依頼その4の2
それではさっそく問題の現場に、ということになり、私たち3人は車に乗り込んだ。運転するのは石蕗さん。美羽はさも当然のように助手席に陣取り、私は呆れながら後部座席に座った。
「秘書のお仕事ってどんなことをするんですかっ?」
「お休みの日は何をしてるんですかっ?」
「誕生日は? 星座は? 血液型はっ?」
美羽の怒涛の質問攻撃を、石蕗さんは「…ええ」「…いえ」「…まぁ」の3種類でかわしている。結局何1つ答えは聞けていないのだが、美羽はお構いなしで質問を続けていた。
そうして温度差のある3人を乗せ、車は美羽のアパートに到着した。
「あの〜、ちょーっと待っててくださいね」
ドアの前に私と石蕗さんを残し、美羽はそう告げて部屋の中へ姿を消した。どうやら来客を招き入れる態勢が整っていなかったらしい。しばらくドタバタと騒がしい音が聞こえたあと、美羽は再び顔を出した。
「お待たせしました。どうぞどうぞ」
そう言って石蕗さんを中に通す。どこから引っ張り出したのか、いつもは見かけないスリッパまで揃えられていた。……1足分だけだったけど。
どうせ脈なしなのになぁ。なんたって、相手が石蕗さんなんだから。
心の中でちょっとだけ美羽を哀れみながら、私も部屋に上がった。
調査といっても、ワンルームなので調べる箇所は非常に少ない。玄関、バスルーム、トイレ、キッチンと一通り見回ったあと、寝室兼居間に戻った。部屋の中央に置かれたテーブルには、これまた私が一度もその姿を確認したことのない座布団なんて物が敷かれている。もちろん、これも1人分だけ。そこに石蕗さんが座ったのを確認すると、美羽は上目遣いで尋ねた。
「どうでした? 何かわかりましたか?」
「…いえ、今見た限りでは特に気になる点はありませんでした」
「そうですか……」
私も同じく何も感じなかった。先生みたいに霊査ができるわけではないから、あまり当てにはならないけれど。
それにしても、そう言うからにはやはり石蕗さんにも霊感があるのだろうか。部屋の中を見回った時も、いつも通りの無表情でじっと見つめているだけで、本当に霊査しているのかどうかはよくわからなかった。
「ねぇ、切り裂かれた服とかはまだ取ってある?」
私がそう尋ねると、美羽は思い出したようにこちらを向いた。事務所を出てからその視線は石蕗さんにロックオンされたままだ。きっと今の今まで私の存在なんて忘れていたに違いない。
「うん、まだあるよ。お気に入りの服ばっかりでさ〜、捨てるに捨てらんないんだよね。もうかなりショックよ」
そう言って美羽はクローゼットから服を何着か取り出す。
フリル付きのブラウス、淡いピンクのカットソー、薄手のニットにカーディガン。確かにお出かけ用の洋服ばかりだ。どれも袖が破られていたり、ボタンが引きちぎられていたり、見るも無残な状態だった。
「あとはねー、これとか」
今度は棚からアルバムを持ち出す。美羽から受け取って開いてみた瞬間、思わず声を上げてしまった。
「うわ」
「ね、ひどいでしょ。っていうか、滅茶苦茶怖いんだけど」
確かに一瞬戦慄が走った。どの写真も、カッターらしきもので滅多切りにされているのだ。それはもう、写っているのが誰なのか判断がつかないくらい。石蕗さんも険しい表情(推定)で見ている。
「手帳のプリクラも同じ状態だし、デジカメと携帯に保存してあった写真も全部消去されているんです。もう本当に気味が悪くて……」
美羽は再び対いい男用の態度に戻り、石蕗さんに擦り寄った。そして本日二度目の大胆発言をかます。
「だから石蕗さん、今日はここに泊まっていってください!」
「ええ!? ちょっと美羽、あんた何言って」
「あ、ついでに碧乃もね」
「ついでって……じゃなくて! そんなの無理に決まってるでしょ!? ねぇ石蕗さん!」
私からは睨まれ、美羽からは潤んだ視線を送られているが、石蕗さんは無表情のままだった。
だがしかし! これは困っている。絶対困っている表情なんだ!
そんな私の念が通じたのか、石蕗さんの口から出た言葉はこうだった。
「…ええ。女性の部屋に泊まるわけにはいきません」
ほらね!
心の中でガッツポーズを決め、そんな〜としょげる美羽を得意げに眺めた。しかし、石蕗さんの台詞には続きがあったのだ。
「…ですが、依頼を受けたからにはいつでも対処できるようにしなければなりません。すぐ側で待機したいと思います」
その言葉に反応し、美羽がわずかに息を吹き返す。
「すぐ側、ですか?」
「…はい。車の中にいます。駐車場をお借りしてもいいですか」
それを聞き、美羽の瞳に輝きが戻った。完全復活。ぶんぶんと大きく頷く。
「もちろんです!」
「…ありがとうございます。では、何かあったらすぐに連絡してください」
そう言って、石蕗さんは携帯番号が書かれた紙を差し出した。美羽はそれをまるで割れ物のように丁重に受け取る。そしてこれ以上ないくらい嬉しそうな顔で眺めたあと、すぐさま自分の携帯のメモリに登録した。
あーあ、これで石蕗さんの携帯が鳴る回数は確実に増えたな。石蕗さんにしては珍しく迂闊な行為だ。
それから美羽は張り切って夕食を振る舞い(無論私も手伝わされたが)、石蕗さんに延々一方通行な会話を試みていた。その間、私は1人寂しくテレビを観ていた。
そして9時を回ったところで石蕗さんは車に戻っていった。美羽は今生の別れかという勢いで引き止めていたけれど、
「…失礼します」
そう一言告げ、石蕗さんは顔色1つ変えずに出ていってしまった。それでも美羽は懲りないようだ。
「カッコいいよねぇ、クールで知的な男性っていいよねぇ。やっぱり大学にいるチャラチャラした男とは一味も二味も違うわよ!」
などと、恋する乙女の表情でのたまっている。部屋荒らしの恐怖はどこへやら。美羽が眠りにつくその瞬間まで、今度は私が質問攻めにあうはめになってしまった。もちろんすべて石蕗さんに関することだ。まったく、私は調査をしに来たのであって、美羽の石蕗さんカッコいいよねトークを聞きに来たのではない。
――けれど。
美羽がフローリングに敷いてくれた布団に横になって思う。
私って、石蕗さんのことをほとんど知らない。先生でさえ知らないことだらけだったのに、無口でミステリアスな石蕗さんともなれば、先生以上に重大な秘密が隠されていそうな気もする。そういえば、これだけ長い時間一緒にいたのも初めてかもしれない。
そんなことを考えながら目を閉じた。
その物音に気がついたのは、すっかり辺りが静まり返った深夜だった。
すぐ側でカサゴソと音がする。枕元の携帯を確かめると、夜中の2時半だった。
もしかして、部屋荒らしの犯人の登場か!?
全身に緊張が走り、私は息を殺して身体を起こした。暗闇の中、ゆっくりと音の出所へ顔を向ける。そこには、屈んで何かをしている人影が――
「……美羽?」
思わず拍子抜けした声を出してしまった。クローゼットの前に座り込んでいるのは、紛れもなく美和の後ろ姿だった。
「も〜、脅かさないでよ」
ほっとして息をつく。しかし、すぐに妙な違和感を覚えた。私が声を掛けたのに、美羽は無反応のまま一心不乱に何かを行っている。
「ねぇ美羽? 何やってるの?」
そう尋ねるが、やはり返事はない。
異変を感じ、私は部屋の電気を点けた。辺りが急に明るくなるが、それでも美羽は何も反応しない。私は恐る恐る近づきその肩に手を掛けた。
「美羽? どうした――きゃあ!」
差し伸べた手を突然振り払われ、私は思いきり尻餅をついてしまった。片手だけとは信じられないくらい強い力だ。
呆然とする私の目の前で、美羽は背を向けたままゆっくりと立ち上がる。その手に握られているものを見て驚愕した。
カッターだ。そして、足元にあるのはアルバムだった。美羽が見せてくれた物とは別だったが、そこに貼られた写真は同じように切り刻まれている。
「美羽……? ねぇ、どうしたの……?」
犯人は美羽本人だったということ――?
美羽はゆらりと振り返った。その表情に色はなく、まったくの無表情。石蕗さんとは違う、血の通わない、氷のように冷たい表情だった。
美羽じゃない。
私は即座にそう思った。よくわからないけれど、これは美羽じゃない。美羽じゃない誰かが美羽の中にいる。そしてその体を操っている。
ひたり、ひたり、ホラー映画のように歩み寄ってくる友人を見て凍りついた。よく知る人物が、急に知らない『誰か』に変わることがこれほど恐ろしいだなんて。
私は混乱する。どうしようどうしようどうしよう。
「そ、そうだっ、石蕗さん!」
天の助けとばかりに携帯に飛びついた。震える手でメモリからその番号をコールする。早く出ろ早く出ろ早く出ろ!
『…はい』
――ああ、今この時ほど、この平坦で愛想の欠片もない声に救われたことはない。