||| 銀色の月 |||


『セイジは参加しないのか?』
「ああオレ? オレはいーの。さっき存分に働いてきたから今は見学〜」
『ふーん……』
 ここは校庭。そして今は体育の授業中。種目はサッカーだ。
 オレはさっきまで試合に参加していたのだが、メンバーの交代をして今はグランドの隅でそれを眺めている。
「……なぁ、藤川の奴、なにぶつぶつ言ってんだ?」
「あー、アイツね、最近ちょっとおかしいんだよ。独り言病患っててさ」
「独り言病?」
「そ。かわいそうに藤川、よっぽど電車事故がショックだったんだろうねぇ。おまけに死神さんまで見えるらしいよ。まぁここは友人として、そっと見守っていてあげましょーや」
 ……などと勝手なことを言って、紺野が哀れそうな目でオレを見る。大きなお世話だ。
 そう、オレは今『死神』と話している。正確には死神じゃなくて天導使だ。名前はシオン。どうやら本当にオレ以外の人間には姿が見えないらしい。そのおかげでシオンと話しているときのオレは、はたから見れば独り言を言っている怪しい奴だ。
 当然オレがなんと言おうと周りの奴らには信じてもらえず、最近では『独り言病』と名づけられ、電車事故を見たときのショックが原因ということになってしまっている。どれもこれも、さっきみたいに紺野がクラスメイトたちに言いふらしているせいだ。まったくアイツときたら……。
 と、いやいや問題はそこじゃない。なぜその天導使・シオンが今ここにいるかだ。もう事故から三日になる。それなのになぜいまだにコイツがオレのそばにいるのか――
 どうやらシオンは天導使の姿が見えるオレがよっぽど珍しいらしい。「興味がある」などと言って、あれからずっとオレにつきまとっているのだ。もちろんシオンはシオンで天導使としての仕事があるため、始終一緒にいるというわけではないが、それでもほとんどの時間コイツと一緒にいる。もはや一緒に暮らしているも同然だ。

 あーあ。『死神が見える男』、か。
 その『死神』につきまとわれて、これ以上やっかいなことはゴメンだぜ。まったく……。


04 : 月の裏側にあるもの


 放課後の裏庭。オレが気に入っている場所の一つだ。ベンチがあり、辺りは木で囲まれている。校舎を挟んで反対側のグランドからは部活の掛け声が時折聞こえてくるが、それを除けばいたって静かな場所だ。
 最近のオレは、放課後裏庭に来るのが日課になっていた。ここなら滅多に人も来ないし、シオンと話すには絶好の場所なのだ。
 そんなわけで、コイツと出会ってからは毎日ここへ来ていろいろな話をしている。おかげで天導使というものがどういうものなのかが詳しくわかってきた。
「なぁ、おまえらって、これから死ぬって奴のところに現れるんだよな?」
『ああ』
「じゃあなんでそいつがもうすぐ死ぬってことがわかるんだ?」
『死期の近い人間は、見ただけでわかる』
「だからどうして?」
『見えるんだ。死ぬ瞬間が……フラッシュバックみたいに』
「は〜、それじゃ、見た瞬間即行見分けられるわけだ。おまけにそいつの死に方までわかる、と」
『そういうこと』
 オレの質問に答えながら、シオンはふわふわと宙を行ったり来たりしている。
 性別もない、実体もない。空も飛べるし、壁も通り抜けられる。そしてオレからは触れることすら出来ない存在――
 ああやっぱりコイツは人間じゃない。……当たり前だけど。
「しかしそうなるとおまえらも大変だよなぁ。その死ぬ瞬間が見える奴を探し出して、その魂を天界へ届けなきゃなんないんだろ? そう簡単にもうすぐ死にますって奴には会えないんじゃないのか?」
『いや……。導かなくてはならない魂の持ち主は、あらかじめわかっている』
「? どういうことだよ」
『鬼籍に名前が載るんだ』
「……キセキ?」
『死者のリストのようなものだ。そこに書かれた人間のところへ行き、その魂を天界へと導く』
「なーるほどな! そんじゃ、いちいち死期の近い人間を探さなくてもいいってわけか。はぁ〜。……なぁ、その鬼籍ってヤツ、オレにも見せてくれよ」
 オレがそう頼むと、シオンは少し困ったような顔をして考えこんだ。
 まぁ確かにそう簡単に人に見せられるものじゃあないだろう。なんたって、これから死ぬ人間の名前が書いてあるのだ。
 しかし好奇心には勝てなかった。
「シオン頼むよ、ちょっとだけでいいから! な?」
 そう言って顔の前で手を合わせ、頭を下げる。
 こうなったら意地でも見てやる! そう思い、オレはしきりに「頼む」「お願い」と繰り返す。そうしてオレのしつこさに根負けしたシオンがようやく首を縦に振った。
『……わかった。だけど、少しだけだぞ』
「もっちろん!」
 そう言うと、シオンは何もない空間から手品のように一冊の本を取り出した。しかしオレは驚かなかった。いい加減コイツの人間離れした行動には慣れてしまったのだ。
 そしてシオンが鬼籍を差し出す。なんだかイメージとはだいぶ違っていたようだ。差し出されたそれは黒い革の表紙で、大きさも厚さもちょうど数学の教科書くらい。いや、それよりも薄いくらいだ。
(なーんか迫力ねぇなぁ……)
「これ、オレ触れんの?」
『触れるようにした』
「そりゃどうも。んじゃさっそく……」
 渡された鬼籍を手に取り表紙をめくる。革表紙のせいか、見た目よりも案外重い。
 どうやら一ページに一人ずつ名前が書いてあるようだ。名前の横には漢数字が書かれている。魂を導く順番だろうか……それとも単にページ数?
「なぁ、この二重線で消されてる名前は、もう天界へ連れてった奴ってことか?」
『そうだ』
「ふーん、もう九十人も超えてんのか。逆に言えば、それだけの人間が死んだことになる、か……」
『…………』
「わかってるよ。こいつらの命はおまえが奪ったんじゃなく、事故とか病気とか……避けられないことだったんだろ? おまえらは魂を天国へ連れて行ってんだ。それってむしろ天使ってヤツじゃないのか?」
『……ふふ、天使……か』
「なんだよ、笑うなよ。……ん? これ、九十八人めで名前なくなってるじゃねぇか。また中途半端だな。九十八で終わりなのか?」
『いや、全部で百人だ。始めから全員の名前が載っているわけじゃない。死期が近づくとそこに名前が現れる』
「なるほど……ってうお! 言ってるそばから名前が現れたぜ!?」

【九拾九】

 そう書かれたページに突然、名前が浮かび上がった。

【浅木 若葉】

「あさぎ、わかば? 今度は女みたいだけど……」
『もういいだろう?』
 そう言うと、シオンは鬼籍を取り上げた。そしてさっき名前が現れたページを凝視する。
「……? そいつのとこ行くんじゃねぇのか?」
『まだいい。それより、そろそろ帰らないか?』
「お? ああ、いいけど……っておまえ、帰るってオレんちだぞ? おまえの家じゃないんだからな!」
『ふふ、わかってる。……わかってる。俺には、帰る場所なんて……』
「……シオン? 置いてくぞ」


 そのときのオレは、「死」というものをどこか遠くに感じていた。自分とはかけ離れたもの、よそよそしいもの、関係のないもの。
 現に鬼籍に名前が現れたのを見たときも、これが次の奴か、としか思わなかった。
 ここに名前が載ったということは、そいつはもうすぐ死んでしまうってことなのに。もう話すこともできなくなり、二度と目を覚ますこともないってことなのに。その存在がこの世から消えてしまうってことなのに――
 自分に関係のない人間だったからかもしれない。
 でももしそれがクラスメイトだったら? 家族だったら? 恋人だったら?
 もしそれが、自分だったら――?

 そのときオレは、どうするんだろう。どうすればよかった?

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