空の童話 -a pair of wings-



 空のかなた、雲の上。
 天界と呼ばれるところでは、たくさんの天使たちが暮らしていました。
 天使たちはみな、空を自由に飛べる大きな羽を持っていました。
 けれどたったふたりだけ、ふたりで一対の羽を持つ、双子の天使がいたのです。

 右の羽を持つ天使をイリといい、左の羽を持つ天使をスウといいました。
 ふたりは太陽のように輝く金色の髪と、空のように澄みわたった青い瞳を持っています。

 イリとスウは、ふたり一緒でないと空を飛ぶことができません。
 つないだ手をはなしてしまったら、あっという間にまっさかさまです。
 だからふたりはいつも一緒。
 虹の橋を渡るときも、雲のふとんでお昼ねするときも、もちろん空の散歩をするときも一緒です。
 背中の羽がなければ、女神さまだってふたりを見わけることができないでしょう。

+  +  +

 ある日のこと。
 スウがお昼ねから目をさますと、となりにいるはずのイリの姿が見あたりません。
 あわててあたりを見回すと、雲のはしにしゃがみこんでいるイリを見つけました。
 イリは身を乗り出し、なにかをじっと眺めているようです。

「どうしたの? なにを見ているの?」

 スウがたずねると、イリは答えました。

「下の世界だよ」

 イリの言葉に、スウは首をかしげました。
 けれどイリはうれしそうにつづけます。

「知ってる? スウ。
 下の世界には、ゆらゆら揺れる、大きな空があるんだよ」

「ゆらゆら揺れる空?」

「そう。下の世界では、それを『海』って呼んでるんだって」

「うみ……」

 ゆらゆら揺れるんじゃ、きっと散歩するのはあぶないだろうな。
 スウにはなんだか海が危険なもののように思えました。


 イリの様子がおかしくなったのはその日からです。
 スウが雨のシャワーを浴びに行こうと言っても、星のかけらをひろいに行こうと言っても、イリは雲のはしに座って下の世界を眺めるばかり。
 とうとう一日中下の世界を見ているようになってしまいました。

「ねぇ、どうしてそんなに下の世界ばかり見ているの?」

 スウがほおをふくらめてそう言うと、イリはやっぱりうれしそうに答えます。

「下の世界には、天界にないものがいっぱいあるんだよ。
 ぼくたちが見たこともないようなものがたくさんあるんだ」

「もしかして、イリは下の世界に行ってみたいの?」

「うん! 下の世界を飛び回って、いろんなものを見てみたいんだ。
 ねぇスウ。一緒に下の世界に行ってみない?」

 それを聞いて、スウは驚いたような顔をしました。

「下の世界はあぶないところだって聞いたもの。スウは行きたくない」

「そっか……」

 イリはさみしそうにつぶやきました。


 けれど次の日も、その次の日も、イリは一日中下の世界を眺めていました。
 イリが下の世界にあこがれる気持ちは、見ているスウにも伝わってきます。
 でもやっぱり一緒に行く気にはなれません。
 イリも下の世界に行きたいけれど、いやがるスウをむりやり連れて行く気にはなれません。
 
 イリは、これほどひとりで飛ぶことができたらよかったのに、と思ったことはありませんでした。
 スウも、これほどイリひとりで飛ぶことができたらよかったのに、と思ったことはありませんでした。


 そしてまたある日のこと。
 目がさめたイリは、となりにスウの姿がないことに気がつきました。
 あわててあたりを見回したとき、今度はいつもより背中が重たいことに気がつきました。
 どうしたんだろうと後ろを見てみると、なんとそこにはあるはずのない左の羽があったのです。
 イリの背中には、ほかの天使たちと同じように二つの羽が生えていました。
 ためしに羽ばたいてみると、体がふわりと宙に浮きました。

「すごい……ひとりで飛べた! 願いごとが叶った!」

 イリはうれしさのあまり、くるくるとあたりを飛び回ってしまいました。
 すると、ひときわ小さなひつじ雲の上に、ぽつんと立っているスウの姿を見つけました。

「スウ見て! ぼくひとりで飛べるようになったよ!」

 そう言ってよろこぶイリを見上げ、スウはにっこりと笑いました。
 けれどイリはおかしなことに気がつきました。
 スウの背中にあるはずの、左の羽がなくなっていたのです。
 イリは驚いてスウのもとへ飛び降りました。

「どうしたのスウ!? なんで羽がなくなっちゃったの!?」

 スウはまたにっこりと笑って答えました。

「女神さまにお願いして、スウの羽をイリにつけてもらったの。
 これでイリひとりでも飛べるようになったでしょう?」

「どうしてそんなこと……」

「スウは下の世界に行きたいと思わないけど、イリが行きたいと思うなら、イリには行ってほしいもの」

「でもスウはもう空を飛ぶことができないんだよ?」

「いいの。かわりにイリが飛んでくれるから。
 それにスウまで一緒に行ったら、イリが帰ってくる場所がなくなっちゃうでしょう?
 下の世界を飛び回って疲れたときは、いつでも帰ってこられるように、スウはここで待っているから」

 イリは思わず泣いてしまいそうになりました。
 けれどスウも我慢しているのがわかったから、それをこらえて笑顔を作りました。

「ありがとう、スウ。すごくうれしいよ。本当にありがとう」

「イリと一緒にいられないのはさみしいけど、スウはずっとここで待っているから。
 そのかわり帰ってきたときは、下の世界のお話、いっぱい聞かせてね」

「うん! 約束する」

 ふたりは指きりげんまんをしました。

「それじゃあスウ、いってきます」

「いってらっしゃい、イリ」

 ふたりは笑顔で別れました。
 小さくなっていくイリの背中を、スウは雲の上からいつまでもいつまでも見送っていました。

+  +  +

 空のかなた、雲の上。
 天界と呼ばれるところでは、たくさんの天使たちが暮らしていました。
 天使たちはみな、空を自由に飛べる大きな羽を持っていました。
 ふたりで一対の羽を持つ双子の天使は、羽のある天使と、羽のない天使になってしまいました。

 羽のある天使をイリといい、羽のない天使をスウといいました。

 イリは今日も下の世界を飛び回っています。
 スウは今日も天界でイリの帰りを待っています。

 イリとスウは、もうふたり一緒に空を飛ぶことができません。
 けれどふたりはいつも一緒。
 どんなに離れていても、見えない手をつないでいるのです。
 もう二度とはなすことのない手をつないでいるのです。


 広い空のかたすみの、小さな小さなお話でした。

FIN.



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