キャラ投票記念小説/2位 石蕗さん


ある日、公園にて



 夕方の四時を回った頃だった。
 買い物からの帰り道、スーパーの袋を片手に、石蕗は公園の前でふと足を止めた。
 集合住宅が並ぶ団地の一角。さほど広くない公園内では、この近くに住んでいるらしい子供たちが遊具で遊んでいた。そんなありふれた光景の中、目が留まったのは一人の少女だった。
 隅にあるベンチの近くにぽつんと佇み、子供たちの輪に混ざるでもなくただじっと眺めている。その横顔はどこか寂しげだった。
「…遊ばないんですか」
 声を掛けられ、少女は驚いたように振り返った。肩より長い髪が揺れ、幼い瞳が大きく見開かれる。少女は目を丸くしてそこに立っている人物を見つめ、ぱちぱちと何回か瞬きしたあと、ようやく口を開いた。
「だれも、なかまに入れてくれないの」
 今にも消え入りそうなか細い声だった。少女はそう言ってうつむき、両手で自分の服の裾をぎゅっと握る。
「あい、おともだちいないから……」
 自分を「あい」と呼んだその少女は、そう言ったきり顔を上げない。細い肩が小さく震えていた。
 石蕗は何も言わずあいを見下ろすと、その脇を通り、すぐそばのベンチに座った。左隣に一人分のスペースを空け、どうぞ、というように手で示す。あいはしばらく不思議そうに石蕗の顔とベンチを見比べていたが、ようやく理解したのか、「あ」と小さく声を漏らした。そして遠慮がちに歩み寄り、そっとベンチに腰を下ろした。

 並んで座る二人は、ただ黙って公園を眺めていた。はしゃぎ声を上げ、小さな子供たちが何度も目の前を横切っていく。石蕗は隣に腰掛ける少女に視線を落とした。
 まだ二月に入ったばかりだというのに、あいは薄手のトレーナー一枚しか着ていない。スカートから伸びる足は、地面には届かず空中でぷらぷらと揺れていた。あいを見かけた時、真っ先に目に入ったのがこの足だった。棒のように細い両足は、靴も靴下も履いていない。よく見ると、傷や青あざが無数にできていた。視線を上げれば、額の辺りにもこぶができている。それを隠すように、無造作に伸ばされた前髪が目元にまでかかっていた。
 楽しげな笑い声がすぐそばで聞こえ、石蕗は顔を上げた。見ると、近くの砂場で幼稚園の制服を着た男女二人がトンネルを作って遊んでいる。同じ年頃に見えるあいとは随分様子が違った。あいはそんな二人を羨ましげに、けれどどこか憔悴した瞳で見つめていた。
「おにいちゃんは、おともだち、いる?」
 あいがぽつりとそう言った。癖らしく、小さな手は服の裾を握っている。その手の甲に丸い火傷の痕があることに気づき、石蕗は目を細めた。
「ね、いる?」
 答えがなかなか返ってこなかったので、あいは石蕗の顔を覗き込んでもう一度尋ねた。
「…いつも一緒にいる人ならいます」
「その人がおともだち?」
 その質問に、石蕗は少し考える。頭に浮かんだのは長年仕えてきた人物。けれどそれは、
「…友達とは違うと思います」
 あいは首を傾げた。
「じゃあ、家族?」
「…友達よりはそちらの方が近いかもしれませんが、家族でもありません」
「家族でもないの? あ、わかった。こいびとでしょう?」
「…いえ、そうではありません」
「それもちがうの? もしかして、おにいちゃんもおともだちいないんだ」
「…いえ」
 それを肯定するには抵抗があったので、石蕗はまた少し考えた。
 次に浮かんだのは、事務所に訪れるいつも明るい女の子。それから、賑やかなその後輩。けれど、二人ともやはり、「友達」と表現するには何か違う。
 あいは石蕗の返事を今か今かと待っている。その瞳が何を訴えているのか、彼女が何を期待しているのか。石蕗はすぐに理解し、ふっと息を吐いた。
「…そうですね。私にも友達がいません」
 それを聞いた途端、あいの表情がぱっと明るくなった。体をこちらに乗り出し、目を輝かせて興奮気味に言う。
「じゃあ、じゃあ、あいがおともだちになってあげる!」
「…ありがとうございます」
 そこであいの動きがぴたりと止まった。明るかった表情が一転、疑うような眼差しを石蕗に向ける。
「おにいちゃん、うれしくないの?」
「…いえ、嬉しいですよ」
「だったうれしそうな顔してよ。うれしい時とたのしい時は、ちゃんと笑わなくちゃだめなんだよ。でないと、うれしいこともたのしいことも、にげていっちゃうんだから」
「…はぁ」
 何歳も年下の少女に説き伏せられ、石蕗は若干の戸惑いを覚える。あいはそんな石蕗に詰め寄ってさらに言った。
「ほら、笑って。うれしいんなら、にこーって笑わなきゃ!」
「…わかりました」
 石蕗は頷くが、その表情は一向に変わらない。あいは黙ってその顔を凝視していたが、やがて耐えかねたように尋ねた。
「いま、笑ったの?」
「…はい」
「…………」
 そういえば、口の端が二ミリくらい持ち上がったかもしれない。
 あいは不満そうに頬を膨らめたが、「まぁいいや」と呟くと、気を取り直してベンチからぴょこんと飛び降りた。そのまま裸足でブランコへと駆けていく。
「おにいちゃん早くー!」
 見ると、あいはすでにブランコを陣取り準備万端だった。あとは石蕗が後ろから押すだけ。あいの顔はそう言っていた。

 ところどころ錆びついたブランコが、上下に揺れるたびキィキィと音を立てる。近くの鉄棒にいた少年が、ブランコを押す石蕗を不思議そうに眺めていた。
「もっとー! もっと高くー!」
「…怖くないですか」
「へいきへいきー」
 あいにせがまれ、石蕗は先程より少しだけ力を加えて押した。ブランコが前へ高く上がるたび、あいはきゃっきゃと声を上げる。
「もっともっとー!」
「…これ以上は危ないですよ」
「だいじょうぶだいじょうぶ!」

 どれくらいそうしていただろうか。ただずっとブランコに揺られているだけなのに、あいはちっとも飽きないらしく、始終はしゃぎ声を上げていた。
 やがて五時を告げるチャイムが鳴り、石蕗は手を止めた。遊んでいた子供たちは、迎えに来た母親と一緒に帰っていく。一人、また一人と去っていき、暗くなりかけた公園には石蕗とあいの二人だけになった。
「…もう帰る時間です」
 声を掛けるが、あいはブランコに腰掛けたまま動こうとしない。返事の代わりに地面を蹴る。ブランコが小さく揺れ、ネズミの鳴き声に似た音を立てて軋んだ。隣の無人のブランコも、同じように風に揺れていた。
「もうちょっとあそんでいたかったな」
 あいは独り言のように呟くと、ブランコから降りて振り返った。寂しそうな、名残惜しそうな表情を浮かべている。
「おにいちゃんとおともだちになれて嬉しかった。すごく楽しかったよ」
「…そうですか。それはよかったです」
「うん。だからね……」
 そこまで言ってあいはうつむいた。泣き出したのかと思い、石蕗はわずかに焦る。けれど顔を上げた時、そこにあったのは満面の笑みだった。その笑顔をこちらに向けて言う。
「こうやって笑うんだよ」
 見ているとつられて笑顔になってしまいそうな、そんな笑みだった。
 面食らったように固まっている石蕗に、あいは笑顔のまま告げる。
「おにいちゃん、笑うの苦手みたいだから、あいがおてほん見せてあげる。ほら、こうやって笑うの」
「…こう、ですか」
 言われたとおりに表情を作ってみるが、すぐさま「ちがうよー!」とダメ出しされてしまった。石蕗は一瞬たじろぐも、再び挑戦してみる。先程よりも唇を持ち上げ、目を細め……が、すぐにまた訂正が入る。そんなやり取りを何度か繰り返しているうちに、あいはとうとう吹き出してしまった。
「おにいちゃん、へんなのー!」
 けらけらとひとしきり笑ったあと、あいはいまだ試行錯誤している石蕗を見て言った。
「あーたのしかった。おにいちゃん、ちゃんと笑えるようになるまで練習しなきゃだめだよ」
「…わかりました」
 石蕗が頷き、再びいつもどおりの表情に戻る。あいの顔からもふっと笑みが消えた。けれど、初めて公園で見かけた時とは違い、そこには寂しさは欠片もなかった。
「今日はありがとう」
「…どういたしまして」
「あいも、帰るね」
「…一人で行けますか」
「うん。最後におにいちゃんが、いっしょにあそんでくれたから」
 にこり、とあいが微笑む。穏やかで満ち足りた表情だった。辺りはもう暗いのに、不思議とその顔だけははっきりと見えている。
「ばいばい」
 ざぁっと二人の間を風が通り抜け、木々を揺らして去っていった。それは一瞬の出来事で、今はもう、まるで始めからそこには何もなかったかのように、ただ静寂だけが残っていた。
「…さようなら」
 石蕗は小さく手を振り、そう呟いた。

 短い出会いと別れだった。けれどこの日できた小さな友達と、その友達が教えてくれたことは、きっとこの先忘れることはないだろう。シンプルで、当たり前で、そしてとても大切なことだった。
 石蕗は、ベンチに置いたままにしてあった買い物袋を拾い上げると、街灯が照らす公園をあとにした。だいぶ帰りが遅くなってしまった。友達でも家族でも、もちろん恋人でもない人が、事務所で待っているだろう。
 ふと足を止め、肩越しに振り返る。誰もいない公園内では、二台のブランコが風に吹かれて揺れていた。安堵とわずかな寂しさを含んだ表情でそれを眺めると、石蕗は向き直り、再び歩き始めた。

FIN.


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