*目的


 澤村ユカが帰宅すると、すぐに異変を感じとった。自宅であるアパートの駐車場にパトカーが停まり、人だかりができている。
 空き巣でも入ったのだろうか。物騒だなあという思いと、少々不謹慎な好奇心を持ちながら、ユカも野次馬の一人にまぎれた。
 まさか、それが殺人事件だとは夢にも思わなかった。

 ルームメイトの突然の死に、ユカは茫然自失となった。
 頭が真っ白になり、現実を受け入れることを無意識のうちに拒絶していた。しかし、警察署へ同行し、事情聴取を受けているうちに、それが事実であることを認めざるを得なくなった。そうなると、次はもう涙が止まらなくなった。人前で恥ずかしげもなく、ユカは声を上げて泣いた。
「……落ち着かれましたか?」
 小さく嗚咽を漏らすユカに、男性刑事は静かに尋ねた。
 ユカは頷き、顔を上げた。
「わ、わたし……わたしじゃ、ありません。サエコを殺してなんか……!」
 被害者との関係や、昨夜何をしていたかを訊かれていると、まるで自分が犯人であることを前提に話を進めているように思えてならなかった。
 昨日の夜は、サークルの飲み会で帰り遅くなってしまい、家に着いたのが十一時半過ぎだった。夕食当番だったルームメイトはきっと腹を立てているだろうと思い、ユカはドア越しに謝罪を述べた。しかし、返事がない。そっとドアを開けて様子をうかがってみると、部屋は真っ暗で、サエコの姿もそこにはなかった。彼女は彼女で彼氏の家にでも泊まっているのだろう。メールを入れるのも無粋だと思い、その日は床についた。そして翌日、大学の授業を終え、家に帰ると――
 ユカの訴えに、刑事は表情を和らげた。
「ええ、それはもちろんわかっています。犯人はすでにこちらで身柄を確保しているんですよ。というか……」
 刑事は眉をひそめ、わずかに言い渋った。
「田辺サエコさんが殺害されたことも、犯人がみずから通報してわかったことなんです」
「だっ、誰なんですか! サエコを殺したのは誰なんですかっ!?」
「……海藤シンジという名に聞き覚えは?」
「海藤、シンジ……」
 ユカは呟き、必死に記憶をめぐらせた。しかし、しばらくして弱々しく頭を振る。
「覚えありません」
「この写真の男なんですよ」
 刑事は一枚の写真を取り出し、ユカに示して見せた。
 免許書かなにかの写真を引き伸ばしているようで、あまり鮮明ではなかったが、そこには一人の若い男が写っていた。黒髪に眼鏡をかけた、おとなしそうな印象を受ける人物だった。
「あ……!」
 ユカははっとなり、口を押さえた。その反応に、刑事は直感する。
「ご存知のようですね?」
「……はい。大学の、同級生です。学科も同じです……たぶん」
「たぶん?」
「面識は、ないんです。学科が同じでも、全員の名前を知ってるわけじゃありませんから……」
 ふむ、と刑事は納得したように頷く。
「では田辺さんとも同じ学科というわけですね。彼女と海藤のあいだに、個人的な関係などは?」
「……いいえ、ないと思います。同じ講義を受けていて、何度か姿を見かけるくらいはあったかもしれませんが……」

「被害者とは顔見知りではなかったんだな?」
「大学内で姿を見かけるくらいはしたかもしれませんけどね」
 若い刑事の厳しい口調に、海藤はひょうひょうと答えた。人ひとり殺したというのに、まったく悪びれた様子が見えない。先ほどからこの調子で、刑事の苛立ちは募る一方だった。
「じゃあどうして知り合いでもなんでもない彼女を殺害したんだ! 誰でもよかったってことか?」
「ある意味ではそのとおりですが、ある意味では違います」
 謎かけのような回答に、刑事は首をかしげる。対する海藤は、口元にうっすらと笑みを浮かべて続けた。
「僕がしたかったことは、彼女――田辺サエコでしたっけ?――を殺すことじゃあない。彼女に個人的な恨みはなにもありませんからね。重要なのは彼女の立場ですよ」

 海藤は、自首してきたものの、いまだに動機を語らずにいるらしい。刑事からそのことを聞き、ユカはためらいがちに打ち明けた。
「あの……じつは、一週間前に、その……犯人から、告白されたんです」
「告白!? 田辺さんがですか!?」
 初めて耳にする事実に、刑事は思わず身を乗り出した。その勢いにユカは一瞬身をすくめ、消え入りそうな声で答えた。
「ち、違います。告白されたのは、わたしです」
「あなたが、海藤に……。それで? その様子だと、OKしたようには見えませんね」
「……はい、断りました。でも、面と向かって言うのは気が引けて……。それで、サエコに代わりに言ってもらったんです」

「一週間前、田辺サエコのルームメイト、澤村ユカに交際を申し込んだそうだな」
 その話題が出た途端、海藤の表情が曇った。薄ら笑いが消え、急に不機嫌になったように俯いて口を閉ざす。
「その際、澤村の返事を田辺が伝えに来た。澤村の答えはノー。それを告げた田辺を逆恨みして……」
「殺した? 残念ですが、違いますよ。言ったでしょう、彼女に恨みはないって」
 再び尊大な態度に戻った海藤に、若い刑事は頭をかきむしった。
「じゃあどうして!」

「あの、サエコはどうやって殺されたんですか……」
 ユカは恐る恐る尋ねた。聞きたくはなかったが、知らずにはいられないことだった。
「どこまでお聞きになりましたか?」
「……のどを、ナイフで刺されたって、ところまでは……。部屋で、死んでいたんですよね……?」
 刑事は頷いた。そして、なるべくショックを与えないよう言葉を選びながらユカに語る。
「睡眠薬かなにかで眠らされ、クローゼットの中に押し込まれていました。手足は縛られ、身動きはできない状態だったようです。殺害時刻は――」
 そこまで言って、刑事は言葉を呑んだ。伝えるべきかどうか、悩んでいるような表情を見せる。ユカは急に不安になり、刑事に尋ねた。
「いつなんですか?」
「……昨夜の、十一時半頃です」
「昨日の……? うそ……だって、あのとき部屋には誰も……」
「犯人は、ちょっとした仕掛けを作っておいたんです」
 呆然とするユカの耳には届いていないようだったが、刑事は話を続けた。
「ナイフは、クローゼットの天井から糸で吊り下げられていました。強く引っ張れば簡単に切れてしまうような弱い糸です。糸はクローゼットから部屋の天井を伝い、入り口のドアに繋がれていました。……ドアを開ければ、切れるような仕組みです」
 ユカは目を見開いた。
 心臓が早鐘を打つ。呼吸が乱れる。ぱくぱくと口を開閉するが、言葉にならない声が漏れるだけだった。
 小刻みに震える両手を顔の前に掲げた。
「わ、わた、わたしが……サ、サエコ、を……? この、この……」


 ――この手で?


「刑事さん、僕の目的はね? ……彼女に一生背負う苦しみを味わわせることですよ」

FIN.

 


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