灰かぶりの幸福論



 おや、懐かしいもんが出てきたよ。たまには戸棚の奥まで掃除してみるもんだ。しかしまあ、ずいぶんと色あせちまったねぇ。上等な羊皮紙だろうに、すっかり黄ばんじまってる。
 これかい? そりゃ古いさ。もう十年以上前、あたしがあんたくらいのときに貰ったもんなんだから。
 でも、ほら。この印には見覚えがあるだろ? 封蝋に押された双頭の鷲。ここらじゃ見たことがないもんのほうが少ないだろうねぇ。なんたって、この国のお城の紋章なんだから。
 今でこそ、あたしら平民がお城に入れる機会といったら、王様王妃様お姫様の誕生祭と、建国記念の祝賀式典くらいのもんだけど、あの頃は毎晩のように舞踏会が開かれててねぇ。足を運ぶのは貴族様がたばかりだったが、町娘も何人か城から招待されたんだ。選ばれた娘のもとには、従者さんがじきじきに招待状を届けに来てね。
 そうさ、これがその招待状さ。あたしら若い娘は、これが自分とこにやってくるのを毎日心待ちにしたもんだよ。
 舞踏会の主役は王子様だ。今の王様だね。
 当時の王様は、そりゃもうたいそうな美形だったよ。あんたにも見せてやりたかったねぇ。手足がこう、すらりと伸びててさ、金糸の髪に青玉の瞳。ははっ、今じゃすっかりその面影はなくなっちまったけどね。でも、あの頃は国中の娘の憧れの的だったんだ。
 舞踏会は、王子様の花嫁探しの場でもあったんだよ。だから呼ばれた娘たちは躍起になってねぇ。派手すぎるくらいに着飾って、なんとか王子様の目にとまろうと努力したもんさ。
 あたしが舞踏会に出席したのは一度きりだったけど、会場に入ったとたん、めまいを起こすかと思ったよ。どこもかしこも眩しいくらいの輝きで、その中でも一番きらびやかなのは、娘たちが身にまとっていた衣装ときたもんだ。
 おっと、娘たち、って言い方はまずいかもしれないね。正しくは貴族のお嬢さんがただ。あたしらみたいなただの町娘は、もちろん精一杯上等な服で臨んだけれど、それでもせいぜい貴族の普段着かそれ以下だ。どうしたって金持ち衆に敵うわけがない。
 こっちだって、自分の身のほどくらいはわきまえてるさ。お嬢さんがたのお目当ては王子様かもしれないが、あたしらにとっては雲の上のまた上の存在だ。そのお姿をちらとでも目に収めることができたら儲けもん、くらいにしか思ってなかったよ。
 それに、会場にいる男は、なにも王子様だけじゃない。それじゃ円舞曲を踊るとき、女ばっかりあぶれて長ぁい列ができちまうからね。当然、おんなじ数だけ男衆もいたさ。だから、あたしら町娘の狙いはそっち。貴族様とまではいかなくとも、良家の若君とこれを機にご縁を持てたら、なんて目論んでたんだよ。
 それで? どうだったかって?
 ははっ、そりゃあんた、どうだい、ここが高貴なお家に見えるかい?
 まあそういうことさ。あんときあたしがうまくやってりゃ、あんたが今磨いてるその食器、ぜぇんぶ銀でできてたろうねぇ。その前に、家のもんがわざわざそんなことしなくても、毎日女中たちがぴかぴかにしてくれてたか。
 ともかく、現実なんてそんなもんさ。
 あたしもね、やるにはやってみたんだよ。何ってそりゃ、男たちの気を引こうとあれやこれやさ。まあそれも全部、無駄とまではいかなくとも、たいした効果はなかったよ。姉さんに習って慣れない化粧に挑戦してみたけど、どだいもとの作りがこれじゃあねぇ。踊りの腕前だって、推して知るべしさ。
 会場には、あたしなんかよりもうんときれいで踊りのうまい娘が十も二十もいる。そんな中で目立とうったって、はなから無理な話なんだ。だからあたしは、舞踏会のあとの狙いをつけた。帰るときだよ。
 当時、ちまたで流行ってた小説があってねぇ。あんたも触りくらいは知ってるだろ。継母たちにこっぴどく使われてた娘が、魔法をかけられて舞踏会へ行く話。帰る途中でうっかり硝子の靴を置いてっちまう、まあ慌てもんの娘さ。でも、そのおかげで王子と結ばれるんだ。
 何人もの町娘が、主人公に自分を重ねただろうねぇ。あたしもその一人さ。
 だから、娘にならってやってみたんだよ。十二時を回って帰る途中、お城の門に続く長ぁい階段で、靴――は惜しいから、代わりに指輪をひょいと落としてね。まあ、そこらにほっぽり出せるくらいの安もんさ。肝心なのは何を落とすかじゃなくて、落とす行為そのものだからね。置いてくのは別になんだってかまわない。
 あたしは指輪を落とすと、わざとらしいくらい階段をゆっくりと下りた。後ろから声をかけられるのを今か今かと待ちながらね。
 え? どうせ無駄だったんだろうって?
 ところがどっこい、声をかけられたんだよ、これが。お嬢さん、落としましたよ、ってね。
 振り向くと、どうだい、王子様とまではいかないが、それでもかなりのいい男が立ってるじゃないか。思いのほかの大物に、あたしは声が上ずるのを必死で抑えながら答えた。ありがとうございます、ってね。そんで若君が、よろしければこのあとご一緒にいかがですか? なんて申し出るんだ。……あたしの頭ん中の筋書きじゃあね。
 でも実際は、あたしがありがとうございますと言い終わるか言い終わらないかのところで、若君の向こうからそれはかわいらしいお嬢さんがやってきてねぇ。若君はその手を取り、二人して馬車に乗り込んで行っちまったよ。
 それもそうさ。どうしてそのときまで気づかなかったんだろうねぇ。物語のあの娘が、なんで王子と結ばれたか。
 肝心なのは落とす行為そのもの? そりゃ大きな間違いだ。いいかい? あんたもよく覚えときな。肝心なのは、ほかでもない、見てくれさ。衣装の豪華さでも、踊りの腕前でもない。ましてや靴が片方すっぽ抜けるなんてどじのせいでもあるはずがない。容姿さ。娘が王子に見初められたのは、美人だったから、その一点だよ。現に、会場に入ってきた娘を見た瞬間、王子は一目惚れをしてるんだからねぇ。そこで王子の目を引いてなきゃ、踊りに誘われることもなかったろう。
 つまりだ。あたしら並みのもんがまねたって、物語のようにはいかないってこった。せいぜいお城の落し物置き場に物が一つ増えるだけさ。
 もういっぺん言うよ。現実なんてそんなもんさ。
 それを悟った若いあたしは、そりゃもう落胆して、むしろ怒りが湧いてきて、役立たずの指輪を腹いせにぶん投げた。そしたら茂みのほうから声が上がってねぇ。男が一人、頭を押さえながら飛び出してきた。格好からしてお城に仕える給仕だろう。掃除でもしてたのか、でっかい袋を手に持っていた。
 まあそんなことはいいんだ。
 ともあれあたしの投げた指輪が運悪く当たっちまったらしく、ずいぶん怒ってたよ。大声でどやされて、もうさんざんさ。
 なんでも、ここのところ舞踏会のたびに落し物が増えてるらしい。靴やら扇やら髪飾りやら……なるほど、よくよく見れば、階段のそこここにいろんなもんが落ちてるじゃないか。どうやらこの作戦を試してみたのは、あたしだけじゃなかったようだった。そしてみんながみんな、失敗に終わっているらしい。
 ほうらね。なんべんでも言うさ、現実なんてそんなもん。物語どおりにいくわけがないんだ。舞踏会に出られただけでも、いい経験ができたと感謝しなけりゃ。
 あんたもこれでわかったろ? わかったら――
 おやおかえり。もっと遅くなるのかと思ってたよ。もうすぐお姫様の誕生祭だからねぇ、いろいろ準備が大変だろう。
 え? 昼寝? いいや、そんなのが流行ってるなんて聞いたことないよ。もしかして、道端で寝そべってる娘たちのことかい? ああやっぱり。おまえさんも見かけたんだねぇ。そこらじゅうにいるだろう。あっはっは、ありゃ昼寝じゃないよ。物語の主人公になりきってんだ。なんていったかねぇ……ほら、最近人気のあるあの小説。おまえも読んでたろう。
 そう、それだそれだ。ああやって眠っていれば、いつか王子様が目覚めの口づけをしにやってきてくれるだろうと信じてるんだよ。
 懐かしい? ははっ、おまえさん、今ちょうどその話をしてたところさ。あたしらの若い頃にも、似たようなことが流行ったからねぇ。おまえさんでもそんなことを覚えてるとは驚きだよ。
 なんだって? 凶暴な女に指輪をぶつけられたことは、忘れたくても忘れられない? やかましいよ、まったくもう。よけいなことばっかり覚えてんだから。
 そんなことより、おまえさんからもこの子に言っておくれよ。庭の野ばらの茂みで寝るのはおよしって。そんなことしても、寄ってくるのはみつばちくらいだよ。
 やれやれ、今も昔も、若い娘のやるこた変わらないねぇ。
一周年記念祭り
FIN.



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