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碧乃さんの冥探偵日誌

依頼その6の1


「いったいどういうことなの!?」
 ヒステリックな金切り声が、その場にいる者全員の胸中を代弁した。
 また雨脚が強まったようだ。横殴りの雨粒が窓を叩き、漆黒の闇が館を包み込んでいる。果てのない暗闇は、じわりじわりと人々の心の内にまで侵食していくようだった。お互いがお互いを疑いさぐる視線が交差する。この中にひとり、人の形をした鬼がいる――
「赤坂 恵里奈エリナさん」
 凛とした声が、その正体を射抜いた。全員の目がいっせいに向けられる。
「あんたが、トオルを……!?」
 皆子ミナコが口元を押さえ、驚愕の呟きを漏らす。ほかの者はみな無言だったが、その表情がなにより明確に語っていた。
 ――――この殺人鬼が――――!!
 自身を除く六つの視線が集中し、恵理奈は思わず狼狽した。薄ら笑いにも似た焦燥を顔に浮かべ、たった今、自分を名指した人物に歩み寄る。
「ひっ……ヒイラギさん、あなた、ご自分が何をおっしゃっているのかおわかりで……?」
「わかっていますよ、赤坂 恵理奈さん」
 柊は冷淡に見えるほど落ち着いていた。薄い唇が、さらに言葉を紡ぐ。
「――いえ、赤坂 緋冴ヒサエさん?」
 その瞬間、鼓膜を切り裂く咆哮が上がった。正体を暴かれた鬼が、地獄の番犬のような恐ろしい唸り声を響かせる。恵理奈の美しい顔は、いまや醜く歪み、その瞳は真っ赤に染め上げられていた。
 まるで、血のような緋色に。
 恵理奈は――否、恵理奈の体を借りた緋冴は、獲物を狙う肉食獣がごとく柊に襲いかかる。すんでのところでかわすが、鋭い痛みが左肩に走った。柊の顔がわずかに歪む。
「伏せろ!」
 叫ぶと同時に、柊は懐から護符をコン出した。三コンコンを緋冴目掛けコンコンコンドンドンドンドン!!


「はあーい! ただ今!!」
 静かな読書の時間をノックの音に害され、私は読みかけの文庫本を机に置いて立ち上がった。
 今一番いいところだったのに……! お客様は神様というが、今このときにおいてはただの無粋なお邪魔虫だった。これで単なる勧誘やセールスたぐいだったらどうしてくれよう。
 そんな怒りは口にこそ出さないが、行動には現れる。私はずかずかと事務所の入り口へ向かうと、少々乱暴にドアを開けた。
「はいはーい! どちらさまです――か?」
 想定していた位置にノックの主の姿はなく、視点を下へとスライドさせた。
 まず目に入ったのは、飴色の髪。正確にはその頂頭部。そして、切り揃えられた前髪の下から覗く大きな瞳と視線がぶつかる。
 予想外にも、そこに立っていたのはランドセルを背負った小さな女の子だった。
「なにかご用ですか?」
 一瞬面食らうも、私は膝を折って女の子と目線を合わせ、にこやかに問いかけた。
 高橋探偵事務所は、子供だからといって門前払いするような情のない事務所ではない。ようするに、依頼人とあらば幼い子供であろうと逃すことはできない切羽詰った経営状況なのである。……というのはさすがに言いすぎだが、営業時間中に所長が秘書をともなってスーパーのタイムセールに繰り出せるくらいには暇な事務所である。
 女の子は人見知りするように、ぬいぐるみを抱く両腕をもじもじと動かした。緩くウェーブのかかった髪が、ほんのりピンクが差した頬の横で揺れる。
 しぐさもあいまり、なんとかわいらしい少女だろう。きっとご両親の遺伝子の中でも、とりわけ出来のいいものだけを選りすぐって生まれてきたに違いない。別の意味で親の顔が見てみたかった。
 しげしげと神の造形に見入っていると、花のような唇が言葉を紡いだ。
「ちーちゃんいますか?」
「……ちーちゃん? えっと、おうちで飼ってるペットかなにかかな?」
 それが行方不明になって、その捜索を依頼したいと――
「ちーちゃんいないの?」
 鈴の音のような声は繰り返す。
 会話が成立しないまま、女の子は私の横を通り抜け、事務所の中へと入っていった。あまりに自然な動作だったため、止めることも忘れてしまった。振り返ると、来客用ソファーに女の子がちょこんと腰掛けている。ランドセルを下ろし、足をぶらぶらさせ、なんだかすっかりくつろぎモードだ。今さら追い返すのも忍びないので、とりあえず先生の帰りを待つことにした。
「もう少ししたら所長が戻るから、それまで待っていてね」
「はあい」
 女の子はお行儀よく返事をすると、膝に抱いたぬいぐるみでひとり遊びを始めた。ずいぶん大ぶりなそのぬいぐるみは、ピンク色の体と細長い手足から、てっきりあの豹のキャラクターかと思いきや、よくよく見るとしっぽもひげものなく、どうやらカエルを模しているようだった。緑色の石がはめ込まれた首輪がチャームポイント、なのだろうか。
 美少女にぬいぐるみは定番のオプションだけど、普通はテディベアかうさちゃんあたりがお約束だ。なんでまたカエルなんだろう、それも真っピンクの。まあ、ただのスポンジがかわいいかわいいと世のティーンエイジャーにバカ受けするご時世だ。一足先に十代を卒業したお姉さんの知らないところで、ピンク・ガエルーなんてキャラクターが流行っているのかもしれない。
 などと年寄りめいた考えをめぐらせながら、アイスコーヒーをカップに注ぐ。美少女は甘党という脳内方程式にのっとり、砂糖とミルクをたっぷり入れて。
 どうぞ、と運んできたカップをテーブルに移すと、女の子は顔をほころばせた。
「ありがとうございます」
 天使の微笑みに、思わずにへらと笑い返してしまう。けれど、女の子はカップに手を伸ばしかけたところで止まった。不思議そうに首をかしげるが、すぐに合点がいったように表情を明るくする。
「おねーさんがおっくんのぶんまでいれてくれたよ。お礼言わなきゃね」
 ふと気がつくと、なぜか女の子の前にカップがふたつ並んでいた。
 なんでふたつも……いや、淹れたのは自分自身なんだけどさ。どうやら無意識のうちにふたり分持ってきてしまったようだった。そして女の子は、片方を「おっくん」――彼女が大事に抱えているぬいぐるみのぶんだと受け取ったらしい。否定するのも野暮なので、そういうことにしておこう。
「その子、おっくんっていうの? よかったらあなたもどうぞ」
『お気遣いどうも。だがあいにくオレ様は、百グラム一万五千円の高級玉露しか口に合わないんでな。こいつぁちっと飲めねえぜ』
「こらおっくん。おねーさんのごこーいをむげにしたらだめよ?」
『おっと、わりぃわりぃ。気持ちだけありがたく頂戴しておくから勘弁な』
 一通りやりとりを終えると、女の子はコーヒー牛乳と化したカップの中身をこくこく飲んだ。
「…………ずいぶん、おしゃべりなんだね。えっと、おっくん……?」
 どう対応すべきかわからず、そんな感想を述べてみる。
『ケッ、初対面で気安く呼ぶんじゃねえぜ。オレ様にはオクタウィアヌス二世って立派な名前があんだからな』
「いばらないの、おっくん」
 女の子がぽふんとぬいぐるみの頭を小突く。『ゲロッ』とぬいぐるみが声を上げた――わけはなく。
 ……まあ、その、なんだ。誰だって子供のころに一度は、ぬいぐるみやお人形と会話をしていたはずで。いたいけな少女が自身とカエルのひとり二役を演じたところで、なんらおかしいことはないはずで。はずで……うん。
「気にしないでね、おねーさん」
 女の子がまんまるな瞳でこちらを見上げてくる。私は頭の中を整理すると、目の前の出来事をすべて受け入れた。美少女はちょっと不思議ちゃんなくらいがちょうどいい! はずで……うん。
「ううん。私こそ、いきなりあだ名で呼ぶのは失礼だったよね。ごめんなさい、オ、オクタウィアヌス二世……さん」
『おう、わかってくれりゃあいいんだ。ここで会ったのもなにかの縁。特別におっくん呼びを許可してやんよ』
 ピンク色のカエルは、しわがれた声でケロケロと笑った。それにしても見事な腹話術だ……なんて言ったら、このごたいそうな名前を持つカエル様にまた怒られてしまいそうなので、おとなしく黙っておく。
 ……それにしても。
 私は腕をさすった。なんだか急に肌寒くなった気がする。夏の山場を越え、朝夕は涼しさ感じられるようになってきたが、それでもまだ日中を快適に過ごすには冷房の助けが必要だ。
 ソファーを離れ、エアコンを確認すると、設定温度は省エネ対策の二十八度。寒さを感じるはずのない室温に首をかしげながら、少し風を弱めた。
「この本、おねーさんの?」
 振り返ると、テーブルに置きっぱなしにしておいた文庫本を女の子が手に取っていた。
「そう。今ちょうど読んでるところなの」
「ふうん……。ね、おもしろい?」
「それはもう。読みだしたら止まらなくなっちゃって」
 来客のノックが耳に入らなくなるくらい。
 それを聞いて、女の子は満足げに笑っていた。もしかしたら、彼女もこの作品のファンなのかもしれない。
『陰陽探偵・柊 壱郎』シリーズは、現在女性読者を中心に人気を集めている作品だ。主人公がクールだとか、アクションシーンがかっこいいだとか、そんなミーハーな……と敬遠していたのだけど、試しに読んでみたらこれが面白いのなんの。すっかりはまってしまい、一作目から最新作まで一気に読み進めてしまった。
 確か、今読んでいる『緋色の末裔』で、今年度の探偵オブジイヤーを受賞したはずだ。個人的には、水面下で進行していると噂の実写化も気になるとこ……
 ――ばさばさばさっ!
 聞き慣れた音に嫌な予感を抱いて視線を向けると、案の定、先生のデスクの上に積み上げられていた紙の塔が崩壊していた。本やら書類やらが床に散らばっている。私はため息をつくと、ふたたびソファーから腰を上げた。
 どうしてあの人は、せめて本は本、書類は書類、と分けてまとめることすらできないのだろうか。ふたつを交互に挟んでわざわざギガマックを製作する神経が理解できない。
 ――がしゃばちゃん!
 次いで届く、乾いた音と湿った音。今度は何事かと顔を上げると、おっくんに差し出したほうのカップが床に落下していた。当然カップの中身は減っていなかったため、陶器の欠片が琥珀色の水溜りに浸っている。
「ごっ、ごめんなさい」
 女の子がソファーから立ち上がり、頭を下げる。スカートに少しコーヒーがかかってしまったようだ。
 ……今気づいたけど、この子が着ている制服、かごめ小学校のものじゃないだろうか。金色のダブルボタンに六芒星に似た校章。間違いない。あの有名私立校に通っているなんて、どこのお金持ちのお嬢さんなんだろう。
 高いクリーニング代を要求されてはたまったものではないので、なによりもまず女の子のスカートを優先する。濡れティッシュと布巾を駆使し、どうにか染みを残さずに済んだ。
「これでよしっと」
「ごめんなさい、おねーさん……」
「ううん、気にしなくていいよ」
『そうだそうだ、おまえが謝るこたねえぜ。カップのほうが勝手に吹っ飛んだんだから』
 そんなわけあるか。
 というおとなげないツッコミは喉元でとどめ、床の掃除に取りかかる。両膝をついて雑巾で拭き取っていると、背後から楽しげなしゃがれ声が飛んできた。
『シンデレラ、ピカピカになるまで磨くのよ』
「おっくんたらもう!」
『ケーロケロケロ!』
 だんだん女の子のかわいらしさよりも、オレ様ガエルの憎たらしさのほうが上回ってきた。早く先生帰ってこないかな……。そしてさっさとちーちゃんとやらを見つけて、報酬をいただきしだいとっとと縁を切らせてもらおう。このカエルと。
 ――そのとき、とうとう天の助けがご帰宅なさった!
「ただいまー」
 ああこの気の抜けた声がどれほど待ち遠しかったことか。私はすぐさま開きかけたドアへと向かった。
「お帰りなさい。待ってたんですよっ」
「どうしたの、なにかあった?」
「はい! カエルが来やがっ……いえ、クライアントのかたがお見えですよ」
 ひさびさの依頼の予感に、先生の表情が明るくなる。しかし、応接ブースで待機する人物を見た瞬間、その顔は一転した。それはあまりに幼い依頼人の姿に驚いたからではなく――
カエデちゃん!?」
「しゅーちゃん遅いよー」
 どうやらふたりは知り合いのようだった。
「どうしてここに?」
「どうしてって……ママから聞いてるでしょ?」
「いや、何も……」
 先生は呆然としているが、私の比ではなかった。
 しゅーちゃん・ママ・三十路男と小学生女児。そのキーワードから導き出される解答は?
「――――せっ、先生、隠し子なんていたんですねっ!?」
「え……? ちょ、え?」
「言われてみれば、確かに目元の辺りがそこはかとなく似てるような気がしないでもない……。ヘタレだヘタレだと思ってましたけど、まさかそこまでだらしがなかったなんてっ。見損ないました!」
「いやいやいや、碧乃君?」
「やだっ、不潔っ! 甲斐性なしっ! 認知してあげなさいよっ!」
「だから話を聞こうよ碧乃君!」
「今さらどんな言い訳をしようって言うんですかっ!」
 うろたえる先生の腕をぽんぽんと叩く小さな手。いつの間にか女の子がソファーから移動していた。女の子は先生の服を掴み、あどけない表情で見上げる。そして、さらりと爆弾投下。
「どうしたの? おとーさん」

*  *  *

「へ〜、楓ちゃんっていうんだ。私は芹川 碧乃。よろしくね」
「よろしく、あおのおねーちゃん」
『柊一朗から聞いてるぜ。こんなとこでバイトするなんて、とんだ物好きもいたもんだ』
「パパがね、京都のパーティーにお呼ばれしてるの。ママも出張でいないから、そのあいだしゅーちゃんちにお世話になるのよ」
 パーティーて。いったいどんなセレブな生活を送っているのだろう。
 それはともかく、和泉 楓ちゃん、十歳。その名字からお察しのとおり、先生の姉・桜子さんの娘だ。じつのところ、先生と目元が似ているというのは嘘ではなく、三親等の血の繋がりがあるふたりがどことなく似ているのは、決しておかしなことではなかった。
「ひどい……ふたりして……」
 事務所の入り口にうずくまっているかたまりが、なにかうめく。どんよりとした空気が応接ブースにまで届いてきた。
「はっはー。世間に隠れて子供を作るれるような度胸、先生にあるわけないじゃないですか。最初からわかってましたよ」
「ごめんね、しゅーちゃん」
『ケッケッケ。相変わらずからかうと反応がおもしれぇなあ!』
「きみとは気が合いそうだよおっくん!」
「ひどい……」
 楓ちゃん、その性格は桜子さんの、ひいてはすみれさんの気質をばっちり受け継いでいるようだ。
 ずずーんとさらに落ち込む先生に、真打がとどめを刺す。
「…所長、タマヤスデの真似ですか。斬新な遊びですね」
「……せめてアルマジロと言って……」
 両手に満杯の買い物袋を下げた石蕗さんが、なんとも情けない上司の姿を見下ろす。ちなみにタマヤスデとは、ダンゴムシそっくりの昆虫のことだ。
「石蕗さん、お帰りなさい」
「…ただ今戻りました。楓ちゃんもいらしていたんですね」
 先ほどの先生とはまったく違うリアクション。どうやら石蕗さんは、前もって楓ちゃんの訪問を知っていたようだった。
「…先日、桜子さんからその旨ご連絡を受けましたから」
「なんでそれを僕に伝えないんだよ」
「…サプライズです」
 秘書のいらぬ気遣いに、先生はふたたび床に沈んだ。
 ときどき所長の地位がわからなくなるよ……。そんな愚痴が漏れ聞こえた気もしたが、肩書きと力関係が必ずしも比例しないのが世の中である。
「ちーちゃん!」
 おっくんとひとりおしゃべりをしていた楓ちゃんが、突然叫んで席を立った。ひょろ長いカエルを掴んだ腕を振り回しながら、ぱたぱたと走り、ダイブ。その華奢な体が飛びついた先は、
「ちーちゃんちーちゃん! 会いたかったよう!」
 熱烈アタックをされてもまったく動じない、石蕗さんその人だった。
 楓ちゃんはひたすら「ちーちゃん」を連呼し、頭三つ分も背の高い人物の腰元に抱きつくが、石蕗さんは両手がふさがっているため身動きが取れない。それでも嫌がるそぶりは見せず、されるがままになっていた。
「楓ちゃん、ずいぶん石蕗さんになついてますね」
 ようやく体を起こした先生に、ひそりと話しかける。しかし、先生が頷くより先に、楓ちゃん――ではなく、おっくんが答えてくれた。
『オイオイ、なつくなんて犬猫みたいな言い方すんなよ。恋人同士のスキンシップだぜ?』
「こ、恋人同士?」
『ケロケロ! 楓は石蕗 千速チハヤのフィアンセだかんな!』

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