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碧乃さんの冥探偵日誌

依頼その6の2


 この子が、この人の、フィアンセ。
 えっと、フィアンセの日本語訳はなんだっけかな、なんて考えながら、少女と男性のあいだで視線を往復させる。長身青年に抱きつく巻き毛少女。うーん、眩しいくらいの美男美女。ただし、その年齢差に目をつぶることはできなかった。
 さて誰に説明を求めたものか。小学生・無口さん・生意気ガエル・アルマジロから人間に戻ったばかりのダメ大人。どれも引く気にはなれないカードばかり並んでいたが、それでもまだマシだろうと思われるもの選択する。
「えーと、先生。これはいったい」
 どういうことでしょう? と言いかけた私を遮る音。
 ブツン。次いで、ドサドサドサ。
 音の発生場所に、四つの視線が集中する。石蕗さんが両手に提げていた買い物袋の片方が、引きちぎれていた。
 破れたのではない。取っ手の一部だけを石蕗さんの手のうちに残し、中身が満杯の袋は床に落下していた。切断部といえば、それはもう力任せに引っ張ったとしか言いようがないほど引き伸ばされていて――それは明らかに、重力以外のなんらかの力によって、引きちぎ“られて”いた。
 だってこのビニール袋、見た目の薄さに反して、二リットルのペットボトル六本くらいは余裕で持ち運びできるんですよ。以前、特売でたんまりお茶と水を買い占めたときに実践済みだから間違いない。……持ったのは私じゃなくて先生だったけど。
 ともかく、そんな環境に優しくないくせに丈夫さだけが取り得のこの袋が、たかだか三人分の食料で音を上げるはずがない。
 取っ手を失い、口を大きく開けた袋からは、タイムセールの戦利品が顔を覗かせている。その中から、ころん、と茶色い物体が飛び出した。玉ねぎだ。
 不自然に落下した買い物袋から不自然に零れ落ちた玉ねぎは、さも自然を装って床をころころと転がっていく。しかし、球というよりは錐に近いその物体が、まっすぐ一直線に転がるはずはなく――その様子はやはり、誰の目にも不自然であった。
「…………」
 一連の出来事に、その場にいる者はみな無言。最初に行動をとったのは先生だった。
 いまだ転がり続ける玉ねぎを追いかけ、一歩踏み出す。すると、玉ねぎは停止した。ぴたりと、姿勢正しくお尻のほうを床に面して。まるで先生の動作に合わせたかのようなそのしぐさ(野菜相手にしぐさというのも変な表現だけど)は、だるまさんが転んだを思わせた。
 先生は一瞬立ち止まるも、すぐに玉ねぎのもとへ向かい、なんのためらいもなくひょいとそいつを拾い上げた。その顔はいつになく険しい。玉ねぎに落とされていた視線が、こちらへシフトする。睨むような視線の先で、楓ちゃんがびくりと怯えて石蕗さんの後ろに隠れた。……びくりと言うよりは、ぎくり?
 先生はつかつかと歩み寄ると、小さな姪を見下ろした。楓ちゃんは、右手で石蕗さんの服の裾を掴み、左手でぬいぐるみを抱きしめる。上目遣いのその顔は、ばつが悪そうに眉が八の字に下がっていた。ちなみに、石蕗さんはそんなふたりのあいだに挟まれながらも、盾のように動じない。
「楓ちゃん。またおかしな所に近づいたね?」
 穏やかだが厳しい口調に、楓ちゃんは「うー……」と漏らす。
 しばらく対峙していたふたりだったが、やがて先生が根負けしたのか、息をひとつついて姿勢を崩した。先ほどまでとは変わり、いかにもやれやれといった表情が浮かんでいる。
「いいよ。おいで」
 それだけ言うと、先生は楓ちゃんの手を引いて事務所から出て行ってしまった。去り際、「石蕗」「…はい」という、主語も述語もない点呼をして。
 ……なんだか一気に室温が上がった気がする。私はふたたびエアコンの風量を強めた。
 その間、石蕗さんは何をしていたのかというと――簡易キッチンの戸棚からなにかを取り出し、てきぱきと作業を進めていた。まず、小皿を一枚ずつ、入り口のドアの両端に置く。次に、そこへ白い粉をきれいな山型に盛る。はいこれで完成。
 粉の正体は、袋のパッケージを見ずともわかる。きっと舐めたらしょっぱいに違いない。
「……盛り塩?」
 私の呟きに、石蕗さんはイエス・ノーのどちらでもない答えを返した。
「…もう何もいません」
 さっきまで何がいたと言うんだ。

 ここで当事務所のメンバーをおさらいしよう。
 ひとりは極端に口数が少ない秘書、ひとりは「だって訊かれなかったから」の常習犯。
 よって、私が説明を得るときには、ことがすべて終わったあとである場合がほとんどだ。そろそろこの待遇にも慣れてくる。むしろもうこれでいいやと諦めチック。だって、ねえ? 手品の途中で種明かしされても、それはそれでつまらないでしょう。
「楓ちゃんね、霊媒体質なんだ」
 戻ってきた先生の回答は、じつに端的でわかりやすいものだった。
「それも極度の。いわく付きの場所へちょっと近づいただけで、すぐに連れて帰ってきちゃうんだよ」
「連れて、って」
 私はソファーに腰を下ろしかけた姿勢で固まった。
「……もしかしなくとも、さっきまで」
「うん、いたよ」
 あっさり頷くと、先生はなにごともなかったかのようにデスクに着く。
 私は事務所内を見回した。当の楓ちゃんは、石蕗さんとともに三階の自宅へ行っている。回想してみれば、思い当たる節がぼろぼろと出てきた。
 ちぎれた買い物袋、転がる玉ねぎ、突然倒れた書類と本の山、床に落ちたカップ――確かにおっくんは、『カップのほうが勝手に吹っ飛んだんだ』と言っていた。そもそもコーヒーをひとつ余分に出してしまったのも、私が“もうひとり”の存在をどこかで感じとっていたからなのかもしれない。それに――ああもう! 周囲の温度が下がるのは、彼らが現れたときのお約束じゃないか!
「なんてこと! 立派なポルターガイストじゃないですかっ!」
 紛れもない超常現象に遭遇しておきながら、それと気づかなかった自分のふがいなさに思わず地団駄。知識はあれど視えないという、決定的かつ先天性のハンディキャップを突きつけられる。
 なにかを契機にスイッチが入るだとか、修行の末に開眼を果たすだとか、そんなのは一握りどころか小指の先くらいの人間だけだ。だいいち、そういう人たちは能力を得たわけではなく、眠っていた力が目覚めただけ。人間は脳の三パーセントしか使っていないというが、残りの九十七パーセントに、果たして誰しも等しく霊感というものが備わっているだろうか。
 ……もちろん反語である。はあ。
 心の中でひとしきり愚痴り終えると、ため息とともにソファーへ沈んだ。先生は苦笑していたが、あえて触れずに話を進める。
「それでも楓ちゃん、今は落ち着いてるほうだよ。前はもっとひどかったからね」
「というと?」
「“お持ち帰り”どころじゃ済まなかった。大変だったなあ」
「た、大変とは」
 不謹慎にもどきどき。
「入り込まれて、乗っ取られたり」
 何を――とは、訊くまでもない。
 さすがすみれさんの血を引く少女! きっと隔世遺伝に違いない。恐るべしすみれDNA。となるとやはり、先生の子供もバリバリの霊感少女もしくは少年に?
 ……………………話題を変えよう。
「そーれにしても! 先生、オジサンだったんですね〜」
「……叔父さん、ね。別にこの年じゃおかしくないと思うけど」
「そうですよね。むしろ子供がいてもおかしぐはッ! げふッ!」
 血迷ったことをのたまいそうになった口を、慌ててごふごふと不自然な咳でふさぐ。話題変えようって言ったばっかりじゃん自分!
「あ、碧乃君? 大丈夫?」
「へーきです。なんの問題もありません。むしろ記憶にございません」
 こほんと咳払いし、居を正す。
「……まあ、私ももうすぐ叔母さんになりますしね」
「え!?」
 軌道修正をした私の言葉に、なぜか先生は前のめりで食いついてきた。
「なるの?」
「なりますよー。そうですね、少なくとも来年の夏までには」
「けっ、決定事項なの!?」
「まあ、なにごともなければ。って、なにかあっちゃ困るんですけど」
 視線を泳がせ、そわそわしはじめる先生。
 ……何をそんなに動揺しているのだろう。しかもなんか、顔赤くない? つっこむとなんだか面倒なことになりそうなので、ここはスルーするのが吉と見た。
「お兄ちゃんはもうできたから、今度は弟みたいな甥っ子が欲しいんです。なーんて。こればっかりは、こちらの意思でどうこうなるものじゃありませんけどねー」
 その一言を聞いたとたん、冷や水を浴びせかけられたかのように、先生の目が点になった。ぱちぱちと瞬きをくり返し、
「おいっこ?」
「あれ、言ってませんでしたっけ。お姉ちゃん、この前病院に行ったら――」
 私の五つ上の姉・芹川 朱里アカリは、先々月に式を挙げ、姓を笹野と改めた。現在は橙也さんお義兄さんと夫婦水入らずのふたり暮らし。先週お姉ちゃんの妊娠がわかり、新婚生活は順調の模様。妹としても嬉しい限りだ。
 ――ということを述べるのだが、先生の耳には右から左……どころか、外耳道の入り口にシャッターが下りているのかもしれない。精根尽き果てたようにがっくりとデスクに突っ伏し、意味不明なうわ言を呟いている。やがてふらりと立ち上がり、先生はおぼつかない足取りでドアへ向かった。
「ちょっと上の様子見てくる……。ああそうだ、朱里さんに、おめでとうございますって」
「……はあ。伝えておきます」
 なんなんだろう、このテンションのアップダウンは。先生こそ、ナニカに入り込まれて乗っ取られてしまったんじゃなかろうか。
 ひとり取り残され、手持ち無沙汰にソファーに背を預ける。けれどすぐにがばりと身を起こした。楓ちゃんの体質の秘密はわかったけれど、当初の疑問が解決されていない。頭の中で、あのしわがれた声が再生された。
『楓は石蕗 千速のフィアンセだかんな!』
 まさか本当に許嫁とかそんなオチなのだろうか。ううむ、あの桜子さんが母親で、そしてなによりあのすみれさんが祖母であるあたり、その可能性がないと言い切れないのが恐ろしい。
 それにもうひとつ。唐突に明らかになった石蕗さんの下の名前。
 たぶん、今まで尋ねずにいた私がおかしかったのだろう。けれど、これまで名字だけでなんの不便もなかったことは事実だし、もはや石蕗さんは「石蕗さん」以外の何者でもないような気さえしていた。彼も人の子である以上、名前はあってしかるべきなのだけど……今になって明かされてみると、むしろ違和感のほうが強いくらいだ。我ながら失礼な話である。
 でも、頷ける点もあった。なるほど、千速で「ちーちゃん」、ね。
「…………」
 ちょっぴり好奇心がうずく。
「…………ちーちゃん」
「…はい」
「わあッ!?」
 予想外の返事に心臓が飛び上がる。同時に体も飛び上がり、振り返ると、そこには気配もなくちーちゃん――いやいやいや! 石蕗さんが、佇んでいた。いつの間に、と問うより先に、彼はぽそりと漏らす。
「…いいですよ」
 目をしばたたかせるばかりの私に、平坦な声はさらに続けた。
「…ちーちゃんと呼んでも、いいですよ」
「…………」
 ちーちゃん、お茶が入りましたよ。ちーちゃん、今度美羽がご一緒にお食事をしたいそうです。ちーちゃん、このもやしっ子になんとか言ってやってください! ちーちゃん……ちーちゃん……ちー……ちゃん……?
「――遠慮させていただきます」
 深々と頭を下げ、丁重にお断り申し上げた。
 正直言って、少なからず心惹かれる申し出ではあった――けれど、でも、ほら、職場でちゃん付けはどうかと思うんです。公私混同はよくないし、それに私、年上の男性でちゃん付けするのは、ギバちゃんだけって素意やのころから決めてるから!
 なんて、口には出さなかったが、顔にはばっちり出ていただろう。そうでなくとも石蕗さんのことだ。私の頭の中の言い訳など、まるっとお見通しに違いない。だから、
「…そうですか」
 と返した石蕗さんの無表情が、なんとなく寂しそうに見えたのは――きっと見間違え以外のなにものでもない。はずである。
 石蕗さんは自分の席に着くと、パソコンに向かい、通常業務に戻った。カタカタと規則正しくキーを叩く音が響く。その横顔は、いつもどおりの無表情。そこに無口・無反応と無が並ぶのだが、それでも無愛想とは感じさせないあたり、石蕗さんの人柄だ。
「そういえば、楓ちゃんとフィアンセっていうのは……本当なんですか?」
 石蕗さんは手を休め、顔を上げた。一文字に結ばれた唇がほどかれるが、はい、という言葉は出てこなかった。
「…幼いころの約束です」
 なるほど。大きくなったらパパのお嫁さんになるーとか、そんなノリなのだろう。フィアンセなんてませた言い方をするあたり、現代っ子らしいけれど。
「…ですが、約束は約束です」
 付け加えられた言葉は、じつに彼らしい律儀な発言だった。
 幼い少女が夢見がちな年ごろに交わしたいっときの口約束。やがて年を重ねれば夢から覚め、現実的な相手を見つけることだろう。そうなれば、これもこそばゆい思い出話のひとつに変わる。けれど、それまでは。ふたりのあいだでは、どんな契約書よりも固い誓いなのだ。
 ……なんてロマンチック。小学生女児に抱きつかれる成人男性の図を見せられても、ロリコンのロの字も連想させなくてしかるべき。そんな野暮な考えを起こすほうが低俗というものだ。
 ――けれど翌日、私は思い知らされることになる。

*  *  *

 大学を終えてバイト先に向かうと、事務所にはすでに先客がいるようだった。雑居ビルの階段を二階まで上りきったところで、誰かの話し声が耳に届く。ひとつは、子供特有の甲高い、けれど決して耳障りではないかわいらしい声。もうひとつは、聞くだけでその嫌味な性格が容易に想像できるしわがれ声。どうやら小学校から帰宅した楓ちゃんが、彼女の親友・おっくんと、例の“ひとり遊び”をしているようだった。
 相方がイレギュラーな真っピンクのカエルとはいえ、ぬいぐるみとたわむれる美少女という構図はじつに絵になる。今日もまた眼福にあずかろうと、私は胸を躍らせてドアを開け……ようとしたところで手が止った。
「あんなじゃまものがいすわってたなんて、とんだ予定外だったわ」
 ドアの隙間から、穏やかではない話が漏れ聞こえる。私は思わず息をひそめ、耳を傾けてしまった。
「いったいいつからなのかしら」
『聞いた話じゃ、もう一年に近くになるらしいぜ』
「そんなに? フィアンセでさえ月一回会えるかどうかなのに、身分ふそーおーもはなはだしいわね」
 声の主は、どうもいたくご立腹のご様子。しかし、その口調はあくまで通常どおり。むしろ天使の囁きとも形容できる無邪気さと愛くるしさで、その会話内容とのギャップが、聞く者を凍りつかせるような不協和音を生み出している。
 ――否、次の言葉を聞いたとき、私は確かに凍りついた。
「あのあおのとかいう女、しゅーちゃんに頼んでかいこしてもらえないかしら?」
 耳を疑った。お空の雲ってわたあめみたいな味なのかしら? とかなんとかいう微笑ましい疑問を、両耳の鼓膜が誤作動を起こして聞き間違えてしまったのではないかと本気で思った。というか実際、そんなメルヘンなことを話すような口ぶりだったのだ。
 耳が正しいのならおかしいのは目か。二十年間バリバリ現役だった裸眼がついに衰えたのか。
 ……もちろんそんなはずはなく、ドアの向こう、事務所内のソファーに腰掛けているのは、どこからどう見ても先生の姪・和泉 楓にほかならなかった。その傍らにはおっくんの姿もある。こんな、美少女とピンクガエル、なんて組み合わせ、偽者が出現するほどありふれたものになってしまってはたまらない。
 でも、やはり、私は目を疑わずにはいられなかった。だって彼女、さらりと恐ろしい発言をしながらも、その表情はあくまでお人形遊びに興じる幼い少女のそれなのだから。
「あいつ、絶対ちーちゃんにいろめ使ってるわよ」
『ゲゲッ。だが千速があんな年増に落ちるわけねぇと思うけどな』
「でもちーちゃんてばじゅんじょうだから、あいつのどくがにかかっちゃうかも……」
『心配性だなあ。誰がどう見たって楓のほうが美人だし、頭も性格も育ちもいいぜ。それにおまえにゃ最大の武器がある。それはなんだ? 若さだ!』
 そう言って、おっくんはビシッと両手を腰に当てる――ポーズを、楓ちゃんによって作られた。そして、ひょろ長い手で楓ちゃんの肩を叩く――しぐさをさせられた。
『自信持てって楓! 若さだけはどう足掻いたってひっくり返せないアドバンテージだぜ?』
「……そうよね。うん。あんなおばさん、かえでの足元にもおよばないわよね。うふふ、心配してそんしちゃった」

 きれいな花には棘がある。しかして可憐な少女の裏側は、腹から何から真っ黒くろ――で、あった。

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