+CLOVER+
「宮廷騎士団一番隊隊長、アスター=ハーチェリア」
きらびやかな装飾がそこかしこに施された広間に、厳かな声が響き渡った。
「――はい」
アスターは返事をすると一呼吸置き、王座に向かって伸びる赤絨毯の上に一歩踏み出した。王の御前まで進み、すっとひざまずく。
その様子を睨むように見つめているのは国王とその臣下、騎士団各隊隊長、そしてその騎士団において全権を担う司令官。アスターに顔を上げるよう促すと、国王は口を開いた。
「先の遠征ご苦労だった……と言いたいところだが、グラードより話はすべて聞いた。ここに呼ばれた理由ももうわかっているな?」
「はい。承知しております」
「そうか。では回りくどい前置きは必要ないな」
国王はそう言うと、そばに控えていた大臣に先を続けるよう目配せした。大臣は国王に一礼するとアスターに向き直り、先程名前を呼んだ時と同じように厳格な口調で告げた。
「一番隊の隊員を遠征に向かわせたが、帰ってきた者は十分の一にも満たなかった。報告では残りの者はすべて命を落としたということだが、これに相違はないな?」
「はい」
大臣の言う通り、隊員のほとんどが敵方のロゼア共々命を失った。無事だったのは見張りとして自軍の野営地に残っていたわずかな隊員とアスターだけだった。あの場所で何が起こったのかはわからないが、こんなことが起きた以上、隊長であるアスターが責任を取らないわけにはいかない。ここに呼ばれたのはその処分を下すためだとアスターもわかりきっていた。
「原因については現在調査中だが……それよりも、其の方はその時戦場にいなかったそうだな?」
「はい」
「隊長の身でありながら、子供と共に戦場を離れていたと?」
「……はい」
わかりきった質問はもういい。処罰を与えるのなら早く、とアスターは心の内で思う。しかし大臣は愚痴を零すように続ける。
「どうやら力量を見誤っていたようだな。仲間を置いて戦場を離れるなど、隊長にあるまじき行為だ。その上一番隊は騎士団の中でも特に優秀な隊だった。それがたかだか一週間程度の遠征で壊滅状態とは……。これは一番隊だけでなく騎士団全体、いや、ガルトニアの国としての信頼に関わる問題なのだぞ?」
「わかっております。どんな罰も甘んじて受け入れます」
「当然だ!」
大臣はすぐさま言い返すと、さらに憤慨した様子で言った。
「まったく……大体あの子供はなんなのだ? あんな子供一人が生き残り、オーツ最強と謳われた騎士団がやられるなど……」
「クローバーはこの件には一切関わりありません。それに彼女は私の命の恩人です」
わずかに顔色が変わったアスターを大臣がどこか冷めた目で見る。そして蔑んだような口調で告げた。
「どうだかな。あの髪、あの瞳! あんな色は見たこともない。あの子供、ロゼアではないのか? 今回のことにも何か関係しているのでは――」
「違います! 彼女はロゼアなどではありません! あの色はロゼアのものではないでしょう!?」
「だがオーツのものでもないではないか」
「――ッ」
反論のしようがない事実にアスターは言葉を呑む。一瞬だけ大臣を睨むと、すぐに視線を外した。
広間に険悪な雰囲気が漂う。それを破ったのは司令官であるグラードだった。
「彼女がロゼアであったとしても、あのような子供に何ができましょう。大臣殿、ここに彼を呼んだのは、そんなことを討論するためではないのではないですか?」
たしなめるようなグラードの言葉に大臣もアスターから視線を外すと、ようやく本題に入った。
「本来なら死罪となってもいいくらいだが……グラードに感謝するのだな。其の方のこれまでの功績に免じ、処罰は階位剥奪のみだ。だがもう二度と城に足を踏み入れることはできぬと思え」
「――は」
アスターはそう答えると頭を垂れた。床を見つめるその表情は、わずかにだが苦々しく歪んでいる。大臣が再び一礼すると、国王の声が広間に響き渡った。
「ではアスター=ハーチェリア。この時より一番隊隊長の階位を失い、王宮騎士団より永久除籍することをここに宣告する」
広間から戻ったアスターは、騎士寮の自室へと向かった。すれ違う隊員たちは皆、アスターを見てひそひそと小声で話し合っている。ことの次第はすでに騎士団の間でも広まっているようだった。
「――あ! おかえりなさい、アスター」
部屋に戻るとそこで待っていたのはクローバーだった。アスターを見るなり嬉しそうに駆け寄ってくる。今まで重苦しい話をしていた分、アスターはその笑顔を見ると妙にほっとした気持ちになった。
「遅くなってごめんね」
「ううん。大事なお話もう終わったの?」
「ああ、もう済んだよ。……クローバー、僕はここを出て行かなくちゃならなくなったんだ」
「どうして?」
クローバーに尋ねられ、アスターは少し困ったように笑った。説明しても、こんな小さな子供には理解できない話だろう。
「仲間が大勢死んだんだ。でも、僕はこうやって生きて帰ってきただろう? だからその責任を取らなくちゃいけないんだ」
アスターはできるだけわかりやすいように説明したが、それでもクローバーはその意味を考え込んでいるようだった。そしてぽつりと漏らす。
「わたしの、せい?」
そう言ったクローバーは今にも泣きそうな顔をしている。アスターは慌てて言った。
「そうじゃないよ。クローバーのせいじゃない」
「でも、わたしがアスターの言いつけを守らなかったから……」
「違うよクローバー。たぶん、誰のせいでもないんだ」
「じゃあどうしてアスターが出て行かなくちゃならないの?」
アスターは答えず、また困ったように笑う。そしてクローバーの頭をポン、と叩くと、気を取り直すよう言った。
「さ、それじゃあそろそろ支度を始めないとな」
そう言って始めたアスターの支度はすぐに終わってしまった。出て行くと言っても、部屋にある物のほとんどが寮の備品で、アスター自身の持ち物はごくわずかなものだ。大きめの鞄一つにすべて収まってしまった。そして最後にもう二度と着ることはないであろう騎士団の制服を畳み終えると、アスターは部屋を見回した。
「忘れ物は……ないかな。それじゃあ行こうかクローバー」
「どこへ?」
クローバーの素朴な疑問にアスターは固まる。
騎士団をクビになったということは、イコール職を失ったということだ。一体自分はこれからどうするんだろう、と今頃になって考え出す。
「とりあえず、クローバーはちゃんとした施設に連れていってあげるから安心していいよ」
「しせつ? アスターも?」
「僕? 僕は別だよ。これからどうするのかはゆっくり考えようかな。時間はたっぷりあることだし」
クローバーはうつむいて何か考えているようだったが、突然顔を上げると言った。
「わたし、アスターと一緒がいい。しせつはいや。アスターと一緒にいたいの。アスターのおうちに行く!」
思いがけないクローバーの言葉に、アスターは驚いて言った。
「駄目だよクローバー。僕に帰る家はないんだ。僕の家族は、もうずっと前に死んだんだよ。だから家もないんだ」
「しんだ……?」
「そう、殺されたんだ、ロゼアに。……いや、戦争に、かな」
そう言ったアスターは、寂しげな笑みを浮かべていた。そんなアスターをクローバーが悲しそうに見つめる。
「アスター、さみしいの?」
「え? そうだな、寂しい……かな」
その言葉を聞いた途端、突然クローバーはアスターの腕を掴んだ。そして何かを決心した表情で見上げる。
「やっぱりわたし、アスターと一緒に行く! アスターがさみしくないように、ずっとそばにいてあげる!」
「クローバー……」
「わたし思い出したの。幸せの場所をさがしてたの」
「幸せの場所?」
クローバーの口から出たその言葉にアスターは首を傾げた。しかしクローバーは必死になって続ける。
「そう、幸せの場所! 前に聞いたの。きっとどこかにあるって。だからアスター、一緒にさがしに行こう? 幸せの場所、一緒にさがしに行こう?」
城の門をくぐると、そこには見慣れた顔があった。
「グラード司令官!」
アスターがその名前を呼んで駆け寄ると、グラードも気づいて振り返った。
「アスター。よかった、もう行ってしまったのかと思ったよ」
そう言って微笑んだグラードにアスターは頭を下げた。
「あの、ありがとうございました。司令官のおかげで刑を免れることができて……」
「いや、本当なら騎士団に残って欲しかった。君は優秀な部下だったから」
「そのお言葉だけで十分です」
ふとグラードはアスターの後ろに隠れるように立っている少女に気がついた。
「その子が例の命の恩人の……」
「あ、はい。クローバーです」
「そうか」
グラードはそう言うと膝を折り、クローバーの目線に合わせて言った。
「私の部下の命を救ってくれてありがとう、クローバー」
見ず知らずの大人に頭を下げられクローバーは驚いたような顔をしたが、すぐに笑って答えた。
「どういたしまして」
グラードもつられて笑うと再び立ち上がり、今度はアスターに尋ねる。
「それで、これからどうするんだ?」
「それは……」
「さがしに行くの!」
突然会話に割って入った言葉に、アスターもグラードも驚いてクローバーを見下ろした。クローバーは嬉しそうな顔で続ける。
「二人で幸せの場所をさがしに行くの」
「幸せの場所?」
「せんそうもなにもない、幸せの場所をさがしに行くの。ねっ、アスター」
「……アスター、なんのことだ?」
どういうことなのかさっぱりわからない、といった表情でグラードは尋ねる。そんなグラードとクローバーを見比べると、アスターは苦笑して言った。
「そういうわけです。グラード司令官、今まで本当にお世話になりました。幸せの場所が見つかった際には、司令官もぜひご招待しますね。……じゃあ行こうかクローバー」
「うん!」
クローバーがアスターの腕に飛びつくと、二人はグラードにお辞儀をして城をあとにしていった。
結局どういうことなのかわからずじまいだったか、なんだか微笑ましいその光景を目にし、グラードは妙に安堵した気持ちで二人を見送った。
『戦争も何もない、幸せの場所』
本当にそんな場所があるのだろうか。
コルディア大陸にいる以上、そんな夢のような場所はどこにもあるはずがない。そうわかっていたはずだ。
――けれど、嬉しそうにそう言う彼女を見ていると、なぜか不思議な気持ちになった。
本当にこの世界のどこかに、彼女の言う『幸せの場所』があるのでは、と。そんな気がした。
彼女と一緒なら、きっと見つかる。
僕と彼女の旅が始まった。
FIN.