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碧乃さんの冥探偵日誌

依頼その4の5


『誰か』に乗り移られた美羽は、うつむいたままぼんやりと佇んでいる。昨日石蕗さんに金縛りを掛けられて懲りたのか、今日は突然襲ってくるようなことはなかった。
 とにかく、こうなったからには乗り移った人物の正体を突き止めなければ。
 私は思いつく限りデジカメに写っていた男の人の名前を片っ端から挙げていく。下手な鉄砲も数打ちゃ当たる作戦だ。
「あなた誰? 田中くん? 鈴木くん? 渡辺くん?」
 しかし美羽は無反応。
「小林くん? 山本くん? 吉田くん?」
 やはり無反応。
「井上くん? 清水くん? えーと、あとは……あとは……佐藤くん?」
 違った。これは候補から外した人だった。
 そう思った時、美羽がその名前にわずかに反応した。私は怪訝に思いながらもう一度その名前を口にする。
「佐藤くん?」
 うつむいたまま、美羽は再びピクンと反応した。
「佐藤くん、なの? でも、振ったのは佐藤くんの方で、美羽に恨みなんて……」
 その言葉に答えるかのように、美羽がゆっくりと顔を上げた。焦点のないうつろな瞳がこちらに向けられる。そして、不意に横髪を耳に掛けた。
 その瞬間はっとした。その仕草、すごく見覚えがある。
「…………沙也香?」
 わずかに美羽の瞳が揺らいだ。
「沙也香? 沙也香なの?」
 美羽は無言のまま私を見据えた。けれど、その表情には肯定の色をたたえている。
 私は愕然とした。美羽に憑依していた人物の正体が、まさか沙也香だったなんて。
「…沙也香というのは」
 石蕗さんが遠慮がちに声を掛ける。私は思わず答えに詰まってしまった。
「友達、です。私と美羽の。でも、どうして……」
『……友達?』
 その時、美羽の口から初めて言葉が発せられた。美羽ではない誰かの声。しかし、それは間違いなく沙也香の声だった。
『この女が、友達? まさか!』
 美羽は沙也香の声で吐き捨てるようにそう言った。それは今までに聞いたことのないくらい冷たい声だった。そして、恐ろしいまでの憎しみが込められている。
 その声で美羽――いや、沙也香は続けた。
『人の彼氏を横取りしておいて平然としていられる……それが友達? 冗談じゃないわ!』
「美羽が、沙也香の彼氏を? 嘘、いくらなんでもそんな事――」
 そこまで言ってはっとする。
 佐藤くん。沙也香が唯一反応した名前。私は彼に見覚えがあった。てっきり美羽に紹介されたんだとばかり思っていたけれど……違う、そうじゃなかった。紹介したのは美羽ではない。沙也香だ。
 あれは1ヶ月くらい前。たまたま沙也香のバイト先に立ち寄った時のことだ。
 ちょうど上がりの時間だったので、私は一緒に帰ろうと沙也香を誘った。けれど、先約があるからと断られてしまった。つい最近できた彼氏だそうで、私が冷やかすと、沙也香は恥かしそうに笑っていた。そしてこう言ったのだ。
「このこと、美羽には内緒にしておいてね。あの子、最近振られたばかりだから……。まだ黙っておいた方がいいと思うの」
 自分だけ幸せでいるのが後ろめたかったのだろう。すごく沙也香らしい言葉だった。そして、その時沙也香の隣にいたのが、美羽のデジカメに写っていたあの佐藤くんだったのだ。
『理由も言わず、突然別れられた。でも、それからしばらくして見たのよ。この女と一緒にいるところをね!』
 思いも寄らない事実に呆然としていた私はその言葉で我に返った。
 沙也香はその性格ゆえに、美羽を問いただすことができなかったのだろう。けれど、美羽に対する恨みや妬みは、沙也香も知らず知らずのうちに心の奥に蓄積されていった。黙って押さえ込んでいたのではけ口がなかったのだ。そしてとうとう爆発して、それは生霊という形で姿を現した。今美羽に乗り移っているのは、言わば美羽に対する沙也香の負の感情のかたまりだ。
 ――けれど。けれど、沙也香は誤解している。
「でも美羽は沙也香の彼氏だって知らなかったんだよ! それに、声を掛けてきたのは佐藤くんの方からだって……」
 その時、突然沙也香が机の上のペン立てを掴んだ。そしてこちら目掛けて中身をぶちまける。石蕗さんがとっさに私を庇い、その腕や背中に何本ものペンが当たってバラバラと床に散らばった。
 沙也香はその隙にキッチンへと移動していた。しかし、その姿を見て目を疑う。沙也香の手には包丁が握られていたのだ。
「沙也香? 何する気!?」
 沙也香は口元に笑みを浮かべた。そして、残酷なほど無邪気な表情で告げる。
『こうするのよ!』
 そう言って、自ら包丁の刃を首筋に当てた。沙也香は、美羽を殺す気だ。
「やめて沙也香! 話を聞いて!」
『うるさい! 碧乃、あんたこの女を庇う気? こんな最低な女、死ねばいいのよ! わたしが今ここで殺して――うッ』
 包丁を突きつけた瞬間、沙也香は突然よろめいた。苦しげな声を上げ額を押さえる。しかしすぐにぶるぶると頭を振り、再び包丁を首筋に当てた。
『殺す……殺す……わたしはこの女を殺すのよ……』
 まるで呪文のようにそう繰り返す。けれど沙也香の様子は明らかにおかしかった。息は荒くなり、包丁を持つ手は小刻みに震えている。右手に添えられた左手が、まるで包丁を押し返しているようも見えた。もしかして――
 その時、美羽の首筋に一筋の血が流れた。反射的に石蕗さんが九字を切る。同時に沙也香の動きが封じられた。
「…ナウマクサンマンダ・バサラダンセン」
「待って! ちょっと待ってください!」
 突然真言を遮られ、石蕗さん腑に落ちない表情で私を見た。
「…しかしこのままでは危険です。一旦祓うしかありません」
「でもそれじゃあ何も解決しません! 美羽の体に負担が掛かるだけです! ……大丈夫。私がなんとかしますから」
「…………」
 石蕗さんは、何も言わず内縛印を組んでいた手を解いた。それを確認して私は沙也香に向き直る。
「沙也香、いるんでしょう?」
 その言葉に、沙也香と石蕗さんは訝しげな視線を向けた。けれど私は続けた。
「美羽を憎んでる沙也香じゃない。美羽と私の友達の、いつもの優しい沙也香。そこにいるんでしょう?」
『何、言ってるの? 沙也香はわたし1人よ。他にいるわけ――』
「あなたは黙ってて! ……ねぇ沙也香、本当はこんなことしたくないんでしょう? 美羽を殺そうなんて、そんなこと思ってないんでしょう!?」
 あの時、沙也香は一思いに包丁を突き立てることをためらった。その時に感じたのだ。彼女の中には、美羽を殺したいほど憎む沙也香と、それを望まない沙也香がいる。2人の沙也香が美羽の中でせめぎ合っているんだ。
「私もよくないと思ってるよ、美羽の恋愛の仕方。でも、それでも沙也香はいつも真剣に相談に乗ってあげてたじゃない。美羽のこと、本気で心配してくれてたんでしょう?」
 その言葉に動揺するかのように、沙也香の視線が宙を泳ぐ。何か言いたげに口を開くが、結局言葉にならずにまたつぐんでしまった。
「私が知ってる沙也香は、友達思いの優しい、そういう沙也香だよ」

 ――カラン

 乾いた音が響いた。それに驚いたかのように、沙也香はびくんと肩を震わせ、足元に転がる包丁を恐る恐る見下ろした。まるでとてつもなくおぞましいものを目にしてしまったかのように、その表情はみるみる歪んでいく。
『わ……わたし、なんでこんなこと……』
 沙也香はその場に崩れ落ちた。愕然と見開かれた瞳からは、一筋の涙がこぼれ落ちる。
『わたし、どうして……』
 さっきまで包丁を握っていた手のひらを凝視する。美羽を殺す。そんな言葉を吐いた口をその手で覆う。
 やがて小さな嗚咽が漏れた。私はそっと歩み寄り、沙也香の正面にしゃがんだ。
『最低なのはわたしだ。こんなことをして、あんなことを言って……わたし、最低だ。許してなんてもらえない。美羽の友達でいる資格なんてない』
「沙也香……」
 ぱたぱたと音を立て、涙が床にいくつも跡を作る。目の前で泣き崩れる沙也香は、先程までとはまるで別人のようだった。けれど、どちらも沙也香で、どちらも彼女の本心だ。
 私は頷くと、沙也香の肩をバシンと叩いた。
「なーに言ってんの!」
 沙也香は驚いて顔を上げた。私はわざとらしいくらい明るい声で続ける。
「許すも何も、沙也香はなんにも悪いことしてないじゃん。むしろ、悪いのは美羽の惚れっぽいところ! 私が沙也香の立場だったら、生霊なんて生ぬるいことしないで、黒魔術で呪い殺してたところだよ」
 まるで空気を読まない私の言葉に、張り詰めていた雰囲気が一気に崩れた。
 沙也香はぽかんと私を見ていたが、同じような視線を後ろからも感じた。たぶん石蕗さんも呆然と立ち尽くしているのだろう。外見上は普段と変わりない無表情だろうけど。
 私はにっと笑って見せた。
「こうなったら美羽の悪い癖、2人で徹底的に叩き直すしかないね」
『……碧乃……』
 それにつられたように、沙也香の瞳がほんの少しだけ和らいだ。
「沙也香はなんでも1人で背負い込みすぎなんだよ。いつも相談されるばっかりで、沙也香から相談してくれることは一度もなかったもんね。でも、もっと頼ってよ。友達なんだから。……ね?」
 沙也香の顔を覗き込み、にっこりと笑いかける。沙也香はしばらく黙ったまま私を見つめていたが、やがて小さく頷いた。
『……うん。ありがとう』
 ようやく微笑んでくれた沙也香の顔には、美羽に対する憎しみはもう欠片も見当たらなかった。私がよく知る、いつもの、本当の沙也香だ。
 思わずほっと胸を撫で下ろした次の瞬間、沙也香は突然力が抜けたようにその場に倒れ込んでしまった。
「沙也香!?」
 驚いて抱き起こすと、沙也香は意識を失っていた。――いや、それはもう沙也香ではない。体も中身も美羽に戻っていた。沙也香は自分から出ていったのだ。
「…心配いりません。眠っているだけです」
 いつの間にか隣に立っていた石蕗さんがそう告げる。そして昨日と同じように美羽を抱きかかえ、ベッドへと運んでいった。
 美羽は、何事もなかったかのように寝息を立てている。首の傷は石蕗さんが手際よく手当てしてしてくれた。きっと目が覚めたら何も覚えていないのだろう。私は少しだけ複雑な気持ちで美羽を見下ろした。
「…私があそこで祓っていたとしても、沙也香さんの心の内にある原因まで取り除くことはできませんでした。きっとまた現れたでしょう。芹川さんの言う通り、それではなんの解決にもなっていません」
 不意に石蕗さんが口を開き、続けた。
「…大丈夫です。もう沙也香さんが現れることはありません。芹川さんは最善の行動を取りました」
 それは心のどこかで私が欲しがっていた肯定の言葉だった。石蕗さんは、まるで心を読んだかのようにそれを言ってのけた。
 私は思わず振り向いてしまう。けれど、石蕗さんは美羽を見下ろしたまま顔を上げようとはしなかった。しばらく無言のまま時が過ぎる。そうして、ようやく思い出したように付け加えた。
「…これでよかったんです。私は、そう思います」
 その時の石蕗さんの横顔は、今までで1番解読に困難な無表情だった。けれどその言葉の響きがいつもと少しだけ違っていて、もしかしたら石蕗さんなりの励ましだったんじゃないかと、私はふとそう思った。

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