||| 銀色の月 |||


 今視界に入っているのは、見慣れた白い天井だけ。十七年過ごしてきた自分の部屋だ。見慣れているのも当然か……。でも今の俺の頭の中は、そんな白い天井とは反対に、ぐちゃぐちゃといろんな色が混ざり合ったとんでもない色になっていることだろう。
 ここ何日かのあいだにいろんなことがありすぎた。そうだ、よく考えてみれば、あれからまだ一週間も経っていない。
 ことの始まりは、見知らぬオッサンの電車への飛び込み自殺。その次は病院でのアイツとの再会。そしてオレは世界で初めての“天導使と同居する男”になって、さらにはクラスメイトからの『独り言病』呼ばわりされて。それから帰り道で若葉の轢き逃げ事故に遭遇して、極めつけは今日の放課後の、グレイとの会話 ――
 ほんっと、次から次へとよくもまぁ起こったもんだ。とても数日のうちの出来事とは思えない。

 ベッドに寝そべりながら、オレはグレイとの会話を思い出していた。


08 : 鏡花水月


『俺たち天導使も、もともとはこの下界で暮らす人間だったというわけだ』
「そんなこと、アイツは一言も――!」
『当然だ。言う必要などまったくないからな』
「じゃ、じゃあ、なんでおまえはオレにそんなこと教えたんだよ」
 オレがそう尋ねると、グレイは今までよりもさらに冷たい目つきでオレを見た。
『これだけ教えてやったんだ、もう満足だろう? ……だったらもうシオンには関わるな』
「はぁ!? だからなんなんだよそれは! なんでオレがシオンにかかわっちゃいけねーんだよ! だいいち、元はといえば、アイツがはじめにオレにつきまとわりだしたんだぜ?」
『それは単に“天導使が見える人間”に興味を持っただけだ。別にそれがおまえだろうと、ほかの人間だろうと関係なくな』
「それは、そうかもしれねぇけど……」
『とにかく、俺たちは目的のためだけに動いている。このままではおまえはシオンの目的の妨げになりかねない。……いや、すでになりかけているな。 いいか? 今回は特別に俺たちのことを教えてやったが、本来はこんなこと、人間に話すような内容ではない。百人めの魂を運ぶ邪魔になる前に、シオンのこと――今まであったことは、夢だったとでも思って忘れるんだな』
 グレイは相変わらずの偉そうな態度でそう告げると宙に体を浮かせた。……消える気か!?
「待てよ!!」
 オレはとっさにそう叫んでいた。
 まだ話は終わっていない。それに納得もできない。まだ訊きたいことはたくさんあるんだ。
「なんでオレが邪魔になるっていうんだよ!? それにそんな簡単に忘れられるわけねーだろ!」
『本当にうるさい奴だな……。これだけ言ってもまだわからないのか? シオンはもうすぐその目的を果たすことができるんだ。そんなときにおまえのような人間がいたのでは、その邪魔にしかならない。現に今のシオンは――』
「今のシオンは? 今のシオンはなんだっていうんだよ!?」
『――なんでもない。いいか、百人だ。百人分の人間の魂を天界へと導くことが、いわば天界の市民権を得ることになるんだ。シオンはこれまでに九十九人の魂を運んできた。次で最後なんだ。そうすればあいつは』
「天界に永住することができる? それってそんなに大事なことなのかよ? そうまでして天界に住みたいのかよ? ……そうまでして! 生きるってことから逃げたいのかよ!!」
『おまえに何がわかる!!』
 オレの言葉にグレイが今までにないくらいの大声で反論した。表情もさっきまでとは比べものにならないくらい怒りをあらわにしている。
『おまえに、何がわかる……!』
「わかんねーよ! わかんねーから訊いてんじゃねぇか!」
『黙れ!! おまえに話したのが間違いだった……!』
「んだと!?」
『――もうおまえに話すことなど何もない』
「あっ! てめ……ッ!!」
 オレはすかさずグレイを掴もうとした。いや、掴めないことなどわかっていたが――しかし、すでにグレイは姿を消したあとだった。
 それまで怒鳴り合っていたのが嘘かのように、一瞬にして辺りが静寂に包みこまれた。そこにいるのは、一人呆然と立ち尽くすオレ――

***

「あの野郎、言いたいことだけ言って消えやがって……」
 思い出しても腹が立つ。オレは思わず掛け布団を蹴り飛ばした。
 しかし、グレイの話でわかったこともあった。
 天導使の目的は天界に永住すること。それは再び生を受けるのが嫌だから。そしてアイツらの正体は、そんな考えを持って冥界に留まった魂の集まり。つまり、天導使ももともとは人間だったってことだ。でもってその目的を達成するには、百人分の魂を天界へと導かなければならない。グレイも言っていたが、鬼籍を見せてもらったとき、確かに若葉は九十九人めに書かれていた。
 そう、シオンはあと一人で目的を果たすことができる――

『今まであったことは夢だったとでも思って忘れるんだな』

(ホントにな。これ全部が夢だったとしたら、どんなに楽か……)
「って、あ゛〜〜〜〜ッッ!! オレまで逃げてどうする! これは現実! 現実なんだよっ!」
 オレはそう叫ぶと、勢いよく布団を頭まで被った。そしてじたばたと激しく寝返りを打つ。
 そうだよ。これは夢なんかじゃない。だからこんなに頭ん中ぐちゃぐちゃで、柄にもないくらい悩みまくってんじゃねぇか!
「くっそぉ……もう寝てやる!!」
 自分自身に言い聞かせるようにそう言うと、オレは無理やり目をつぶった。……当然、すぐになんて寝つけなかったけれど。


 次の日。
 はっきりいって、授業なんて頭に入らない。結局あのあとも布団の中で考えまくっていたオレだ。紺野が「独り言病、もう治ったのか?」なんてふざけたことを抜かしてきたが、今はそれすら冗談に取れないような状態だった。
 ……そう、あれからいろいろ考えた。
 このまま終わらせるなんて絶対にだめだ。気まずいなんて言ってられない。もう一度シオンに会わなければ。会ってちゃんと話さなければ。
 そう考えたオレの向かう場所は――たった一つ。

「シオン! シオンいるんだろ!?」
 オレは宙に向かってそう叫んだ。
 放課後、オレが真っ先に向かった先は裏庭だった。シオンと何度も話をしたこの場所。アイツがいるとしたら、ここしかない。たったそれだけの理由だったが、オレにはなぜか確信があった。アイツはきっと、現れる。
 しかし、オレの呼びかけに答える者は誰もいなかった。
(まさか、もう百人めの魂を運んで……!?)
 そんな考えが頭をよぎったが、オレはそれを振り払うかのようにもう一度叫んだ。
「シオン……シオン!!」
 辺りは相変わらずの静寂。返事は返ってこない。
 オレはわけのわからない喪失感に襲われ、そのままベンチにずるずると座りこんでしまった。なんだか本当に今までのことが嘘のように、それこそ夢だったかのように思えてくる。
 天導使なんて、はじめからいなかったんじゃないのか?
 オレは本当に電車事故を見たショックでオカシクなっていたんじゃないのか?
 シオンなんて、オレが作り出した幻想だったんじゃないのか――?

 そのとき一陣の風が吹いた。
 オレのすぐ横を通り抜けて行ったその風は、オレの髪を揺らし、周りの木々をざわめかせ、すぐに遠ざかってしまった。オレはその跡を追うかのようにゆっくりと顔を上げた。もちろん風の姿なんて見えない。けれど、オレは風なんかよりももっともっと儚くて、すぐに消えてしまいそうなものを見つけてしまった。
『……セイジ』
 その声も、その姿も、今のオレにとってはすごく懐かしいものに感じられた。まるで小さい頃になくしてしまった宝物を見つけたときのような――
 今、オレの目の前にはシオンが立っていた。

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