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石蕗さんの家政夫日誌

a certain Tuesday...


 二日続けて珍しい客人がやってきた。
 時刻は十三時。芹川さんはまだいない。
「……なんの用ですか」
 久々の面会を喜ぶ様子もなく、所長の対応は冷淡だった。だが、そんな弟のあしらいには慣れているのか、来訪者は小さく苦笑するだけだった。
 高橋 桂太朗氏。所長の三歳年上の兄。
 席を勧めるが、桂太朗氏は物柔らかに辞退し、所長のデスクへと歩み寄った。あまり時間がないのか、どこか急いている様子。普段は余裕のある笑みを浮かべている表情にも、わずかながら焦慮が混じっていた。
「シュウ、わかってるだろ?」
 氏らしくない真剣なトーンで、桂太朗氏は切り出した。いかにも深刻そうに声をひそめる。
「もうすぐ大事な日だ。帰ってこい」
 対して、所長はあくまで邪険に扱う。取るに足らないことであるかのように、そんなことか、と一言返した。
「仕事を放り出してまで、伝えに来たのはそれだけですか」
「それだけって! あと放り出してないからな! かわいい弟のために、短い昼休みにわざわざ来てやったんじゃないかー」
「わざわざ来てまでして、伝えたいのはそれだけですか」
「だからおまえそれだけって……」
 桂太朗氏は崩れ落ち、床にのの字を書きはじめた。目の前でいじける兄に、所長は鬱陶しそうにため息をつく。ようやく二人らしいやりとりとなる。
 しかし、そこで時間切れとなった。桂太朗氏は腕時計を確認し、慌てて身を起こす。昼休みが終わってしまうらしい。
「とにかくシュウ! たった一日なんだから、面倒がらずに帰ってこいよ!」
 所長は返事もせず、見送りに席を立とうともしない。去っていく背中に目もくれず、広げた資料に視線を落としている。
 ドアノブに手を掛けたところで、桂太朗氏は未練がましく振り返った。
「ふりでもいいから少しは名残惜しそうな顔してくれよー。ケイ兄帰っちゃうぞ! いいんだな!」
「ご足労さまでした。ご縁がありましたら、また」
 どこまでも温度差のある兄弟だった。
「シュウ……まずいんだって。さすがに母さんが黙っちゃいないぞ……?」
 今にも泣き出しそうな声で呟きながら、桂太朗氏は肩を落として帰っていった。

 稀有な客人は続く。
 三十分と経たないうちに、二人めの来訪者があわただしく事務所に飛びこんできた。今回もまた仕事の途中に抜け出してきたようで、所長に詰め寄るかたわら、しきりに時計に目をやっている。なにより服装が制服のままであった。このあと会議が控えているらしい。
「シュウ! ケイから聞いたわよ! 帰ってこないって本気なのっ!?」
 和泉 桜子氏。所長の三歳年上の姉であり、桂太朗氏の双子の姉でもある。姓が違うのは既婚されているためだ。
 所長はやはり歓迎していない様子だったが、それでも桂太朗氏と比べれば、いくぶん態度は軟化していた。
「兄さんも姉さんも、どうしてわざわざ事務所にまで押しかけてくるんですか……」
「だってあなた、電話じゃ都合が悪くなるとすぐ切っちゃうじゃない。そもそも出てもくれないし!」
「非通知からは出ないようにしているんです」
「ちょっと、登録もしてくれてないの!? お姉ちゃん悲しいわあ……」
 さめざめと泣きまねをしてみせるその仕草は、その身を包む凛然とした警察官の制服とはあまりにも不釣合いだった。自身の地位を示す金色の階級章がかすんで見える。
「ねえ、わかってる? 今週の土曜日なのよ?」
 桜子氏の言葉を受け、所長は壁に掛けられたカレンダーに目を向けた。しかし、その視線はすぐに戻される。
「兄さんに言われなければ、忘れていたところでしたよ」
「もう、シュウ……。顔を見せるだけでいいのよ。そうすれば、お母さんも満足してくれるでしょうし……」
「なんと言われようが、僕にその気はありません。代わりに兄さんがどうにかしてくれるでしょう。僕だって忙しいんです」
「代わりなんてできないわよ。シュウじゃなきゃだめなの!」
 所長が何度めかのため息をついたところで、再び時間切れとなる。姉弟揃って同じ所作で腕時計を見やり、桜子氏は短い悲鳴を上げた。今すぐとんぼ返りして、間一髪会議に間に合うか遅刻するかの瀬戸際らしい。
 今回に関しては、所長が見送りに席を立ついとますらなかった。桜子氏にも、弟との別れを名残惜しむゆとりはなかった模様。慌てて身を翻し、来訪時と同様、嵐のように事務所を飛び出していった。
 残された所長は、少々あっけにとられた表情を浮かべる。
「とにかくまずいの! お母さんが黙ってないわよ!」
 去り際の台詞まで似通った二卵性双生児であった。

*  *  *

 ほどなくして芹川さんが訪れた。隣には如月さんの姿もある。事務所に馴染みの四人が揃った。
 このメンバーの中で一番平凡な者は、満場一致で所長だろう。破天荒とはほど遠い人物であるが、しかし、もっとも多面性のある人物ともいえた。その一つが、家族に対する態度と、芹川さんに対するそれの落差が挙げられる。
 つい先ほどまで兄と姉に対して不遜ともいえる対応をとっていた所長だったが、彼女が姿を現すと、途端に雲行きが怪しくなりはじめた。本人は平静を装っているつもりなのだろうが、明らかに落ち着かない様子。
 聡い彼女がそれに気づかないはずもなく、来て早々、首をひねるはめになるのだった。それでも強引に聞き出すような無遠慮なまねはせず、日課の日誌をつけにテーブルに向かう。どこか苛立っているように見えるのは、やはり所長の態度が原因だろうか。今もデスクから盗み見るような視線を芹川さんに向けている。
 十二歳も年下の女性に翻弄される大の男というのは、いってしまえば情けない。しかし逆をいえば、それほどまでの理由があるということなのだろう。所長本人にその自覚があるのか、自覚がないふりをしているだけなのかは、ここでは追求せずにおくが。
「……ねえ、如月さん」
 芹川さんの動向をうかがいつつ、所長は小声で呼びかけた。如月さんはなんの疑問も抱かずデスクに歩み寄る。どうやら彼女は所長の異変を察していないようだった。
「昨日のあれ、今日も持ってるの?」
「あれといいますと?」
「ほら、その……例のアルバム」
「ああ、先輩メモリアル第一号ですね!」
 合点のいった如月さんが声を上げると同時に手を打つと、所長は慌てて「静かに」のジェスチャーを作った。その不自然に焦った様子を前にしてもなお、如月さんは訝しがることはなかった。単に芹川さんの耳に入ることを恐れたがゆえの行動だと思ったのだろう。鈍感すぎるのも一長一短だ。
 所長は一度深呼吸してから仕切りなおした。
「それさ、今日も持ってる?」
「はいっ。いつも肌身離さず持ち歩いています。わたしの宝物ですからねっ」
 それを聞き、所長はなおざりな相槌を返すと、応接ブースの人物に目をやった。芹川さんはいまだ日誌と睨み合っている。キャロラインちゃん捜索の計画を練っているようだった。
 助手が真剣に仕事に打ちこんでいるというのに、肝心の探偵といえば、関心の先があさっての方向。
「あれ、もう一度見せてもらえないかな?」
 思いがけない申し出に、如月さんは一瞬ほうける。しかしすぐに理由を解し、もちろん例によって勘違いだが、少々意地の悪い笑みを浮かべた。
「ははーん、わかりましたよ。高橋さん、先輩の写真が欲しいのでしょう。でもだめですよー。これはわたしだけのものです!」
「いや、そうじゃなくてね」
「羨ましい気持ちはわかります。でも、わたしの汗と涙の結晶を、そう簡単にひとに譲るわけにはいきません! そんなに欲しいのなら、高橋さんも自分でお作りになるといいのです」
「だからそうじゃなくて……」
 所長の目論みは理解できた。おそらく、アルバムの中に先日の男性が写っている写真があるかどうか確認したいのだろう。あの日以外にも頻繁に会っているのだとしたら、うっすらと淡く塗られたクロが、油性マジックで隙間なく塗りつぶしたクロに確定する。
 そんなまわりくどいことをせず、直接本人に訊いてしまえば一番早いのだが、それができないところが芹川さん曰く「ヘタレ」たるゆえんだろう。
 所長はどうにかしてアルバムを見せてもらおうと画策するのだが、如月さんが承諾する前に交渉は中断となった。
「先生、そろそろ行きましょう」
 作戦を練り終えた芹川さんが席を立つ。
「キャロラインちゃん、高齢だから、あまり移動速度は速くないと思うんです。行動範囲も狭いでしょうし、捜すなら早いほうがいいです」
 きびきびした口ぶりと行動で、芹川さんは捜索に出る準備を始める。対する所長は生返事を一つ、自主性なくそのあとに続いた。思わず檄を飛ばしたくなる。
 ふと、いつの間にかこちらに歩み寄っていた如月さんに気がついた。
「…どうされましたか」
 尋ねるが、すぐに返答は返ってこない。なにか言いかけては口ごもり、発言をためらっている様子。その表情には戸惑いが浮かんでいた。いうなれば、芹川さんに対する所長の態度にも似ている。思い病んでいるところがあるようで、彼女らしくないように思えた。
「……あのー、石蕗さん」
 ようやく口を開きかけたところで妨げが入る。
「よかったらなる子ちゃんも一緒に来ない? 人手は多いほうが助かるから」
 芹川さんの呼びかけに、如月さんは不意を突かれて振り返った。誘いに了解すると、慌てて駆けていく。
 結局、彼女が何を言おうとしたのかはわからずじまいだった。芹川さんの隣に並んだ如月さんは、すでにいつもの彼女に戻っている。早くも興味はキャロラインちゃん捜索に移ったらしい。
「高齢って、いくつなのですか? そのペットさんは」
「九歳って聞いたけど」
「九歳……人間でいうとどれくらいですかね」
「もうおじいちゃんじゃないのかな。先生と一緒ですね」
 その言葉にわずかな違和感を覚える。
 それはいつものやりとりである、からかい目的の冗談ではなく、皮肉を含んだとげのある口調に聞こえた。理由は所長の煮えきらない態度かと思ったが、それとは別のところにあるようにも感じられた。
 芹川さんは、事務所に来てから一度も所長と目を合わせていない。それは所長のほうが露骨に避けていることも一因だったが、彼女自身も、故意にそうしているような節が見受けられた。だがそれは注意しなければ察知し得ないほど些細でさりげなく、日曜日の件で頭がまわらない所長が気づくはずもなかった。
 見るからに様子のおかしい所長。先ほどまで様子のおかしかった如月さん。巧みに様子がおかしいことを隠している芹川さん。
 奇妙な空気を引き連れ、三人は事務所をあとにした。
 どこかで歯車が一つ狂ったような、という形容は大げさだろうか。ただこれだけは確かなのは、所長はきっと今日も訊けずじまいで終わるのだろう、ということ。そしてその予測は、見事的中した。

 ――本日の手記は以上。

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