐る話しかける。
「……レン?」
 レンティスは何も答えず遠くを睨んでいたが、しばらくして小さくため息をついた。
「シークの奴、よけいなこと喋りやがって」
「ご、ごめんなさい! でもシークは悪くないの。私が訊いたから話してくれただけで……」
 そう弁解するエルフィオーネを見て、レンティスはどこかあきれたように再びため息をつくと言った。
「……俺の両親、二人とも魔物に殺されたんだ」
「!」
 思いがけないその言葉に驚き、エルフィオーネは思わず顔を上げる。しかしレンティスはそんなエルフィオーネには視線を向けず、遠くを見つめたまま続けた。
「十年前、町に魔物が襲ってきて、親父は俺と母さんを守るために戦った。でも、まったく敵わなかった。それで親父は死に、逃げる途中に母さんも俺を庇って魔物にやられた」
「それでレンはずっと一人だったんだね……」
「あのときの俺は本当にガキだった。どうしようもないくらいに。俺が何もできなかったから二人は――!」
「レンのせいじゃないよ。だって、まだ小さな子供だったんでしょう? 何もできなくても仕方ないよ」
「――違う!!」
 突然レンティスが声を上げ、感情が高ぶったように叫ぶ。
「俺のせいだ! ガキだったんだよ俺は。勇者と同じ名前に浮かれて喜んで、自分が強い気にでもなってたどうしようもないガキだったんだよ!」
「レン……」
「何が勇者だ! 何が世界を救った英雄だ! 俺には人一人守る力すらない。こんな名前大嫌いだ!!」
 ガン! と壁に拳を叩きつける。吐き捨てるようにそう言ったレンティスの表情は、怒りと悔しさで歪んでいた。彼が本名で呼ばれることをあそこまで嫌っていた理由はこれだったのだ。
 そんなレンティスに、エルフィオーネは今にも泣きそうな顔で言う。
「そんなこと、言わないで。それなら……それなら私がレンを守るから!」
 突然の言葉にレンティスは顔を上げた。わけがわからないといった顔をするが、エルフィオーネは続ける。
「私は精霊王なのよ? この世界ではあなたを、勇者を裏切った魔王の手先ってことになっているのけど……でも私は違う! 今度は私がレンを守る!」
「何言って……」
「レンも知ってるでしょ? 精霊王の私は魔法が使えるんだから! だから魔物にやられたりすることもないし、レンを守ることだってできる。私が、私がずっとそばにいるから……」
「おまえ……」
 その時だった。二人の耳に叫び声が届き、同時に何かが破壊されるような轟音があちこちから響いた。
「なっ、なに!?」
 エルフィオーネが慌てて辺りを見まわす。すると、先ほどの図書館のほうからシークとミリアが走ってきた。かなり焦った様子でミリアが告げる。
「大変よ! 魔物が襲ってきたの! 二人とも早く逃げないと!」
「魔物が!?」
 レンティスが驚いて訊き返し、ミリアよりもいくぶん落ち着いた様子のシークが答える。
「ああ。それもかなりの数で、町の西側はほとんどやられてる。オレたちも早いとこ避難しないとやばいぜ」
「……わかった。西に現れたんなら、ひとまず中央広場のほうに――」
 レンティスがそう言ったときだった。
 地の底に響くような唸り声と共に、巨大な魔物が空から現れ、四人の前に降り立った。そしてそれに続くように飛行型の魔物も次々と姿を現す。
「くそっ……囲まれた!」
 かなりの数。不利な戦いであることは目に見えていたが、エルフィオーネを除く三人は武器を構えて立ち向かった。

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