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リアトリスの章
− 砂漠の戦姫 4 −


 アスターとラグラスが地下牢から出ると、数人の兵士が扉の入り口に待機していた。その中の一人がラグラスに耳打ちする。険しい表情でそれを聞いていたラグラスに兵士は不安げに尋ねた。
「兵長、本当に行かれるのですか?」
「ああ」
 そう言って頷くラグラスに別の兵士が駆け寄る。
「我らもお供します!」
「ならん!」
 ラグラスに一喝され兵士たちは静まり返った。
「これは国王、つまり国の意志に背く行為だ。そのようなことをすればどうなるか、お前たちもわかっているだろう。ここから先は、私一人が勝手に行ったこと。お前たちを巻き込むわけにはいかない」
 その厳しい口調に兵士たちは言葉を呑む。ラグラスは無言のまま見据えると、ふっと表情を緩めた。
「その気持ちだけで十分だ。ありがとう」
 そう言って背を向けたラグラスに、兵士たちは誰も声を掛けることができなかった。アスターが慌ててそのあとを追う。前を歩くラグラスの表情は、怖いくらいに張り詰めていた。

 やがて言葉を交わすことなく向かった先は、兵寮の脇にある厩舎だった。ラグラスは繋がれている馬の中から二頭を外に出し、片方の手綱をアスターに渡す。
「二人の居場所がわかった。砂漠の西で怪しげな男たちを見かけた者がいる。おそらくその近くの洞窟にいるのだろう」
「本当ですか!?」
「ああ、確かだ。あの辺りにはカナートも通じている。地下を通っていったのだろう。セフィアーナ様も、城の外に抜け出すのにたびたびカナートを使っておられたからな」
「そうですか……」
 そこにクローバーがいる。無事だろうか。いや、無事でなければならない。必ず助け出すのだ。
 思い詰めるアスターの表情は無意識のうちに硬くなっていく。そんなアスターを見てラグラスはふと尋ねた。
「あの少女はアスター殿の娘か?」
「! 僕に子供がいるように見えるんですか?」
「……いや、失礼した。しかし妹というわけでもないのだろう? 一体どういった経緯で二人旅を?」
 それは至極当然な疑問だった。しかしその単純な質問の答えがアスターには浮かばない。ラグラスに言われて初めて考える。
 ――クローバーと自分は、どんな関係なんだ?
 アスターが黙り込み、その場の空気がわずかに重たくなった。ラグラスはまずいことを訊いたのかと申し訳なさそうに顔をそらした。
「すまない、今は関係のないことだったな。急ごう」
 そう言って馬にまたがる。アスターも考えを振り払い、ラグラスのあとに続いた。
 今優先すべきことは、二人を助け出すことだ。

*

 クローバーとセフィアーナが洞窟に連れてこられてからだいぶ時間が経った。男たちは先程からしきりに外の様子を窺っている。しばらくして入り口の方が騒がしくなった。
「やっと来たか……」
 そう漏らし、男たちは入り口へと向かう。
 どうやら仲間が到着したらしい。これでもう逃げることはできなくなった、とセフィアーナは半ば諦めに近い覚悟を決めた。
 しかしすぐに二人の男が戻ってきた。随分焦った様子でこちらへ走ってくる。
「くそっ! とにかく姫だけは絶対に引き渡すんだ!」
 男はそう叫び、セフィアーナの足を縛っていた縄を切った。無理やり立ち上がらせ、引きずるようにして洞窟の奥へ連れていこうとする。
「何をする! 離せ!」
「大人しくしろ! オイ、そっちのガキは? 殺るか?」
「今はそんな暇はない。奴らが来る前に逃げるんだよ!」
 セフィアーナにはまったく状況がわからなかった。混乱しながらも抵抗するが、両手を縛られた状態ではどうすることもできない。
「セフィアーナ! セフィアーナ!」
 取り残されたクローバーが必死に叫ぶ。
 その時、洞窟の入り口から再び二人の人物が現れた。その姿を目にした瞬間、クローバーの表情は明るくなり、セフィアーナは呆然とする。真っ先にクローバーがその名前を呼んだ。
「アスター!」
「クローバー! 大丈夫か!?」
 現れたうちの一人、アスターはクローバーに駆け寄ると、その手足を拘束していた縄を断ち切った。そしてもう一人の人物は――
「セフィアーナ様! ご無事ですか!?」
「ラグラス……お前、どうしてここに……?」
 目の前の光景が信じられず、セフィアーナは呟く。まさか自分を助けに来る者などいないと思っていた。しかしすぐに我に返って叱咤する。
「馬鹿者! 一人で勝手な行動を取って、どうなるかわかっているのか!?」
「わかっております。しかしあなたを失うわけにはいかないのです!」
 ラグラスはそう叫ぶと剣を取って構えた。アスターもクローバーを後ろに下がらせ、ラグラスの隣に並ぶ。男たちは動揺の声を上げた。
「4人ともやられたのか!?」
「チッ……こいつら片付けるぞ!」
 セフィアーナを突き飛ばすと男たちは剣を抜いた。一人がアスターに、もう一人がラグラスに斬りかかる。洞窟内に鍔迫り合いの音が響いた。
 男の剣さばきは正確で素早い。やはりかなりの手練のようだ。一見すると押されているのはアスターのように見えた。しかし男の動きは目で追うことができる。元一番隊隊長の実力は、まだ衰えてはいない。
 キィン! と、一際鋭い音が上がった。一瞬の隙を突いてアスターが男の剣を弾き飛ばしたのだ。男の視線が手を離れた剣に向けられた瞬間、アスターは男を蹴り飛ばした。そのまま男は洞窟の壁に叩きつけられる。
 隣の戦いもちょうど決着がついたところだった。勝者はもちろんラグラス。
 それを確認するとアスターは後ろに目をやった。しかしその瞬間表情が凍りつく。そこにいるはずのクローバーが、いない。

 セフィアーナは地面に突き刺さった剣に駆け寄った。その刃で両手を縛る縄を切ろうと試みる。しかしセフィアーナはその作業に必死で気づいていなかった。背後に迫る、男の影に。
「こうなったらお姫様、あんたも道連れだぁーッ!!」
 男が叫び、懐から短剣を取り出して襲いかかった。アスターに倒された男がいつの間にか起き上がっていたのだ。セフィアーナは顔を上げるが、もう遅い。
「セフィアーナ様!」
 ラグラスが声を上げる。しかしそれよりも早く行動に移した者がいた。
「あぶない!!」
 その声と共にセフィアーナに覆いかぶさる小さな体。それはクローバーだった。
 男の剣先がすぐ目の前にまで迫る。誰もがもう駄目だと思った、その瞬間。
「……ぐッ」
 呻き声を漏らし、地面に倒れたのは男だった。その背後に立つ人物が握る剣は血で赤く染まっている。たった今、自らの手で突き刺した男の血だ。
「アス、ター……?」
 クローバーがか細い声でその名前を口にする。アスターはセフィアーナを真っ直ぐに見据え、告げた。
「クローバーは僕の命の恩人です。彼女がいなければ僕は死んでいた。だから彼女のためなら命も惜しまない。それが僕の剣を振るう理由です」
 辺りが静まり返る。アスターは剣を鞘にしまい、ふっと息を吐いた。
「あなたに対してそう思っている人も、きっといるはずですよ」
 穏やかな口調だった。先程までの張り詰めた雰囲気はすでに消え去っている。クローバーは安心したようにアスターの手を取ると微笑んだ。
「ね? セフィアーナにもちゃんと助けに来てくれる人がいたでしょう?」
 セフィアーナははっとして振り返る。視線の先、ラグラスはばつが悪そうにうついていた。そんなラグラスに歩み寄り、セフィアーナは呟いた。
「お前は馬鹿だ」
「も、申し訳ありません。ですが」
「しかし、礼を言う。……ありがとう」
 そう言ってセフィアーナは初めて笑った。戦姫の名には程遠い、優しい少女の微笑みだった。
 その時、再び洞窟の入り口が騒がしくなり、四人に緊張が走った。男たちの仲間がやって来たのだろうか。アスターとラグラスが剣の柄に手を掛ける。
「姫! 兵長! ご無事ですか!?」
 なだれ込むようにして現れたのは、ラグラスと同じ銀色の鎧に身を包む兵士たち。セフィアーナとラグラスは驚愕した。
「お前たち、どうして……」
「命令を破ってしまい申し訳ありません。しかし何もせずただ待っていることなどできなかったのです!」
 アスターたちが外に出ると、そこには五十人近くの兵士たちが待機していた。セフィアーナとラグラスの姿を目にし、誰ともなく安堵の息を漏らす。そして兵士の一人が告げた。
「ここに向かっていたロゼアたちは我々が捕らえておきました」
「そうか……」
「セフィアーナ様、我々の主はあなたお一人です。どこまでもついて行く覚悟があります。どうかこの力、ご存分にお使いください!」
 セフィアーナは胸が詰まり、何も答えることができなかった。ラグラスはそんなセフィアーナに向き直り、すっとひざまずく。
「私も彼らと同じ気持ちです。この身も、この剣も、すべてはあなたのためだけに」
 その言葉に嘘はない。それは聞いている者すべてにわかった。
「まったく……馬鹿者の部下は馬鹿者ばかりだな」
 セフィアーナの口からやっと出たのはそんな呟きだった。呆れたように笑う瞳には、涙が浮かんでいる。
「ありがとう、お前たち」
 セフィアーナは顔を上げた。真紅の瞳には、涙の代わりに力強い光が宿っている。
「どうかこの私に力を貸して欲しい! 共にこの国のために戦おうではないか!」
 兵士たちが剣を抜き、天に掲げた。何十もの喚声が辺りにこだまする。
 今、揺るぎない結束がここに生まれた。



「あんなおひめさまがいるなんて、すてきな国だね」
 リアトリスを去る時、彼女が漏らした言葉。
 彼女は知らない。背後に渦巻いているものを。
 なぜセフィアーナは攫われたのか。何がそもそもの原因なのか。
 すべてを知ったあとも、彼女は同じ台詞を口にすることができるのだろうか。
 綺麗だと、そう思うことはできるのだろうか。

 汚いものや醜いものがあるからこそ、綺麗なものは『綺麗』なのだ。
 今のこの世界には、汚いものや醜いものが満ち溢れている。
 それでも彼女にはこの世界の綺麗なものだけ見ていて欲しいと願うのは――
 僕のエゴなのかもしれない。

FIN.


■感想などありましたら…無記名でも構いません。お返事はレス用日記にて。

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