石蕗さんの家政夫日誌

a certain Friday...


 ことは予期せず収束の途をたどることとなる。
 本日昼前、行方不明のキャロラインちゃんに関して有力な情報を入手する。彼とおぼしきものを見かけたという旨の連絡が事務所に入ったのだ。先日配ったチラシが早くも功を成した模様。
 目撃場所は、鴨池自然公園からさほど遠くない住宅地。
 人手が必要とのことで、午後からは捜索に合流することとなった。さっそく現場に赴くと、そこで待っていたのは芹川さん一人。所長は所用で席を外しているとのことだった。
「まあ、いてもいなくても、たいした変わりはありませんけどね」
 とは、彼女の弁。さらに不平を言い連ね、険悪な雰囲気は相変わらずのようだった。それでも愚痴はほどほどで切り上げ、話は肝心の捜索に移行する。分別を持って仕事にあたることのできる芹川さんは、やはり大人であった。
 付近で聞きこみをしたところ、この辺りにキャロラインちゃんがいることに間違いはないとのこと。つい二十分前に彼を目撃した住人もいるらしい。
「キャロラインちゃん、隙間に入りこむのが好きらしいですから、どこかに隠れているのかもしれません。それで先生が今――」
「…失礼」
 芹川さんの言葉を遮り、背後を振り返る。
 なにか今、人の気配と視線を感じた。主の予想はついている。芹川さんに断りを入れると、その人物のもとへと向かった。
 予想は的中。
 犯人は、二つ先の十字路の角にひそんでいた。存在を見破られても逃げ出さなかった点は、潔いと評価すべきだろうか。しかし、引きつった笑みを浮かべ、とっさに取り繕うさまを見る限り、己の行為が褒められたものではないことは理解しているようだ。
「…ここで何を」
「あは、あははははっ。もー、わかってらっしゃるくせにぃっ!」
 そう言ってしきりに腕を叩いてくるのは、やはりというべきか、またしてもというべきか。制服姿の如月さんであった。その首には馴染みのカメラが提げられ、今回も隠し撮りを行っていた様子。対象はもちろん芹川さんであり、目的はいうまでもなく先輩メモリアル第二号の制作だ。彼女の存在を察したのも、耳に届いたかすかなシャッター音が理由だった。
 如月さんは電柱の陰から顔を出し、通りの向こうにいる芹川さんの様子をうかがう。彼女にとっては幸いなことに、芹川さんは捜索を再開しており、こちらには気づいていないようだった。安堵したように息をつく。
「わたしのこと、先輩には内緒にしておいてくださいよぅ? 先輩メモリアル第二号が完成したあかつきには、真っ先に石蕗さんにお見せしますからっ」
 特に魅力的な条件でもなかったが、芹川さんに通告するメリットも浮かばなかったので、ひとまずその交渉を呑むことにする。
 如月さんは再び安堵の笑みを漏らすと、さっそくカメラを掲げ、撮影を続行しはじめた。大砲のような望遠レンズを対象に向け、恐ろしい速度でフィルム残量を減らしていく。ほとんど連射に近い。アルバムに掲載されていないものも含めれば、彼女の有する芹川さんの写真はいったいどれほどの量になるというのだろう。
 想像してうすら寒くなり、次いであきれ、半ば感心しながら、先日訊きそびれた妙な視線の件について尋ねる。
「じつは今日も感じたんです。でもいい加減慣れてきちゃったといいましょうか、今のわたしにとっては、先輩の写真を撮影することのほうが大事ですからねっ」
 ファインダーを覗いたまま如月さんは答える。相談を持ちかけてきたときに見受けられた不安と恐怖の感情は、もう微塵もないようだった。しかし、つきまとわれているのが事実だとしたら、本人がそれでよいのなら、で済ませられる問題でもないように思える。必要以上に過敏になりすぎるのも厄介だが、たくましすぎるのも考えものだ。園内で怪しい男性を見かけたことくらいは伝えておくべきだろう。
 そう思い、口を開きかけたとき、如月さんが声を上げた。
「やややっ!? 高橋さんがなにやらすごいものを持って登場ですよっ?」
 その言葉につられ、視線の先に目をやる。すると、いつの間にか所長が戻っていた。その手には、彼女の言うとおり「すごいもの」が抱えられている。
 テレビドラマや映画では、目にする機会も多いだろう。そのもの自体が一つの単語として定着している感もある。しかし、現実で目にすることはそうはない。よほどの人物とシチュエーションを選ぶものだ。贈り手も貰い手も、相当に恥ずかしいものと思われる。それを持って現れた所長も、遠目にもわかるほど恥じ入っていた。
 バラの花束。
 透明なセロファンと金色のリボンで包装された、真紅のバラ、ローテローゼ。三十本はあるだろうか。男性の両腕にもあまるほど大振りな花束だった。そして当然、所長に似合う、もしくは見合うアイテムでもない。
「まっ、まさか高橋さん、先輩と仲直りするために……!?」
 興奮気味に口走ると、如月さんはシャッターを切る手をさらに速めた。
 所長が手にしているものに気づき、芹川さんも驚きの表情を見せる。そんな彼女に申し訳なさそうに歩み寄り、所長は苦笑を浮かべて花束を差し出した。芹川さんはあきれた様子で一言二言告げ、しかし、すぐに毒気を抜かれたように笑みを返し、それを受けとろうと手を伸ばした。
「おおっ!? まさにチャッターチャーンス! 題して、『真っ赤な薔薇はあいつの唇』っ!」
 あまり感心できないネーミングセンスを披露し、如月さんの指が、ミシン針のごとき高速上下運動を開始する。それと、ほぼ同時だった。
 視界に予期せぬ第三者が乱入したのは。
 我々のいる十字路より一つ手前の角、すなわち我々と所長たちの中間地点から、その人物は現れた。飛び出した、という表現のほうが正確だろう。突然通りに踊り出ると、そのまま所長たち目掛けて走りだす。その後ろ姿、なにより被ったニット帽は、見覚えのあるものだった。つい先日、公園で見かけた不審な男性。
 真っ先に声を上げたのは如月さんだった。しかし、その声が通りの向こうまで届くことはなく、所長と芹川さんが男性に気づいたのは、その荒々しい足音が間近にまで迫ってからだった。
 二人が揃って振り返る。男性はすでに足を止めていた。二人との距離は、二メートル足らず。
 所長も芹川さんも、現れた見知らぬ男性を怪訝そうに見やる。しかし、その表情はすぐに警戒へと変化した。後ろ姿からでもわかる男性の異常な様子を察したのだろう。
「なんなんですか? あの人……」
 訝しげに呟き、如月さんがカメラを下ろす。
 男性は緩慢にも思える動作で二人に歩み寄った。その照準は、所長か、芹川さんか。なにか用ですか、と所長の口が動いた、刹那。
 赤が散った。
 視界に、宙に、鮮やかな赤色が舞い、飛沫のように路面を染めた。鮮烈で、美しささえ感じさせる一瞬。しかし、地面に横たわるその姿は、ただ無残の一言で、見る者の悲嘆と哀愁を誘った。先ほどまで大輪の花を誇らしげに咲かせていた面影は、微塵もない。
「なっ……何するのよ!?」
 怒りが大部分を占めるその叫びは、こちらにまで届いた。
 突然、手の内から花束をはたき落とされた芹川さんは、掴みかからんとする勢いで男性に詰め寄った。所長が慌てて止めに入ろうとする。が、掴みかかったのは、男性のほうであった。
「せせせっ、先輩っ!」
 またしても、真っ先に声を上げたのは如月さん。
 男性は乱暴に芹川さんの腕を掴み上げると、そのまま叩きつけるように道路脇の塀に彼女を押しつけた。背中に衝撃が走り、芹川さんは息が詰まったように顔をゆがめる。しかし、すぐに抵抗を開始。片腕で反撃を試みる。だが、その左腕も男性に押さえつけられ、たちまち自由を奪われてしまった。
「ちょっと、なんなのよ、離しなさいよ!」
 芹川さんは必死にもがくが、腕力では到底敵わない。嫌がる彼女に男性は、顔と体を近づける。芹川さんの短い悲鳴が上がった。
 それが、きっかけになったのか。
 いくら周囲から頼りないと称されようとも、助手の、いや、女性の危機を目の前にして、助けの一つにも入らないほど所長は落ちぶれてはいなかった。ここで行動を起こさず呆然と眺めているだけだったら、人として見損なっていたところだろう。
 やめろ、と言ったのか、離せ、と言ったのか、そこまではよく聞きとれなかった。所長は男性の肩を掴むと、力任せに芹川さんから引き剥がした。開放された芹川さんは、とっさに所長の背に身を隠し、男性と所長が対峙する。こちらからは後ろ姿しかとらえられないが、男性の表情は容易に想像がついた。憎しみと妬みをこれ以上ないほど込め、所長を睥睨しているに違いない。
 男性が再び動く。右手で作ったこぶしを横薙ぎに振るった。
 うわ、と緊張感のない声が上がる。反射的に上体をそらし、所長は回避に成功していた。そのまま飛びのくように男性との距離を開ける。あまり格好のつかないその動作に、背後で見守る芹川さんは、心もとなげな色を浮かべていた。そしてそれは、如月さんも同じく。
「石蕗さんっ! 助けに入らなくていいんですかっ!? へなちょこの高橋さん一人じゃ――」
「…いえ、心配はいりません」
 勝敗は見えていた。
 せっかくの機会なので、如月さんにカメラを構えておくことを勧めてみる。
「やっ、やですよぅ! わたしに知人の死ぬ瞬間をカメラに収めろと言うんですかっ!?」
 どうやら彼女にはとんでもない勝敗が見えているらしかった。死者亡霊魑魅魍魎を撮り尽くしてきた如月さんにも写したくないものがあるということにも驚きだが。
 ふいに二つの悲鳴が重なった。
 声の主は、芹川さんと如月さん。突進とも形容できる勢いで、男性が所長との距離を詰めていた。そのまま所長目掛けて掴みかかり、否、殴りかかろうとする。芹川さんは所長の名を叫び、如月さんは両手で目を覆った。所長は向かってくる男性と対したまま動じず、
「ひぃッ!?」
 怯えにも似た声を上げたのは、男性。急ブレーキを踏んだ車のように、突然バランスを崩す。
 一瞬の隙。
 所長が男性の右腕を掴み、下から上へとひねり上げる。引き寄せられた男性の体は反転し、後方に力を加えられると、なすすべなく背中から地面に沈んでしまった。
 鈍い衝撃音。コンクリートに叩きつけられ、大の字に伸びた男性が一人。
 またたく間のできごとだった。男性には抵抗するいとまもなかった。自分の身に何が起きたのかすら理解できなかったであろう。間近で目撃した芹川さんも、指の隙間から覗いていた如月さんも、双方とも時が止ったように固まっていた。芹川さんには、なにかデジャヴを目にしたような驚きすら浮かんでいた。ただ一人、行動を許された所長は、身を起こして一息つき、額を拭う仕草をする。
 その足元で、緑色の巨体が這いうごめく。そこには、地面に散らばったバラの花びらをはむキャロラインちゃんの姿があった。

 ――これ以上の夜更かしは明日の業務に差し支えるため、本日の手記は以上。

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