碧乃さんの冥探偵日誌

依頼その5の7


 最悪の目覚めだった。
 薄暗い中、私は硬い板張りの床に放り出されたように転がっていた。あまりの寝心地の悪さに身をよじらすと、両手両足を縛られていることに気づく。慌ててもがいた瞬間、今度は後頭部に激しい痛みが走った。
「うあッ!」
 そんな呻き声を上げたつもりだったのだが、口から漏れたのは、「もがっ」というくぐもった音だった。猿ぐつわまでかまされている。これはなかなか本格的だ。
 さて、探偵助手のバイトを始めてから、これで気絶するのは何度目だろう。超健康体でホラー耐性のある私にとっては貴重な体験のはずなのに、貧血の生徒が校長先生の話の途中で倒れるよりも、よっぽど頻度が高い気がする。……危機感ないなぁ、自分。
 それもこれも、たび重なる非現実的な現象のおかげで肝がすわってしまったせいか、もしくは後頭部がズキンズキンとリズミカルに痛覚を刺激しているため、上手く思考が回らないせいだ。
 しかし、いつまでもこうしてここに転がっているわけにはいかない。囚われの身はヒロインの専売特許だけれど、助けに来てくれるはずのヒーローはイマイチ頼りなくてあてにならないし、そもそもヒーロー役にキャスティングされているのかどうかも疑わしい。何より、私がじっと助けを待ち続けるタイプのヒロインではないことは、自分が一番よく知っている。オーロラ姫とデジレ王子なら、断然王子役に立候補するな。
 かくして私は、重心を崩した起き上がりこぼしのように、文字どおり七転八倒しながらも、なんとか体を起こすことに成功した。

 まずは状況把握。だいぶ痛みが治まってきた頭を左右に動かし、辺りを見回す。
 そこは前述のとおり薄暗く、おまけにやたらとほこりっぽかった。随分と低い天井の隙間からわずかに光が漏れているだけで、他に扉や窓はない。秘密の隠し部屋、そんな印象。私はちょうどその中央に寝かされていたようだ。蝉の声も聞こえず、部屋の空気がひんやりとしているところを見ると、もしかしたらもう夜になっているのかもしれない。だとしたら、半日以上気を失っていたことになる。
 もっとよく調べるため、壁に近づこうと試みた。とはいえ、足首を縛られ、後ろ手にされた状態では動きにくいことこの上ない。座ったまま歩くという無理難題を強いられ、転がって進んだほうが早いかも……と思い始めたその時。
「わっ」
 どう聞いても「もがっ」としか聞こえなかっただろうが、私はそう声を上げた。部屋の隅に自分以外の人影があったからだ。
 私よりも一回り小さいその人物は、身を縮めるようにうずくまっていた。暗闇に目が慣れてようやくその存在に気づいたくらい影が薄い。いや、生気がない、と言ったほうが正しいだろうか。その顔に見覚えがなかったら、幽霊だと思い込んでしまったところだ。
「祐一くん!?」
 私はそう言ったのだが、彼にはもがもが言っているようにしか聞こえなかったのだろう。うつろな双眸がわずかに揺れるだけだった。けれど、部屋の隅で同じように拘束されている少年は、写真で見た鴨下 祐一くんに間違いなかった。
 生きていた。神隠しにあった子供はちゃんと生きていた。
 思わず駆け寄って抱きしめたいくらいだったが、この状態では体がそれを許さない。それでもできる限りの速さで祐一くんのもとへ向かった。
「大丈夫!? どこも怪我してない!?」
 もちろん口から出るのはとてもそう言ったようには聞こえない声だったが、祐一くんはなんとなく意味を察したのか、わずかにだが頷いた。
 おそらく二日前に行方不明になってから、ずっとここに閉じ込められていたのだろう。その間、ろくに食べ物も与えられていなかったに違いない。祐一くんは写真とは比べ物にならないくらい憔悴しきっていた。けれど、見る限り命に別状はないようだ。ほっと安堵する。
 どうやらヒーロー役は私に任されたらしい。攫われたお姫様をここから連れ出さなければ。となると、次に私がすべきことは一つ。

 暴れた。
 そりゃもう暴れた。
 陸に上げられた魚だって、もうちょっと良識ある暴れ方をするだろうというくらい暴れた。欲しいおもちゃの前で駄々をこねる子供と比べても、そちらのほうが可愛げのあるぶんまだマシだ。もしここがアパートの一室だとしたら、真下の部屋どころか三部屋隣からも苦情が来たところだろう。
 ともかく尋常ではない暴れ方をして、後頭部の痛みをぶり返らせた結果――
「ひゃっふぁっ!」
 あえて聞こえたままに書いてみたけれど、私が叫んだ言葉は「やった!」だ。それから、
「ふふ……縛りが甘いのよ……」
 今度はちゃんとそう聞こえるように喋る。ただし、肩で息をしながら。
 手首を縛っていたのは細いロープ一本、猿ぐつわは手ぬぐいのような白い布切れ一枚だった。力のない子供にはそれで十分だったかもしれないが、二十代の現役女子大生をなめてもらっては困る。こちとら足が命の探偵助手。自慢じゃないが、体力全般、ついでに体の柔らかさは平均以上だと自負している。
 しかし、死にもの狂いとはいえ暴れただけで緩んでしまうとは、相手は拉致監禁のプロというわけではないらしい。足首を縛っていたロープも、自由になった両手で簡単にほどけてしまった。
「祐一くん、もう大丈夫だからね」
 安心させるように笑顔で言ったつもりなのに、怯えた眼差しでこちらを見ているのはなぜだろう。確かにちょっと息が荒く、ほこりまみれでだいぶ髪も乱れていたかもしれないけれど。
 ちなみにのちに彼が語った理由は、「いきなり暴れだして何かに取り憑かれたのかと思った」だそうだ。
「ここにいるのは祐一くんだけ? 他の子たちはいないの?」
 猿ぐつわを外し、手首と足首のロープをほどきながら尋ねる。
「……いな、い」
 祐一くんは上手く喋れないのか、かすれた声でそれだけ呟いた。その様子がまた痛々しく、こんなことをした犯人への怒りが高まる。
「そっか……。とにかくここから出よう。立てる?」
 ふらつきながらも、祐一くんは自分の足で立ち上がった。そしてしっかりと頷く。先程までとは違い、力の宿った瞳が大丈夫だと告げていて、逆にこちらが励まされてしまった。小さくても男の子なんだなぁ。
「よし。それじゃあ……」

 ――ガタン。

 突然聞こえた物音に、私と祐一くんは同時に身をこわばらせた。
 恐る恐る振り返ると、再び物音が響く。それは頭上から聞こえてくるようだった。ガタン、と三度目の音で、天井に真四角の穴が開いた。そこから明るい光が差し込み、思わず目を細める。祐一くんは反射的に私の後ろに身を隠した。
 ここは……地下室?
 今の私には、天井から下ろされたはしごが、地獄の底に垂らされた蜘蛛の糸に見えた。はしごが軋み、一人の人物がゆっくりと下りてくる。糸を垂らしてくれたお釈迦様の正体とは――
「何かすごい音がしたようですが」
「……三鷹、さん?」
 だった。
 頭に浮かんだ人物とは違ったけれど、お釈迦様役としてはベストキャスティングだろう。袴姿にいい感じに後光が差し、まさしく神々しかった。それに引き換え、ヒーローでもヒロインでもお釈迦様でもないあの人は、一体何役なんだろう。まさか、単なるエキストラ?
「目が覚めたんですね。よかった」
 三鷹さんはそう言って笑みを浮かべ、私と祐一くんを見て、それから床に転がる四本のロープに視線を移した。
「あの、私、気がついたらここにいて……。それに祐一くんも」
「芹川さん」
 穏やかな口調で言葉を遮られる。
「朱鳥様の羽根をご覧になりたがっていましたよね。特別にお見せしましょう」
「はあ、でも」
「これです」
 私の言葉に被せるようにそう言うと、三鷹さんは足元の厨子を持ち上げた。本殿の中に逃げ込んだ時、こっそり開けようとしたあの厨子。さっきまで気づかなかったけれど、この部屋の中に置かれていたようだ。鍵はかけられていないらしく、観音開きの扉はあっさりと開いた。
「どうです? 綺麗な赤でしょう」
 素直に頷いてしまう。
 台座の上に安置されていたのは、形だけならカラスの尾羽にも見える長い羽根だった。けれど、その色は明らかに違う。ここまで「真っ赤」と表現できる鳥を私は知らない。ありえない赤さなのに、それが不自然に感じられないからよけいに不思議だった。これが神様の羽根なのだと、思わず納得してしまいそうになる。
「朱鳥様は今、飛び立つの準備をしています。巣立ちの日まであと少し。それまでの間、ヒナを守ること、それが雛守神社の務めです」
 三鷹さんは厨子の扉を閉め、再び足元に戻した。そして一歩前に出る。それはごく自然な動作だった。
「けれど、ただ守るだけではいけません。巣立ちの日までは、いわば私たちは親鳥代わりです。親鳥がすべきことは、ヒナを守る他に何があるでしょう?」
 ここまでくると、さすがに無視することはできなくなっていた。いや、本当は最初からわかっていたのに、わざと気づかない振りをしていたのかもしれない。――この、どうしようもない違和感を。
 この三鷹さんはおかしい。
 どうして今こんな話をしている? どうして祐一くんがいることに驚かない? どうして……私がここで気を失っていたことを知っていた?
 疑問が一気に湧き出る。普段と変わりない三鷹さんの穏やかな笑みと口調が、今は逆に不気味だった。この時になって、祐一くんが私の左腕を痛いほどに掴んでいることに気がついた。
「給餌、ですよ」
 思いのほか近くから聞こえた声に、はっと顔を上げる。いつの間にか三鷹さんは目の前にまで歩み寄っていた。表情はそれまでと変わらず笑顔。なのに、息苦しいまでの圧迫感がある。
「きゅう、じ……?」
「えさを与える、ということです。それもまた、雛守神社の務めの一つです」
「えさ」
 背後からひゅっと息を呑む音が聞こえた。その単語にそこはかとない不穏な響きを感じたのは、祐一くんも同じようだった。
 今になってようやく頭の歯車が動きだす。いなくなった子供たちの安否も重要だが、私が真っ先に祐一くんに質問すべきことは他にあった。もっと根本的な、この事件の大本に関わる――
 私が尋ねるより先に、祐一くんはしぼり出すように、けれどはっきりとその答えを告げた。

「こいつだ」

 それがスタート合図だった。
 私と三鷹さんが同時に動く。私は祐一くんを押し倒すように飛び退き、三鷹さんは懐から出したものを真横に振るった。それがナイフであることは確認するまでもなかった。天井から差し込む光を反射させ、切っ先がすぐ目の前を横切っていったのだから。
「捧げるのは無垢なる魂です。あいにく、あなたは不必要なのですよ」
 三鷹さんは貼りついたような笑顔で見下ろした。手にした刃物とのアンバランスさが、異様さをよりいっそう引き立てている。
「へぇ? それじゃ、私は無垢じゃないってことですか」
 挑発するような言葉を返してみるが、はっきり言って余裕はまったくなかった。ここで誰かが助けに入ってくれることを願っていたくらいだ。
 けれど、そう都合よくいかないことはわかっている。ここで私が腹をくくらなければ。……腹をくくる。ああなんて漢らしい慣用句。少なくとも、可愛らしいヒロインが使うべき言葉ではないな。
 と、緊張感のないモノローグもここまでにしよう。

 ――私が飛び出したらはしごから逃げて。

 唇を動かさずに、早口でそれだけ告げた。ちらりと視線を後ろに向けると、視界の端でわずかに祐一くんが頷いた。よし、あとはタイミングだ。
「あなたは感謝すべきです。穢れた血を持つ身でありながら、朱鳥様の使いである私によって送られるのだから」
 三鷹さんはもてあそぶように手の内のナイフを左右に揺らした。そのたびに刀身が鈍く光る。
「送る? どこへ? あの世ですか?」
 その瞬間、穏和な笑顔の中に、ひやりと冷たいものが混じった。それは私にとって、何より確かな肯定だった。
「あなたはそうやって将人くんもつぐみちゃんも――!」
「村のためです」
 実にあっけらかんと三鷹さんはそう返した。そして、むしろ堂々としているようにすら見える態度で続ける。
「すべては中栖村のためですよ。無垢なる魂を差し出す代わりに、朱鳥様はこの村を悪しきものから守ってくださる。現にこの二年間、中栖村は何事もなく平穏が保たれているではありませんか。誰のおかげでもない、私の働きによる賜物です」
「な……ッ」
 呆れてものが言えないとはこのことだ。しかし残念なことに、それでおとなしく黙っているようなお行儀のよい口は持ち合わせていない。私は思ったままの台詞を吐き出した。
「何よその利己的な結果論!」
「利己的? 芹川さん、ちゃんと私の話を聞いていましたか? 私は村全体に貢献しているのですよ」
「笑わせるわね。あなたの言う『村全体』には、将人くんやつぐみちゃん、それにその両親や友人もろもろは含まれてないじゃない!」
 そこで初めて三鷹さんが笑顔以外の表情を見せた。効果音を付けるならきょとん。まるで意表を突かれたかのように、驚いた顔でこちらを見つめている。今頃自分のしたことの誤りに気づいたって遅い。
 しかし、三鷹さんのそれは私が思っていたような驚きではなかった。次にその口から漏れたのは、くっくっという押し殺した笑いだった。
「二人は朱鳥様のもとへと召されたのです。これほど幸福なことはないでしょう。両親も自分の子供が選ばれただなんて、実に光栄なことではないですか」
 私の中の何かが盛大な音を立てて切れた。
 もはや目の前の人物の言葉と表情からは、嫌悪感しか抱くことができなかった。もう一言も聞きたくない。一秒だって顔を合わせていたくない。この人とは遺伝子レベルで相互理解できないし、したくもなかった。
「最低」
 今の感情を端的に述べる。それに対し電波神主は、それはどうも、と言いたげに肩をすくめて見せた。
「少し悠長にしすぎましたね。儀式は警察が引き上げてから、と思っていたのですが……。少々予定が狂いました」
 じりじりと影が迫り来る。祐一くんを庇いながら、中腰になったままこちらも後ずさる。まだだ……。

「――ここに放り込んだ時、すぐに殺しておけばよかった」

 瞬間、その顔から笑みが消えた。手にしたナイフが振り上げられる。――今だ!
「行って!!」
 叫ぶと同時に飛び出した。浅葱色の袴目掛けてタックルをかます。
 それが予想外の行動だったのか、それとも予想以上に衝撃が大きかったのか、朱鳥様を狂信するイカレ電波神主……ええいめんどくさい、三鷹さんは私もろとも後ろに倒れ込んだ。はずみで落ちたナイフが床を滑るように転がっていった。
 祐一くんはもつれ合う二人を見て躊躇するように立ちすくんでいたが、
「早く!」
 という私の言葉で弾かれたように走り出した。はしごを上る後ろ姿を見届け、肩の荷が一つ降りた安堵感を得る。そして、馬乗りにした三鷹さんを極上の笑顔で見下ろしてやった。
「残念でした。私がこの村に来た時点で、あんたの計画は失敗同然だったのよ」
 三鷹さんの顔が忌々しげに歪む。感情をあらわにしたその表情は、先程までのお面のような笑顔よりはよっぽど人間らしかった。
「お姉ちゃん!」
 不意に頭上から声が降り注いだ。見ると、天井の穴から祐一くんが不安げな顔を覗かせている。
「私はいいから、早く行って……――ッ!?」
 視界の端にとらえたものがなんなのか、脳がそれを認識するよりも早く体が動いていた。この素晴らしい反射神経と瞬発力を褒めてあげたいところだったが、それは無事ここから脱出してからにしようと思う。……正直、その時が来るとは自信を持って言うことができないけれど。
 のしかかっていた重みが消え、三鷹さんは服のほこりをはたきながら立ち上がった。その顔にはいつの間にか生理的に受けつけないあの笑顔が貼りついている。悔しいが、こちらには先程までのスマイルを維持する余裕はなかった。
「一つ、いいことわざをお教えしましょう」
 白衣の合わせを正すと、三鷹さんはそう言って顔を上げた。転がるように飛び退いた私もよろめきながら立ち上がる。
「ぜひ聞きたいですね」
 そう返すのが精一杯の強がりだった。平常心を装っているつもりだったが、額に浮かぶ脂汗までは隠すことはできない。右腕がチリチリと痛む。
 すべて見抜いているかのように、三鷹さんはにっこりと微笑んで告げた。
「備えあれば患いなし」
 その右手には、新たに懐から取り出されたナイフが握られていた。

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