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碧乃さんの冥探偵日誌

依頼その3の5


 普段は頼りないくせに、こういう非常事態における先生の判断と行動はいつも的確で素早い。だから私はこの時も、何も言わずに先生のあとに続いた。
 深夜の2時。草木も眠る、とはよく言ったものだ。患者さんたちはとうに寝静まり、辺りは物音1つしない。薄暗い廊下に響くのは、2人分の足音だけだった。
 しかし、ナースステーションを出てすぐの角を曲がった瞬間、その内の1つが止まる。
「――うわっ!」
 前を歩いていた先生が急に立ち止ったせいで、私は思いっきりその背中に衝突してしまった。
「急に止まらないでくださいよ、暗くてよく見えないんだから……。どうしたんですか?」
 ぶつけた鼻をさすりながら先生の顔を覗き込む。しかし辺りが暗いせいで、その表情を読み取ることはできなかった。仕方なく顔を上げ、その視線の先を追った――その瞬間、私は思わず息を飲んだ。
 廊下の中央の辺り、私たちから50メートルほど離れた先に、1人佇む人物がいたのだ。すぐそばに立っている先生でさえよく見えないくらいなのに、なぜか遠くにいるその人物は、ぼんやりと暗闇に照らし出されているかのように見える。白い患者服を着ていることが、遠目からでもはっきりとわかった。
 私は金縛りにあったかのように呆然とその場に立ちすくんでしまっていた。しかし先生は近づこうと一歩前に出る。その時、その人物の口がわずかに動いた。

『    』

 なんと言ったのかはわからない。けれど次の瞬間、その人物は身体の向きを変えると、そのまま吸い込まれるように壁の中に消えていってしまった。
 しばらくその人物が佇んでいた場所を見つめたあと、はっと我に返る。
「先生、今の」
「ああ。生きている人間ではないだろうね」
「で、ですよね」
 回りくどい言い方だったけれど、つまりは幽霊ということだ。
 白い服、無言で佇んでいる、近づくと音もなく消えてしまう。すべて話に聞いた通りだった。……ただ1点を除いては。
「でも今の、女の人じゃなかったですよね?」
「うん。どう見ても」
 そう。あの人物はどう見ても女の人ではなかった。男性、それも5歳くらいの小さな男の子だったのだ。
「噂の幽霊とは別物……?」
「どうかな。とにかく、今はナースコールの方が先決だ」
「あっ、そうでした!」
 幽霊を目の当たりにし、すっかり忘れてしまっていた。こうしている間にも、患者さんは悶え苦しんでいるのかもしれないのに。
 私たちは急いで、けれど大きな足音を立てないように気を配りながら、コールがあった病室へと向かった。
 305号室。暗くてよく見えないが、ルームプレートを確認する。しかしそれを見て思わず声を上げてしまった。
「げげ。ここって、さっきの男の子が吸い込まれていった所じゃないですか」
 当然いい気はしない。というか、この部屋に何かある気がしてならない。
 けれど先生は気にする様子もなくその部屋のドアを開けた。中の患者さんを起こさないように、できる限りそっと。
「――!」
 しかし部屋の中を見た瞬間、私も先生も同時に固まってしまった。
 ベッドはちゃんと4つ並べられている。けれど他の病室とは違い、そこに寝ているはずの患者さんは1人もいなかった。どのベッドもマットが敷かれているだけで、掛け布団も枕もない。つまり、そこは空き部屋だったのだ。
「嘘……。ナースコール、305号室からでしたよね? 私、この目でしっかり見ましたよ」
「ああ、僕も確認した。ここで間違いないはずだけど……」
 さすがの先生もこれには呆然としているようだった。
 誰もいない部屋からのナースコール。けれど、コールは確かにあった。ということは、一体誰が?
 思わずあの男の子が頭をよぎる。まさか……幽霊からのナースコール? やばい、それってすごくオカルトチックじゃないですか!
 このシチュエーションに俄然燃えてきた私だったが、はやる気持ちを抑えて再び廊下に向かった。念のため、もう一度番号の確認をしておくのだ。入る部屋を間違えてましたってオチじゃ洒落にならないから。
 けれど番号を再確認して安心する。そこにはしっかりと「305」と書かれていた。しかしその直後、そこでルームプレートよりもすごいものを目にしてしまい、私は思わず声を上げてしまった。
「先生! 先生っ!」
 その声を聞き、先生が慌てて病室から出てくる。
「碧乃君、静かにしないと患者さんが……」
「先生! あれあれっ」
 興奮した様子で指差す私。その方向に目をやり、先生ははっとした。
 そこにあったのは、またしても人影。けれど先程の男の子ではなかった。もっと背が高く、よくは見えないが白い服に長い髪。そのシルエットで女性だということがわかる。
「今度こそ噂の幽霊じゃないですかっ?」
 私の声に気づいたかのように、女性はゆっくりとこちらを振り返った。しかしその表情はまったく見えない。女性は無言のまま向きを変えると、そのまま廊下の角を曲がって消えてしまった。
「あれは……」
 そう呟いたかと思ったら、先生は突然走り出した。
「碧乃君、追いかけるよ!」
「ええっ!? で、でも」
 相手は幽霊なんだから追いかけるも何も……。
 そう考えている間にも、先生は私を置いて先に行ってしまう。ええいちくしょう、とにかくここは先生に従うしかない。
 慌てて追いかけて角を曲がると、前方には先程の女性と、それを追う先生の姿があった。女性の幽霊はまだ消えていなかったようだ。しかし、心なしか女性が慌てているように見えるのは……気のせいだろうか。
 女性と、それを追いかける先生と、さらにそれを追いかける私。やがて3人は廊下の端に突き当たった。
「や、やっと追いつきましたよ……」
 行き止まりまで追い詰められ、女性は音もなく壁に吸い込まれ――なかった。壁の前で立ち止まり、ゆっくりとこちらを振り向く。無言で立つその女性に歩み寄り、先生は一言告げた。

「どういうつもりですか? 姉さん」

 ……ねえさん?
 一瞬耳を疑った。なんだって? お姉さん? 姉? 先生の姉? いや待て、根江さんという名字の人なのかも……。
 などと混乱していると、突然先生がその女性の髪を掴んだ。そしてそのままぐいっと引っ張る。すると、女性の長い髪はするりと取れてしまった。
 ええと、ウィッグ? 
 待て、なんなんだこの状況。私の頭は混乱を通り越し真っ白になってしまっていた。そこに女性の一言がとどめを刺す。
「あは。バレた?」

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