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便利屋×冥探偵日誌 2


203号室デ逢イマショウ 前編



 その日、高橋探偵事務所に珍しい訪問者があった。
「うわー、久しぶりー!」
 現れたふたりの客人を、碧乃は歓呼の声で迎え入れた。
 若い男女の二人組。ひとりは、メタルフレームの眼鏡をかけた、黒髪で色白の青年。名を龍幻寺 武史リュウゲンジ タケシといい、福岡で探偵社を営んでいる。その助手を務めているのが、もうひとりの客人、東雲 魅貴シノノメ ミキ。茶色の長い髪と小麦色の肌を持つ彼女は、まだ高校を卒業したばかりで、少女といっても差し支えないかもしれない。
 この福岡の探偵・助手コンビと、同じく、東京は九重区の探偵・助手コンビが出会いを果たしたのは、とある幽霊屋敷の調査でのこと。以来、二度目の対面とあいなった。
 手を合わせてきゃっきゃと再会をはしゃぐ魅貴と碧乃と、その隣で値踏みするように事務所内を見回す武史。その姿を目にし、ひとり鳩が豆鉄砲を食ったような表情を浮かべているのは、柊一朗だった。
「龍幻寺さんに、東雲さん……。どうしてこちらへ?」
 はたと事務所が静まり返る。訝しげな三つの視線が柊一朗へと集中した。それでもなおクエスチョンマークを浮かべる所長に、碧乃はため息をついた。
「魅貴と社長さん、また東京に来ることになったから、ついでにうちの事務所にも寄っていくって、昨日話したじゃないですか。忘れてたんですか?」
「あー……そういえば帰りがけにそんなことを言っていたような、……いないような」
 くだんの事件後、魅貴と碧乃がたびたびメールを交わす仲――いわゆるメル友になったという話は、以前に聞いて覚えていたのだけど。
 そんな言い訳をしつつ、たははと笑ってごまかす柊一朗に、碧乃は額を押さえてうなだれる。どうせ読書に夢中で、聞き流すどころか耳に入ってもいなかったのだろう。碧乃は本人に代わって非礼を詫びた。
「あいっかわらず頼りなさそうなのなー……」
 あきれながらも、どこか懐かしそうに呟く武史だった。

「じゃあ、今回は仕事のみで東京へ?」
 福岡からの来客二名を応接ブースへ案内すると、自身もソファーへ腰を下ろし、柊一朗は尋ねた。
 ああ、と武史がうなずき、魅貴が続ける。
「今回の依頼は人探し」
「へえ〜、人探し! いいなあ、いかにも探偵って感じ」
 柊一朗の隣に腰掛けた碧乃が目を輝かせる。
「音信不通になったお兄さんを探し出してほしいって、妹さんからの依頼でね」
 ひさびさの探偵らしい仕事に魅貴も心が弾んでいるのか、嬉しそうに依頼内容を話しはじめた。
 依頼主は、今年成人を迎えた若い女性。
 彼女は数年前、両親の離婚により、兄と離れ離れになってしまった。当時中学生だった彼女は父親に、高校生だった兄は母親にそれぞれ引き取られ、以来兄妹が顔を合わせることはなかった。けれど、兄からは月に一度、必ず手紙が届いたという。しかし、そこに送り主の住所は書かれていなかった。
 返事を書こうにもあて先がわからない。本人に尋ねることすらできない。きっと教える気はなかったのだろう。それでも兄からの手紙は絶えることがなく、彼自身、一見一方的にも思えるこのやりとりを楽しんでいるようだった。そして、彼女もいつもそれを心待ちにしていた。
 一方通行の奇妙な文通。それは、兄妹のひそやかな繋がりだった。
 しかし、その糸は突然、なんの前触れもなくぷつりと途切れることとなる。半年ほど前を境に、兄からの便りがなくなったのだ。
 兄は高校卒業後、就職し、一人暮らしを始めたのだと、いつかの手紙で語っていた。仕事が忙しくて手紙を書いている暇もないのかもしれない。彼女はそう思ったが、ひと月、またひと月と経つにつれ、懸念は募るいっぽうだった。もしかして、兄の身になにかあったのかもしれない……。
 音信不通が半年以上続き、とうとう不安に耐えきれなくなった彼女は、龍幻寺探偵社のドアを叩いたのだった。
「消印から割り出そうにも、これが全国津々浦々でな。よっぽど居場所を隠したいのか、それともなにか別の理由があるのか」
 そう言って、武史はテーブルの上に何通もの封筒を並べた。柊一朗と碧乃は、興味深げにその中のいくつかを手に取って眺める。
「大阪に、神奈川に……これは静岡?」
「こっちには青森もあるよ」
「うはー、みごとにバラバラですねえ。全国行脚でもしてるんですか? このお兄さん」
「さあな。ちょいと中身を拝見させてもらったが、なんの仕事をしてるのかはまったく書かれていなかったよ」
 革張りの背もたれに沈み、武史はお手上げのポーズを作る。
 柊一朗は手紙を卓上に戻すと、ふむ、と右手をあごに添えた。そうしている限りには、思慮深く、それなりに探偵らしく見えないこともない。
「でも、福岡の消印が多いみたいですね?」
「ん、ああ、そりゃ離婚してすぐのもんだ。母親とふたりで暮らしてた頃の。その住所はわりとすぐにわかったんだが、もうそこには住んでなかったよ。なんでも数年前に母親が亡くなってるらしい。妹には内緒にしてたみたいだな。で、その後の兄ちゃんの足取りが不明ってわけだ」
 母方の身寄りはなかったため、彼の行方を知る親類はいなかった。通っていた高校を訪ねてみると、卒業ではなく中退だったことを知らされた。ちょうど母親が亡くなった時期だ。手紙の消印がバラバラになったのもその頃からだった。
「とはいえ、わが探偵社にかかればこれくらいの捜索朝飯前だ。今は東京に住んでるらしい。ばっちり住所を突きとめてやったよ」
 得意げに述べる武史に、魅貴は非難めいた視線を向ける。
「よく言うよ……。仕方ないから日付順に消印の場所を片っ端からあたっていって、前金ほとんど使い果たしちゃったくせに」
「なんだとミッキー。きみはローラー作戦というものを知らないのかな? そんな無知な子は揉むぞ?」
「ひとんちの事務所でセクハラ禁止!」
 もしも自分が口にしようものなら、確実に碧乃にぶっ飛ばされているであろう言葉をさらりと言ってのける武史に、柊一朗は面食らう。対する碧乃は、これが噂の揉むぞ発言! となぜか喜んでいた。
 その後、福岡組はいつものお決まりらしいやりとりを終えると、ふたり揃ってわれに返り、居住まいを正した。
 一呼吸置いて魅貴が尋ねる。
「そういば、碧乃たちもなにか依頼を受けてる最中なの?」
 質問を受けた瞬間、待っていましたとばかりに碧乃が身を乗り出した。
「今私たちが受けているのは……四番!」
 びっと指を四本立ててみせる碧乃。だがそれが高橋探偵事務所外の人間に伝わるはずもなく、武史と魅貴はぽかんと口を開ける。
 いまだしたり顔でポーズをつけている碧乃の代わりに注釈を入れたのは、隣で苦笑を浮かべる柊一朗――ではなく、低く抑揚のない声だった。
「…心霊関係の依頼のことです」
 唐突な第三者の介入に、今度はびくりと肩を震わせる武史と魅貴。揃って右向け右をすると、そこにはいつからいたのか、黒尽くめで長身の青年がたたずんでいた。青年は客人ふたりに会釈をすると、手にしたトレイからそつのない動作でカップをテーブルへと並べていく。コーヒーの香ばしい香りが鼻腔をくすぐった。
「わあ! すみません、石蕗さん。私の仕事なのに……」
 話に夢中で、来客の際、真っ先にやらなければならないことをすっかり忘れていた碧乃が青年に謝る。「…いえ」とほとんど呟くように返す青年は、怒っているわけではないようだが、眉ひとつ動かすことはなかった。
 四人分のカップを並べ終えると、青年は再び一礼する。そして、まるで付き従うかのように、柊一朗の半歩後ろに直立した。それが定位置であるとしか思えないほどしっくりとくる構図だった。
「…石蕗です。事務所の経理を担当しています」
「ようするに秘書ってことです」
 碧乃が付け加えると、青年――石蕗は三度目の礼をした。つられて頭を下げてしまった武史と魅貴は、あわてて自己紹介と初対面のあいさつをする。「…おふたりのお話はうかがっています」と、いくぶん柔和な表情で石蕗は答えた。
 その切れ長の瞳に魅貴は一瞬見とれかけて、同じ色白黒髪でもこうも印象が変わるものか、と隣でコーヒーをすするパートナーをちらと見た。とはいえ、逆を言えば、共通点は色白黒髪という点のみなのだが。
「それで、ええと」
 なんの話だったっけ、と魅貴が思い返す。「四番の依頼がどうとか」ミルクを注ぎ足しながら、武史が助け舟を出した。
「そうそう! 今回も前と似たような依頼なんだけどね。今度は幽霊屋敷ならぬ幽霊アパート。……幽霊部屋かな? アパートの一室に女の幽霊が出るって噂が広まり、評判がた落ち退居者続出。すっかり閑古鳥が鳴くようになってしまったアパートの管理人さんから、どうにかしてほしいって泣きつかれたのが今回の依頼。なんでも、その幽霊に呪い殺された住人もいるんだとか」
 物騒な話を心底嬉しそうに語る碧乃に、武史はほーう、魅貴はへーえと相づちを打つ。
「ま、俺たちが東京にいるあいだは、ヤバくなったらいつでも呼んでくれよ。ぱぱぱーっと冥府へ送ってやるからさ」
「お、社長がいつになく親切」
 魅貴が感心したように手を叩くが、その代わり、と武史は言葉を重ねた。
「こっちは折半でヨロシク」
 OKサインを横に寝かせ、ばちこんとウインク。
 魅貴の表情はすぐさま失望に変わり、碧乃も同じような色を浮かべ、石蕗――の表情が変わるわけはなく、ひとり引きつった笑みを浮かべる柊一朗が返答した。
「……お気持ちだけ頂戴しておきます」
 誰かさんの意地汚い発言のせいでよどんでしまった空気を、ごほん、と魅貴が咳払いとともに一掃する。それから冷めかけたコーヒーを一口飲んで仕切り直すと、柊一朗の斜め後ろに立つ人物を見やった。
「ところで石蕗さんって……」
 かねてより気になっていた質問をぶつける。
「死神ですか?」

* * *

 駅前の大通りから少しそれた先にある住宅街を、ふたりの若い男女が歩いていた。
 眼鏡をかけた青年は、手にしたメモ用紙と周囲の建物をしきりに見比べている。どうやら住所を頼りに目的地を探しているようだ。しかし、その隣を歩くつれの少女の興味の先は、もっぱら手のうちの食べ物に向けられていた。
「ん〜、これおいしー」
 少女――魅貴が幸せそうにはむはむとむさぼるのは、紙に包まれた白いワッフル。ついさっき駅前の店で購入したもので、まだアツアツのサクサクだった。
「おいこらミッキー、今は仕事中ですよ。わかってる?」
「わかってるって。だからこうしてエネルギーをチャージしてるんじゃない。腹が減っては戦も人探しもできぬ、ってね〜」
「……ったく、てめーの腹くらい自分の金で満たしてくれよ」
 わあ、モッフル! これが都会のハイカラスイーツ! などと叫んで店先に飛びつく魅貴の姿を回想し、青年――武史は恨めしげにこぼした。
 先ほどまで高橋探偵事務所の面々と、同業話に花を咲かせていたふたりだったが、事務所をあとにすると、さっそく本来の用件に移った。すなわち、行方不明の兄探し。現在、その彼が住んでいるというアパートに向かっている最中なのだが――武史はメモから顔を上げ、思い出したように呟いた。
「しっかし、あれはなかったよなあ」
「ん? はには?」
 噛みついたチーズを引き伸ばしながら、魅貴が首をかしげる。死神発言、と武史は答え、
「あのにーさん、『…は』とか言って固まっちゃってじゃないか」
「はっへー。なんはひほーはんほにはふんいひはっはんはもん。ふほいし」
 だってー。なんか鬼堂さんと似た雰囲気だったんだもん。黒いし。
 リスの頬袋よろしくもちもちの焼き菓子を口いっぱいに頬張り、魅貴はほとんど日本語には聞こえない言葉を返す。食うかしゃべるかどっちかにしろ。武史は心の中でつっこむが、どこか人間離れした雰囲気をまとう寡黙な青年の姿を思い出し、
「ま、わからないこともないけど」
 とうなずいた。
「でも俺はともかく、ミッキーなら人間かそうじゃないかくらい見てわかるだろ?」
「そうだけどー。でもなーんか不思議な人だったんだもん」
 言いながらも、魅貴は絶えずモッフルを口に運ぶ。手のひら大の正方形だったそれは、今やその面積を半分に縮め、彼女がまくまくと口を動かすにつれ、三分の一、四分の一と姿を消していった。そんな小動物的動作を武史が横目にしているうちに、とうとう残されたのは包み紙のみになってしまった。
「ごちそうさまー」
 魅貴が手を合わせると、ふいに武史が足を止めた。どうやら目的の場所に着いたらしい。だが、武史の視線は探し求めていた建物ではなく、その敷地の入り口に立つ人物にそそがれていた。
 怪訝に思った魅貴が、その先を目で追う。すると、彼女もまた動きを止めた。
「あれって」
 先客は二名。自分たちと同じく男女の組み合わせ。そしてそれは、ついさっき別れたばかりの見知った顔ぶれだった。
「あれ?」
 と、最初にこちらに気づいたのは、二人連れの女のほう。肩まで届かない短めの髪を揺らし、振り向いた先に武史たちの姿を見つけて目を丸くした。そして、まだ気づいていない男の腕をちょいちょいとつつき、そのまま人差し指をスライドさせる。
 むやみに人を指差さない。
 とかなんとか注意したのかは定かではないが、男は女の行動に顔をしかめたあと、促した先にいる人物を見とめ、やはり驚きの表情を作った。
 立ち尽くすふたりのもとへ、武史と魅貴が歩み寄る。そこにいた先客とは、東京の同業者、柊一朗と碧乃。住宅街の一角で予期せず会した二組は、四人が四人ともどこか座りの悪そうな様子だった。
「や」
「ども」
「また会ったな」
「ですね」
 ひとり一言の点呼を終えると、四人はまた口を閉ざす。なんだかお見合いの席で若い者同士残されたような、妙に発言をためらわれる空気が漂っていた。それでもこのまま黙って突っ立ったいても埒が明かないので、各ペアとも自分たちがこの場にいる理由を明かした。
「俺たちは、行方不明の兄ちゃんを訪ねに……」
「私たちは、アパートに出る幽霊を調査しに……」
「「ここの203号室へ」」
 武史と碧乃、ふたりの声が、一言一句たがわず重なり合う。
 おやおやおや?
 二組はおのおの相方と顔を見合わせると、まばたきを数回繰り返し、再び目の前の二人組と向かい合った。おそらく全員の心中に浮かんでいるであろう思いを、武史が代表して端的に述べる。
「奇遇だな」
 くしくも、またもや同じ現場で鉢合わせしてしまった二組だった。

 福岡組と東京組、それぞれが受けた依頼で訪れた先は、一棟のアパートだった。……否、そのはずだった。問題は、はたしてこれをアパートと呼んでいいものだろうかということだ。
 二階建ての木造建築、集合住宅。そういった観点からすれば、定義の上では間違いなくアパートメントハウスである、の、だが。
「一室に幽霊が出る……? 一部屋につき一体の間違いじゃないのか?」
 武史の意見に否定する者は誰もいない。つまりその建物は、誰の目にも幽霊部屋なんてレベルではなく、そこらじゅうをこの世のものならざるモノたちが徘徊していてもおかしくない、まさしくゴーストハウスと評するにふさわしい様相をなしていたのであった。
 要約するところの、ものすごくオンボロ。
 もともとは白かったであろう外壁は、雨風をもろに受けて剥げ落ち、ひび割れ、変色してしまっている。代わりにスプレーアートという名の落書きが施されているが、廃墟感に拍車をかけているだけだ。一瞬、非常階段と見間違えた二階へ続く階段は、さび放題で、乱暴に駆け上がれば底が抜けること必至。通路の手すりなんて今にもはずれてしまいそうだ。それでも、駐車場も駐輪場もない、荒廃した敷地内に停められた数台の自転車と原付が、かろうじてここに人が住んでいることを主張していた。
 何が悪い誰が悪いという話ではないが、あえて挙げるとするならば、周りがわりと閑静な住宅街だったのがいけなかった。高級とまではいかなくとも、平均よりも少し上のアパートやマンションが立ち並んでいる。だから、自然と、なんの疑いもなく、目指す先も周囲と同じような水準だろうと思ってしまっていた。
 そこに現れたのがこのお化け屋敷だ。ギャップがひどい。ひどすぎる。アパート・マンション・コーポ・ハイツ――それぞれに明確な区分はないとはいえ、この建造物はそのどれにもカテゴライズしないだろう。しいていうならバラック、だ。
「まあ、中卒の兄ちゃんが一人暮らしって話だ、それなりにそれなりのところだとは思っていたけどさ……」
 ここまでとは、と漏らす武史は、むしろ感心しているようにも見える。その他三名も、無言でうなずくことしかできなかった。
 景観をそこねると、近隣住民から苦情が殺到してるんじゃ……。
 それははさすがによけいな心配。目的地がどうであれ、プロである以上、必要とあらば足を踏み入れるほかない。虎穴に入らずんば虎児を得ず。……そんな大げさなものでもないけれど。
 ともかく、気を取り直してアパートへ向かう。途中、はたして大人四人の体重に耐えうるのかはなはだ疑問だったため、ひとりずつそろりそろりと酸化した階段をのぼりながら、それぞれが受けた依頼について詳しく話した。福岡組の件についてはあらかた事務所で聞いたため、おもには東京組の事情についてだ。
「私たちのクライアント、最近ここに来た雇われ管理人さんなんだけど、前任者からはほとんど何も聞いてなかったみたい。わかってるのは、例の203号室で、以前誰かが亡くなっているらしいってことくらいで。そこでわが事務所のコネクションをフル活用ですよ」
 ステップに開いた穴をよけながら、碧乃は語る。
「知り合いの刑事さんに聞いたところによると、亡くなったのは、以前その部屋に住んでいた女の人だそうで。部屋の中で手首を切って……自殺だったみたい」
「原因は?」
 トップバッターで階段をのぼりきった武史が、二階の通路から問いかける。同じく碧乃の先を行った魅貴も、興味津々といった様子で耳を傾けていた。
「残されていた遺書には、自分を裏切った恋人への恨みつらみがびっしり書かれていたって話」
「うわ、きついなあー……。じゃあその女の人が、幽霊になって今もその部屋にとどまっているんだ?」
「たぶんね」
 最後の一段を軽やかに飛び越え、碧乃は着地のポーズを決める。「十点!」武史から声が上がった。
「さて」
 一通り説明を終え、碧乃は一階下を見下ろした。崩壊寸前の階段の手前には、残された最後のひとりがたたずんでいる。
「せんせー、早くのぼってきてくださーい。あとは先生だけですよー」
「……うん、待って、心の準備が」
 訂正。最初の一歩を踏み出せず、立ち往生していた。
 四人のうち誰よりも時間をかけて柊一朗が階段をのぼりきると、一同は細い通路をきしませ、問題の203号室を目指した。当然のことながらインターホンなど備わっていないので、武史がドアをノックしながら部屋の主の名前を呼ぶ。
「上原さーん? いらっしゃいますかー?」
 そのときになって、東京組は尋ね人の名字が「上原」であることを知った。魅貴いわく、下の名前は「祐哉」というらしい。
 ずいぶんといまさらな話だが、そこは個人情報。同業者とはいえ、むやみやたらに詮索するわけにはいかない。……まあ、武史が事務所でクライアントの手紙を見せびらかしている時点で、それこそいまさらな話ではあるが。おかげでクライアント――上原 祐哉の妹の名前は、すでに柊一朗と碧乃の頭の中にもインプット済みだ。
 下村 佐菜。それが福岡組の依頼人の名前だった。
「つまり――女性が自殺したあと、上原さんがこの部屋に入居したってことでしょうか」
 ドア越しに呼びかけ続ける武史の後ろで、碧乃が柊一朗に尋ねる。柊一朗は、地上五十メートルの吊り橋を渡り終えたあとのように憔悴しきった表情で、たどたどしく言葉を返した。
「そんな話は、聞いていなかったけど……。でも、あの管理人さんも、まだアパートの住人全員を把握しているわけじゃなさそうだったから、なあ……」
「じゃあ上原さん、幽霊と一緒に生活してるんですか……。それはまたすごい精神力ですね。やっぱり家賃の安さには勝てないってことですか」
「さあ、どうかな……」
 それは本人のみぞ知る。
 しかし、その上原 祐哉本人は、いっこうに部屋から出てくる気配がなかった。これだけ呼んでも現れないということは、おそらく留守なのだろう。それでも武史はノックと呼びかけを続ける。さながらたちの悪い借金取りだ。
 すると、とうとう根負けしたのかドアが開いた。……隣の202号室の。
「あのー……そこ、空き部屋ですよ?」
 おずおずと申し出たのは、ドアの隙間から半分ほど顔をのぞかせた、二十代なかば青年だった。その首だけ現れた隣人に、四人の視線が集中する。真っ先に異議を唱えたのは武史だった。
「空き部屋? 若い兄ちゃんが住んでるだろ? ここ」
「いえ……もう半年くらい誰も入っていませんよ。最後に住んでた人が亡くなって……それからはずっと、空き部屋のはずです」
「住んでた人が亡くなった? それ、自殺した女の人のことですか?」
 今度は碧乃が問いかける。
「いえ、違います。女の人が自殺して……そのあとに入った男の人です。それが、一番最近その部屋に住んでいた人で」
「男の人!?」
 声を上げたのは魅貴だった。
「亡くなったんですかっ、その男の人も!」
「ええ、確か、病気だったのかな……よくわからないけど。警察とか救急車とか、いろいろ来てましたから。さすがに二人続けて死んだとなると、誰も住もうとは思いませんよ。女の幽霊に呪い殺されたって噂されてるくらいなんですから」
「その……亡くなった男の人というのは、上原さんというかたで間違いないですか?」
 柊一朗が、もっとも重要な質問をぶつける。
 四人の瞳がひときわ鋭くなった。思わず圧倒された青年は、下手なことは言えないとばかりに、慎重に言葉を選んで答える。
「ど、どうだったかな……。いや、ほら、ご近所付き合いとかってまったくありませんでしたから。あんまり部屋にも帰ってきてないみたいだったし、もう半年も前のことだし……。でも、うん、そんな名前だった気がします。……ああそうだ、確かそうだった! 警察の人がその名前を口にしてたの聞きましたよ。間違いない!」
 どうにも信用に欠ける口ぶりだったが、それでもでまかせというわけではないだろう。青年は話し終えると、「あの、それじゃ、僕はこれで……」とそそくさ部屋の中へ引っ込んでいった。
 武史がくあーっとうめいて額を押さえる。
「一番最悪のパターンだったか……」
 何年ものあいだ、欠かさず届いていた手紙が途絶えた。気まぐれだとか、面倒になったとか、そんな気分的な理由ではないだろう。手紙を出せない状態になった、そう考えるのが妥当だ。武史もそれなりの事態を想定し、覚悟もしていたのだが――よりにもよって、もっとも回避したい結果だったとは。
 クライアントには、実の兄の死を伝えなければならない。もう何年も顔を合わせていない兄を、それでも心から慕っていた妹の姿を思い出し、魅貴は胸がしめつけられる思いだった。調査報告は義務とはいえ、心が痛まないはずがない。
 顔をゆがめてうつむく魅貴の頭に、武史がそっと手のひらを乗せた。
「……ま、この仕事をやってりゃ、そういうこともある」
「社長……」
「あんま落ち込むな。まだもうひと仕事残ってるんだからな」
 もうひと仕事?
 その言葉に、魅貴だけでなく、柊一朗と碧乃も意表を突かれる。きょとんとした三人に、武史はにまりと笑って眼鏡を押し上げた。
「幽霊退治」

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