その日の放課後。
帰宅部のオレは、五限が終わると即行で学校を出た。朝の出来事もあり、はっきりいって今日はあまり気分がよくない。こういうときはさっさと家に帰って寝るのが一番だ。
ちなみに茜は生徒会で紺野は部活。どうせ今日は一緒にいたって朝のことでからかわれるだけだ。……特に紺野は。
いい加減このことは忘れたいのだが、そうもいかない。実際見てしまったものはしょうがないのだ。
……などと頭の中で言い訳をしていたときだった。
(―――!)
はっとして足を止める。
まただ……またこの感覚だ。そう、あのとき駅のホームで感じた奇妙な感覚――
オレはすかさず辺りを見まわした。
そこは病院の前だった。わりと大きな総合病院――毎日駅までの往復で通り過ぎる見慣れた建物だ。
その病院になぜか違和感を覚える。まるであのときモノクロに切り取られて見えたオッサンのように……。
オレは見えない力に引かれるように病院に向かって歩いていた。気づけばもう病院の敷地内だ。オレは再び辺りを見まわす。
(アイツ――!!)
いた。そう思った瞬間、オレは走り出していた。
いたのだ。芝生が植えられ、ベンチがいくつか置かれた広場のようなその場所。背の低い木に隠れるようにして『そいつ』は立っていた。銀髪に黒尽くめの格好をした『死神』が――
「おい!」
オレは駆け寄ると思いきって声をかけた。するとそいつはゆっくりとこちらに顔を向け――オレは思わずはっとした。
駅のホームで遠目に見たときから印象に残っていた銀色の髪。間近で見るとそれはまるで輝いているようで、肩より長いその髪は、そいつが振り向いたのと同時にさらりと音を立てるように流れた。そして紫色の瞳は、見ていると吸いこまれそうになってしまう。
全身が黒尽くめのため、その髪と瞳はよけいに印象的だった。そして同時にとても儚くも思えた。
(これが、『死神』……?)
整った顔立ち、ひどく不安定な存在感。それは確かにこの世のものではないように感じられたが、人の命を奪う残酷な死神のイメージとはかけ離れていた。
何も言い返してこないそいつに、オレは恐る恐るもう一度声をかけた。
「お、おい! おまえ!」
『…………』
「き、聞こえてんのか?」
『…………』
「おい! 聞こえてんなら返事くらいしろよ!」
こちらを向いたまま無言でいるそいつに、オレが少し強気に出たときだった。
『……見えるのか?』
「!!」
正直驚いた。まさか死神と話ができるとは思ってなかったから。
『見えるのか?』
そう言った声は高くもなく低くもなく、でもどちらかといえば少女のような声だった。しかし口調はぶっきらぼうだ。
オレは会話を続けようと試みる。
「見えるよ。おまえ、何者だ? 駅の事故んときにもいただろ?」
『……事故?』
「オッサンが電車にはねられたときだよ! おまえ、あのときオッサンのすぐそばにいただろ!?」
『ああ、あのとき目が合った……』
「そう! そうだよ! やっぱりおまえあのときの……!」
オッサンがはねられる直前、ほんの一瞬だったけれど、オレはこいつと目が合ったような気がしたのだ。
やっぱり間違いではなかった。それにちゃんとあの場所に死神はいたのだ!
ほら見ろ、と心の中で紺野に言い返す。
「おまえ何者なんだ? なんでオレにしか見えない? ここで何やってる? あのとき駅で何してたんだ?」
なんだか妙にテンションが上がってきたオレは、思わずそいつを質問攻めにしてしまった。しかしそいつは表情一つ変えないで、何も答えようとしない。
「なんとか言えよ!」
『…………』
「そもそも! おまえ本当に死神なのか?」
『死神』。その言葉にそいつはわずかに反応した。
やっぱりそうなのか? こいつが、死神――?
『死神……死神か』
「そう、なのか?」
『俺は――』
そう言いかけた途端、そいつは突然オレから顔をそらし、道路のほうを見据えた。そして小さく呟く。
『来る』
「……は? 来る? 来るって、何が――」
今度はオレが言いかけたときだった。
ピーポーピーポー
救急車だ。
ここは病院。当然救急車が来てもなんの不思議はない。こいつが言った『来る』とは、救急車のことだったのか?
やがてサイレンが近くなり、救急車は病院の敷地へと入ってきた。搬入口に停まり、中の男性がストレッチャーに乗せられて運びこまれていく。
事故だろうか。その男性は遠目に見てもひどい怪我を負っていることがわかった。
「おい、来るってあのこと――」
まただ。またオレは言いかけて止まってしまった。
「……いない……」
そいつの姿はどこにもなかった。ついさっきまで隣にいたはずなのに、朝のときと同じように消えてしまっていた。
しかしこれで確信する。やっぱりあいつは普通の人間じゃないってことだけは確かだ。
だがまだ謎はたくさん残っている。質問にも何も答えてもらっていない。あいつはどこへ行ってしまったのだろうか。
そして途方に暮れたオレは――
「……待つか」
すぐそばのベンチに腰掛け、そいつがもう一度現れるのを待つことにした。
どれくらいそうしていただろうか。
だいぶ前にタクシーが来て、ひどく慌てた様子の女性とその子供らしき少年が院内へ入っていくのを見た。先ほど運ばれてきた男性の家族なのだろう。あの怪我では手術が必要に思えたが、男性はあのあとどうなったのだろうか。
……などとぼんやり考える。
はっきりいって、ここでこうしていても、またあいつが現れる保証はどこにもない。でもオレは妙に確信していた。あいつは必ずまたオレの前に姿を現す、と。
『ずっとそこにいたのか?』
突然背後から聞き覚えのある声で話しかけられた。やっぱり、思ったとおりだ。
オレは振り向かずに答える。
「やっぱりな」
『……?』
「絶対戻ってくると思った」
『…………』
「待ちくたびれたよ。今度はちゃんと、質問に答えてもらうからな!」