放課後、裏庭。
誰も来ないなんてことはわかってるが、つい癖で授業が終わるとここに来てしまう。
誰も来ない――そうだ、もうシオンはここにはいない。あれから、若葉のあの事故のあとから、アイツはオレの前に姿を現さなくなってしまった。今頃どうしているのだろう。
しかしオレ自身、今はシオンと会う気がしなかった。
若葉の死に対して顔色一つ変えなかったシオン。
そのまま何も言わず魂を持っていってしまったシオン。
あのときのアイツは、ホントに何も感じていなかったのだろうか? 天導使には、やっぱりそんな感情なんてないのだろうか?
でも……でも、姿を消す前のアイツの表情は――
シオンは天導使なんだ。オレたち人間とは違う生き物なんだ。
そう割りきってしまえば、こんな気持ちにならなくて済むのかもしれない。けれどオレは、そう簡単には割りきれなかった。
実際シオンがそばにいなくなり、どこか物足りなさ、寂しさのようなものを感じているのも事実だ。
シオンと過ごした時間は決してそう長くはなかった。だけどアイツと一緒にいて、いつの間にかそんな生活を楽しんでいる自分がいた。アイツにつきまとわれ始めたとき、やっかいなことはゴメンだと思っていたこのオレがだ。
シオンが天導使だということを意識しないでいたせいかもしれない。そういえば、アイツを『天使』と形容したこともあった。
……けれど、あの事故でオレは思い知らされた。天導使の仕事は、死んだ人間の魂を天界へと導くこと――だけど、それほど残酷な行為ってない。
もちろんアイツのせいで若葉が死んだんじゃないってことはわかってる。
わかってるけど、人の死を目の前にして、たとえそれが他人でもそう簡単に割りきれないのが人間ってもんだろ? そいつが死ぬってわかっていても、どうにかしようと必死になるのが人間ってもんだろ?
――そうだよ。『死』を簡単に受け入れることなんてできない。
だって、それが人間って生き物なんだから――
『おまえが藤川 誠二か?』
オレは突然そう呼ばれ、はっとして顔を上げた。
ここには誰も来ないはず――視線の先にいたのは、銀色の長い髪に灰色の瞳。そして全身黒尽くめの格好をした男だった。
(……まるでどっかの『死神』さんだな)
オレは心の中でそんな皮肉ったことを思うと、その男に問いかけた。
「アンタ誰だよ」
『俺のことはどうでもいい。それよりおまえが藤川 誠二なのかと訊いている』
「なんだよ偉そうに……。人にものを尋ねる前に、自分が名乗ったらどうなんだ? まさかアンタも天導使って言うんじゃないだろうな?」
オレはそう言ってみたが、そいつの返事はなんとなくわかっていた。
『……そうだ』
ほらやっぱり。オレはつくづく天導使ってヤツと縁があるらしい。
『俺はグレイ。……これでいいだろう? おまえは藤川――』
「わかったわかった! 何度も人の名前連呼すんなよ。そうだ。オレが藤川 誠二だけど?」
『そうか、やはりな。確かに人間にしては珍しい。ここまではっきりと天導使の姿が見えるとはな……。シオンも興味を持つわけだ』
「シオン? おまえ、シオンとどういう関係なんだ!?」
オレは思わずその男――グレイに食ってかかった。さっきまでずっと考えてた奴の名前を口にしたんだ。当然だろう。
しかし、グレイはまるでオレを見下すような態度で告げた。
『おまえには関係のないことだ』
「関係ないって……あのなぁ、オレはつい最近までシオンとずっと一緒にいたんだ。関係ないってことはことねぇだろ!?」
『そうか、やはりあいつはおまえのところにいたのか……。なら言っておく。もうシオンにはかかわるな。それだけだ』
「な……ッ!」
つい最近まで一緒にいた奴に対して『もうかかわるな』? そりゃあ今はちょっと会う気がしないとか思ってたけど、いきなり横から出てきた奴にそんなこと言われる筋合いはない。
オレはますます声を荒げた。
「おまえ何様だよ!? ……グレイとか言ったな? 言っとくけど、いきなりそんなこと言われて『はいそうですか』なんて納得できるほど、オレはできた人間じゃねーんだからな!」
『まったくうるさい奴だな……。いいか? おまえたちは何も知らないだろうが、俺たち天導使は遊びで魂運びをやってるわけじゃない』
「んなことわかってるよ! 遊びで人の魂運ばれちゃ、こっちがたまったもんじゃない!」
『いいから聞け』
グレイはそう言うと、あきれたようにため息をつき、オレのほうに向き直った。
『俺たち天導使は、なんでこんなことをしていると思う?』
そう問いかけたが、そいつはオレの答えを待たずに話を続けた。……バカにしてんのか?
『別にボランティアでやってるわけじゃない。それが仕事だからってわけでもない。もちろん遊びでもないからな。……目的のためだ』
「目的? どんな目的だよ」
『俺たち天導使の目的は全員同じだ。ただ一つ、“天界に永住すること”――それだけのためだ』
「……はぁ? なんだよそれ?」
グレイが妙に真剣な顔で話すもんだから、一体どんな重大な目的があるのかと思いきや――『天界に永住すること』? オレは思わず拍子抜けしてしまった。
確かシオンは、最終的に魂の行き着く先は天界だと言っていた。だったら結局はみんなそこに行くことになるんだろ? だいちい、その魂を天界へ運んでるのがコイツら天導使だ。ならコイツらは天界に住んでるんじゃないのか?
「天界なんて、死んだらみんな行けんだろ? それにおまえら天導使って奴らは、天界の住人じゃないのか?」
『これだから人間は……。いいか? まず天導使は天界の住人ではない。冥界にいるんだ。次に、確かに死んだ人間の魂は天界へ行き着く。だがその後どうなるかまでは知らないだろう?』
「……知らねぇよ」
『再び下界へと戻ることになる。輪廻転生というやつだ。それが一年後か、十年後かはわからないが――』
「つまり生まれ変わるってことか?」
『そうだ』
いまいちコイツの言ってることがわからない。だからなんだっていうんだ?
「……で?」
『つまり、どんな魂であろうとずっと天界にはいることができないというわけだ』
「それはわかったよ。それでおまえらの目的とはどんな関係があるんだ?」
『……どうやらおまえには、一から話さなければ理解できないようだな』
「悪かったな」
グレイはそう言うとまたため息をつく。そしてすぐに真剣な表情に戻り、オレに『一から』話しはじめた。
『話の途中での質問は受けつけないからな』
「はいはい。わかりましたよ」
『……この世界は三つに分かれている。それはおまえも知っての通り、天界・冥界・下界のことだ。始めに言っておくが、俺たち天導使が運んでいるのは、すべての人間の魂ではない。死んだ後も下界に留まってしまいそうな魂を選んで運んでいる。下界に未練があったり、突然の事故で自分が死んだことに気づいていなかったり、そんな人間の魂だ。
つまりその他の魂は、自動的に天界へ行き着くことになる。……普通はな。だが、中には天界にまでたどり着けず、冥界で留まってしまう魂もあるんだ。理由はまぁ、いろいろだ。大きくいってしまえば、『生きることに嫌気がさした』、といったところだろう。天界へ行き、また下界へと戻される――つまり、再び生を受けることを拒否した人間の魂ということだ』
最初に質問は受けつけないと言われてしまったため、オレはその話を黙って聞いていた。
しかし、『再び生を受けることを拒否した人間』とはいったいどういうことだろう。生きているあいだにそう考えてしまうほどのことがあったということだろうか。
オレにはどんなことがあったらそんな考えを持ってしまうか、想像もつかなかった。
『そうして冥界に留まった魂はどうなると思う?』
「……わかるわけないだろ」
『同じ思いを持った魂たちは、しだいに引かれ合っていく。お互い寄り添い合うようにな。そうしていくつかの魂が集まったとき、それが一つのかたまりになる。そしてやがて人の姿を与えられ……そうして生まれたのが天導使だ』
「――! それじゃあおまえらは……」
『そうだ。俺たち天導使も、もともとはこの下界で暮らす人間だったというわけだ』
グレイの言うことが本当なら、アイツも――シオンも元は人間だったということになる。
(それじゃあ、やっぱりアイツは人間なのか?)
そんな考えが頭をよぎったが、次の瞬間オレはすぐにそれを否定していた。
だったらなんであんなことができる?
あれは……あんなことが出来るのは、とても人間だとは思えない。いや、思いたくない。
一度死んだからか?
一度死んだら、あんなふうに人の死をあっさりと受け入れることができるようになるのか?
人間と天導使って、そんなにも違うものなのか――?
さらに続くグレイの話は、オレに『シオン』という存在をますますわからなくさせるものだった。