それは誰も知らない真実。
人々の歴史からは消えた、ロストクロニクル――


魔王が待ち構える城の最上階へたどり着いた、勇者レンティス。
しかし魔王の矛先は精霊王エルフィオーネに向けられました。
精霊を統べるその力を魔王は欲したのです。
襲いかかる魔王から精霊王を庇い、勇者は最後の力を振り絞って魔王を封印しました。
精霊王を守り、魔王から世界を救った勇者。
しかしその命の灯火はすでに消えかかろうとしていました。
「お願い、死なないで。あなたのいない世界で生きていくことはできません」
そう言った精霊王の言葉を聞いていたのは勇者だけ。
ほかに知るものは、誰もいないのです。

ロスト・クロニクル 5


 剣を薙ぎ払う音と共に、魔物が地面へと叩きつけられた。魔物はしばらくもがき苦しみ、やがて事切れた。しかし空にはすぐに代わりの魔物が現れる。
「オイオイオイオイ、マジでやばいって!」
 シークが叫ぶ。レンティスもシークも、そしてミリアも武器を手に立ち向かったが、魔物は倒しても倒してもきりがなかった。いつも森でしている狩りとはわけが違う。三人ともダメージを受け、体力も限界に近かった。
 しかし敵は空を舞っている魔物だけではない。レンティスの目の前には、それらを従えているひときわ大きな魔物が立ち構えていた。翼を持つそれは、おそらく飛行竜と呼ばれる類の魔物だろう。
「なんだよこの数……なんでこんなに魔物が集まってくるんだよ!」
 町が魔物に襲われることはたびたびあったが、ここまでたくさんの数が一度に現れたことは今までになかった。その上、まるでレンティスたちのもとに集まってくるかのように、次から次へとその数は増え続けている。
 そんな中、エルフィオーネは一人戦うこともできず、ほかの三人に守られるように囲まれていた。ミリアが肩越しに振り向いて告げる。
「フィオ、あなたは逃げなさい! ここにいたらフィオまでやられる!」
「で、でもっ」
「この道を真っ直ぐ行けば広場に出るから、そこまで行けば安全なはずよ」
「でもミリアたちは……」
「早く!」
 そう怒鳴られ、エルフィオーネはためらいながらもミリアの指差した方向へと走りだした。しかしその瞬間、魔物たちの目がエルフィオーネに向けられた。それまで攻撃してこなかった飛行竜がエルフィオーネ目掛けて襲いかかる。
「!!」
 エルフィオーネは思わず目を閉じてその場に立ちすくんでしまった。けれど飛行竜の攻撃は届かず、代わりに鈍い金属音が響いた。
 恐る恐る目を開けたエルフィオーネの視界に入ってきたのはレンティスの背中だった。飛行竜の鋭い爪を剣で受け止めたまま、レンティスが視線だけを後ろに移す。
「このバカ、のろのろしてんじゃねぇよ! 早く行け!」
 そう言って一気に剣を振り下ろす。しかし飛行竜はびくともせず、その爪がレンティスを襲った。
「レン!!」
 エルフィオーネがレンティスのもとに駆け寄る。膝を突いてうずくまるレンティスを覗きこむと、切り裂かれた左肩からは血が流れ出していた。決して浅い傷ではない。
「バッカやろ……なんで戻ってきたんだ!」
「やっぱりできない、みんなを置いて逃げるなんてできないよ! もう嫌なの……。私のために誰かが傷つくなんて、そんなの見たくないの!」
「おまえ、何言って……」
 その時、悲鳴が上がった。二人が振り向いた先にあったのは、横たわるミリアの姿。シークが駆け寄ろうとするのだが、襲いかかった魔物に薙ぎ払われてしまう。ミリアもシークも、もう立ち上がる気力は残っていなかった。
「ミリア! シーク!」
 レンティスがそう叫んだ一瞬の隙だった。エルフィオーネが飛行竜に掴まれ、悲鳴を上げた。
「くっそ……! 離しやがれ!!」
 そう叫んでレンティスが斬りかかる。しかし飛行竜は軽々とそれをよけ、大きな翼でレンティスを打ちつけた。手にした剣が宙に投げ出され、レンティスも弾き飛ばされてしまう。
「レン! やめて、離して!」

《……見ツケタ……》

 その時、かすかに声が聞こえた。まるで地の底から響いてくるような低い声。エルフィオーネは驚いて思わず動きを止めるが、その声の主の姿はどこにも見当たらなかった。
《見ツケタゾ……精霊王……》
 再び聞こえたその声にエルフィオーネがはっとする。
「あなた、なの……?」
 自分を捕らえている飛行竜に向かって問いかける。人の言葉を持つはずのない魔物に向かって。しかし、答えはその飛行竜から返ってきた。
《ソウダ……私ハ目覚メタノダ、オマエト同ジヨウニナ……》
 それは聞き覚えのある声だった。エルフィオーネの脳裏にかつての光景が蘇る。それは、思い出したくもない思い出――
「まおう……?」
 搾り出されるようにエルフィオーネの口から出た名前。それは千年前、この世界を支配していた闇の存在のものだった。勇者の命と引き替えに封印されたはずの、その名前。
「どうしてあなたがここに……」
《コノ姿ハ仮ノ姿……モウスグ私ノ封印ハ解カレル……精霊王、オマエノ力ヲ手ニ入レレバナ!》
「そんな……だってあなたはレンティスに」
《タカガ人間ゴトキノ力デ、私ヲ完全ニ封ズルコトナド出来ハシナイ……私ハオマエノ力ヲ手ニ入レ、完全ナル復活ヲ遂ゲ――!?》
 飛行竜の姿を借りた魔王の言葉は、突然飛んできた剣によって遮られた。視線を移すと、そこには先ほど薙ぎ飛ばしたレンティスの姿があった。
「俺のこと無視してごちゃごちゃしゃべってんじゃねぇよ! 魔王だかなんだか知らねぇが、調子に乗ってんじゃねぇ!」
 そう叫び地面に突き刺さった剣を引き抜くと、レンティスは飛行竜目掛けて走りだした。
《人間ノクセニ煩イ奴ダ……殺スカ……》
「レン、ダメ! ――きゃあッ!」
 飛行竜は掴んでいたエルフィオーネを振り落とすと、レンティスに向かって翼を打ちつける。レンティスはその攻撃を剣で受け止めるが、今度は前足の爪が襲いかかった。鋭い爪に切り裂かれ、レンティスは地面に叩きつけられる。その姿を見下ろす飛行竜の口から、再び魔王の言葉が発せられた。
《オマエハアノ時ノ人間ダナ……? ナラバヤハリ、生カシテオク訳ニハイクマイ……!》
 言い終わると同時に、飛行竜はレンティス目掛けて降下した。しかしレンティスの耳にその言葉は届いていなかった。ぼやけた視界の中に、自分と同じように地面に横たわるシークとミリアの姿が映る。
「まただ……また俺は誰も守れないのか……? 誰も守ることができないのか……!?」
 そう呟くレンティスの頭にあったのは、遠い昔の光景だった。
 魔物から自分を庇って死んだ父と母。あの時の自分はただ怯えるばかりの何もできない子供だった。あれから十年の時が流れたが、自分は何一つ変わっていなかった。自分には、世界を救った勇者と同じ名前を名乗る資格はない――
「俺は、このまま死ぬのか……?」
《ソウダ……オマエハ死ヌ……・私ノ手ニヨッテナァッ!!》

「ダメーーーッ!!!」

 飛行竜がレンティスに襲いかかるその瞬間、エルフィオーネの声が響き渡った。同時に一陣の風が吹き抜け、辺りを光が包みこむ。それはエルフィオーネの体が発する光だった。
 それは、かつてこの世に存在した魔力と呼ばれるもの。今は失われたはずの、しかし精霊王である彼女だけが持つ力。
「レンティス、今度は私があなたを守る番よ……」
《コレハ……ソウダ、私ガ欲スルモノハコレダ! ソノ力、我ガモノニスル!!》
「そんなに欲しければくれてやるわよ、こんな力――!」
 光がさらに強まる。飛行竜とエルフィオーネの力がぶつかり合い、激しい衝撃が駆け抜けた。
「二度もレンティスを失うことなんて、させない!!」
 極限まで高まった光の中、飛行竜の口から魔王のうめき声が漏れた。
《馬鹿ナ……私ガ再ビ封印サレルダト……!?》
「封印……? 違う、消えるのよ。あなたはこの世界にはいてはならない存在。消えなさい!!」
 その瞬間、轟音が響き、眩しい光と共に魔王の断末魔は掻き消された。
 音と光がやんだ静寂の中、そこにあったのはエルフィオーネの姿だけだった。
「私のせいでたくさんの人が傷ついてしまった……」
 エルフィオーネは空に手をかざした。
「これが私の最後の力――」
 手のひらに光が集まり、やがてそれは徐々に大きくなっていく。そして、暖かな光が町を包みこんだ。

*  *  *

 目を覚ましたレンティスは何が起こったのか理解できず、しばらく呆然と立ち尽くしていた。しかし先ほどまでの出来事を思い出し、我に返ったように自分の体を調べだす。ところどころ服が破れているだけで、そこにはあるはずの傷は一つもなかった。
 再び呆然となって辺りに目をやった。シークとミリアも起き上がり、不思議そうに自分の体と周りを眺めている。そしてレンティスの目に入ってきたのは、地面に横たわるエルフィオーネの姿だった。
 あのとき確か、エルフィオーネの体を光が包み、飛行竜が彼女目掛けて襲いかかって――
 レンティスの脳裏に最悪の事態がよぎった。慌てて駆け寄り、エルフィオーネを抱き起こす。
「オイ! 起きろよ! 目ぇ覚ませよ……オイ! エルフィオーネ!」
 しかしエルフィオーネから答えは返ってこなかった。レンティスが愕然と呟く。
「嘘だろ……エルフィオーネ……」
 その時、エルフィオーネのまぶたがかすかに動いた
「レ、ン……?」
「エルフィオーネ……? オイ! しっかりしろ!」
 その言葉に反応し、エルフィオーネは力なく笑った。
「レン、ティス……私のこと、初めて名前で呼んでくれたね」
「!」
 思いがけない言葉にレンティスが驚く。しかしすぐに照れくさそうに言い返した。
「こんな時に何言ってんだおまえ……心配させやがって……。おまえも! その名前で呼ぶなって言っただろーが!」
「えへへ……心配、してくれたんだ?」
「!! ……あーもう! よけいなことばっか言ってんじゃねぇよ!」
 目をそらしてそう言ったレンティスは、あきれたような、けれどどこか安心したような表情を浮かべていた。それを見てエルフィオーネは少しだけ笑うと、すぐ寂しそうな顔をした。
「ごめんね。私のせいでレンやシークやミリア、それに町の人たちを傷つけちゃった……」
「おまえ……」
「本当に、ごめんなさい」
 そう言うと、エルフィオーネはよろめきながらも立ち上がった。レンティスが慌てて声をかける。
「おまえ、大丈夫なのか?」
「うん。でも、もう力はなくなっちゃった。だから……さよなら、レン」
「は……? なんだよそれ」
「私、もう精霊王じゃないの。もうその力、なくなっちゃったから……。だから私、レンのそばにはいられない。だから……さようなら」
「なっ……なんだよそれ! どういうことだよ!?」
 わけがわからずそう叫ぶレンティスを見つめ、エルフィオーネは静かに告げた。
「精霊王じゃなきゃ、レンティスのそばにいられる理由がないの。力を失った私は、ただのエルフィオーネだから……。だからもう、あなたのそばにはいられない」
「なに勝手に決めてんだよ! 俺はなぁ、精霊王にそばにいてほしいなんて思ったことは一度もないし、おまえが精霊王だと思ったことも一度もない!」
「でも、私は……」
「何度も言うけど、俺は勇者レンティスなんかじゃない。ただのレンティスだ。ただのレンティスのそばにただのエルフィオーネがいたって、なんの問題もないだろーが!」
 レンティスの言葉にエルフィオーネが呆然となった。まるでそれが信じられないという表情で呟く。
「ほんと……? だって私、もう力ないんだよ? レンティスを守ることだって、できないんだよ?」
「俺がいつお前に守ってほしいなんて言った?」
「でも私、だって……」
「だ〜ッもう! 俺は『ただのエルフィオーネがいい』って言ってんだ! 俺がいいって言ってるんだから、素直に受けとれっつーの!」
「〜〜〜〜ッ!! レンティスーーーー!!」
「だから! 抱きつくなって! その名前も呼ぶんじゃねぇ!!」
 そう叫ぶレンティスと、抱きつくエルフィオーネ。それは出会った時と同じ光景だったけれど、二人のあいだにある気持ちは、そのときよりも少しだけ近づいていた……かな?

「1000年後、生まれ変わって必ずあなたに会いに行きます」
「それでは私も眠りにつきます。1000年後の、あなたのいる世界まで」

FIN.

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